【ネットラジオ】願書までに考えたい福翁自伝。幼少期のエネルギーの話。小学校受験

はいつ通信客の高橋ですはい今日はですね 福沢先生のお話え2回目ということでえ 緒方公安先生の塾に入るまでということで 身近という感じですけど要期についてです ねえ語っていけたらなという風に思って おりますこれねぞ先生のお話をしていくと 5回6回7回とやりそうな気がするので ですねまあまあちょいちょいと間また違ね ネットラジオも挟みながら進めていけたら なと思いますはいまあまあ元章も近くなっ てきてねえこういう話をしてますけれども まこういう話をするといろんな解釈の違い とか歴史的なこととかねいろんな意見ある と思いますけれどもまふーんと思って いただいてま時には私はこう思うなって いうのをねえ感じていただけながらえ一緒 に考えていけたらなという風には思うん ですけれどもねでまかこのま私は福沢先生 の幼少期ですけどもなかなかねやっぱりね 行動力というかね破天荒型破りくらいな なんて言のかな行動力でもねこれはね私ね 相当な向上心があるからだろうなって思う んですよやっぱりね一言で言ってねこの 幼少器だけ見てもエネルギー種だなって いうのをねすっごい感じますうんうん なんかね皆さんはどういうこう奥沢先生に 対しての人物像を抱かれてるんだろうと いう風に思うんですけどねそういうなんか こうあのま言い方するとあれかもしれない んだけどえ幼稚者に合格するえ男の子の こう私の勝手なごめんなさいイメージ像 ですけれども元気 いっぱい言いたいことは言います本音は 語りますていうようなまちょっとね福澤 先生の感じと似てるような気もするんです よねというのが私のちょっと勝手な ちょっとねイメージ像になっております けどもさてざっえよしきのことを振り返っ ていきましょう福沢先生のお父様ですね はいまあの有名な方ですよねもうお名前 よく聞いてらっしゃるかと思いますえ百助 さんですねさて えっとお母様も同じ反の族のおじさん奥沢 のお父さん大分県無前中津奥平班の種族 武士ですねでえっとお様もあの種族のおじ さんという方ですねでえま中津班まあの そうですね福岡県との県境にあるえ班です けれどもまこういうまお父様お母様の間に 生まれ られる生まれた場所は大阪です大阪として の誇りがまあ結構あるのかなっていうのが ちょいちょい出てくるんですけども大阪に あるあのお父様は中津葉の倉屋敷で元締め 役をお父様はされていたんですよね元締め 役ってあのなんか会計の仕事みたいな ざっくり言うとそんな感じえみたいです けどね家族は兄弟5人5人多いですねでも ま当時はそうでもないのかな私4人でも ひひ言ってるのになと長男えっと三之助 お兄さんねよく出てきますその下に女の子 さんにいて福沢先生というこういう構成で 大阪のえ中津に生まれられるという感じ ですけれどもさてこのね中津ねあのまこれ ちょっとややこしいですね大分も中津なつ で出てきてね大阪でもなつなつで出てきて ね私だけだろうかややこしくなってるのは さてそれでですねお父さんの身分ここ重要 ですよねあのこのモバ制度っていうねこの キーワードが結構出てきますからねはい お父さんの身分武士ですで武士って言って も上司と下しがありますよねであの中津班 というのはどうも1500名くらいの阪が いる班だったみたいなんですよねでその 割合はその上司が1で下しが31対3の 割合みたいな感じでいらっしゃるだけれど もあのさらに実はもっと細かくて100 以上になんかこうこれ身分っていうかね 役職なんですよねうん役職いろんなこう あの役職の方がいらっしゃってでまその 武士の中でもねで結構ね実は流動的だっ たっていうのにちょっと驚いたんですけど あの100勝から武士になって下しの注意 ぐらいまで修正可能だったらしいなんだ けどこの間の上司と下しのこの下りは めちゃくちゃ大きかったらしくてその的に もものすごい差があってこの間では ちょっと結婚もちょっとできることはちょ なかなか叶わないみたいなねそんな感じで でえっとまそんな中でお生まれになって ですねお父様このえ元締め役え会計の仕事 ずっと歴任されてて あのなんて言うのお父様は何度もその転勤 を願い出ていたそうなんですよねなんだ けどそのたにが却下してダメだだめだ重宝 されてるんですねそのたびに昇進していっ たということなんですよねうんだからあの このね下しのね最高位中故障っという役職 までね行かれてる感じですねすごい重宝さ れてでなんでこんなにねあのその何会計役 が嫌だったかっていう話があってなんか その福沢先生のうちに語っているところに よるとお父様はねもうその純粋な学者だっ たということでね銭を見るのも汚れ るっていうあそうなんだと思ってであの この三之助さんねお兄さんこの方が手習い 所でクをやってるとそういうの聞いて いやいやもうそんなやめさせたくらいって いうねもうそんな銭の感情なんかみたいな ねなるほどと思ってでがすごくてその当時 下しのそのねえもらっているその給料って いうのであの本買うてなかなか大変だった みたいなんですけどそれ1500冊の本 持っていると学者ですよねいや火球の武士 でこれだけ本揃えるのは大変だったみたい ですよまそういったねご家庭で生まれたん ですけどあの 3歳の時にこのお父様亡くなられるんです よねそうでもなんか3歳の時なんだけど ずっとこのお父様の花風をね丸で生きてる かのようにあの継いでるのかなっていう 感じがずっとあのま後々にもありますでま お父さんもなくされるもんだからで中津に 引き上げるというこの中津ね私が中津なつ てわかんなくなってる大分県の方のね そっちにもう引き上げなきゃいけないと いうことでま一家で引き上げるということ ですただ引き上げた先はいあのもう賭も 貧しいわけででまあの言葉遣いも違うん ですよねうんで あのまあなかなか馴染めなかったらしい ですねこの中津という土地にすごくこう 自分大阪人だというところもあったみたい なんですけどね うんでねここでねお父様は本当はお坊さん にしようとしていたとえいうことを聞くと そうそうあのお坊さんだった身分をこうっ て修正できるということでそうまそれを 聞いて福沢先生が門閥制度親の敵ってね このモバ制度っていう風に思うようになっ たんですけどねモバ制度なんですけど 私たちというか私はね小学校の頃小中かな 死の交渉ってやつを習ったんですけどはい 今この言葉教科書から消えてるみたいです ねはいこれあの結構しっかりして身分制度 という風に習ったんだけれどもまちょっと これについての議論は置いておきますけど もどうやら実際はなんか物資っていうのが この他にいったんじゃなくってこのどうも この武士の中ですねうん このここの内部における階級制度この さっきの上司と消しっていうねそのモバ 制度は相当厳しかったみたいですねうん それでなんか私はここら辺なんか人間 らしい部分があるんだなというかあのどう も中人を下に見ていたという下りが出てき ますうんうんまただそれをなんか馬鹿にし たりこういうことではなくってなんか我々 は我々だみたいなところがあったらしくて この父親のこのま学者らしいというかま そういう寄付っていうのが家庭内にあった ということ交渉に構えてますっていうよう なね感じだったらしいんですけれどもねで なんか中津嫌いだったって有名な話が まあまあありますけどもま真底なんかそう ではないんじゃないかという文系もあり ますねうんあのやっぱり物資社会さっき 言ったねこの身分の社会でですね低い位置 に置かれて理不尽言われるのでいや自分は 違うと大阪のセンターの空気知ってるん だって思いがあったというねそういうま あの話もありますけどねそうだからな なんて言うのあの法権的なこの門閥制度を 親の敵ってま書き残して えいるしですねえ門閥制度の象徴として の象徴としての中津が嫌いだったという風 にねま述べているところもあるみたいです ねそうそうそうだから中津に馴染めない 嫌いというよりもその文末制度としての 象徴としての中ずねそうここがねやっぱり ねあの相当まそうなんでしょうねと私今の 時代だから思いますけどねうんうんま そんなところからですよここのこの強い 思いがあれじゃないですか電話は人の上に 人を作らず人の下に人を作らずと言え りっていうのはその少年時代のねこの文末 制度に対するも憤りみたいなそういうのが ま消化したものなんじゃないかという風に 思いますけれどもねでまそんな話はあの そうですね歴史学者の方もおっしゃって たりとかもしてますねさそれでですね14 歳か15歳あたりこの辺りで学問に本格的 なって言えばいいのかな触れるんですよね それまではあのその中津ねにいてさっきも 言ったちょっと馴染めないところもなんか 洋服とかも違ってねうんでま外のコとも 交わらずに結構兄弟ばかりで遊んでてうん でまあの経済的なこともあってお母さんが ねおじさん1人で家事して5人の5人です からねなかなか教育の話まで回らなかっ たっていうのもあるみたいですしなんか5 歳であのハごべさんっていう方から素読を 授かっているみたいなんですよ実は5歳で その 後野本白岩先生に学ぶんですがその野本氏 が失客しちゃって遠響に追い込まれて しまったのでちょっと8歳で学業止まっ てるとでなんか小学ま今で言小学校全部 抜けてるみたいな状態だったというような 感じなんですねじゃあ他にどんな子供だっ たかって言うとそのすごくそのなんていう の手先が器用生じ畳の張り替え屋根の修理 できる下駄作りできるみたいなねでまあの そのことをえ肘に多能だったっていうこと で明治時代の監視でも書かれていますけど ももう小さなこと何でもやるぞっていう もうすごい丈夫な少年だったっていう風に ねえーありますねでなんか面白いというか すごい合理精神だなって思う記述もあって あの殿様の名前を書いた保護をで踏ん じゃったのよお兄ちゃんに怒られちゃうね そしたらまた怒って字を踏んだぐらいなん なんだと言ってねその神社の札を踏んでみ たりしたらしいのねほ何も怒らないじゃ ないかとでおいさんのご身体の石をね 入れ替えてバチが当たるか確かめてみ たっていうねあの多分ねこうやってみ なきゃわかんないじゃないっていうねそ私 が言いたのこの破天荒なだけれどもま周り から見るとびっくりするようなでもこれ 当たり前を疑って るっていうか自分がやってみなきゃわかん ないじゃないっていうねすごいパワーじゃ ないです言われたからそうでかって言うん じゃないってことなんですよこれこういう パワーのある子ってなかなんかなかなか今 いないですよねまダめっちゃダメなんだ けれどもさうんねあのちょっとあのビート たけしさん思い出したんですよあのどう やっても野球に行きたいっていうねもう いつでも野球に行きたいから何だったかな なんかお母さんだったかなもうなんか野球 とか漫画とか庭に埋めてしまったみたいな ねそれをまた掘り起こしていくみたいなね ちょっと似てません私勝手なちょ失礼な話 かもしれないけどお兄さんがね教授で 真面目でねだけどなんかこうビートたけし さんも素晴らしいね映画監督でお笑いの 世界でもねでもほらなんて言うのかもう やってやるみたいなこうなんて言うん だろうなエネルギッシュなところがある じゃないですかうんなかなか こうそういうところとかもねなんかちょ ちょっと思うのよパワーだっけそういう ところはす感じるんですけどねお兄さん 真面目お兄さんねあのもこうなんて言うの えお前の目標はみたいなことをね聞いた時 にあの福沢先生がうんと金儲けして思う 存分使ってみたいっていういいですよこれ どうですか幼稚者の試験で言ってしまい ますいやいやいやだめだめであのま お兄さんは違うのねうん全然違うとそれで まあまあこっから1415歳で 学問して本格的にうんであの左伝が得意で 11回読み返して暗記したっていう授業 ですね11回ってなかなか読み返せるあの ものじゃないらしくてまあなかなかすごい ことらしいですねうんそれからいよいよね ここですね中津を出ることになるんですよ ねはいであのまその文発制度の不満って いうのはま色々あってでお兄さんの方は この文末制度の不満をこの歯の良さ良く ないとか色々意見をしたりね不平不満を 言うんだけども福沢先生実は違うらしくて そう思ってはいらっしゃったと思うんだ けどあの良しなさいとこの中津にいる限り はと不平不満があれば出ればいいっていう ねそういう性格であのここでね1つのね 奥沢先生のねあのこう思想を決定付けると いうか勘文に出会うねまこれも有名です けど木戸色に表すさですねあの三国に出て くる一説なんですかね喜びや怒りを表に 出してはいけないとうん あのまその時にねこれもうこれだと言って 決めたらしいんですけどねはい誰が何と 言って褒めてくれてもまただね表面にほど よく受けて心の中では決して喜ばないと なんと軽蔑されても決して怒らないと いうことですねまこれ有名だけれどだけど なんか確かにそう思ってらっしゃるのかも しれないんだけどなんかその後とか見てる とまなかなか あのあでもね人には振り回されてないです よねそれはすごく思うけどすごいこの あまりにもエネルギッシュだから なんかそんな淡々としてるように私は思わ ないですよねまただ心の中で燃えて るっていうことなのかなうんでそこからね はい1853年ペリーの来行ですねでえ 裏側にやってきてでそれの影響が中津にも 飛んで法術ですね大砲のあれ法術ねで乱 Halfこの必要がま迫られるようになっ てくるわけですいいよいよその時横文字が あるということも知らないでお兄さんから 横文字あるぞって教えられてでその三之助 さん先に行く用事ができたついでについて いったんですねそうペリー来行2回目の 直後かなでその法術学ぶにはオランダ語が 現象だからそれ読む必要があったしねさあ それでいよいよ長崎に行くんですよ長崎 遊学ね長崎遊学っていう言葉だけ聞くと すごくなんかお金持ちみたいなイメージ ですけどね実際全然お金がなかったので あの高英二ってお寺にま あのそこにあの奥平生さんっていうねあの カとなる人物がいらっしゃってでそこその 方に えまお願いをしてですねあのその奥平さん の紹介で山本次郎っていうね方えっと法術 家ですねところに住み込みになるあるん ですねうんそうですそうですそのお寺の あの触覚あの食べるに客ね触覚のような形 でですねはいこの触角っていうのは何中国 の戦国時代に広まった風習なんですかね あの君主とかが才能のある人物を客として え扱うという主人を助けるその代わりねっ ていうねまそそんなんでまあまあ居ろする みたいな形なのかなでえっと住み込むと 山本さんのところにねこれ奥平さんの紹介 でですよねでその山本次郎さんはま なかなかすごい法術家なんだけど住み込み をする時にはもうちょっと目を悪くされて て書が読めないということなのでま福沢 先生があの書を読んでねでまた子供の家庭 教師もしてねでももうそのさっきも言った 手がっていうかま家事がすごいできるから 犬猫の世話から掃除湖が何でもやったと いうことでもうだんだん重宝されるように なってきてでその法術にも詳しくなってき てそんなんであの容姿にならないかとまで 言われるんですね山本家 のねすごいですねま多分すすごい勉強家な んでしょうねここまでうんであのすごい なんかこれあの 要所の時から酒のみっていうね福沢先生の あれえいつからお酒をとか思うんだけども なんだけどこの時はもう全然も一切経って ね大好きなお酒もねでもそんなんですごい 多分ね私なんか向上心のためならもう なんて言うのかな私たちが思ってるより ものすごいエネルギーで勉強されるんだ なっていうこういうとこすごいなって思う んでですよ本当に読んでてなんか気持ち いいですよね私もやりたいなとか思うもん ねそれだけそれでまそそんなんで一生懸命 やったらその山本県に世話した奥平生と 生きさんとあの立場が逆転しちゃったわけ ねそうそう福沢がいては息子の妨になると かな言い出してそんなんで あのなんてあの福沢先生のお母さん病気だ というような手紙を越して ま帰るような手紙をねうん受け取るという ことですはいまだから母の病気を公実に読 読みもさっですよでまこれまいろんな策略 があったわけですよなんだけどまそ分かっ てたらしいんだけどこのモバけと争っても いいことないとさっきのね木戸色に表さず ここもそう思ったのでしょうかねで出る ことにするとま出るんだけどでとりあえず じゃあ帰りますということでですねじゃあ 中津に帰るのかとあいうことですけども なんかこの辺ですねあのもうその争いはし ないだけどやることはあの違うんですね 行動はその足であの江戸に行く計画を 立てるんですよねうんま1回ちょっと大阪 の方の中津に寄って江戸へ行こうとうん その面白いなって思うんですけどね あのえっとね岡部さんっていう人がいるん ですね江戸から来ていた医者の卵で岡部 さんであのまちょっとその方を頼ってね 行こうとするんですけどその方とが一緒に そのこの手紙の件で腹立ててくれてねで ちょっと言ってくれないかとあの福沢は 初めから中津に戻る気はなかったんだと 江戸に行くって言って長崎を出たと奥平に 話してくれ当てつけたって言って互に笑っ たっていうねだこういうとこなんかね痛快 だなって人間らしいというかなかなかでも あのほっとくのかなと思い息掘ってないん だっていうね圧さがあるっていうかいいな と思うんだけどねでまその そっからねなかなかお金がないもんだから 無線宿泊したり前がりしたりしてはい下関 から船に乗って明石までやってきてそれ から15里歩き動して兄のいる江戸島の方 の中津ですね大阪のね中津半までえ中津 までたどり着くということですよなかなか でしょうなんかだからやるって決めたら やるんだっていうそのだけど無駄無駄に 争うんじゃなくっ て賢いよねそうそうそうそしてまま お兄ちゃんとこに行ったとでまそのうね お兄ちゃんに江戸行くっと言ったらまそれ 許さないということでえここ人の縁ですね 色々な方のね小形公案の塾に入るという ことなんですねここまで聞いてまごめん なさいね今日ねあのいろんなあの本を ここにね 12345冊と大量の記事がありますけど もあのまそういう中からねお話を差し上げ ましたまあの色々解釈もあるかと思います しそこは違うんじゃないかっていう意見も ねきっとあるかと思うんですけども私が こう感じた感じて欲しいなって思うことは ですねなんかこのエネルギーッシな感じ ですよねうんそれがこうなんかどうですか このお子様の今教育をしていてですねえ こんなエネルギシなあの子供さんに育って いるんだろうかっていうところですよね これあの福沢先生っていうのはこれから 世界を舞台に活躍されるとえいう方です けれどもねその幼少期がこういう時代を 過ごしてい るっていうことでまあパワー溢れますよね ねそうそうそうなんか [音楽] うんいろんなこと思うんじゃないかなって いう風に思いますはいということで私は 本当にああ幼少期か本当すごいパワーだな と思ってねちょっとどどうですか私思って いるこの私はずっと頑丈転作をねしてるの であの知ってはいました知ってはいたんだ けれどもあのじゃあ昔その福沢幸地という 名前を聞いて学校で習ってっていうだけで はこういう方だと思わないわけですよおさ にもなってねもっとこうなんて言うのかな どっちかとお父さんのような あのその学者ですよねそう勉強淡々として ね育たれてっていう感じけどその 学問だけじゃないじゃないですか福沢先生 を形作ってるものはこの行動 とそのいろんな縁した人をすごくこう味方 につつけるじゃないけれどもし ながら自分の目で確かめながら自分の足で 歩いているっていう感じがねこの辺りから なんかもう独立っていうような感じがする んだけどなっていう風にね思いますという ことでなんかすごくこう現代に必要な パワーなのかもしれないという風に思い ましたということで今日はすごいねあの 短いネットラジオ30分ぐらいですからね 幼少期の話しかできないですけどまた次は ねすごくとんで違う話をするかもしれませ んけれどもねまあ何かあの考えるところが あったらいいかなという風に思いますまた ネットラジ楽しみにしてくださいねJA

https://listen.style/p/kujimogura サブチャンネル。こちらでも結構毎日エッセイや物語を綴っています。

小学校受験ペーパー に関する学習方法一覧はこちら↓

小学校受験絵画・制作に関する学習方法一覧はこちら↓

受験・ネットラジオはこちら↓

年少さんから年中さん・はじめての小学校受験動画授業↓

年中さんから年長さん・通信教育 動画授業↓

チャンネル登録をいただくと、ブログより先に動画がアップされた通知が届きます!
また、24時間ラインでつながっています。いつでもご相談・ご質問くださいね。
ラインはブログより。

教材ネットショップ https://tsubasashop.official.ec
ホームページ   http://wwsw.tsubasa-kyoiku.com/
ペーパーブログ  http://ameblo.jp/tsubasa-kyoiku1
絵画ブログ  http://ameblo.jp/tsubasa-kyoiku/ 
ツイッター https://twitter.com/TsubasaKyoiku

#小学校受験 #お話の記憶 #知育

2024年度

青山学院初等部1名、青山学院横浜英和小学校1名、浦和ルーテル小学校6名、お茶の水女子大学附属小学校1名、大阪教育大学附属天王寺小学校2名、江戸川学園取手小学校3名、開智・開智所沢小学校10名、学習院初等科2名、川村小学校1名、関西大学初等部1名、暁星小学校8名、慶応幼稚舎3名、慶応横浜初等部7名、光塩女子学院初等科1名、清泉小学校1名、さとえ学園小学校6名、筑波大学附属小学校7名、品川翔英小学校1名、白百合学園小学校1名、捜真小学校1名、湘南学園小学校1名、晃華学園小学校1名、昭和女子大学附属昭和小学校1名、精華小学校4名、西武文理小学校9名、成蹊小学校5名、成城学園初等学校2名、聖心女子学院初等科2名、聖ドミニコ学園小学校1名、洗足学園小学校3名、立川国際小学校1名、田中学園立命館慶祥小学校(北海道)1名、玉川学園初等部1名、田園雙葉小学校1名、東京女学館小学校2名、東京農業大学附属稲花小学校7名、東京都市大附属小学校2名、桐光学園小学校1名、桐朋学園小学校3名、桐蔭学園小学校1名、東洋英和女学院小学部1名、南山小学校1名、日出学園小学校1名、雙葉小学校2名、宝仙学園小学校1名、豊明小学校1名、横浜雙葉小学校4名、森村学園初等部12名、安田小学校(広島)1名、洛南高等学校附属洛南小学校1名、立教小学校2名、立教女学院小学校2名、早稲田実業初等部7名

Leave A Reply