【徹底解説】西郷隆盛#12 西南戦争/破裂弾中に昼寝

今回は西南戦争の挙兵から敗北、自決までを紐解きます。
#01から見る https://youtu.be/8W48kjyhXUo
前回 https://youtu.be/xeUx3vfDGK8

本動画では、西郷隆盛の生涯を詳しく紐解くことをテーマにしています。
チャンネルでは、幕末を初めとする人々の人物史を取り扱っていきます。

【チャプター】
00:13 鹿児島の不穏
03:24 私学校の暴発と密偵の捕縛
07:43 挙兵の大義と進軍戦略
11:27 西南戦争、開幕
15:37 熊本の戦い
19:15 高瀬の戦い、城東の戦い
23:47 敗走戦と鹿児島帰還
28:57 城山での自決

2件のコメント

  1. 薩軍の戦略を見ると、西郷隆盛と薩軍の指導的役割を担った人たちに、西南戦争で勝つ気はなかったと思う。
    本気で「この戦争に勝利する」「政府を倒す」「維新をやり直す」と叫ぶ、時代遅れの“社会不適合者”を道連れにするのが狙いだったんじゃないかな。

    実際に大久保利通と西郷隆盛が仲が良かったという資料の信ぴょう性は低いとの説もある。
    となると、大久保利通は時流の流れに乗り遅れた不平士族が、西郷隆盛のもとに集結したときに、時代の歪みとともに葬ることに躊躇は無かったと思う。

    “視察”か“刺殺”か…いまとなっては不明だけど、この「挑発して相手から仕掛けさせ、戦争の大義名分にする。」という手法は、大政奉還後の幕府軍に対して官軍が用いた手法であり、自分たちがかつて使ったやり方をやられてるのは皮肉だと言える。

    抜刀攻撃などの局地的優勢はあったものの、おそらく故意に持久戦をとる薩軍が、戦力も財源も乏しく自滅するのは時間の問題だった。
    剣を頼む敵を新型の兵器を用いて火力で圧倒するという戦術も、自分たちが戊辰戦争(主に函館戦争)などでとった戦い方であり、完全に「負け確」だと理解していたと思う。

    熱狂的な西郷隆盛ファンを除く当時の民衆は「偉そうにしていた士族が、徴兵された平民(百姓)に負ける。」という構図は痛快だっただろう。
    また、自分たちで西郷隆盛と言う神輿を担いでおいて最後は逃げた連中は、のちの日本軍の指導者の姿と重なるという意味でも、我が国の本質はいまも変わらないのは興味深い。

    はい、個人の感想です(笑)

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