第2回 大将が料理業界に入ることになったきっかけについて聞いてみた!
9歳小学校4年生の時なんですけどもお袋 が蒸発しましたよりになりたいなりたいで なったんじゃないんですよねはい [音楽] あの大将に聞いてき [音楽] た大将に料理になったきっかけっていうの をちょっとお聞きしたいと思いましてお 聞かせいもよろしいでしょうかはい えーそうですねうん板になるきっかけえ私 が福島県の郡山っていうとこで昭和33年 に生まれてですねちょうど私がここの9歳 小学校4年生の時なんですけどもおふが 蒸発しましてまそこには父親という名前が 出てこないんですけど私はあの俗に言う めかけの子っていうやつでして今は時代的 にめかけって言わないんですかねえ父親が 12の時の子でおふが29の子でしてま 認知されずにうんえおふのせいで小学校に 上がりで4年生の時に学校から帰ってき たらばまオがいなかったとうんいうことで え1ヶ月半2ヶ月近くはですね3つの兄貴 がも一緒に住んでましてはい2人でま生活 はしてたんですけどもま近所でちょっと おかしいなっていうことで警察の方に今 思えば届け出があったんですねうんそれで ままあ私と兄貴は別々の施設に預けられ うんで預けられて1年経つか経たないか ぐらいに預かってくれるところのうちが できたぞということでえもちろんその1年 近く兄貴とは全然顔も合わせることもなく ま子供ながらに母ちゃんどこ行っちゃった かなみたいなことでま辛い寂しいってまあ 今思えばま人になかなか話せないような胸 の中の9歳10歳の時の思いではあるん ですけどもうん で1年近く経って預けられた先預かって くれる方たちうんのところのうちが料理屋 だったんですねそこに料理屋に預けられて え中学校の3年までえ小学生の時は大体朝 料理屋のやっていく仕込みのお手伝い スタンバイそれから学校帰ってからはあお 店の新門島の手伝うんで中学校に上がる時 にはまた違う料理屋に預けられた時には朝 の新聞配達と夕方4時半にはもうお店に 入って夜中の大体1時まあ2時は間違い なく働いててで何かとま学校に行きながら でも時代があったとはいえ中学生の子供が 夜中まで働くわけですからはいま許される わけでもなかったんですけどもま学校の方 のPTAの方でもだいぶ当時は問題になっ たんですけどもま働かないとまた施設に 戻されるっていうのもありながら学校の うん先生ま2名さ2名え鈴木先生大葉先生 っていう方が本当力を色々とおかしして くれてえ中学校出れるようなあことをの 段取りをしてくれてうんうんそのちょうど 4年間半は本当に板前の修行的なことの 仕事をみっちりえしてましたえまもちろん おのずと高校に行くわけでもなく行ける わけでもなくうんまそのままま板前になる しかないんっていうことで中学校3年の3 月18日の卒業式が終わると同時にうん 20日の日には2日後には東京の赤坂の 料理屋にも務めてたということでもう何 ですかねあれが死体これが死体じゃなくて 当時はもう板前になるしかないというかま 当たり前のようにもそういう世界に行く もんだしかなかったですねまきっかけと いうかもう家庭環境がそういうことでした はいなるほど はいじゃあちょっとお聞きしたいんです けど小学校の頃からもう働いてたっていう ことなんですがええどういうことをそのお 店ではやってたんですかそうです小学生の 頃はですねまず朝学校に行くのが大体8時 ぐらいですから6時ぐらいには必ず起きて え冷蔵庫にスタンバイする飲み物ああ ビールはいはいうもちろん当時はサイダー だったりとかうんまグラスの清拭きって 言ってきれいにこうグラスを冷蔵庫に入れ てくっていう時代じゃなかったので戸棚と 言ってまそういうとこにグラスを綺麗に こう染みがないようにうんうん1つのこう いう容器にお湯を沸かしてお湯を入れて 湯原が足しますよねはいはいそこにグラス をこう当ててで1個1個綺麗に拭くような 作業とかビールも必ずお客さんが見える ようなところのお店だったもんですから ラベルが見えるようにうんああなるほど 必ず前向きにしなさいとはいはいでささん が持ってくるで酒屋さんもま昔ですからね あのその辺に置きっぱなしのものビール 持ってくるわけですからビールにこう埃が ついてるわけですよそれ一度水につけて 全部吹き掃除をしてでラベルをお客さんが のに向けて並べるみたいな作業とかいうの もま時にはズルをして奥のものを手前に 出して今日入れるものを奥に入れなくちゃ いけないんですけどま分からないだろう バレないだろうということでま朝眠いのも あってね大変なんでたらあそこに小さく こう日付が入ってるんですね何月何月何日 に作ったっていうで必ず新しいこう古い 順番のものが前に来なくちゃいけないのを 子供にズルをしてえちょっとお目玉食らっ たことあったりとかまこう小学生の頃は約 1年半ま5年生から6年生の間はあの料理 に預かれた時にはその朝のスタンバイま グラズ服にしても何にしてもでもんもこう 1時間一生懸命やっても平気でかかりまし たかねうんで帰ってくるとま毎日では なかったですけどもほぼほぼほぼですけど もでも洗い物手伝ですねああええ洗い物 やった後それを綺麗に拭いて戸棚にしまう 作業やら何やらていうことでもちろん刺身 切ってるシーンを見たりとかお客さんと 芸者さんが芸者さんとお客さんが喋ってる シーンを見たりとかいうのは透明でこう見 たりとかそういう料理屋さんの空気の中で どっぷり使ってたあの小学校時代ですねふ 夜はこうお酒をとっくりにお酒を入れとく 作業なんかもやっときなさいって言われて 必ず30本なら30本こう入れてえだから すごいこうとくにのギリギリまで溢れない ようにこう1本ず覗きながら入れるみたい なことは日々の仕事でしたねでもとっくり 30本って結構お店としてはでかかった 大きかったですカウンターが15席と個室 がえ4人から6人ぐらい入のが3つあって あと大部屋が2つありましたからそれを ぶち抜いたりすると40人ぐらい入る料理 屋さんでしたのでおそこで住み込みって いう形ですねなるほどそこに女将さんがい てえそこに私が預けられて小学校時代は そこでお世話になりましたはいじゃあ具体 的にま調理とかはやってはなくてその補助 的なそうですねはいはいはい板前さんがい てえ土曜日なんかはもう学校が早く帰って きますんで板前さんが仕込んでるやつを なんか楽しそうにやってて興味深くやっ てる仕事を見て一度なんか驚いて蹴られた のがそのフグを使ってる時にフグの蔵物を 触ってしまってああそれで急に蹴られて すごいお目玉食らってそんなこんな内臓 って何なんだろうかま後々フグの毒って いうことでとっさにま板さんが怒ったん だろうと思いますけどももちろん板前さん 親方がいてその下にいに下のお弟さんたち もいたりとかしてま怒られたりかがって もらったり小遣いもらったりうんま洗場の 方なんかも当時は戦争の経験があるような 方がま年配になって新葉さんのその仕事を してくれてるとこの僕がお手伝いみたいな うんうんなんかもう料理屋さんの空気の中 で育ちましたねはいでその後中学校に 上がると同時にまた違うところの料理屋 さんに行く流れになった時にまた違う ところに預けられてもう中学校はちょっと しっかりもうそうですね仕事をしたという か痛ま仕事もしましたし調理もしましたし 包丁も落ちましたもちろんフグをばらすカ 向きをするまあらゆることですねああもち 学校行ってる時何してるの学校はとにかく 毎日行ってたんですけどもお夜中の2時3 時片付けも3時ぐらいになってましたかね ねうんそうすると朝なんかなかなか 起きれるものではなくてですねまギリギリ 起きてうんみんなが給食食べてる中学校の 当時給食でしたからその給食食べる時間 ぐらいに行ってうんま同級生はみんな 分かってましたのでま生成内から入って こいよと合送ったりしてま教室の裏の方の 昔はこううん下に30cmぐらいの窓が あってそっからこうすり抜けで入ってき たりとかま先生た気づいてたと思います けどもまそう いう日々 の3年間でしたかねま1番思い出は やっぱりうん夜中まで働いて片付くものが あったのでそこも大宴会場がありました から洗い物なんかもやっとけよって言って ま帰った後に最後にやっていってうん やっと終った帰るかななんて思った時に シャッターをこう閉めてこうガチャンと こうでガチャって入れる2つの穴があって はい福島県の郡山って盆地ですごい寒いん ですよはいはいはいでシャッターのあの ガチャッと刺すところがこのぐらい穴がえ てこう入れてガチャで2枚のシタおろして 帰るわけですお店の鍵も持ってましたから はいはいそこが水が入って凍ってるんです よそれからお湯を沸かしてそれを溶かして ああえそれから殺作業がね大体12月 ぐらいから3月の1ぱぐらいまで4ヶ月間 ぐらいはすごいもう嫌で嫌でで当時鉄の ってあったんですよはいはい鉄のこで全部 こ切ってはいはい残り1cmぐらいにして はいはい氷溶かすのも全然楽になって なるほどそういうなんかねあの帰り洗い物 も大変でしたけどうんなんかそう いうこともやってきたなみたいな思い出も ありますね洗い物なんかも昔は料理屋さん によってやり方は違ったんですけどもうん 宴会なんかあると途中で食べてるお客さん たちにお酒の飲み物は出すんですけど下げ 物って下げないんですよ常にこう器が開い て開いたものも置きっぱなしでみたいな 宴会のやり方によってははいはいはいで 置屋さん帰った後にバケツは3つ4つ置い て同じ器を全部だーっと汚れ物とか 食べ残しを全部バケツに入れてはい同じ器 をだーっと積んではいはいとっくりは とっくりで全部積んではいはい洗い物を こうごっちゃにすると油物のとこと とっくりと一緒に避けてしまうとっくりが 全部油だらけになってしまうんですはい はいはいで次それこそお酒なんか入れよう もんならお客さんにお酒をついたってお酒 に油が浮いたなんては大変なことになるん ですねはいはいだそういう洗い物のその 仕方下げ方などもその頃はだからそういう ところからすごい学びましたねはいうん何 をどうしたらこうなってしまうから行け ないよみたいなまそれがだから中学校出て 15歳で東京の赤坂出てきた時にはすごい 役に立ちましたよねうんうんだから当時板 にれ立の頃も先輩たちがいて中学での子 ですからかももちろんだから頭まだ坊ずっ くりで何も関わらず板場の中でのさらし とけとかはい裏のせとかはいうんこれを 下ろせとかいうのも当たり前のできました のでまだからもうびっくりしてましたよね あのまびっくりしてるような空気は分かり ましたよね僕ももうままも4年間も包丁 持ってましたんで打ち物するなんかはもう 当たり前でしたからはいうんまだから中学 のこの経験が生きて1軒目の赤坂のアの スタートでした よその赤坂の料理屋にその行くていうのは なんかどういうつてでですよね今となって もなんですけどま学校出てから先生型の とこにご挨拶まずっと毎年年に2回は行っ てたんですけどその時に生生型が全部 段取りをしてくれてたんですねあなるほど 料理屋さんでその中学未年者ですから もちろんま親もいるわけじゃありませんの でま先生方がそういう窓口を全部作って くれてたんですねへえだから分からない ところよくだ先生方がやっていただいたな と思いますしま里帰りした時に先生方に いやもうダドはこれこれれこうでって先生 方もあまり知識はなかったんだけど当時は ねっていうことではいだからもう遠く新 幹線がない頃どこって言って各駅の電車に 乗って上野についての段取りもこうやって 行きなさいって神に書いてもらってああで 赤坂までたどり着いてでしたですね当時 はいでまそこから本格的に大将の料理人 人生がましたそうそうですねもう楽し 楽しかったですもう毎日もう辛かったって いうより楽しかったですねうん仲間で みんなやっぱり辛いってとんずらする人間 ももいたりとか辞めちゃう人間もいました けどま昔ながらに朝も早い夜も遅いって 職業でしたからはいでも僕は逆に中学校で も預けられて働いてるっていうそのなん ですかえ恩というかお世話になってるって 環境の中でも働いてきてたのでもうそれが 全然もう東京に来た時にありませんでした から自分で仕事教えてもらえるところで 一生懸命やってご苦労様っていう環境だっ たのでねだからなるほどすごい日々が なんかこう生き生きして朝子供ながらに 眠いんですけど15歳16歳なんかはうん 楽しくて楽しくて朝来るのがあはいはい もうそのくがいなくなってからの約5年間 うんを考えればはいもう楽しい響でしたね なるほどはいえっとお兄さんいらっしゃっ たと思うんですけどもお兄さんはまはい またなんか違う世界だっそうですね兄貴も ですねやっぱり中学出てすぐ同じ職人だっ たんですけど盛業おおの方にま住み込みで はい働きに出ましたはいもちろんえ施設に 預けられて離れ離れというか同じ施設は 当時は5ワットだったんですよねなぜか ちょっと意味合い分かりませんけども違う 施設に預けられでまあ1年経つか経たない かで預けられる時に兄貴違うはいとこ私も 違うとこで預けられてこうま中野本と兄弟 だったんですけどま学校出て社会人になっ てから2人きりで会うこと多くなったりと か助け合ったりとかいうのはかなり多かっ たですねはいふんなるほど料理ににいたい から料理になったわけではなくうーんそう ですね今もう何十年もこうやってこれ1本 でやってきたのにこんなこというのもなん ですけどよりになりたいなりたいでなった んじゃない ですよねあはい流れ的にまなんかそういく やってくしかないみたいなまたやめて しまい板が嫌だと言えばじゃあどっかに 行って誰かのとこにまた預けられちゃうの かなとかうんうんうんいうそのちょっと 恐怖感もあったりでもそのままこうやって いけば中学こ出ればあのもううん染み込み でお世話になりながら仕事覚えながらお 給料もらえるところに働け るっていうことで3月18日の卒業はい式 の日は本当に前にもちょっと麻美さんに 話したかどうか分かりませんけどももう 嬉しくて嬉しくてもう涙止まんなかった 便女の中で泣いた記憶がすごくありますね はいもう嬉しさのああ嬉しかったです とにかく嬉しかったですもう自分で自分 もう世話してあげてるだろうっていうこと 言われなくても生きていけるんだっていう のがもう嬉しかったですねもう自分で やれるんだって嬉しさのうんなんかこう 塊りがこうな嬉しかったですうん当時はい ありがとうございますじゃあ本日はこれ ぐらいにしたいと思いますじゃあ大将また 面白い話を聞かせてくださいはいよろしく お願いしますよろしくお願いします失礼し ます
~飲食業界のいろんな話、調理の話、食文化、人間模様、芸能界、闇、すべて語ります~
昭和~平成~令和と激動の時代を包丁一本で生き抜いた、料理職人歴50年の大将
和食の料理人として50年以上研鑽を積んできた、大将こと和田透の動画になります。
第2回目の内容は、大将の幼少期~母親の蒸発から、小学→中学卒業から板前になるために上京~までの動画になります。
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■チャンネル概要
昭和の料亭や料理にまつわる面白い話とあっと驚く料理の知識をお聞かせいたします。
また、料理が好きな方や、料理屋として独立開業をする人に向けて有用な情報をお届けします。
数々の一流料亭で腕を磨き、多くの著名人が訪れる名店を作ったこの道50年の大将に、
日本料理の事、食材の事、交流のあった芸能界の人々の事、人間の恋模様、店舗運営や
人材育成、ここがおかしい業界の闇など、面白おかしくお届けします!
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◎大将のプロフィール
1958年生まれ。福島県出身。小学生の頃に母親が蒸発し兄弟二人だけの身の上に…
色んな人達の支えで激動の子供時代を生き抜き、中学卒業の時点で本格的に日本料理の世界に入る。
日本三大料亭の一つである料亭『金田中』や懐石料理の名店『胡蝶』などの有名店で修行をし、33歳に一念発起して割烹をオープン! 新宿歌舞伎町で一番予約が取れない店として名を上げ、他にも蕎麦割烹、煮込み料理専門店、焼肉店、すっぽん料理屋、エステサロン、ラーメン屋など業態の異なる店舗を多数展開。また、独立開業のコンサルティングやレシピ・メニュー開発など多数の実績に加え調理師専門学校の特別講師としても活躍!育てた弟子は数百人に上り、ミシュランの星シェフになった者も居る。現在は現場から一線を退き色んな事に再チャレンジ中。
◎浅見
一般人代表。大将の店のランチ客で好奇心旺盛。
大将から聞かせてもらう話があまりにも面白くて深イイので、
5年以上かけて説得し、大将と共にYou Tubeチャンネルを開設!
昭和の懐かしい話から、業界の闇、裏話、色恋の話、料理素材や技術の話まで
広く深く掘り下げ、日本の良き食文化を後世に伝える事を目標に活動!
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