くりぃむしちゅー有田哲平が、ついに【公式】YouTubeチャンネルを開設!!
第37回は【前田日明の衝撃試合】前編!プロレス史に残る事件や不穏試合など、数々の伝説で知られる前田日明。今回は『事件』ではなく、有田が衝撃を受けた前田日明の『試合』を語る!新日本プロレスに入門し、未来のエース候補として将来を期待されていた前田が、第1回IWGPに欧州代表として出場するために、遠征先のヨーロッパから凱旋帰国!その帰国第1戦【前田明 vs ポール・オンドーフ】に衝撃を受けたという有田だが、一体どんな試合だったのか・・・!?
※後編はコチラ▷https://youtu.be/BbJVZlG4ovA

■【プロレスに関する質問&相談】大募集!!
有田さんに『聞きたいこと』『相談したいこと』『語ってほしいこと』『やってほしいこと』などなど、ぜひお気軽にこちらのフォームからお送りください!
https://forms.gle/p5Tat985s8A5gucR6

■【チャンネル登録】と【いいねボタン】をよろしくお願い致します!
チャンネル登録後、「登録済み」の横にある「ベルマーク」のアイコンをタップして「すべて」を選択して頂き、ぜひ新着動画のお知らせなどの通知が受け取れるようにしてください♪

■この動画で有田さんがお話した大会/試合・触れた大会/試合
・1983.4.21 新日本プロレス 蔵前国技館
ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾(前田明 vs ポール・オンドーフ|前田凱旋帰国第1戦)
・1983.5.6~6.2 新日本プロレス
第1回IWGP決勝リーグ戦(欧州代表・前田明)
・1986.4.29 新日本プロレス
津市体育館大会(前田日明 vs アンドレ・ザ・ジャイアント|不穏試合)
・1987.11.19 新日本プロレス
後楽園ホール大会(前田日明&木戸修&髙田延彦 vs マサ斎藤&長州力&ヒロ斉藤|顔面蹴撃事件)
・1994.7.14 リングス
大阪府立体育会館大会(前田日明 vs ディック・フライ|試合後ストンピング事件)
・1999.2.21 リングス
横浜アリーナ大会(前田日明 vs アレキサンダー・カレリン|前田引退試合)

■チャンネルメンバーシップ登録について
[メンバーになる] ボタンからメンバーシップを登録して頂くと、不定期開催の生配信イベント『有田編集長のプロレス飲み会』をリアルタイムでご視聴頂けたり、アーカイブ公開期間は全編ご視聴頂くことができますので、ご参加希望の方はぜひ♪
☆メンバーシップ申込ページ:https://bit.ly/3jOtiB2

■チャンネル公式SNSアカウント
様々なお知らせや収録の様子などスタッフが投稿して参りますので、ぜひフォローよろしくお願い致します!
☆Twitter:https://twitter.com/aripro_wp
☆Instagram:https://www.instagram.com/arita_ainter
☆Facebook:https://www.facebook.com/aripro.wp

■視聴者のみなさまへ
有田さんが記憶をもとにその場で語っているため、多少、言い間違えたり記憶違いをされていたりすることもあるかもしれませんが、そのあたりも含めて、ぜひ有田さんの熱いプロレストークをお楽しみ頂けたらと思います!(スタッフより)

※この動画は、感染防止対策を行った上で収録しております。

#有田哲平
#プロレス
#オマエ有田だろ
#福田充徳
#新日本プロレス
#njpw
#前田日明
#IWGP
#昭和プロレス

OP作詞作曲:MC JAPAN&GREEN BREW STUDIO
OPCG:斎藤良浩

©2022「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」プロジェクト

43件のコメント

  1. 49歳でやっと言葉にできる。きっと、前田は一流のプロレスラーであるにもかかわらず、プロレスを愛していない人だったんじゃないだろうか。根っこには本当に強いプロレスラーがチャンピオンになるべきだという理念があるかと考えると、そのあとすべての行動が理解できる。前田は面白い。

  2. ポールオンドーフ戦のリバースアームサルトはあの試合限りで終わったのは勿体なかった😞💦
    結局あの時売りにしてた12種類のスープレックスは何だったのだろう⁉️🤣
    当時はスロイダー、リバースアームサルト、ハーフハッチ、ジャーマン、ドラゴンは使ってたが後7種類は分からず仕舞いだった🤣

  3. 当時小学生だった私も、なぜ日本人がヨーロッパ代表と疑問に感じてましたが、前田はヨーロッパヘビー級王者だった経緯から代表になったのだと勝手に解釈してました。

  4. いつも思うけど福田はなんのためにMacBookを触ってるの?笑
    そこになんか書いてあるのかと思ったら結局カンペ見てるし笑

  5. この凱旋試合はセコンドにカール・ゴッチがいたこともあり客受けを全く考えず唐突に試合をした印象がある。あと前田と言えばあの田コロでハンセンにラリアートを喰らってたのを覚えてる。

  6. くりぃむのオールナイト聴いちゃうとどのラジオも物足りない凄さがあるんよね..

  7. 最近Aインターを見返したからか、ケンコバや古坂大魔王との濃厚なのもたまにはやって欲しくなる

  8. ヨーロッパ代表時の前田をちゃんと「前田 明」と書くあたり、さすが有田です。

    そこにもちょっと触れてほしかったけど。
    それと「スパークリング・フラッシュ」というわかったようなわからないような
    キャッチフレーズがインパクト強かったです。

  9. ダブルアームスープレックスホールドを
    前田日明12種類のスープレックスの1つ
    リバースアームサルト
    ゴッチさんは正面からのスープレックスと言われる投げ技をサルト
    と、言われてたと
    前田日明さんはのち語られていた記憶があります。

  10. スロイダーは片手を抱えこんで投げるフロントスープレックス。一応ヨーロッパチャンピオンの肩書きがあった前田より北米代表のディノブラボーの代打がラッシャー木村だったほうが意味不明だった。多分だけどIWGP直前に藤波からWWFインターをダッシュして大ブレイクした長州がアンドレやホーガンに負けるのを回避する為に温存したんだよね。

  11. 前田さんと髙田さんの絆については
    前田さんが髙田さんの事を自分と同じ在日だと勘違いして、弟のように思っていたって髙田さん自身が語ってました。

  12. 一応、前田はウエイン・ブリッジに勝ってヨーロッパヘビー級チャンピオンになっての帰国だったはず。

  13. 前田日明の試合で思い出すのは、藤波辰巳戦ですね。縦回転のニールキックで流血した藤波と引き分けた試合。UWFから新日に戻って初めて、プロレスのいい試合を魅せた感じでした。

  14. 衝撃的な凱旋帰国でしたね!当時は七色のスープレックスと言われてました。
    オーンドーフは完全なかませ犬にされて可哀想でした。本国では結構地位のあった選手で待望の来日だったのですが。
    確かその時期に藤波さんが長州に敗れて海外に行っていたような?それだけに猪木の新たな後継者候補としてインパクトありましたよね。

  15. UWFの藤原VS前田戦が名勝負だと思います‼️

    藤原組長の頭突き、前田の蹴り、最後はどちらが勝ったかわからないような結末👍

  16. イギリスから凱旋帰国した際のリング上での紹介、背広姿でベルト(ヨーロッパ・へビー級王座)を肩にかけて登場した時かっこよかったもんな。で欧州代表!?

  17. 前田vsオンドーフは日本で
    数ヶ月後に再戦ありましたね。
    試合は初戦と同じで秒殺でしたけど。

  18. 今でこそ前田日明の入場曲と言えばキャプチュードだけどこの頃の入場曲はアニメのダンバインだったな〜笑

  19. 新日にある意味無理やり「ヨーロッパ代表」にされ、
    凱旋帰国させられたこともあって、初戦は欧風式の
    ガチスタイルを披露したのかもしれないですね。
    セコンドにゴッチが付いていたこともあり、ドイツ
    のローランド・ボックを思わせる凍った試合になり
    ました。

  20. 当時の「前田明」時代、入場曲で「ダンバイン飛ぶ」のイントロが流れた時はビックリしましたねぇ
    選曲誰がしたのかと(笑)

  21. 上田のクルム伊達はあんたの高田以下だな🎵
    コンビ格差って奴は😆空かんぞ😆
    ロッチの傍ら消えたな😆

  22. 3年位しかやってなかったのに一番面白いラジオ論争だと絶対くりぃむのANNあがるよな

  23. なぁ有田、ラジオレギュラーを復活するわけにはいかないか?

  24. 1983年1月25日にはウェイン・ブリッジ(英語版)を破り、かつてはビル・ロビンソンやホースト・ホフマンも戴冠したヨーロッパ・ヘビー級王座を獲得・・・このことで、代表だと理解してました。

  25. 何気にずっと思ってたのは、有田さんの書く字が味があってイイって事
    長州さんの「州」の略し方もイイ

Leave A Reply