どうして乙姫様は浦島太郎に玉手箱を渡したか【仏教の考察】
「自分のことくらい自分が一番よく知ってるさ」とみな思っていますが、実は分かっているのは、自分のほんの一部であり、他人も自分も知らない本性が隠れていると仏教では説かれています。
仏説通りの自己を知らされた親鸞聖人は『虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし』“ウソ偽りのこの身には、清らかな心は全くない”と懺悔されています。
あの有名な『浦島太郎』はそういう人間の虚仮の姿を現した話です。
漁師の浦島太郎が浜へ行くと、カメが子供たちに虐待されています。
可哀想に思った彼は、子供たちに動物愛護の精神を話しますが、子供たちは聞き入れません。
そこで彼はカメを買いとり、沖のほうに放してやりました。
いじめられる動物をかわいそうだという人はいますが、実際に身銭を切ってでも助けようとする人は少ないですから、彼のしたことは誰にでもできることではありません。
後日、浦島太郎が船を浮かべて漁をしているところへ、助けたカメがあらわれて、竜宮城の乙姫さまを紹介され、タイやヒラメの踊りを楽しみ、山海の珍味でもてなされ、思わぬ楽しみを味わうことになります。
十分楽しんだ浦島が帰宅しようとした際に、乙姫さまは玉手箱をお土産に渡します。
浦島太郎が故郷に戻ってみると、長い年月が経っていました。
何かさびしくなった浦島太郎は、絶対に開けてはなりません、と乙姫さまから言われていたのに、玉手箱を開きます。
一瞬にして浦島太郎は、白髪の老翁になってしまいました。
さて、これがおなじみの浦島太郎のあらすじですが、皆さんの中にもこのおとぎ話を聞いて、何か釈然とせぬ気持ちになられた方も多いのではないでしょうか。
その釈然としないところは『なぜ良いことをした浦島太郎があんな目にあったのか』というところです。
ふつうの日本昔話なら、正直爺さんは宝をもらい、意地悪ばあさんはひどい目に遭う、勧善懲悪のストーリーです。
この日本昔話の黄金の方程式は、実は日本人の思想の根底にある仏教思想からきます。
善因善果(良い行いをすれば幸せになれる)
悪因悪果(悪い行いは不幸を引き起こす)
自因自果(自分のまいたものは自分が刈り取らねばならない)
の因果の道理です。
では、なぜこの浦島太郎だけは、この黄金の方程式から逸脱しているのでしょうか。
実は絵本に書かれているおなじみの浦島太郎の姿にそのヒントがあります。
浦島太郎は漁師の格好をしています。
彼の肩にかつがれているのは魚釣竿です。
この釣竿は今からも多くの魚の生命をうばう道具で、浦島太郎が本当に動物愛護の善人ならば、まずその竿を折らねばならないことになります。
一方で何千何万の魚を殺しながら、たまたま一つのカメの生命を助けたからといって、いかにも慈悲深い善人にみせかけるのは、あまりにも見え透いた偽善といえます。
悪しか造っていない私たちが、善いことをしていると自惚れて、自惚れて過ぎ去る一生の早さを教えたものが、この浦島太郎の物語なのです。
悪を造り続け、その自覚も無しに、パッと白煙が立ち登る一瞬の人生に驚いた時は、すでに人生の終着駅についているのです。
このように知らされると、子供のオトギ話と思っていたことも、実は、真実の私の姿を教え、早く、本当の幸福を獲なさいよ、と教えられる仏教そのものになるのです。
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1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
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26件のコメント
2024年7月20日(土曜日☀18時47分)浦島太郎のストーリーを作られた作者の心理が面白いと思いました。しょせん現実には無い作り話なので人の目を引く為に面白可笑しく作り表されてるのですよね。菊谷先生、本日も貴重な大切なお話を学ばせて頂きました。ありがとう御座いました🙇♂🙏✌😊
海に住むあらゆる生物にとっては浦島太郎のような釣り人は魚を殺す目の仇だったんですね。確かに考えるまでもなくその通りです。乙姫様はそんな彼に報復のつもりで玉手箱を渡したのかもしれません。仏教の視点に立つとなるほどと思います。菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました。
こんばんは。🌉🤱🌃🤱🌆🤱🌉🤱菊谷隆太先生も、熱中症に気を付けて、頑張って下さいね。🤱👨🍼👩🍼🤱👨🍼👩🍼
率直な感想になりますが、日頃からもっと「いただきます」をしっかり言うべきだなと改めて思いました。
命をいただいていることの自覚をすることも大切なだと思いますし、自分が殺生罪をしていることを棚に上げるのではなく、悪人であることを理解しておくべきだと思います。
そうすれば感謝の心も湧いてくるし、それが絶対の幸福につながるのかなとも思いました。
今日もありがとうございました。
今日も、とても大変,学びになりました。
ありがとうございました。
テレビで、取った魚を料理する映像がありますが、私は、見ていられない。私は、毎日、サツマイモを主食のように、多く食べて生活しています。
埴谷雄高という作家の死霊という作品の一部に、最後の審判というのがあって、そこで裁かれるのが、なんとキリストとお釈迦様でした。キリストを告訴したのは奇跡により獲られ食べられた魚、お釈迦様を訴えたのは食べられた木の実でした。これは比喩だと思いますが、どんな聖人君子でも生きるための殺生は免れないということでしょう。植物も殺されるのを恐れたり会話したりするという説もあります。ウイルスや細菌や癌細胞を殺さないと、こっちがやられるのですから、我々は日々大量殺りくをしてしまっています。
さかなを食べる魚もいますけどそれはどうなんですかね
セッショウザイ罪なんですか
よくわからないです
私は浄土真宗ですがあなたの話は全くわかりません
貴方は魚も肉も食べないですか
全く共感出来ません
セッショウザイジゴクイキ
浄土真宗やめようかな
動物や植物 あるいは野菜といったものに信仰心はありません 神社仏閣といった信仰心を持つのは人特有のものでここにも尊さがあります 人間以外の生き物を殺して食べても そこには人間に与えられた食材であることは 人間には食材に感謝と慈愛があれば 人間への祝福としての意味も内在しています 感謝のある食は罪ではありません ありがとうございました
仏教の視点で、昔話を考えるって、興味あります。
竜宮城の御馳走に、海鮮料理が出たら😢 肉料理でも😂
そうなんですか?
ずっと「お前を誰一人知る人がいない時代を生きるのは辛かろう」という慈悲から渡したと思ってました。
不殺生戒は、命を貪り、また歓喜する、業が深い人間の姿を憐れみ、生命への感謝と尊重を促すために課せられたもの。
これは人が世を治めるため、また業を作らないためのどんな時代も変わらない有用な教訓です。
私の家では、昔ヒヨコを飼っていました。
何故かというと、子供たちに「命の尊さ」を感じて欲しかったからです。
そのヒヨコに「ピーコ」という名前を付けて可愛がっていました。
そして、ある日私はピーコちゃんを、絞めて捌いて夕食のおかずとして並べました。
学校から帰ってきた子供達が、異変に気付き「ピーコちゃんがいない」と私に言ってきました。
私は、「ピーコちゃんならここにいるよ」と言って目の前の鶏肉を指さしました。
息子は「僕は食べない」と言って涙ぐんでいました。
娘は、「私は食べてみる」と言って食べ始めました。
そして、「やっぱりピーコちゃんは美味しいわ」と、泣きながら食べ終えました。
それ以来、子供たちは「いただきます」の本当の意味を理解して、犠牲になった動物たちに、感謝するようになった様な気がしています。🙂
こんばんは。😄
今日は、浦島太郎の昔話を題材にしてのお話しですね。😆
いつも役に立つお話し聞かせて頂きありがとうございます😄🙏
善因善果、悪因悪果。
仏教系の幼稚園に通っていた頃、園長先生からよく聞かせて頂きました。😄
菊谷先生の話を聞いていて、うなずける部分が沢山あります。
本日もありがとうございました。😄
感謝いたします。😄🙏
生成AIたのしいですね😂
栄養になる話に感謝と生きることへの活力があるように 食を通して栄養や活力となることには感謝一つ持ち合わせていられれば 人は食することは罪ではありません ありがとうございました
生き物を食べたら罪になると言う教えは、仏典のどこに説かれているのですか?
そもそも、乙姫様も何か生き物を食べているのではないですか?
何故、浦島太郎だけが罰せられるんですか?
釈迦教団は、托鉢をして食糧を確保していました。庶民の食べ物には当然、肉類も入っており、お釈迦様も食べています。
こうした食物連鎖の仕組みは、宇宙全体の法則の一部なのだから、人間の善悪で捉えるべきものではないと思います。
今晩は、お疲れ様でした有り難う御座います。
今回もありがとうございます🙇
楽しそうにお話しされる菊谷先生が大好きです☺️本当にいつもありがたいお話をお聞かせいただき感謝しています。
これからもよろしくお願いいたします✨
「自殺」「他殺」「歓喜同業」…全部、私はやっております。本当に「罪を作らなければ生きていけない」んだな…と、改めて思います。多くの命を奪って、自分は生かされているのだなと思うと「もったいない」というか「ごめんなさい」というか、感謝の思いしかない。もし私が殺される立場の側だったら、どれほど恐ろしかっただろうかと思わずにはいられない。でもそれが分かっていても、己の命をつなぐ為に、日々、多くの命を殺している。でも彼らによって、この命は支えられ、生かされているんですね。そんな私にできる事があるとすれば、「命をつないでくれて、ありがとう」と、彼らに感謝して、彼らの命を無駄にしないように、少しでも「仏教」が広まるようにと念じ、伝え続けたいと思います。
なるほどー。たしかに。皆に考えさせる為のお話だったのかもですねー。ふむふむー。
私も子供時代に、何故乙姫が浦島太郎に対して酷なことをしたのかとても疑問に感じていました。菊谷先生の話を聞いて思ったのが、亀としては本意では無かったかもしれませんが、乙姫は浦島太郎という人間としての業を見抜いていたのかもしれませんね。まさか大人になって浦島太郎の真の意味に気づかされるとは思ってもみませんでした。
ずっと疑問でした。先生のお話を聞いてスッキリしました。
いつもありがとうございます。
昔ばなしって、見るな、開けるなと約束を強いるパターンが良くありますよね。で、結局約束を破ってしまう。イザナギが黄泉の国のイザナミとの約束を破るのも、アダムとイブの失楽園も、雪女や鶴の恩返しもそう。禁欲、自制が試されてる感じがしますね…
ありがとうございました。