くりぃむしちゅー有田哲平が、ついに【公式】YouTubeチャンネルを開設!!
第31回は【ジャンボ鶴田】後編!力道山由来のNWAインターナショナル王座を戴冠し、全日本プロレスのナンバー2の地位を築いたジャンボ鶴田。いよいよ機運が高まり、当時の『世界3大王座』の1つ、日本人では前人未到のAWA世界王座に挑戦!特別レフェリーとして前年に引退していたテリー・ファンクを迎え、特番での放送も決定!しかし…その3日後に大阪で再戦のカードが既に組まれている…!一体どうなってしまうのか!?有田が当時リアルタイムで見ていたファン視点から、鶴田のAWA世界王座戦を熱く語る!
※前編はコチラ▷https://youtu.be/rlos3GhFR1E
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■この動画で有田さんがお話した大会・触れた大会
・1984.2.23 全日本プロレス
蔵前国技館大会(ジャンボ鶴田 vs ニック・ボックウィンクル|AWA世界・インターナショナル両ヘビー級選手権試合)
・1984.2.26 全日本プロレス
大阪府立体育会館大会(ジャンボ鶴田 vs ニック・ボックウィンクル|AWA世界・インターナショナル両ヘビー級選手権試合)
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■視聴者のみなさまへ
有田さんが記憶をもとにその場で語っているため、多少、言い間違えたり記憶違いをされていたりすることもあるかもしれませんが、そのあたりも含めて、ぜひ有田さんの熱いプロレストークをお楽しみ頂けたらと思います!(スタッフより)
※この動画は、感染防止対策を行った上で収録しております。
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#オマエ有田だろ
#福田充徳
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#ジャンボ鶴田
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OP作詞作曲:MC JAPAN&GREEN BREW STUDIO
OPCG:斎藤良浩
©2022「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」プロジェクト

24件のコメント
テリーのもがき思い出しました。笑いました爆笑😂
次はNWAについて語ってください
有田さんの言ってるのめちゃくちゃわかるな
おれは小学生のころWWE見始めて、中学生になるころには、だんだんと「あーこれどうせ乱入でうやむやになるやつだ」、「またマネージャーが邪魔するパターンね」って思うようになった
でもたまにこっちの予想を裏切る展開があって、そうなるとめちゃくちゃ興奮すんだよね
まあ、いま思うと、実はそれすらレッスルマニアまでのストーリーの一部だったんだけどさ
テリーレフェリーの意味はそういう意味合いだったのかあ、
逝去後のspで見たとき疑問だったが解決。アイアム鶴龍からジャンボ好きな42歳。
特別ルールに一本勝負
勝つ見込みありあり
善戦マンから脱却だーと当時蔵前に足を運びました
鶴田戴冠は嬉しかったんですが、内容は大阪の方が良かった
まさか王者のまま
アメリカに乗り込む事になるとは…
ブロレスのレフリーって資格とか無いんですかね、ルーテーズなんかもたまにレフリーやってたし。
結局は興行だから盛り上がれば何でもいいんかな(笑)
テリーの服装が爆笑ものだったのはよく覚えてるなぁ。蝶ネクタイにフレアって云うのかなあのシャツ。タキシードの上着だけ脱いできましたって恰好だったなぁ
3日後の大阪で再戦した時のニックは本当に強かった。
ワタシが鶴田最強論否定派なのは、あの試合のインパクトが強過ぎたからこそ。
当時、プロレス雑誌の記事では有田さんが仰っている様な政治的な話が割と普通に記事になることがあった気がします。(特に海外マットに関して)
「NWA役員達がレイスを下ろしてチャンピオンをフレアーに変えようとしているという噂がある」の様な感じで。
当時、そういう記事を読むと子ども心に少しだけ複雑な気持ちになりました笑
貴重な話を聞く事が出来ました感謝。まさかジャンボが、そんな空気の読めない天然な不思議キャラだったとは… のちスタンハンセン達と激闘を繰り広げた黒パンツのエース鶴田は、文字どおり絶対王者の風格でした。日本人で勝てる奴おらんやろと思うホドに。
最後まで見れば注意書きが出るのかもしれないけど我慢出来ないので一時停止してコメント打ちます。
ジャンボよりも前に馬場さんが3000試合連続出場記念のNWA & AWA連続挑戦の時にバーン・ガニアからAWA獲ってるじゃないですか。
リングサイド・レポーターが徳光さんだったよね。
馬場の政治力半端なかったんだな
UNの事も語って欲しい。
2.26の大阪大会は、最初は鶴田vsニックの2連戦と発表されたけど
直前に2.23蔵前で鶴田がAWA奪取失敗した時に限り大阪大会は天龍が挑戦という形に変更されたんだよね。
確かPWFルールで行われたと記憶しています。サブレフェリーはジョー樋口だったと思います。フィニッシュのワンカウントはジョー樋口、2カウント目からテリーが駆け込みで行ったのではなかったかと…
リアルタイムて見てました
テリーファンクが紙テープまみれになるシーンの最初は
ハンセンが全日に初登場して、ハンセンのラリアートを食らった時ですねw
でも、あのヤラれっぷりのお陰でハンセンのラリアートがどれだけ恐ろしいモノか!
と言うモノをファンに焼き付けたのでした。
その後のハンセン対馬場戦では多くのファンが馬場がヤバい!と思ったモノです。
その危機感を煽った分の何%かはテリーの紙テープまみれも入ってると思いますよ。
ハンセンのラリアートへの恐怖は参戦当初の全日の選手にもあったみたいで
試合後に暴れるハンセンを止めに入った時にハンセンのラリアートを食らった選手は次の日休めたと川田選手が言ってましたw
小橋は「俺はそんなの知らない」と言ってましたので。本当に最初に超短期間だけみたいですがw
鶴田がリックマーテルに負けたのはAWA側が今後チャンピオンにしたかったからですね。
その後にリックマーテルはチャンピオンになったけどパッとしなかったね。
自分の中学時代ですね。ニックはこのタイトル失った後の鶴田さんとの試合の時の強さが印象的でした。ねちっこいグラウンドレスリングに鶴田さんほとんど抵抗できませんでしたもんね。「ニックのバックドロップ、完全に余裕で3カウント入ってたよな」ってみんなで言ってました。カールゴッチもニックのことは認めていたような発言されてますから、実力者ですよね。
一時期、新日本が年末最終シリーズでタイトルマッチがあってタイトル移動の可能性あるにも関わらず1.4カード発表時のチャンピオン対◯◯でタイトルマッチやるって宣伝してた記憶。
1984年2月23日にジャンボ鶴田さんが世界で2番に権威があったAWA世界ヘビー級チャンピオンに成った時は嬉しかったです。
有田さん語って頂いて有難うございます。
でも世界で1番権威があったNWA世界ヘビー級チャンピオンに一度も成れなかった事だけは残念でした。
鶴田さんがNWAに18回挑戦した中でも1982年6月8日のリックフレアー戦で結果は崩れジャーマンでダブルフォール引き分けでしたが、ジョー樋口レフリーが見逃しただけで実際はカウントスリー直前に鶴田さんのブリッジが一瞬完成されて肩が上がってました。
その試合の話を有田さんがして「あの時に鶴田さんの肩は上がってた」と語ってほしいです。
みんなそうだったよね。当時のプロレスマニアは
どうせは全日も新日もいつもありましたよね。
リアルで観ましたが、当時の全日ファンのこの辺の機微を絶妙に語ってくれる有ペイとは何かが通じます😂
今思うに当時はAWAも興行的なテコ入れとニック自身の希望もあり、チャンピオンの交代時期だったんでしょうね。しかしニック→リックの直接の政権移譲はネームバリューや実力的にも無理があるということで、ガニアから馬場に相談、鶴田に白羽の矢が立ったということなのではないかと思います。
それにしてもテリーの悶絶ギミックからの3カウント、大阪でのリマッチ防衛の筋書きはファン心理の裏を突いたマッチメーカー馬場の見事な演出だったと思います😂