山口組組史 総集編 山口登の時代①

こんにちは皆さん私は元山口組顧問弁護士 でYouTuberの山内行きです今日は 山口組組市2代目山口登るの時代最初14 年に父春吉から2代目を継いだ山口登親分 なんです下るしぎと言いますか収入源は いずれも正業なんですけれど中心になっ てるのが妊婦出しですねこれは沖中市船舶 から2の積み下ろしをするという仕事への 妊婦だしえそれから魚市場なんです兵庫南 市場というところで魚の運搬をする妊婦 だしえこの権利を持っておりましたそれ から大手造船会社にですね船の錆をしを する妊婦出しの仕事こういう仕事が中心 でしたねまそれ以外にはですねえ深海地で 劇場の用人望をしておりますこれは仙台が 司会議員の福森という人と知り合いになっ てこの人が深海一のドンと言われて劇場を 経営していたんですがそこの用人棒をやる それ登るも引き継いでおりますそれ以外に は労局相撲工業などその足がかりを春吉親 文が掴んでいましたそれを発展させると いう形で2代目は活躍することになって いきますそしてついだ翌年の大正15年に は各種党兄弟会という沖中市民族とですね 公安事業者との間のトラブルや紛争などを 円満に解決し調定する親睦団体に加し神戸 支部長を大勢使っておりますですからま 人足出しア用人防衛の他にもですね調定 機関としてのそんな仕事も親分はすること になったんですね昭和5年野親分は山口組 の事務所西町から切戸というところに移し ておりますこれは神戸市が新たにこう 埋立て地に神戸中央下ろし売り市場を建築 することになったわけなんですえその市場 の中にですね魚市場も入りますんでその2 の権利を取りたいと思ってえ結局建築現場 のすぐそばでありましたキレトという ところに事務所ごと移転したんですこれは 確かに今でも大きな公共工事巨大な施設が 立つという計画のあっ場合組の事務所がま そちらに移転するていうことが ちょくちょくございます現地に事務所を 作って結局繋がりをつけていくきっかけに したいということです工事用の運搬車両が うるさいとか誇りが立つとか迷惑だとか いうだけでも関係ができていくわけなん です現地に行っておれば何かにつけてその プロジェクトに絡んでいってまうまくいけ ばあの下請の受け仕事を回してもらえる あるいはさきといって近隣住めのクレーム を押える仕事にありつけるとか巨大 プロジェクトにはヤザが目をつけて現地 乗り込みというのはままございますま同じ ような趣旨で野親分はキレトにえ事務所を 移転いたしましたこれはえ実と言いますと 大島秀吉親分の縄張の地域になるんですね 親分の縄張の中に突っ込んでいったよす 食い込んでいったということでこれは掟に 反するというか小物に手を突っ込むと言い ますか非常に行気が割りって言いますか それ以上に縄張の侵害と見なされても仕方 のないような行為大島組との間に構想が 起こっても仕方のないようなことを登る2 代目はやったんですねこれは一斉1代の 大勝負です本気筋ですから登が2代目を 継承するその式典の時にも参加して いただいた大島秀吉親分神戸1の大になっ た人です司会議員にもなりましてその人の 縄張りの中に食い込んでたわけですそれ ほど登は力をつけていたということも 言えるんですが1歩間違うと大きな構想に なってえしかも極道の業界からはですねえ まルール破りであると避難されるような ことなんですけども2代目は果敢に縄張り の中に侵入していきましたこの大変な侵害 校に対して大島親分はどう出たかという ことなんですね新しい山口組の事務所に 殴り込みがあって構想になってもおかしく ないような出来事ことなんですが実は大島 秀吉ぶまこの登るという2代目の山口組の 若き統領をですね実は内心非常に気に入っ て応援しておりましてま元気で非常に 前向きな若き極道をですねそれなりに認め ておったんですね内心進出行為それを妨害 するようなことを結局はしないで黙認した というよな形になりました登る2代目とし ては一世1台の勝負をかけたんです大島秀 町親分の大きな心と観葉性によって何事も なく収まりました1節にはこの時山口組は 波紋されているという風に言われてもおり ますそちらの方が正しいかもしれません 高層などは起こることなく昭和7年神戸 10をおろし売り市場が完成した際には ですね魚の運搬に妊婦を出す権利と卵を 運搬する妊婦出す権利を独占的に登る2代 目が取得いたしました結構大きな利権でし て山口組といたしましては父親の春吉が ですね山口組合資会社っていうのをこの 機会に作りましてその社長に春吉が収まっ ております春吉仙台はヤザ的な気質は あまりない働き人でした結局この新しく できたリンプ出子の仕事を引き受けてま 自分が社長になってやっていくということ になりましたそして登の弟の秀男さんこの 人は性格は優しくてヤザには向いてない人 だったんですねま一応山口組の役だして 活動しておったんですがこの神戸おろし 売り市場ができて山口組合子会社を設立 すると同時にヤザを辞めてですねこの会社 の専務となり以後運送運搬業に一生を 捧げることになりました山口組運送っての はその後も現在もあるという風に聞いて いるんですけどもはっきりしたことは私は 認識しておりません新設神戸おしお市場内 における妊婦出し事件を集中にした登る2 代目なんですがそれを確実にした最初7年 頃から労TR工業に本格的に乗り出します 父の春吉が好きだった労TRの分野なん ですけども2代目も非常に声なく労TRを 愛しまして登るは登るで独自に東京浅草の 工業師何や金造という人と渡りをつけて 工業地では元締めと言われてる人なんです この人と話をして老骨工業のうちの花工業 の独占開催権を手に入れてしまいます花 工業というのは定期公園とは別に随時手配 して行っている公園でして引き受ける側 肝心元の方が全て何もかも段取りして利益 が出ようが損しようが一切のリスクを被る という約束で工業を打つんです随時まどこ でも開催できるというその権利を一手に 登る2代目が手に入れますそして山口組に 工業部というのを作りますその責任者とし て労TR士のマネージャーをしていた小村 という人を責任者に置くんですねそれとは 別に元労TR士で工業師になっていた長田 という人と知り合いますこれは大きんです 実は後の山口組の芸能部において長田さの 力によって非常に大きなことをしていく ことになるんですが田子3代目が大変世話 になった工業師でもあります工業師の長田 佐尾と登る親分は信仰を得て非常に親しい 間柄となり兄弟分のちぎりをかわしており ます長田サをですね集中に入れることに よって組は工業の世界で大きなその石連を 作ったことになるんですそして早速のよう にですね昭は7年神戸八千代座という ところで東西労TR一流大会というのを のるが開催いたします当然長田佐尾が 下働きをして実現するんですがこれが大 成功を収めるんですね同局工業の世界に おける工業師として華々しく登る2台目は デビューいたしますあの神戸の深海これは 神戸1の陥落街なんですがそこのですね 劇場の経営であった福森という人司会議員 でもあるんですけどもこの人との縁を父親 以後も引き継いでおりまして劇場のま用人 棒をやっておったんですがそのつながりで 神戸小竹劇場というところの用人棒も 始めるようになりその支配人の紹介で吉本 工業初代者社長本誠式をへ一気にですね 親しい交流をすることになりました山口 登るが吉本工業の用人棒として入ることに なったんです吉本工業は吉本工業の方で 山口登ると知り合うことによって浅草の 工業師何や金三と繋がりを持って東大随一 の人気者広沢虎の映画権利を独占的に手に 入れますまそのことが後々に大きな事件も 生むことになるんですそんなことも含めて 登る2代目と吉本工業っていうのは深い 付き合いをすることになっていきました ちょっと意外なところでは衆議議員の砂田 茂正という後に防衛地の長官になった人な んですこの人の選挙の応援弁士をやってる んですねのさんが弁が非常に立ったみたい ですね国会議員の選挙の応援でとやった ちゅんですからねちょっとなかなか 張り出しのいいねカプな親野だったんで背 は小柄だったんですけど備ひを生して大島 つの着物を着てそれで国会議員の応援演説 に出るわけですからね春吉親分の長男で 登るさんが山口組を継承したのは対象14 年でした若干23歳です後にキレトの親分 とも言われそして今バズともいう風に噂さ れた親分なんです若いけどなかなかの 切れ物だったみたいです子供の頃からあの 無効機が強くてえ喧嘩もよくしたらしくて 深海1深海1っていうのはもうあの神戸1 の参加街なんですそこのバラケ四島団と 大喧嘩をしてこれが123歳の時相手の 幹部を叩きのめしたとそういうエピソード を持ってる親分さんです気象は激しくて 派手こみでそでイハバイタリティ溢れる 行動派そういう親分先代の春吉親分とは だいぶ気象が違っております人形気質も 大勢で親分肌でただ背が低くてちょっと 太っておったんですそんな点をカバーする ためしかも若いという点をね隠すために ちょび髭を生しまして貫禄をつけてま頭は いつも鈍がり性感なイメージそしていつも 大島つの着きよったんです下手が良くて質 もいいという高級な着物を来てそして セカセカセカセカと大股で歩くというそう いうタイプの親分だったみたいですね非常 に押し出しが強くノボルが2代目をついて から山口組は一気に役だとしての性質を 強めていきました揉め事の原因になるよう なことも作っていくことになってしまう わけなんですね新海地陥落街にありました 劇場の小屋港座菊感対象官というような 劇場の用人棒をしておりかつ飲食店の用人 棒もしておったようですねいずれも本当に その後の山口組の根幹をなす生業だった わけですね登が引き継いだ山口組の若い州 なんですけども山口組の特攻隊長と言われ た青鬼こと難波助赤鬼こと渡辺地の神 古川松太郎さらに大虎コトと言われるもの あるいは悪か暴れはなどなどなかなか物が 揃っておったようですえ仙台春吉からはま 38人の若い主を引き継いで逆月直しをし たわけなんですその人たちがさらに参加 区民を連れておりますんで山口組としては 総勢で100名ぐらいではないかと言われ ておりますそういう仕事と参加区民たちを 引き継いだ若き新身経営の組長ですねえ この人がまさらにですね山口組大きくして いくわけなん大正15年翌年に山口登は 各種党兄弟会という親睦団体に加盟いたし ますこれどういうことか言いますと公安2 業務における中市たち要する人足ってのは ですね非常にひどい扱いを受けたりする ことがあるんですねもう最低辺の仕事で ある上に老人をピンハネされるということ もしばしばあってしかも半分ピンハネする 親方もおったらしくてえしばしは老子紛争 と言いますか2速側がですね待遇改善を 要求したり賃上げを要求したりして公安 業者と揉めるということがあったんですね そういう揉め事をま仲裁しようという調定 期間ががあればいいなていう発想からでき たものなんですが実はこの各種党というの はつい組つ親分酒組酒井親分藤原組藤原 親分この3人は神戸大阪横浜の公安2業界 におけるボス的なあ存在の親分だったんで この3人がえ神戸大阪横浜を牛耳っておっ たと言ってもいいぐらいなんですがその中 の横浜の酒親分が提唱して神戸のつい親分 なんですつい親分とうん藤原親分を 巻き込んで老師官の調定機関として 作り上げた親睦団体が各種党兄弟会と言わ れるものだったんですね結構大きな力を 持っていまして神戸大阪横浜だけではなく それ以外の全国の公安にも広がっていった あの非常に信頼された親睦団体だったこの 登る2代目っていうのは実は若くしてこの 3人のビッグ親分たちと兄弟逆月をしてい たんですよ隠し党兄弟会ができた当然その 兄弟会のメンバーに入りましたそして神戸 支部長という肩書きをもらうんですね登 親分それは結局中市人足と親方あるいは 雇主公安業者と発注業者との間の揉め事を ま調定するようなそういう役割を担って おったんですこの登る親分も神戸の老師 紛争で頂に乗り出すということがしばしば ありました大阪の揉め事にまで調定役を 引き受けて仲裁したということもござい ましたあ妊婦出しだけじゃなくってえその 公安に役業界におけるトラブル処理えに ついても八田の親分としてあの仲裁や頂点 に当たるという仕事が増えたわけですね 若くしてま多忙な 仕事多数を引き受けておった野親分ですが え昭和5年田和夫の出会いがございます その当時田岡和夫親分はですね山口組は 面倒を見ておりました劇場でですねこう 寝泊まりするようなそんな生活しておった んです山口組の組員にくっついて劇場の 用人坊の手伝いみたいなことしてあとは もう地をしながら暮らしてたんですがある 時ですね港座の小屋主から注意されたこと があるんです気戸板に対して注意されたん ですけども田さんが木戸番とおしりしとっ たら小屋主が来てお前ら何油売ってんねよ 客が経やないかお前ちゃんと仕事せやて 言うて一応気戸版に声主は行ったんですが 田岡さんはそれを聞いてそれワに言てかな て言って反抗したんだよねほしたら小屋 主島もこいつちんぴらがと思ってがヤザで もなんでもない山口の組にくっついて ちょろちょろちょろちょろして自分の劇場 に勝手に夜寝とるような男なんですけれど もこのチンピラがと言ってそういうことは 言ったんでそしたら太子さんまカチンと来 まして何よしゃわかった俺が劇場潰しても たらいてそのまま下駄吐いたまま劇の中 駆け込みましてちょうどその人情門の芝居 をやっておったんですね芝居をする劇場な んですよこの港田てのは若い頃の大内 伝次郎もそこで芝居じてたちゅう人形も 芝居やってるとこにバタバタバタ花道から 下駄入たまま駆け上がっていってですね もう芝居潰したら言うた暴れ回ったんです よほんで役者をかけましてそしたらさすが に支合人がですねガバっと抱きついてその 田岡が暴れるのを止めたわけなんですよ そしてもう楽屋の方に田岡を連れていき ましてねその時はもうおしくなっておった んです用人をしてもらってる山口組の親分 に来てもらうことになってるっとで言う たらねそしたら田子さんはついに山口の 親分と会えるのかっていう気持ちでね非常 に首相な気持ちになって会いたいという 思いもあってこう性感な感じの親分で憧れ ておったんですがまその人に会えると思っ て待っておったらバタバタバタバタって いうような足音高くけたたましく入ってき たんです山口登る若き親分がその時古川 松太郎これは妹向こんでえ登親が非常に死 だしてた人です地の神様みたいな人なん ですがこの人を連れて2人で入ってきてね タ見てるわけそして親分お前名前なん ちゅうん や田かですく言うのはお前のことかこれ田 さんあの喧嘩ばっかりしと喧嘩が滅法 強かったんですよ小さい頃とはも全然違っ てね人間が変わったように喧嘩ばっかりし とったんね深海地で結構哀れ回ってうん いわゆるバラケと言われるグレンチンピラ 相手にえ結構名前が売れてたんですよそれ が3回山口組員と金魚のふみたにくっつい とるというのは登親も聞いてたんですね 根性のあるやつだという風に聞いておった んですよですからあこいつがクマかと思っ たんですねほんならもう痩せてギスギスで ね細い体で目も釣り上がってですねどこの 馬の骨かみたいなそんな男だったんです けれどもでも登る親分として喧嘩が非強い ということなんで今回はま許そうという 気持ちで田に言うんですねもうこんなこと したらあかんではい言うたらぷっと 振り返って出ていくんですよね登もほし たら古川真太郎が呼びとおおおちょこれ どうしまんのこいつって言ったらえ登る 親分がですねお前が育てて みええもんになるかもしれんぞ言ってぷい と出て行ってがマたらええと言いながらも しげしげと田岡の顔を見て初からついて こい言うて自分の若い州にするんですね そして田岡さんが古川松太郎のえ下で参し た守護を始めるそれが若木登親分と3代目 になる田岡さんの出会いだったわけですね 初代山口春吉親分の写真っていうのは知っ てる方はね皆さん帽子をかぶったはき町 エブの写真が印象にあるわけですちょっと 見てもらいましょうえこの写真ですねこの 写真以外私は春吉親の写真を知りません この写真ばかりですね初代の写真って言え ばこれどういう状況で撮られているかと 言いますと2枚目の写真こちら見て くださいはい横に相撲取り横綱が立って おりますねこれが玉サエ門なんです春吉 親分が押しており登る親分が講演会会長を 務めたえ玉式席なんですね横綱を占めて おりますんで横になったのが昭和7年の 10月ですすでにはき長野文は2代目に 山口組を譲った後そういう時以降の写真 ですね親分はもうすでに 山口組を聞いていた時代の写真なんですが これが1枚しかないんじゃないでしょうか 知ってる人にはよく知られた写真です 同じく昭和7年3月なんですけど玉に式の 喧嘩ぱさと言いますか激しい感情と言い ますかそれが原因で山口組の組員がですね 玉にの代わりに関取宝川という関取を怪我 させるという事件が起こりました昭和7年 3月に名古屋場所が終わって大阪巡業に 引き続いて入りまして関取1個は大阪に来 ていたんですが大阪に来ますと谷町筋から ですねあの玉式に対して奇跡設けたいから 食事ご意象しませんかというな誘いがこう 入るわけです非常に人気があありました そして相さんていうのは引き筋ま谷町と 言いますそ谷町の接待に応じてで飲食を共 にして修義をもらうとそれがま結構いい 収入になるわけですそれが人気の バロメーターにもなっておりましておさん にとってはとても大切なもんなんです そしてま大阪に来た時谷町筋から食事の 接待を受けたんですたに式断ってしまい ますそうしましたらたに式にいつも接待の 席について回る関取宝川と言んですけども 同じ高知県出身の先輩の関取なんでねこの 人は人気ないんですよ顔が不細工やった からあでも人気ないけれどもたに式にあの くっついてそういう接待の責に出て修義を もらうことを非常にえ楽しみにしていた人 なんですねその人がねたまにが断ったもん だからなんで断るんだとわしの分の将棋の 入ってるやないかという風にたにに文句 言うたんですねそれたまにしかカチンとき ましてねこ俺の勝手やないか俺の谷町や ねんからそんなに谷町から欲しかった自分 でたま探したらいやないか言うたそしたら 今度逆に宝川の方が逆切れしてですね実は 先輩なんですよ3年先輩で世話になっとっ て世話なったんですお前の面倒見た倒れや ないかお前何考えてんねてようなことで 喧嘩なってったんですよ親しなが家もあっ たんでしょうけどもお互いもう口が滑た 言いすぎたと言いますから激しい労なっ ちまうそしたら玉にの方がねお前このガキ も言わしてもたろ言たん1回ぐぐっと我慢 してしけどわしな今神戸の親分から絶対に 喧嘩するなと言って止められとるんや神戸 の親分がわしを横綱にするために運動して くれててもしそんな節末起こしたら横座に ならねか辛抱せ言って我慢しとるんじゃ お前見たらもうそれがなかったら今すぐ どきましたらわ言うたんですねそしたら 宝川の方何が神戸じゃ役なやないか山口組 がどうなわしは宝が逃げも隠れもせわ 山口組が来るなら今回言うてそういう言葉 を玉式に吐いたわけですね玉式もうそこ まで言われたらもう我慢できなくなって それでも手をかけるわけに行かずに大阪 から神戸へ飛んで行ったん車に乗ってもう 登る親分に聞いてもらおうと 登の許けたら今回だけもう宝がどきまし たろというつもりで神戸に飛んでいったん ですそして山口組の事務所に行ったら事務 所にいたのは西田という国民1人がいて登 親分いなかったんですねほでま西田に くどくどとこんな目におたと山口君馬鹿に された言ったら今度西田の方が怒り出し ましてね山口組なめとんかよっしゃわかっ た柱で言わしもるいうことになったです 西田も相手が相撲取りですから1人では これ負けたらいかんのでスケットを連れて 行こうとしまして菊水艦の方にスケットを 集めに行ったんですよ誰かゴロゴロしてる だろうということで行ったら菊間には山田 という組員と田という枝の子がおったんで ねこの2人に対してえ西田こここうでこれ から宝がっていう相撲取りを祝しに行く からついてこい言うてね一旦は西田の家に よってそこで道具を用意しましてね山田人 は拳銃え田岡の方は1尺発寸の日本島を 持ってそれで玉と一緒に4人でまた大阪 まで車を飛ばしてそして大阪の相撲宿舎に 車を乗り付けたんでねそこでダダダダと2 階駆け上がってバーンとふを開けたら宝川 そこで大の字になって寝とったんですそれ で田岡がその寝てる宝川の顔を踏んづけて これが大きい言うてもうん言うだけで起き んか言うて腹をボンバン蹴ったわけほんで そっと目開けてなんじゃえ言うてほでまた 寝ようとすまたボカンと払ってのそっと 起き出したんですねそしたら西田が目の前 に顔を突きつけてお前山口海のことをバカ にしたんかいわしは山口のもんやどうなん やねんでこうやったけこれたブスっとした もなんやねうしがけろ言うお前謝らんかそ したらそうか分かった言うてねあのすっと 離れたそれと同時タオカが持ってきた日本 島で上からぶりをしてバサーと一等の元に ね日本と振り下ろしたんですよほしたら 宝川はわっと右手で避けたもんだから小指 パーンそれから薬指パーンと日本指飛ばし てそこで刀の力がや弱まったそれでもこの 死体にざっくりと長刺さ血がダラダラ流れ たその時にとまをややめてそこまで宣伝 やめとって くれ謝れ謝れ言うてですねあの宝川に言っ て宝さすがに指日本取られて持だらけに なってそですいませんでしたすいません でしたて謝ってま王家がさせてしまったと いう事件が起こったわけなのですまそれを 聞いた登る親分とにもかにもこの玉に式の 横綱小心がかかっておるからその講演会 会長がヤザそれはまいいとしてもヤザの そのハカ人が鳥怪がさしてしまうたいう ことになったらそういうこと玉式が横綱に なれんようになってしまうという器具が あってシア六法とにかくこれはも表沙汰に しないで収めるしかないということで登る 親分が乗り出してですね宝具に平身抵当で 謝ってそしてお金もたっぷりつけてそして うやむやにしたんですよでもま宝川の方は 指2本失いましたからもう力が入らないん で相撲取りはできなくなってでま曲げを 切って引退してしまったんですそういう ことを全部抑え込んでえのる親もそれでも 玉式を横綱にするために運動してその年の 10月に横綱にしたんですねほでこの宝川 を切った田岡これ田岡活動親後の3代目な んですが古川松太郎に預けておったような 子なんですよね3下の修行しとったんで 多分20ぐらいですたそれについて登試案 六法どうしたもんかとか考えながら何も 考えずにただ組のために日本とお振るって 相手やつけたいうことやからこれは やっぱり攻めたらあかんなと言ってね一言 ももう責めないで黙って黙認したわけです ねそして事件としてはもう握りつぶして しまったとそういうことがございました この田岡という枝の若い子は本当向こう水 というか後先考えずにうん一の元に キリストあれほっといたらそのまま殺して しまってますからねたに式が体で止めた から一目を取り止めてますけどもそういう 無鉄砲なところのあるやつなんですが元々 まクという名前で呼ばれて深海地で 暴れ回っとった男ですそれをま妹を向こう の古川松太郎に預けたんですけどなかなか 考えよによって使い方によってはいいもの を持ったかもしれんという思いが農親分に もあったようですねはい今日はここまでに したいと思いますチャンネル登録並びに いいねボタンをよよろしくお願いします [音楽] [音楽] ありがとう

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