【神木隆之介の巻①】映画「3月のライオン」(前編)から梗概を読み上げる(注釈つき)

映画は世に連れよは映画に連れかつて世間 を賑わした映画と申しますのはそれは何か それなりの理由があるんじゃないかって ことでしてですから今回は2017年に 上木竜之助さん主演で公開された劇場映画 3月のライオン前編を取り上げたいと思い ます私などのように1つの物語が前行編に 分かれていてしかもあえて公開時期を少し だけずらして封切るなんていう映画に 馴染みがない世代にとってはこの法が工業 に対して一体どういった効果をもたらすの かなんて想像もつかないわけですまさか うっかり脚本が長くなりすぎちゃったから なんて理由じゃないですよねまあそんな わけでわかんないことについては潔よく 白旗をあげて考えないことにしますが ところで上木竜之助という俳優さんについ ては皆さんご存知ですよねこの方は最近 ですと特攻しなかった特攻隊員の役なんか をやっていてでも怪獣の口に向かってなら いし特攻しちゃうことでも有名な人でして 世間的にはその昭和でやや臭演技が草屋の ごとくに追っていてけれどもそれがいい 感じに臭くて癖になると好評を得たりして いるそんな今では引っ張りだこでややめの 俳優さですいきなり脱線しちゃいますが この臭演技と言いますのはその昔昭和の 時代にはデフォルトだったんですねそんな 時代を知ってる私などからしますとこの臭 さというものがむしろ行為的にも解釈でき てしまうわけですつまり演技のプロならば 少しはその臭い演技にトライして熱い汗を 描いてみろよと不にも今の役者さんたちに 要求したくなっちゃうわわけですまあ そんな私も若い自分には臭演技というもの がやけに鼻について感じられ鬱陶しくも ありどくさくを燃えて大嫌いだったわけ ですでもこの臭さと言いますか見を張る寺 のような部分こそが実は時代を超えて残り 続けるためには重要な要素だと思ったり するんですね例えば子供の頃の私は大げさ に拳を回す演歌歌詞だとか昭和の流行歌 たちが見せる演技名た過小をテレビで見 ながらなんだか聞いてる側でありながら 若干恥ずかしい気持ちなど感じておりまし たでも今になって振り返ってみればクール なと言いますか熱や個性を削ぎ落として 平番に歌ったかっこいい平成栄光の過小と いうのはこれはもしかすると素人が カラオケやれただ高徳点を出すためだけの 上手だけれど全然恥のないそれと同様に 思えてくるわけですそれでもって実際に そうした歌や曲というのは時代の風化に 耐えられないんですね例えを変えてみます と白タツを履いて跳ね回るバレーダンサー たちの演技と太りがちな専業主婦を相手に エアロビクスの先生がやるダンスの差って ことでしてつまり大げさに言えばそこには 芸術と運動ぐらいの違いがあるってこと でして元々比較にすらならないわけです もちろん球先生が言ったような無作意の 作意みたいな裏解釈の余地がないわけでは ないのですがでもそれは余分な飾りで散々 思考錯誤を繰り返した後に到達する高みの ような話でしてですから素人の無難な カラオケやエアロビクスで最初から 開き直っちゃうのはちょっとあれじゃない かと思うわけですまあこんなことばかり 言って脱線し続けてますといつまで立って も先に進まないのでとりあえず映画の あらすに触れていきたいと思います時代は 現代上木竜之助さん演じますところの桐山 例は幼い時に両親を交通事故でなくして おりますそれでその頃から泣き土の友人で ありまた将棋のプロ騎士でもあるこの家に 引き取られるわけですこの子だけには2人 の子がおりましてですから例はいきなり義 の姉と弟というそれまでは全く赤の他人 だった子供たちと1つ屋根の下で暮らす ことをよぎなくされますこの子だけという のが将棋さしの家ってことでですからそう いった意味でかなり特殊でして霧の兄弟 たちとの立位はただでさえ突然家に 入り込んできたレトの葛藤もありましょう にそこに儀の実力を競うライバルみたいな 要素まで加わりましてこれはもう複雑で 微妙な関係にしかならないわけですしかも プロ騎士である義理の父親は自分の子供で ありまた弟子でもある3人のうちで将棋の 才能に抜きでたれにばかり関心を寄せる ものですから血をついだ2人の子供たちは 当然面白くありません特にさほど年の違わ ない姉の方はと申しますと自分が実力で 劣っていることを思い知らされてへこん だりヒステリーを起こしたりするわけです がそうして春期を迎えた子供3人と父親の 関係がバランスを失い家の中がおかしく なったのも全部霊のせいだと思ってる節が ありましてですから彼のことを断るごとに 激しくののしったりいたしますそれでその 言葉というのがかなり辛辣でしていい気に ならないでゼロのくにとかあるいはお前 むかつくんだよ負け犬でも見るような目し 上がってとかなんとかかなりせつ反射的な 感じでひどいことを言い放つのでござい ますここで説明するのだこの場面でのれ君 は霧のお姉ちゃんからゼロのくせにとか なんとか言われちゃってるのだこれは案に 血を分けた家族もいなくて自分の家すらも ないくせにと言われてるわけなのだそう 考えてみるといくら子供のことだからと 言ってもかなりあれな仕打ちを受けている ことが分かるのだところで何々のくせにと いう言い回しは案外日常の中で使うことが 多いのだそれで改めてこの何々のくせに 煮込められた真相心理を探ってみるとそこ には言い放つ側の不満だとか怒りが含まれ ていたりまたは否定やら批判の感情が込め られていたりあるいは嫉妬や劣等感が内法 されてたりとどうにもかなり複雑で厄介な のだ特にれい君とお姉ちゃんの場合は お姉ちゃんが意味軸も言葉にしてるように れい君のことを所詮は他人だと思ってる節 があるのだけれど逆にこの他人であること がさらに状況を複雑にしていて単純な妬み の感情よりも余計に微妙な言ってみれば 男女館と嫉妬のようなものまでも勘ぐら せるところがあるのだちなみに古い事業に 臨機は女の7つ道具というのがあるのだ 臨機というのは焼きもちを焼くという意味 なのだだからこの事業の意味はと言うと 高橋書店の実用ことわざ真時点によれば ちっとは女の武器であり男性を操る手段だ とされてるのだこれをれ君たちの関係に 当てはめてみればもしかすると義の お姉ちゃんはレ君の将棋の才能を妬み ながらそれと同時にれ君の心を コントロールしたいという心理までも 勘ぐることができるのだまあそんな風に こじれてしまいますと常々他の家に厄介に なっていて秘めを感じ続けてる霊としまし てはもうこうだけには自分の居場所がな いって感じに追い込まれてしまいますそれ で家を出て東京の下町で1人中学生ながら プロキシとしての生活を開始するので ございますそんな頃に出会うのが川のそば でやはり例と同様に両親をなくして暮らす 和菓子屋の姉妹たちでしてこの美人3姉妹 は主に孤独なレ君のメンタルケアとその後 の精神的な成長の面に関して担当すること になりますそうした3姉妹という心の支え を得たAAはプロ騎士として初めて新人戦 に挑むことになりますAは自分がまだ弱い もとはいえ将棋版を挟んで対戦者と 向き合えばそこは勝負の世界に生きるつ者 たちの場所で手心の介在する余地などない 厳しい世界であることを思い知らされます そんなわけでしてこの映画の前編はと申し ますと主に強烈な個性を持つ様々なプロ キスたちの紹介みたいなことに費やされる のでございますまずは五頭というかなり 気象が荒くて極悪非道の匂いをプンプンさ せる実力派の騎士が紹介されますそれで この後頭はそうした雰囲気にとまらず病気 で入院中の奥さんがいながら高度の姉に 言いよってそれで彼女と不倫関係を結んで たりしますそんなわけで相当調子に乗っ ちゃってるようなとんでもないイケメン男 なんですねもちろん昨今の風潮に照らし ますとこれはもう運を言わさず議員辞職だ とか芸能界追報だとかといったあれな感じ の危険極まりない重大観察事案でしてです から映画の鑑賞者である私たちはこの後頭 に対して国学人のレッテルを張って適しし ながらこの後の物語をを見守ることになり ますこの男に対して正義感の強い霊は家族 を大切にできない人は最低ですとかなんと かいつもの霊君らしからぬ見幕で出席を 浴びせるわけですでも後頭の方もこれは いいこれはダメ全部お前が決めるのかとか なんとかやはり人の痛いところをつく パトリオットミサイルで応戦してきます レイ君の場合はどうやらこうした物言いを されてしまう星の元に生まれてきたった みたいですですから相手にとってはいじめ ばいじめるほどいい味を出してくると期待 させちゃうあの大根飯のおみたいな扱いを されがちでして何か自らアクションを 起こすたびにカウンターパンチをみちに もらってしまうわけですここで説明するの だこのシーンではプリン中のごとちゃんは レイ君からその非常識な生活態度を責め られてるのだけれどレ君より人生経験の 豊かなごとちゃんが高校生ごとに言わ れっぱなしでいるわけにはいかないからな のですぐさま反撃の言葉を繰り出してき てるのだこれはダメこれはいい全部お前が 決めるのかという彼の返し言葉の中には こっちの事情もよく知らずにうすっぺらな 常識を偉そうに振りかざしやがってという 気持ちが滲み出てるのだちなみに常識とは 18までに身につけた偏見のコレクション であると言ったのはかのアインシュタイン 博士なのだA君の場合は自分の家庭環境 やらその他子供時代からの辛い経験に 照らしてごとちゃんに苦言を呈したのだ けれどでも世の中には学習により知識とし て身につけただけの常識で先発な理屈を 傲慢に振りかざす人もたまにいるのだこれ は特にリベラルやら佐傾向の人に賢者だけ けれどだからそんな人たちにはアルベルト アインシュタインの言葉を思い出して ほしいのだそうした宿敵後頭の他にもお 金持ちの家に生まれながら重徳な病を得て 苦悩するそんな肥満気味で気のいい同期の ライバルなんかが登場してきますまたどれ だけ小足で卑怯な団を使おうとも勝ちに こだわるようなちょっと爬虫類みたいに 抜け目ない目つきの騎士が出てきたりし ましてこの男は避難名た例の視線を感じる とプロは蹴落とした命の上に立っている お前だって自分の父を野菜も気落としてき たんだろうとかなんとかまたしても例は低 対値対空ミサイルの攻撃を受けるのでした さらに最後の南関として例の前に立ち はかったのは後に教えをこうことになる 島田騎士でして一見するとパットしない このただ防御だけがトリエの中年騎士は例 に勝利した後いにもハブ名人にしか見え ない将棋会の巨人までも打ち破り将棋と いうゲームのなんたるかその一面を体現し て見せるのでしたそんな感じでして悪人に はそこに至るまでの悪人なりのバック ストーリーがありそれは地味目のおじさん も同様でしてみたいな悪人正気的と言い ますか生来の悪人ヤグ丼などどこにもい ない的な解釈で映画の骨格が作られてます 普段ですと私はこうした生前説に基づいた 話というのはなんだか生ぬるくを燃えて 好きではないのですがでもこの3月の ライオン前編はうまく作ってあってとても 楽しむことができます荒探しはやめて たまには素直な生まれたての赤ん坊のよう な気持ちで映画を眺めるのも良いのでは ないかとそんなことを思ったり思わなかっ たりして終わっとこうと思いますそんな わけで後編も見てもらえると嬉しいです それじゃまたね

参考
・「3月のライオン(前編)」(2017年/東宝、アスミック・エース)
引用
・「実用ことわざ新辞典」(2017年/高橋書店)

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