明石家さんまの恩人、逝去
えこのチャンネルはサバさんにまつわる 様々な話題ニュースなどをピックアップし てそれを軽く深掘しレアな情報を混ぜ ながら紹介するそういった内容になってい ますま今回からちょっとリニューアルして ラジオ風に紹介していこうかなとまこの形 だと編集時間がかなり省けると思いますし いろんな話題を気軽にたくさん紹介できる と思うのでまちょっとしばらくの間実験的 にやってみたいなと思っていますまず最初 に紹介するはこちら木田太郎さん大 王城何のもつあるとこと木田太郎さんが 2024年5月14日93歳でこのよを 去りました探偵ナイトスクープには3月に 収録4月19日放送会に出演ま昨年11月 にはユニクロ震災橋のオリジナルソングを 作ってはりました遺作となったCMソング はまだ未発表今年の2月に制作されて今後 放送だということですま大王城ですよね 最後の最後まで作曲か探偵ナイトスクープ の最高顧問として仕事をされていた生涯で 作られた曲の数は自称5000局以上と 言われていますま関西人は特に木田太郎 さんのCMソングはま記憶に残っていると いうか耳にこびりついてますよね中でも僕 はプロポーズ大作戦のテーマ曲が大好きで えプロポーズ大作戦というのは安きが会の ま恋愛バラエティなんですけどもま番組 内容はあんまり詳しく覚えてないんです けど印象的だったのはフィーリング カップル5対5のコーナーで使われていた 大型テーブルまこのテーブルに男女5人 ずつ分かれて一中の相手が電光刑事で可視 化されるという装置ま当時プロポーズ第 作戦のプロデューサーだった朝日放送の 西村義男さんの証言によると当初はこの 大型テーブル洗濯紐を使うという原始的な ものだったそうですそれが番組がヒットし て電食版を取り入れたともうその金額が なんと当時のお金で1000万円ほど かかったそうですまこれは当時の関西の バレテ番組の勢いを感じさせるエピソード ですよねまこのテーブルもすごい インパクトだったんですけどさらに衝撃的 というかま一発で心揺さぶられたのが プロポーズ大作戦のテーマ曲爆発力も感じ ますし切なさも感じる若い男女の恋心情熱 青春まそんなんが詰まった名曲だと思い ますねま木田太郎さんの作曲方法は チャノマの材質でリラックスしてメロディ を考える売りをパチンと相手の耳に ねじ込むというのがポイントで常にその ことを意識して制作されていたそうですま そのうちの代表作の1つがプロポーズ大 作戦のテーマ曲 ま未だに耳にこびりついてますしま聞こえ てくるとま最後まで聞きたくなるようなで またもう1回繰り返し聞きたくなるような ま中毒性のある曲だと思います番組は大 ヒットして俺たち表金属でもパルディが 行われましたま以前視聴者さんから コメントいいた情報なんですけどまサマ さんはプロポーズ大作戦に出たことがある そうですフィーリングカップル5対5の コーナーに突然現れて舞台と客席を 走り回って一言も発ないで去っていったと まどういう状況なのかま乱入っていうこと だったんですかねま審議は映像がないので 確認できないんですけど本当だったらもう めちゃくちゃ面白いですよねまそういう形 で出演できたということはある程度売れて からだと思うので1979年以降じゃない かなと思ってるんですけどま何かの勢いで 登場されたのかま安き用の番組なのでで話 は通していたと思うんですけどまそういう 面白い情報をいただきました木田太郎さん とさまさんの関係については2024年5 月18日放送のヤングタウンでさまさんが 木田太郎さんとの思い出を語ってくれまし たまその中でフレッシュ9時半木田太郎 ですという朝日放送のラジオ番組に出演し たという話をしてくれてフレッシュ9時半 木田太郎ですと今も続いているありがとう 浜村潤ですまこの2つのラジオ番組に出演 することことは当時若い芸人にとって ステータスであったとこの2つの番組に 出れたら芸人としての地位が上がるという まそういう話をしてくれましたま本当に シュ9時半木田太郎ですへの出演はサさん の歴史においても非常に重要な出来事だっ たと思います当時の年表資料をじっくり見 ていくとこのたった1つの番組出演にも 深い物語が見えてくるんですよね井上浩 さんという方が編集された放送演芸士と いう本があるんですけどまその本の中に フレッシュ9時半木田太郎ですの重要性に ついて書かれていたので引用して紹介し たいと思います1978年頃から朝日放送 ラジオの演芸番組はなを潜めてしまう ポップ対火曜局などエゲ人が出ている番組 はあることにはあるが唯一若手エゲ人に モドを開いている例にフレッシュ9時半 木田太郎ですがある笑いのニュースター 紹介という形で1979年の4月にサマ 八方慎介龍介当年10月に沙織しおが出演 している中村英一についで朝のワイドを 受け持ったのが音楽人間の木田太郎独特の くすぐりと辛辣な批評の反面女性ない喋り が主不層に受けているここには当時若手 芸人にスポットを当ててくれるラジオ番組 が非常に少なかったということが書かれて いますごくごく限られていたっていうこと ですねMBSのありがとう浜村純ですもま その少ないうちの1つだったんだと思い ますまなのでさまさんはなかなかチャンス がない中この2つの番組に出演できたこと がとても嬉しかった感謝している記憶に 残っているということなんでしょうねま 当時サンマさんはヤングOOのレギュラー として活躍されていたので若い女性ファン が劇場に押し寄せるっていうことはあった んですけどまその他の層へのアピールです ねそこからの広がりまこれがなかなか 難しかったんじゃないのかなと思ってい ますサバさんがフレッシュ9時半木田太郎 ですに出演された1979年というのは エゲブーム落語化ブームがすでに去って いる漫才ブーム前夜という時期1978年 は早でのドラマ初出演ヤングタウンの レギュラー出演大きなトピックってそれ ぐらいなんですよね1979年に入って ようやくちょくちょく雑誌の取材とかが 入るようになってまそんな感じだったん ですねま劇的な変化が起こるのはいわゆる 江川事件まこのチャンネルでも紹介しまし たけどまこれは1978年のドラフト会議 で起こった騒動でこの騒動によって巨人 から阪神タイガースへトレードされた小林 茂投手が大活躍まさまさんは小林茂投手の ものまね携帯模写が得意だったのでさま さんにも脚光が当たって知名度が急上昇 するという流れが来るでもさまさんに仕事 がバンバン舞い込んでくるのはプロ野球 シーズンが始まった1979年4月頃だと 思うんですねそれまでの仕事料は言うても それほどでもないま大阪でブレークするの は小林茂投手が巨人相手に連勝を続ける 野球会のスーパーヒーローになるその波に 乗ってサマさんにもどんどん仕事が 舞い込んでくるというまそういう流れだっ たと思いますまドラフト会議で大騒ぎにな で小林党首が注目されてささも一気に仕事 が来たかと言うとそうではないと1979 年の小林し投手は肉体面精神面において 非常に厳しい1年だったと小林茂投手が命 を削るように魂を込めて投球していたよう にサマさんも自分の限界を超えて頑張って いたあの体力お化けのさまさんが体調を 崩すほど体がしびれて声が出なくなるほど 頑張った壮絶な1年となったんですねま 小林茂投手も頑張ってさまさんも頑張った だから2人はこの年1979年にヒーロー になったとま小林投手の当時の活躍はこの 中み安孝さんが書かれた騎士改正逆転プロ 野球人生という本に詳しく書かれています これはねものすごい本ですいろんなプロ 野球選手の最近の物語が非常に丁寧に読み やすく書かいます野球ファンの方は もちろんそうでない方もやる気が出て元気 になれると思いますし学びがたくさんある 本です是非読んで欲しいですね僕も刺激を 受けてサバさんの騎士改正エピソードを 語りたくなってますま小林茂さんはささの 大音人の1人ですからね以前配信したこの 動画と合わせて小林茂さんの人生戦いの 歴史を知ってほしいなと思いますささんが 1979年を振り返るこて実はあんまり ないんですよね理由は忙しすぎて記憶が ないからだと思っていますなのに フレッシュ9時半木田太郎ですに出演され たことを覚えているのはも大阪ブレイクの 直前であったからだと僕は1979年の サンマさんが一番好きなんですよねま もちろんどの年代のサンマさんも めちゃめちゃ好きなんですけどやっぱり 特に特に好きなのは1979年のサさんで ま少ない映像 インタビュー記事の中から必死に戦ってる 様子が伺えるんですよねガムシャラで オーラがバリバリでまそういうのが映像や 写真からも伝わってくるんですよね休まず に必死に戦って大きなチャンスを掴んで 結果を残した後う仲間たちに道を作ったま その後の表金属時代のさまさんとも違い ますし男女7人時代の最盛期のサマさんと も違う僕が好きになった頃のお笑い怪獣と 呼ばれ出す頃のさまさんともまた違うでも ものすごいさまさんがそこにいるっていう イメージですね絶対に売れてやるという ハングリーサ仲間たちと切磋琢磨してる 様子そういう姿に惹かれるんですねさま さんにとって1979年という年は特に 重要な年であると思いますそういう中で 1979年4月フレッシュ9時半木田太郎 ですに出演当時ささんは桂三さんにしかれ まくっていましたしヤングOOヤンタン 以外のテレビラジオ出演の回数もそんなに 多くないラテランではほとんど確認でき ない状態でしたからねま23歳の若手芸人 だったので存在に扱われることもたくさん あったと思いますまさらに言うと1976 年のテレビ初出演の時に司会の藤本一一 さんから本番中に叱られたイメージも残っ ているまそういった中で木田太郎さんと初 共演して温かく迎えてもらっ ま先日のやたでさまさんは木田太郎さんに はものすごく丁寧に優しく包み込んでくれ た思い出があると語っていましたま木田 太郎さんは喋りがうまいしユーモアセンス もあってシャレも聞くさまさんもすごく 楽しかったんじゃないかと思いますね人気 パーソナリティに優しく丁寧に接して もらえるということまこれは自信になった んじゃないかなと思いますねここからサマ さんは爆走していくわけですからね嵐のの 前の温かさっていう感じだったと思います ま何べも言いますけど1979年において はサさんは忙しすぎて当時の記憶が ほとんどないなのにフレッシュ9時半北田 太郎ですの思い出ははっきりと残っている これてやっぱりささんは木田太郎さんに 本当に感謝されているんだと思いますま 1979年11月27日にフレッシュ9時 半木田太郎ですに出演された時はラテラン にアシアさを空海という文言が書かれてい ましたまこれは企画タイトルだと思うん ですけどしっかりとトクされていたという ことが伝わってきますよねこういう経験 記憶があるからこそサンマさんは自分は 生かされている自分は生きているんでは なくて生かされているんだと思えるように なったんではないかと思います1979年 の活躍がなければさまさんはその後にやっ てくる漫才ブームを乗り切ることができた のか1979年にたくさんバカずを踏んで 力をつつけることができたから漫才ブーム を乗り切れたんじゃないかと僕は思います 本当に1979年のさまさんってすごく 魅力を感じるんですよねさまさんと木田 太郎さんのその後の関係についてざっと 紹介すると1979年10月27日に ヤングプラザという朝日放送の番組で共演 されていますヤングプラザは新助竜介が 司会をしていたというイメージが強いと 思うんですけどま初代の司会者が木田太郎 さんででさまさんはその時に何度かゲスト 出演されていますまその後の共演となると 1993年8月23日に放送されたサンマ のまんまま木田太郎さんは真の新さんと 一緒にゲスト出演されましたまこの共演は さまさんは覚えていないようですねま僕も ファンになったばかりの頃でこの時は全部 の番組をチェックするということはしてい なかったので見逃してるんですよねまこれ は見といたら良かったなともう後悔して ますま最後にさまさんと北田太郎さんが 会われたのは2016年頃共通の知人の 結婚披露園でお会いされたようですさま さんはスピーチの席で大阪に来て1番 びっっくりしたのは木田太郎さんが生き てることですと言って笑わせたそうです 木田太郎さんがその時の思い出をもこの オレミーオという番組で語ってくれてい ましたこのこともささんは忘れてはるよう ですねまフレッシュ9時半木田太郎ですの 思い出がいかに強烈だったかということだ と思います2024年5月31日には探偵 ナイトスクープで北田太郎さんのツト特集 が組まれているようですこれめちゃくちゃ 面白いと思うのでめちゃくちゃ楽しみ ですということでさまさんと北太郎さんに ついて語ってきましたこれちょっと喋り すぎてしまいましたねまあと23個用意し てたんですけどえ次に回しますまこんな 感じで自由に気軽にいろんな話題を話して いきたいなと思っていますだからちょっと リニューアルっていう感じですねまただ これまで通り分かりやすく興味深い内容に したいという気持ちは変わりませんのでま そう心がけて作っていくのは変わりません まほぼ脳編集でアップしていこうと思って いるのでま噛んだりえ聞き取りにくかっ たりお聞き苦しいても多々あるかと思い ますがリラックスして見ていただきたいな と思っています更新頻度を上げていこうと いうことですねまこの形だととまそれも 可能だと思うのでま少しずつこの形になれ ていきたいなと思ってますでま動画編集に 時間がかからない分ちょっと余裕できると 思うんですよねまあまりにも内容がひどく て不評な場合はまその時考えますま とにかく話したいこととか伝えたいことと かこもうちょっとリラックスして構成とか 考えすぎずにまラジオ風に楽しく長く続け ていけたらなと思っていますリクエストも なん通か頂いてますしまそれらはメモして ますのでまいつか作っていければなって 考えていますまこれまでいだいたコメント も全部読んでますし記録しているのでま 貴重な情報なんかを共有していきたいとも 思っていますま言いたいことはそれぐらい ですかねまとにかくいろんな話題を幅広く 紹介していきたいと思いますま話がかぶる ことも多々あると思うんですけどま初めて 聞いてくださる方もいてはると思うので あんまりそこは意識しないでおこうかなと 思ってますということでここまで聞いて いただいた方見ていただいた方本当に ありがとうございます最後にアシアさある あるを言いたいと思います情報解禁前に ラジオでポロリしてしまって作人を困惑さ せ がち以上ですあこれ毎回紹介していくので お見逃し [音楽] なく [音楽] おne
エムカク著『明石家さんまヒストリー11955~1981「明石家さんま」の誕生』
エムカク著『明石家さんまヒストリー21981~1985生きてるだけで丸もうけ』
http://amazon.co.jp/dp/4103537825/
★プロフィール
エムカク(明石家さんま愛好家)
1993年より、明石家さんまさんの番組での発言、関連書籍、関連雑誌などを収集し、日々、明石家さんまさんの年表を作成しております(´ϖ`)
著書「明石家さんまヒストリー」(新潮社)発売中!
http://amazon.co.jp/dp/4103537825/
★誰も知らない明石家さんま(日本テレビ)
第1弾~第9弾リサーチャーとして参加
https://www.ntv.co.jp/sanma2019/
★桃色つるべ(関西テレビ)
出演:笑福亭鶴瓶、ももいろクローバーZ
ゲスト出演させていただき、鶴瓶さんに公開取材しました(^^)
★伝統河内音頭継承者 河内家菊水丸さんとの対談動画
https://www.youtube.com/watch?v=M2RMzTKNFD8&t=1s
★SNS
X(旧Twitter)
主に明石家さんまさんについてツイートしています。
Tweets by m_kac
Instagram
https://www.instagram.com/m_kac30/?hl=ja
#さんま #キダ・タロー #歴史
10件のコメント
そもそもラジオっぽく聴いていたので、違和感ないです。最後のネタはすべってたように思います。間の問題かな?3冊目待ってます。^^
キダタローさんがこの次ですって言うのがすごいですね。
現状に満足しない常に新しいんですね。その精神はさんまさんにも通じるところがありますね
いつも、配信楽しみにしてます。
わたしもラジオでさんまさんがキダタローさんの事をお話ししてたのを聞きました。
いろいろな人と良いお仕事してきたんだなあと感心します。
やっぱり、さんまさんはいつでも一生懸命頑張ってるので、大好きです。
さんまさんの『ある、ある』は沢山あると思うので
楽しみにしてます。
良い企画だと思います。
明石家さんまという人間のことをもっと知りたい、埋もれがちなエピソードにもっと触れていたい自分のような視聴者には更新頻度を上げてもらえるのは嬉しいです。
頻度が上がれば情報の粒も細かくなりますし、細かい情報に触れたら視聴者さんからの情報提供も増える。
そういったサイクルが出来上がればいいですね。
93大往生ですよ~☺️ゆっくりあの世を楽しんでください😊
かに道楽ですかね~☺️
キダ先生は朝日放送の旧社屋に楽屋みたいな部屋を与えて貰っていて、月〜金はフレッシュ終わりでずっと居てはりました。ポップ対歌謡曲で出演者が飛んだ時には、呼ばれて出演者してましたし(笑)
さんまは、1980年頃に自身の芸人活動の拠点を東京に移してたから、
キダタロー御大との関係はさんまがたまに、地元に凱旋したときにでしか、在阪各局のテレビやラジオ番組で共演するに留まってるハズだぜ⁉️
どうみたって恩人同士には見えないな~⁉️
さんまさんへの愛溢れる内容と美声に聴き惚れています❤
キダ・タローさんのご冥福をお祈りしますm(_ _)m