【鳥取城の戦い】4000人が犠牲になった戦国史上最も悲惨な籠城戦【日本史解説】【地図・地形図で日本史を見る】
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今回の動画は【鳥取城の戦い】について紹介いたします。
城を攻める者と守る者。ただ攻め、守るだけではなく、次代に命を繋ぐ、
「人を活かす」常識外れの戦術を仕掛ける秀吉。
攻城側と籠城側に立つ人間の奥底にある「思い・願い」に重点を置いてみてお楽しみください。
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【参考文献・サイト】
・幻の一大決戦!秀吉vs毛利 ~真説「鳥取城の戦い」~を巡る(サイト)
・鳥取城の戦い古戦場(サイト)
・鳥取城の戦いとは(サイト)
・戦国最悪の籠城戦“渇え殺し”の舞台 鳥取城(サイト)
・秀吉が振舞ったかゆで突然死「リフィーディング症候群」か…1581年の鳥取城兵糧攻め(サイト)
・【戦国こぼれ話】地獄のような鳥取城の惨劇。440年前に行われた羽柴(豊臣)秀吉の兵糧攻めの全貌(サイト)
・あまりに残酷だった! 城兵が人肉を食らったという羽柴秀吉による鳥取城攻め(サイト)
・鳥取城(WIKI)
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・通説や新説を織り交ぜつつ、【合戦人情ヒストリア】風に脚色や推測を加えた解説になります。
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・登場人物が呼び合う呼称などは出来るだけ当時の役職・官職などを元に再現しておりますが、必ずしもそう呼ばれていたかの断定ではありません。
・出来るだけ細かく調整していますが、演出上大きな音を採用している場合があります。
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現在の地名を頼りに推測で場所を示している事もあります。
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#歴史 #戦国時代 #地形図
11件のコメント
秀吉が鳥取城攻めを行っている最中に、毛利家は本気で危機感を持って大兵力で救援に向かわなかった事が解らない。兵糧を送るのではなく4か月もあれば毛利本隊による救援を行えるだけの時間的な余裕があったと思う。この時期の毛利家がどうだったのか詳しくないのですが、本気で織田家と戦いたくなかったのであれば仕方がないのかもしれませんが・・。
羽柴秀吉は、恐ろしや😅
秀吉より城兵が餓死しても降伏しなかった吉川経家が恐ろしいこの攻城戦で秀吉を悪く言ってる方々は秀吉に味方に犠牲を出しても強攻しろとでも言ってるのでしょうか?
他チャンネルでも似たような構成の動画はあるけど、このチャンネルは淡々としてて良いです。
勿論ネタ要素があるのも好きですが、
独自感があって好きです。
コレは中高生の受験対策にも使えるんじゃないかと思いました。
風情のある始まり方が好き。その秀逸な情景描写。つい感慨深く いつか見た憧憬を浮かべてしまう。
鳥取の飢え殺し は包囲した秀吉軍は、余裕だったような解説が多いですが、 もしも鳥取城にあと数か月分の兵糧が
あれば、10月に降伏せずに、翌年の1月まで兵糧が残っていれば、逆に
12月の鳥取の冬の積雪は10cmから30cmとすれば、
粗末な砦などで包囲している秀吉軍(2万人には家や屋根や壁が不足)は、積雪と寒さで、手足は凍傷、やがて凍死する
足軽が急増して脱走兵が急増して、鳥取城の包囲を続けられずに撤退して、(城の中で防寒できた)籠城側は降伏せずに済んだかも しれないと感じました。 鳥取の12月の天気(積雪 と 気温)の条件は 場合によっては秀吉軍を
スターリングラード包囲戦 みたいに寒さと雪で苦しめていたかも、、、
歴史家の礒田先生によれば、毛利は織田との全面戦争は不可避との認識はあれど、支配領域の国人衆が毛利に加担すれば、自家も毛利と共倒れになる事を恐れて、動員令に応じない姿勢に終始していたと指摘。毛利の支配は、絶対では無かった。
これのどこが悲劇的なの?
過去を語るとき人は神になり得る、と司馬遼太郎は言ったが現代的視点で過去を語るのは歴史に対する冒涜だ。
吉川は、首桶持って入城している時点で死は覚悟している。
自らの死により城兵多数の命を救い、天下に轟く織田軍団を苦しめた。
名誉の中で死ぬことでその名は天下に驚いた。
武将としてこれほどの誉れはない。
姑息の誤用が気になりました
秀吉、秀長、孝高いずれも「くせ者」揃い。豊臣の天下となったのも頷けます。秀長「お主も悪よのう」というところですね。そして秀吉の城攻めの新機軸、両者が相まったところで豊臣の天下となったのも頷けます。
大山見えるのですか?
とても遠いし、他の山が遮ると思うのですが