建築家への辛辣批判や不要論もある中で、建築家の存在意義について考える。大阪万博の木造リングでも休憩所でもトイレでも、隈研吾氏設計の広重美術館でも、その建築デザインに説得力をもたらすのはなんなのか?
デザイン偏重、無駄なデザイン、独りよがり、使いづらい、コストかけすぎ、維持費高すぎ、などと批判の声が強くなっている一方で、素晴らしい建築家もまた多くいる。が、目が良く見えるばからりか誠実で、建前を超えて理想を目指す建築家には、悲劇が待っているのかもしれない。山本理顕先生しかり。上の人たちの不興を買ってでも、人類のために闘うような建築家。もはや我々の社会では、そういうめんどくさい奴の行き着く先は、プロメテウスと同じなのかもわからない。
参考おすすめ動画/ゲンロン YouTube Official
山本理顕×藤本壮介 モデレーター=五十嵐太郎、東浩紀 万博と建築──なにをなすべきか @RikenYamamoto @soufujimoto @taroigarashi @hazuma
以前の議論はこちら:🐻建築への賛否、言いたいことも言えない木材・建築業界ってことはないよね? 「隈研吾氏設計の広重美術館がボロボロに…改修費3億円に住民衝撃」について
・順調にいけば年内、築地書館より都市林業の本が出ます!
・都市林業のご紹介
・街の木で一棟つくるぞチャレンジ
0:00 導入
4:20 独りよがりのこだわりも薄っぺらいデザインも乗り越えて、、
14:48 万博について
21:24 愛知万博の時そう言えば、、
24:40 闘う建築家は外される?
29:39 都市林業の紹介
【工具・資材紹介:本チャンネルで使用している道具たち】
https://www.toshiringyou.com/tools
都市林業の事例紹介:区役所の木々に新しい循環を。世田谷区本庁舎、東京都世田谷区
世田谷区 公式チャンネルより
【世田谷区本庁舎等整備事業 けやき等の木を活かすワークショップ】
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動画製作 :湧口善之(ユグチヨシユキ)
動画撮影・編集:曽根かな子
#都市森林 #都市林業 #木工 #建築 #樹木 #木材選び #美術館 #ウッド

35件のコメント
くまって、木のド素人さんと分かりますね。
そういうのに発注するのもド素人の職員だし。
その悪循環の塊ですね。
建築家(設計)というステージと、それを建てる匠というステージの狭間が気になりますね。
例えば、木の匠といえば「大工の正やん」さんが思い浮かびますね。
数多くの木材屋さんと知り合いで様々な木材の研究もされていますね。
設計家でそこまで、素材の研究している人はいるのでしょうかね。
話題に出た、くま氏に対するお考えとかも聴いてみたい所ですね。
今回も有意義でした。
ありがとうございます♪
建築家さんだけの事ではなくてその場に関わるいろいろな人達がそれぞれの見識を交換しながらその場を作っていけたら楽しいし、活きた場になりますね。
ただ、今ってそういうやり取りがめんどくさいと言う流れが大勢を占めてるようにみえますね。
僕は、建築家からは程遠いところにいる街歩きが好きなおじさんですが、動線とか景観とかみんなの想いとかそんなモノたちを感じながら歩き回ってます。
これからも沢山教えてくださいませね。
😊
1月前の隈研吾さんの美術館の動画の時にコメントした。建築金物工房のモノです。今回も良かったです。お話の途中で紹介された。万博のリングの対決も観ました。こちらも面白かった。書いてて思ったけど、リングって、格闘技でもリングですね。やはり、戦うべき話なのかも。
ってそんな事はどうでもいいけど、私は山本理顕さん側ですね。あまりにも不透明で時代にそぐわない、古き土建屋的(同業者の一部と自覚しながらも)貧しい発想の政治の力でのみ動いているとしか思えません。今、日本がやるべき事とは到底思えません。 因みに、私はどんな現場でも建築家を先生なんて呼びません。バカにする時くらい。なんで、そんな慣習なのか理解不能です。なんか、その辺からおかしいんとちゃうと。大阪市民辞めた人間としても思います。
ありがとうございます。少子高齢化で若さや青臭さや夢を全く感じない万博。ただ無事に終わって欲しいだけ、、、お金が動けばそれで良いのか?戦争でいのちが脅かされる世界情勢を踏まえ、万博の意義を深く議論をする必要があると思う。
万博のリングの動画見たよ。ウイスキー呑みながらだけど、それでも長かったー。端的に言うと、藤本ってクソだな。彼をトップに据えるのにも、創◯学会の安藤が絡んでるんだね。国立競技場の建築家を選定する時と同じで、真っ暗闇の世界だね。
環境問題の私のバイブル的な本は、1979年日本語翻訳出版「ソフト・エネルギー・パス(エイモリーロビンズ著)」です。
建物については、「パッシブソーラー住宅」「パッシブソーラービル」がこれからの「ソフトエネルギー・パス(ソフトパス)」の建築になると言い切っている。
今のエネルギー問題の課題が、極めて論理的に網羅されていて、「ハードパス」から「ソフトパス」への移行について書かれている。
特に重要なのは、自然エネルギーであっても「ソフトパス」と「ハードパス」があることが示されている。
今で言うと、再生可能エネルギー源とされる、太陽光、風力等なども、大規模なものは「ハードパス」になるとしている。
当時すでに、自然エネルギー源である「ダム式水力発電」は問題になっていて、明確に「ハードパス」であると分類している。
つまり、「大規模な自然エネルギー利用」を「ハードパス」に分類して、40年以上前から批判している。
建築家は芸術家である前に技術者でなければならない。エンジニアでない建築家はペテンだ。
クマ氏の話し中の画像で、この表情なら内面もよろしくない、と直感しました。
ゆぐち先生は良い表情をされていますね、良い仕事をなさっていると感じました✨
講演会だと拍手しかされないが、youtubeだと批判も来て、「すごくYoutubeって面白い」と言われたところで、笑いました。というのも工務店系のYoutuberさんで、(批判のコメントなんかを)そういうのは要らない、と言っていたからです。
建築家・藤本壮介氏デザイン、飛騨高山の新設大学COIUの画像を見てきました。美しいすり鉢状の登れる丘になる大屋根。
「オープンスペースと中庭のイメージ」ですが、冬の飛騨を考えると、冬はどう使うのだろうか? 一見すると、美しいが冬は使えないデッドスペースに見える。
雪国で暮らすものからすれば、冬の姿を見せてほしい。なんて感じました。
すり鉢状の登れる丘になる大屋根は、雪が積もれば、スキーやそり遊びが出来そうだが。屋根から落ちたら大変だなあ。
興味が無かったので、よく知らなかったが、大阪万博の巨大リング、いくつか画像見て来ました。これが未来へと続く建築物のモデルなのか?
大断面集成材を使って和風建築の貫構造で木組み、世界最大の木造建築。おもしろいけど、機能を考えると、費用対効果が悪すぎると思う。
また、軟弱地盤の埋め立て地なので、不当沈下が起きた時に、円周で繋がっていることで、修復が難しいように思える。
この巨大リングの機能は、想像するに、「会場外周の結界」。「会場外周の屋根のある歩行通路兼広場、屋根の上の空中回廊」。
結界ならこんな構造物は不要、なぜなら、日本古来の伝統では簡素に作るものだから。
対談の中では「盆踊で、つなげたい、人の循環」、そのアイデア、毎週行ってください。人が動くかどうか見ものです。毎週人が集まり出来たら、すごいですから。
伝統の「郡上おどり」が一か月以上踊られているのだから、毎週ぐらいできますよね・・・。なんて思いました。にわかで、あちこち見てきた感想です。
福島県玉川村に先月オープンした隈研吾氏デザイン「乙な駅」に行ってきました。レストランへ降りて行く階段の手摺が径3ミリの鋼ワイヤーてす。年寄りや足の不自由な手摺が必要な人には使えません! 奇をてらう が デザインではない❢
【第1部】山本理顕×藤本壮介 モデレーター=五十嵐太郎、東浩紀 万博と建築──なにをなすべきか を見て来ました。そこで感じたことをカキコします。
『 【広い「空」円形に切り取る】なんだそりゃ。都市では空が狭いだろうが、田舎では空は広いのは当たり前だよ。それに大金をかける。
中央に人工物でなく森を配置。どんな森なのか提示しないで自然ですか? ⇒里山の森なら、人の生活とリンクした人の手が入った森。⇒人工の針葉樹林なら、木材生産のための森で、まっすぐな節の無い材木を生産するために人が管理する森。⇒自然の広葉樹林?、照葉樹林?、自然の針葉樹林? 極相森? 都市の公園の森? 森の遷移を見せるための森(白金の自然教育園)?。明治神宮の森(日本全国から集められた木による植林によってつくられた森)? ところで、万博の中央の森は、何の森? 』
個人的には「中途半端な(と言う事はつまり「批判に対する強度を持たないような」)デザイン・意匠」なら、箱を提供するだけにして、わざわざ”意匠”の設計などやらない方がマシ、だと思って設計しています。
ところが建築(物)には、文化としての側面と、投機としての側面があるので、「投機的にok」なら「醜悪なタワマン」でも「とんでも意匠建築」でも有名化するし乱立もする。
近似の問題として、建築物には(例えそれが個人の住宅であったとしても)、「施主にとって価値のある」フェーズと、「社会(空間)にとって価値のある」フェーズとがあって、昨今の問題は設計者の価値観が前者に偏り過ぎ・阿り過ぎた結果、「建築(ないし設計者)の社会性(社会という空間全体を見渡す能力)の欠如」の問題が大きいと思う。
尚「社会という空間」はビジブルなものだけでなくインビジブルなもの(顕著には政治的潮流等)両方含むし、地球というスケールから地域というスケールまでの振れ幅がある、と思う。
このYouTubeで紹介されている、東さんをモデレーターとして藤本さんと山本さんの論議番組を拝聴しました。私は、なぜ、万博がアウトレットモールのような簡易な建物と広場で、各国のコンテンツ重視で実施されないのかが不思議でなりませんでした。紹介されている議論を拝聴して、今回の大阪万博では、例えば「建築」が万博のコンテンツとしてどうかかわるべきなのか、意思決定プロセスや負うべき責任関係について明示されずに進めてられてきたのではないか、と感じました。賛否両論の大阪万博ですが、万人がぼんやりと、何かがおかしいと思う背景には、それなりの理由があるのだな、と感じた次第です。
もっとゆっくり話しなさい。今様の独りよがりな話し方
山本理顕さんもそこそこ酷い建築家だと思います。
Twitterで論争しましたが、デベロッパーや役所をバカにして、建築家こそ偉いという立場でしか話をしようとしません。
坂茂さんなども同様です。
視野狭窄で世間知らず。
それが建築家のイメージですね。
いや、一緒に仕事してるからイメージではなく事実です。
政治家を喜ばせる派手な建築物は庶民にとっては税金の無駄遣いなので、建築家として成功するためには庶民から反感を買うようなこともあるでしょうね
團伊玖磨さんの「パイプのけむり」の中で、海岸に面した崖に自宅を建てる話がありました。
團伊玖磨さんは、その当時の土木、建築技術を礼賛し私も同じ気分の時代でした。
このチャンネルを聞いているうちに、團さんのお父さんは伊玖磨さんだろうと直感しました。
問題は建築家より発注者にあると思います。利用者の意見を的確に把握した発注者が建築家を活用すること、これで多くの人が納得することになる、そう思います。
今回も楽しく拝見しました。山本さんと言えば、X上で見た、藤本氏を嘲笑うような投稿が非常に印象的でした。見るに堪えないと言いますか・・・。日本中の人が公に見れる場でそういった発言をしているのは、本質とは別のところで、大変なマイナスだなと感じました。少なくとも私みたいな素人からすると、近づきたくない人たち、という感想にしかなりません。
私は建築ファンで、山本理顕氏の建築はかなり好きですが、氏はいまだに「御堂筋万博」とか言ってて、引きます。彼が万博絡みでやってる事は政治活動であって、「建築家として云々」という言は立場論を利用した口実です。
さて、建築家悪玉論は色々言われますが、そのプロジェクトで建築家が求められている役割次第だと思います。アーティストとしての役割か、デザイナーか。
前者であれば傲慢さが必要ですし、後者であれば美観機能やブランディング機能を含めた各種機能をバランスさせる解決策の提示(=設計)です。
建築家という言葉にはアーティストとデザイナーの両義性があるので、ここに問題が生じるのだろうと思います
大阪万博について開催はどっちでもいいんだけど、モニュメントと建屋の区別ついてない気がする。
太陽の像で耐用年数がどうのうこうのいいだすのはつまらん。
同じく円形の木造云々で耐用年数云々はつまらん議論に感じる。
建築家に限らず素材を知らずにモノを作るいわゆるデザイナーという肩書きの人達が大勢います。特にグラフィック分野でちょっと名が売れて片手間でプロダクトデザインをするような輩は困り物です。木材加工の技術が進歩して意図した形をほとんど実現できるようになったのは良いが木材の特性を無視したような造りが散見されモヤモヤした気持ちになります。
建築当時も木材の防腐剤として「越井プレザービング」の防腐剤加圧注入という工法が有りましたし利用も可能でした。しかし防腐効果が強力で木材が腐りにくい分だけ相反して薬剤的に強く、土中埋設しても10年以上も腐らない程でした。その防腐木材を屋根装飾材に利用すれば、木材表面の焼けは有っても木材は腐っていなかったと思います。(シックハウスという概念が少しづつ浸透し始めた当時の時代です。)その為、当時なるべくケミカル的ではなく自然に近い素材で(今でいうエコ的発想で)木材の防腐加工が無いか?と試行錯誤していた過渡期の時代です。
現在の農業でいえば虫のつかない強力な農薬(毒性薬物)ではなく、木酢液や柿渋を農薬の代わりに利用する発想と同じ考えでの事です。公共建築と農業は違うとはいえ、現在その試行錯誤する事を悪く言う人は少ないのではと思いますが。。。
当時も有った腐らない強い防腐薬剤(当時の許可薬剤では有りますが)を経済合理性の優先だから何も考えず使え!!というのと同じ事に成るので。。。
結果として自然に近いエコな薬剤を採用して防腐効力が減退し、20年弱で劣化したことは非常に残念だしメンテコストが掛かる事に違いは無いのですが、、、。
その当時に現在のエコ的な価値観でより安全な木材防腐を目指し、実験しながら試行錯誤をしていた事を、結果だけ見て否定だけするのは簡単な事かも知れないですね。。。??
やたら『出世』って使う人やねぇ。Artって芸術と日本人は訳してしまうけど技術という意味もある。機能美は建築の最低条件だと思うんだけど、ものすごく勘違いしている人だらけ。例えば、『パッシブ』という言葉に酔ってしまう建築家は多い。こんなん春秋にしか役に立たない。もっと合理性を磨けよって思うよ。
お話ありがとうございました。
大きな構造物を自分以外のために作る建築家の先生たちってきっと気も狂わんばかりに色々を考え抜いているでしょうから、出来たものを提供される私たちも賢くならないとなって思います。
段ボールで椅子を作れ と言われただけで鼻血か出る程考えられますものね。
皆で賛成した最初のコンセプト通りに、造られたあとも機能させ続けないと寂しく死んでいくだけですね。
だから愛着って必要だと思います。
ゲンロン、YouTubeのだけは拝聴しました。
涌口さんもテロップで書かれていますが
藤本さんは一般の人たちに向けて難しいお話は避けたのかなと思いました。でも、もうちょっとだけ難しくても良かったかな😅
オリンピックの基本理念とか開会の言葉を聴いているようでした。
第2部(シラス?)の方は観れていませんが、もっと突っ込んだ、とりわけ責任の話を交わされたのかと想像しております。
プロメテウスは不死でしたね。
人間は死なない訳にはいきませんから、順番に、役割を同じくして絶えず入れ代わるしかないです。
涌口さんの講義、絵がたくさん出てきて嬉しいです。稚拙な文章ですみません。
次回も楽しみにしおります。😊
安藤忠雄は無名の頃は設計料無料でやってました。コンクリート打ちっ放しで大開口窓のワンルームみたいな住宅は夏はサウナ、冬は冷凍庫でカビや結露だらけで本当に体調おかしくなってクレームだらけだからです、そこそこ売れてきたら成金社長みたいな連中が顧客になりましたが、やはり住めたモノではないので近くに普通のマンション買ってパーティールームにしたり、直ぐに売りに出したりばっかりだったらしいです。僕は某建築家事務所で働いてましたが、清濁合わせたような意味合いで安藤くんの建築は物凄い建築だって語ってました。まぁ建築家とはいったい何者なんでしょうね。
簡単な事です。木材は、外部では、やがて腐ることは、子供でもわかります。原則、外部、雨がかかるところに、木を使ってはいけません😂
伝統的な建築はそうならないようにちゃんとなっていますよ😂
建築家と建築士(資格)は関係ない
建築家と学歴も全く関係ない
世界の最高受賞評価されたものが、良い建築とは限らない
芸術家も同様な関係性であり、個人の主義や世界観を表現すればいい
誰でも建築科や芸術家になれるし名乗っていい 表現する自由があるしね
でも、職人や技術者になり相手から報酬を得るのは簡単ではない
顧客がお金を払うことで、生業になる(個人や公共)<商人や政治力が重要になり表現の質や思想なんて関係ない 経済的合理性で動く
公共建築家としてのマーケティングとブランディングやコネクションには、賞や権威や派閥が一番大事
個人住宅と公共建築は全く、求められることがちがくないですか?
大きなGデザイン賞、P賞受賞を盲目的に信じる姿勢は、マスゴミ情報を鵜呑みにするB層と同じでは??
隈研吾さんは、顧客が契約時に納得してお金を支払ったんだから
1ミリも非難される筋合いはない、経年変化による腐食や汚れは役所の建築課や主事だって理解できる
同じ知性と審美眼を持つ似たもの同士しか、発注側と請負側になり意気投合したんでしょwwww
個性的な服を紙で作り引き渡して、使用を重ねてたら破けた(隈研吾)
寒かった、汗でべとべと(禿げボクサー)
民度が生んだ、建築家です
有名とか輝ける受賞歴なんて求めて建物建てたいなら、 1馬鹿を洗脳して夢をみさせ勘違いさせる 2自分の金で建てる しかないからさwwwww
リングって名前がそもそも不吉でダメなのでは?
しかも、あの島はメタンガスが発生している。
あの島に行くには大阪市とあの島には道が一本しかないんです。
燃えるリング。 まるでガスコンロの火の輪の中に入るようだ?
今はオール電化な家が多いから想像できないのでは?
しかも2025年7月太陽系電磁波の問題があって、通信機器とかGP Sが遮断される
可能性が大きい。危険を承知で全国から親子連れや修学旅行生を連れて行くのかね?
まず、保護者も教師も嫌がるだろう? 中国製のE Vバスとか動かなくなるかもしれないね。
建築家を先生と呼ぶのを辞めませんか。
これは問題の本質の一部だとも思っています。
正直な話、広重美術館とかあの規模の建物になってくるとエゴでも中二病でも出来上がったらそれだけで価値はでちゃいますよ
前提として作る人たちがみんなプロの仕事してんですから当たり前です
全盛期に行った人は満足できたでしょうし、別に二度三度行くような場所じゃなし、体験としては最高だったんじゃないですかね
問題は、本当にそれで合意が取れていたのか、説明が十分だったのかって部分だけですよ
木が朽ちない内だけの刹那的な体験です。公共建築なのに、その体験の継承は難しいかもしれません。それがいやなら毎年メンテナンスするか、ヤバくなった段階で大規模な工事が必要になり、どちらにせよ多額の税金使います。いいですか? って。
それである程度住民と合意がとれてたなら何も言うことないですけど、絶対そうじゃなかったですよね。そんな面倒なことをやれる人が、あんなしょうもないデザインをするわけがない
哲学だか中二病だかを表現したいという浅ましい欲求のままズルをして、悪くいうと騙して、それが今になって明るみに出ているから叩かれている
これじゃ「先生」どころか、気持ち良くなる為に自己を押さえられない露出狂と同じですよ
建築について、建築家について考える、調べる一助となりました。
何故その建築家が選ばれたのかは、ブランド力の強さなどもあるのでしょうね。
国を挙げての事業には国民を始め多くの方々に支持されなければならないのと、支持する関係者の利害関係もあり、誰を選ぶかには、三方から観て失敗のない無難な建築家を選ばざるを得ないのかなぁと思いました。
特に先般の東京五輪🗼は、エンブレム問題で最初から不公平感とケチが付いてしまいましたので、その後の市松模様のエンブレムデザイン決定から、より日本的なデザインを希求されました。
従って、隈研吾氏のデザインに行き着くのは自然な流れでもあった様に思います。
木材、木工関係のお仕事は、年々先細りしていると聞いておりますので、大胆にも屋根にも屋根に木材を沢山使用するのは、その関連の方々を潤す為にもなるのかなぁ?と、勝手な解釈をしていました。
しかし、次に改修される場合には、別の素材を使用して頂きたいなと誰もが思う内容でした。
問題提起をありがとうございました。
対策の方法として、木材に墨を塗ることにより、腐敗をかなり抑えることが出来ると伺っております。
実際に自宅の外壁にそのような措置を施した黒い木材を使用した住宅が近所にありまして、持ち主の方は問題なく維持されていると話されていました。
但しあくまでも外壁ですので、屋根はどう考えても確かにあり得ない使い方ですね。
最後に、そのあり得ない使い方に、芸術的な価値を付与されたのが隈研吾氏なのでしょう。
ロシアが行ったかつての農業改革などよりは遥かに害が少ないかもしれないと勝手に達観しています。
木を大切に扱う事業、素晴らしいですね❤