2024.4.28 日曜法座

何万だ万だ万だ万だ万だ 万万万ダブ万ダブ万ダブ万ダブ万だ何万 ダブ万だ万ダブ万ダブ 万万ダブダブ 万証人の常の大世には身の五行しの癌を よくよくあれば人に信頼1人がためなり 蹴りさればそれほどの号を持ちける身にて ありけるを助けとおぼしめし立ちける本案 の片づけなさよとご回来しよ暇まずるに 全道の自身はこれ現に罪悪生じの文部皇后 よりこの方常に沈み常に露天して出の縁 あることなきとしれという金源に少しも わせをあしまさずされば片なく我が恩に きかて我神の罪悪の深きほども知らず如来 の五音の高きことも知らずして迷えを 思い知らせがためにて 来 蹴り と万ダブ難まだ難だ ダブダブだ なまななま なはい皆様おはようございますはいよう こそご産経くださいましたえ大本寺様の この条例のご講演そしてまた小月のご縁で えしばらくの間あ田様のご判断をさし いただくことでございますがえ先ほどご 案内いただきまして私あの広島から参り ましてでえご登山のご遠さんとか色々とお 世はなっておるんですがま行親教子という ところで学ばさせていただきましてね今で は広島のあの新種学良というところでまた ご縁をいただいておることでございますま しばらくの間あまあ様のおじ悲を味わい つつそしてえそのあ様の慈悲に導かれ ながら私たちはねいろんな別れやら悲しみ を背負ていかにはなりませんその人生を そのあ様のお実りを通しながらねアジアは させていただくご縁を頂戴しておるその ことをまゆっくりとアアさしていただく ことでございます これですねあのある先生がねこの研修会で こんなことをおっしゃっておられましてね このざっくりにですよざっくりにねあの 例えば平安時代の1勝分と江戸時代の1年 分で今日の1日分っていうのがね大体同じ ぐらいかなと言われとるものがあるちうん だそうですざっくりんですよ平安時代で 一生かけとったようなのが時代じゃあの1 年でで今日はそれ1日っておっしゃるそう なんですねでこれ何かって言うとあのこう 情報量なんだそうです聞いたりね見たり するような情報量まね平安時代かどうか 分かりませんがこう平屋の頃は一生かけて ねえこう見たり聞いたりしたようなのは 江戸時代ぐらいになると多少動きもねえ できるようになってえ村のとこに看板 みたいなのもできるようになったん でしょうかそれがね1年でやったのが今は 1日ぐらいではもうそれを超えるぐらいの 情報量がこう耳に入ったりこう目にしたり することができるあて今ね小さい子供 みんなこやって携帯電話でこやってやり ますからただねいっぱいいっぱい情報が やっぱ入るんだそうです ね大学の先生も大変だそうでしてねこう やって従業しよってもこうやって生徒さん 方が下で調べてね先生それこんな意味も ありますちゅうて逆に教えてもらうような こともあたりしてねなかなか大変と言い ますがただそれで今度これもこれ面は いっぱいあるわけですよいろんな情報が ありますからそれこそね え例えば今年の正月明けもですねノの方で 大変な震災があったじゃありませんかあれ をね言うたらすぐ離れとるたた広島の方で もねえ正月からそういう情報がニュース やらそれこそ携帯電話のねところへえ情報 流れますですからあこれじゃあ困っておら れるんならば少しでも支援ができんだろう かち言ってすぐ動けますからねそういう面 では非常にありがたいわけですがただね その先生がおっしゃるのに今度は逆に じゃあその情報が多すぎてね今度消化に ついていかんそうなんですよだから言葉と かももうありすぎますからねもうこう記号 化してね文章として言うよりもねこううざ とかだるとか言うてポンポンとね記号化し てこう行くようななところがあってでそう なっていくとまこうなんですよもう言葉と かもね次いから次に新しいのちょっと前な すぐフルなるそうなった時に1つのことを ゆっくりと味おていくというねそういう糸 が難しくなっとるのが本日なのかもしれ ませんねてこうおっしゃるわけなんですよ 1つのお言葉であったりね1つの出来事で あったり世辞に流されておりますとやね次 からあれもせにゃいけんこれもせにゃいけ んてね新聞も次から次にいろんなね記事が やっぱり出てきますでそれに追われよっ たらねやっぱバタバタするわけなんですが しかしね例えばあ信頼証人のお言葉であっ たり仏様の言葉であったりよ同じ言葉です よでもそれをねえそうかのうんちゅうてね ゆっくりと味をっていくや言うなれば 私たちはねデオたから別れていかにはなら んね身近な方との別れというものを やっぱり背負うて生きていくわけですが じゃあそのお方が残してくださった命の 足跡ってどんなもんだったかなとかね 終わり行かねばならん別れていかねばなら ん人生に一体何を味うていこうかなていう のはねポンポンと答えが出るようなもの じゃないですよいやむしろ自分も年重ねて いきますからねあん時はこう思うとった けれども亡くなって10年経った今とかね そういう時にあそうかのそうじゃの言うて ね味うていくような世界があるわけですよ 目新しいことというよりもそういうね ゆっくりとま味させていただくような世界 っていうのを大事にしていくのがねこの1 つのお実りのまお心でなかろうかなとこう 思いますんでねま今日はね非常にこう外も 気持ちのええ天気でございますしねえ なかなか温かなねゆっくりした時間であり ますからどうぞねごゆっくりとあの味って いただけたらと思うんですがねで今日ね 初めにちょっとご3大としてあげさせて いただきましたこのお言葉っていうのは これ信頼証人のお言葉なんですけどもただ ねこれをおっしゃっていかれたのはあの 遊坊という方で単2章というお書物の1説 なんです信頼証人のお弟子さんにま関東の 方の遊園というお弟子さんま まいいですがこ単に章ここういうを書くん です ねでこの異を嘆くってこうおっしゃいまし てね言なればあの信頼証人が事をなさった 後でおさんである遊坊も路面わずかに小僧 の耳身にかかかりてっておっしゃるように ねその朝つゆのような命が枯についとる ぐらいにねま晩年の状態になった時にパッ と周りを眺めたらね信男様こうは おっしゃってなかったんだけどなとかあ 信男さんはこのように言うとっちゃったん やけどちょっと解釈が違うなとかそういう なのがいっぱい出てきたわけですよで遊園 は信頼証人から直接聞いとりますからねあ じゃ信頼証人のおっしゃったお言葉をね やっぱりちょっとこう伝えていこうと思わ れて異なったことを嘆いて書いていかれた ののがきっかけの書物なんですですからね 泣く泣く筆を染めてこれを記す名付けて 単に章というべしてね泣きながら筆を取ら れたてこう言うんです よしかしねまきっかけはそうなんですが ただね私あのこもった時にご縁はねそう いう泣きながらちゅうところがあったんか もしれませんけどねただねこうやって筆を ねこ取っていきながらねあ信男様こいよっ ちゃったなあん時信様はこうやっていよっ ちゃったな言うてね耳の底にとるところ いさこれを知るそ言うて書かれたんです ですから信男様がおっしゃったお言葉をね 思い返しながらあそうやったそうやった あん時こうよっちゃったいやいやいっつも いっつも信男様ねこいうよっちゃった言う てねお言葉を思い出していかれたその営み はねありがたい時間であったんじゃ なかろうかなと思うんですよでそうやって ねってかたのがこのま単2章というご書物 なんですがで このお言葉のところにです ねこれ五条って言って最後の方なんです けどもあのまあ様の証人の常の大世にはて 言って信頼証人が常々常々話しておられ ましたということがあるんです常々常々 おっしゃっておられましたってことがあっ てでそれがね身の五行死の癌をもよくよく あれば人へに信一人がためなりけり言てね あ様のまごしというお考になられ た このまあ様のお心をねずっとこう語りじて おられたっていうんですよ様ねこお立ち くださってますけれども様っていうお方は あ様ですから仏様なんですけどねでその仏 様であるまあ様というお方どんなお方で あるか言うたらねこうま5校っていうのは 非常に長い時間の単位なんですがまお考え になられた主っていうのはま考えるちゅう ことですね思うちゅうことですけど長い間 長い間ね悩み考えられたんですうね色々 考えられたでそれはね要まいろんなお話の 中でまお取り次ぎしていのがこういうあ様 とか仏様のゆかりのお話なんですがま ちょっとねこうま昔の時代って言い ましょう かま今でもありますがこういうあ様のお話 みたいなものをねこちょっとこうなんと なく雰囲気をねこう出すようにこう節を つけながらねあ様のご苦労話っていうもの をこう慕っていかれたっていうのがあるん ですよこながありましてねあ様がねあ様に なられる前のね考えられとった時間をね こう思い返しましてねうんちゅうてねああ 懐かしやこれ主情よて主上ちのは我々の ことです何時は覚えがあるまがなあぶの この屋は神殿音のその昔法造菩薩であり しと何時が地獄でなく声が耳に響て肝を つき可愛い不憫の1年に胸ははさ思いして たまりかねたぞこれ主上たまりかねたぞ これ主上 よあなたの前との1大事一時も捨ておく ことならで世在王見元にて両手をついて 泣き沈み主情を救ってありたいがいかがと 相談もしたらその時師匠の大世には三途に 迷え悪主上三世諸物の慈悲に漏れすく 見込みのないやじゃやめてしまうが よかろうとせられ その時は悲しかったぞこれ主情悲しかった ぞこれ主上よとね我が身をかごってみりゃ 3諸物がね見見捨てなさるほど我が身は 愚かであったてでもそんな我が身であった からじゃあ法蔵菩薩様はどう思われたか それほど諸物が捨てたな どこどこまでもどこまでも是非に救わにゃ ならないと重ねて相談もしたらその時師匠 の大世には次第の海の 牛場ただの1人で組み干してそこの無常の 報酬をば手も濡らさずに取り上げる力が あればボブ助けらるるであろうぞと押せ られたその時は嬉しかったぞこれ主上 嬉しかったぞこれ 主上よと ねここに大きな海があるがのてその海の水 を一生マを持ってみんな組み干してみよっ て組み干して組み干して組み干して1番 深いところにある宝の玉をねね手を濡らさ ずに取り上げるそれほどのことをもし そなたがすることができればこのものを 救えるほけになるやもしれん途方もない道 じゃがやる覚悟はあるかと言われた時に ありますともありますともて例えこの身を 諸々の毒の中につけたとしても必ずや 成し遂げてこの我が主上を救う仏になって 見せますとり遊ばしたのがあのあ様ですよ いうことだったんですねねただポツンと ポツンちゅうことはないですけどね私と 離れてあ様がおられるっていう話じゃなく てあ様のお話を聞くということはあだ様と いう仏様が仏様になられたのは我が身を 眺めてあ様とおり遊ばしたんだ我が身を 離れないんですねでこれをね信男証人がま 常の大勢の中にね身のご周囲の癌を よくよくあれば人へに信頼一人がためなり 蹴りとしってでこの後ですねさればそれ ほどの豪を持ちける身にてあけるを助けと おぼしめし立ちける本願の片づけなさよで ここまでが信頼省にのお言葉なんですもう ちょっとね話させてもらいますがですから このあ様のご苦労をね我が身のところで でアジアさせていただく中 にそれほどの豪を持ちてるわがっていうん ですからあ様がねご校という長い間考えた 悩んだのはなんで悩んだか言うたら私を見 て悩んだんですあ皆さん方もあの何か悩ま れることありますうんてでもあの悩む時間 が長いちゅうのはね1つにはそれだけ大変 なも ことなんですよねうんどうしようかなうん どうしようかな今日の晩御飯何食べようか の言うてね1ヶ月悩むことない でしょ今晩食べに行きませんからねそう ですよしかし大事なお方がね例えば仕事に 行き詰まったり大きな病を背負たりした そういう時にはね1日や2日考えてポっ 答えやであせんいやむしろ考えても考えて もねえ考えが尽きんような そういうものがあるだからあ様が長いこと 考えられたいうのはねこれは1つにはま これ書き方色々あるんですけどね私の愚か さこれが知らされていきますとこれ遊坊 ちゅう方はね後からこの信頼書にのお言葉 をよう暗示たら我らこの場合は罪悪ちゅう んですが我らが身の罪悪の深き歩道をも 知らんそれを知らしてくださるんだてこう おっしゃるんですがだから1つに私の愚か さがでもう1つにはじゃ何か言ったらあ様 がねごく思間考えてあなたを救う仏になる ぞとおっしゃったんですからこれほどね 確かなおじ悲はないんですよこれおじ悲の 深さま救いの確か さこれを知らされていくということになる んですねでこの2つをね遊園棒は信頼証人 のお言葉の中からね色々とこう味をていか れてお述べくださったお言葉が今拝読を さしていただいたお言葉なん ですで今日はもうこの辺をねちょっと味わ させていただこうと思うんですがただね これ私の愚かさってこそこにはま罪悪って 出ますんでどっちかと言えばねこう罪深 いって出るんですよじゃあんまりね罪作っ とるような意識少ないかもしれませんがね でも本当はねこう腹立てたりえ でええように表て言うたつもりが案が人を 傷つけとったりね知らん知らんところに人 を傷つけとるんでしょうがまそれも1つ ありますけどねただねま愚かさとか色々 言った時にはもっと幅が広くて例えばです ね私らっていうのは あの本当のことていうのはねこう受け入れ ていくだけの力を持ち合わせとらんちゅう ところがねね悟りっていうのは本当のこと 例えば心理を真理とそのまんますっと 受け止めていけるような身になっていくっ ていうのが悟りを開くっちゅうことだ 例えば諸行無常ちゅう言葉があるでしょ あの形あるものは必ずままほんでちゅうか 変わっていかにゃならん常ではない形作ら れたものは必ず移り変わっていく ねそうです身近な方もなくしていかには なりませんし我々もねずっとこう降りたい と思っても年重ねてかにはなりませんしこ 世の常じゃありませんかでこれは別に否定 することはないただじゃあその諸行を無情 という言葉を私らは受け止めながらねそれ それそれそれちゅうてね生きていけるか 言うたらそうもいかんものを抱えておる これがま迷いであったり愚かさであったり するんですよえんですよそれはそれでええ んですよしかしそれがAはAで立ちません でやっぱりのって言いながらねえ涙して いかにはならんようなものをいっぱい抱え ていくっていうの友人にもま私と同年代な んですでま遠いですからねしち合うことは ないんですけどもそこは大谷八てお東さん のねお寺なんですけどもねあのまお寺の今 ごさんしておられるんですがあの福祉施設 をね併設してあの特別用語老人ホムのよう なねことをしておられるんですこれは お父さんがおじいさんの台ぐらいにね開か れたんですがただねそのまご要望もあった んでしょうそれ作るちってなった時にそこ は結構福祉に関してもわりかし思いの深い 地域であるそうなんですけどもねそしたら 建物建てるでしょどこに立てようかって 言った時にそこがちょっとした温泉街なん ですよで温泉街のねど真ん中に立てられ た結構反対があったそうですよやっぱりね いやいや温泉街中のあのあのホテルとかに 宿屋とか人が集まるような娯楽施設そんな を作りゃええのにね土地はいっぱいあるん やから予想立ててつってね声あったそうな んですがそのまお父さんかおじいさんはね いや違うって生きていくっちゅうのはね 小浪拍子生まれてきて年を重ね病を背負い 命を終えていくその全てで生きるっちゅう ことやからやから逆にこの施設はここへ 作らみたいなであの陸前高田市のあの末 それをですねその私の友人があのま研修会 の講師もいっぱいされるでいろんな ボランティアや支援もいっぱいする方なん ですよでそ行ったそうでしてねま散歩でも しる感じで朝パッと行った今日みたいにね 雲1つないようなねえ気持ちのえい天気で そしたら朝日がねわーっとこうねその末を 照らしてねで朝のの着いたその街が キラキラ輝くようにおお綺麗なの思ってね まず写真撮ったちゅうんですよでこの非常 にねこうやって見ても綺麗に取れてそし たらその数日後に研修会のね講習せには なんでこう資料を作られるでその資料の 表紙にねカでその写真を載せたそうなん ですでそれで配ってねで皆さんあの資料 行き渡ってますて言ったらはいあのあの 表紙の写真の末どこの末か分かりますか 言ったらね皆さん分かりますよあそこの末 じゃのてそうそうこないだですね行ってえ あんまりにも綺麗だったもんで写真撮っ たらうまく写真に移りましてねで皆さんに もご紹介しよう思うてねちょっと資料のね 表紙に入れたんですよ言ったらねま皆さん もねこうやってみておよ取れとるの言うて ねま喜ばれたそうなん ですでその研修会が終わった後島にね戻ら れた時にある1人の男性の方70代ぐらい とおっしゃってましたけどねあてお尋ねに 来られたそうなんですよそしてね先生今日 はまありがとうございましたと書いて いやいやお世話になりました あの今日のあの資料のあのマですなてあの 写真ちゅてね綺麗に映っとったあれ最初に 褒めてもらえるんか思っとったらねその 男性の方がねあの写真ですな2度と私には 見してくださらんなつってね怒られたそう なんですよわしのあの松が賑やかあの公園 が賑やかだった時をよう知っとるあ7万本 ぐらい末のあったね国立公園なわけですよ あれが一瞬でみな投げ倒すれて1本だけ 残っとるあの末世間はね希望の末言うて くれるんかしれそうなんか試練がのわし からすりゃあの1本立っとる末を見るとの 寂寂してかわいそうでかわいそうでならん のじゃだきわしはあの松を見るんが辛いだ からあのその写真はわしには見してくれん なの言ってね言われたそうなんですよ ね考えてみたらそうですよ研修会の時にね 見られてこやってあ綺麗だなって おっしゃって確かに綺麗だったんですよ しかし心の中ではねその写真見ながら涙し ておられる方々もたくさんられたわけです いやいつ何時何が起こるか分からん世の中 を生きとんですよ次の瞬間何が出てくるか 分からん諸行無常の通りじゃありませんか しかし我が身の上に愛すべきものの上に それが訪れた時にはねどうやっても 受け止めていくことのできんものを抱え とる愚かちゃ愚かかもしれませんが安田様 が見られた我が姿ってのはねそのような 我が姿を 味そわしてくださったわけですよ映画Aで いかんでどなたもねそういった思いを いっぱい抱えておられるんじゃないですか あのうちのねごモドさんでもここねやっぱ おられましてよくねこう例えば色々言う じゃないですか最後ここういうような最後 がええとか皆さん方も大体あの最後のご 予定をお立てになられましたあの声なんが ええなとかねだ要はあのま元気でね名行き さしてもらうんはええとかちょっと前まで あのppkがええとかって聞いたことあり ますピンピンコリがええちゅてピンピン コリも最近あんまり言わんようになりまし てねあんまりコリすぎるとねこの喪失感が 強いからあの糸ないの2週間ぐらいわらう んがええとかねあん勝手を言いますけどね でおいじゃあねおいじゃあねて先行って 待っとくよか言ってねこれがええってこう 色々言うそうですがしかしねやっぱでも 実際ね座って亡くなられるような方もおら れるじゃありませんかおおすごいのつって ねだうちの五問さんでもやっぱりねいく人 かおられましたでねもうこ結構以前なん ですけどもそのご主人さんをま85歳で 亡くされましてねで85歳がま平均寿命 ちゅかどうか分かりませんけどもねで長い ももちろん亡くなられる前はそれなりに山 王手入隊員されたそうですが結構元気だっ たんですよでま場なさいましてねまある ピンピンコロリじゃありませんがあそう いう元気でね名切られたでお亡くなりに なられて3年目の小月っていうのにねお 参りさせてもろたんです3年目っていうの は1年目が1周期ですね翌年がもう3階期 に大体なります仏教数えですからね1周期 は万1年で次は万2年で3階機を務める ここまでは結構ねご奉じという感じから すりは四十君があって1周期があって3回 ま結く忙しかったりするんですが3年目 っていうのはね基本的にはご報じっていう のはま当たらなかったりするんですが やっぱり小月ってのはね何月何日で年に1 回のご縁ですからやっぱりね季節があん時 暑かったのとかねあん時はよ雪が降ったか の言うてねやっぱ思いかえさしてくださる ようなところがあってねありがたいご縁の 日ですよでそれにねお参りさせていただい たんですそうしますとねこうお参りさせて いただきますとねま平日であったしご報じ じゃありませんからおつり合い のまおばあちゃんお1人でありましてねで まお勤めが終わった後お茶呼ばれよったん です よでだいぶ抜くなってきましたねまそんな 本当天気のような話をしよったんですそし たらねその連れの方が ねポロっと ね涙流されるんですよ本当になんか抜く なってきましたねとかそんな話だったん ですよ私ポロっとね涙流されますから私は ねなんか話の合間になんかこうね失礼な ことでも言うたかなと思ってあ私なんか 言いましたかねちったらなないないお寺 さんがなんか言うたわけじゃないですよ寺 さんがねて今日はねうちの主人の3年目の 小月でありましてね言ってこおしゃるあ そうですよね私も忘れとったわけじゃない ですけどね第1でお茶呼ばれてぬくなって きましたねてそんな話であったもんです からあそうでしたねそうでしたねって 改めて思い返してで黙って聞いとりますと ねおばあちゃんが何もねなくことはないん ですよ何もなっことちゅってうちの主人も ね元気でナを生きさしてもらいましたし皆 さんがおっしゃるようにねうちの主人も おかげさんでねて何も泣くことはないん ですよ何も泣くことちゅうってねおそらく 周りからも言われたんでしょうね あんたんとこ言うたってよかったじゃない のとかねあそこんとか長わいして大変やっ たけどあんた会所のあるご主人でねさほど 手もかけんでからね名生きてくれてよかっ たじゃないのってね多分周りからも言われ たんじゃ思うんですよだからね皆さんが おっしゃってくださいますようにね何も なくことはないんですよ何もなっこと言っ て ねしばらくそうやって話をされた後ね最後 にポロっと 一言でもねお寺さんで名を生きりゃ名を 生きた分だけ思い出もたくさんありまして ねてやっぱり悲しいもんですよ言ってね またこって涙を拭っておられたですよ ね別れていかにはならん人生分かっとる はずですでどんな最後がええか言うたら やっぱりね元気であるのありがたいですよ 名を一緒に折れるのも尊いことかもしれ ませんじゃあAばっかりで送っていかれる か言うたらそうもいかんものを抱えていく のが我々じゃありませんか別れに涙して いかにはならんのですよしかも縁伴えばね どんな別れを遂げにはならんかいつその 別れが来てしまうかわからんその時には うえるし涙せずにはおられんわけです人 からねいやあんたね良かったじゃないの つって慰められてありがたいです確かにね おかげさんでって思うんかもしれんしかし ね逆に人にそうやって言われるゃ言われる ほどねあんたに私の悲しみは分からんよ 言うて孤独になっていかにゃならんそんな ものも抱えておるんですよでもそういう 我が身が実は仏様が見抜いてくださった 我が身であったちゅうことなんですそれを なくせとかね立派になれという話はここに はないんですよあ様が見てくださった我が 身はそんな思いをみんな抱えておるそれが 我々ででありあなたであり私でありますね 言うてねま言うなればそのどなた も涙を背負うておるような人生でありまし たねそこを確認していくようなねそんなお 言葉だったんですねでままそういうじゃあ 見てくださった愚かさっていうのは実は そういうボブであるがゆえ上あるが故のね 悲しみっていうものがあるんかもしれん じゃ仏様はどうおり遊ばしたか言うたら これを泣くせっていうお方じゃのてむしろ その悲しみのど真ん中にね届いてくださる お方であるっていうのがあだ様というお方 のお働きなんですだからあ様に出会うって いうのはねなんか立派になって心持ちが すっと落ち着いてそりそれでありがたいか もしれませんがむしろあつまらんのって なかなかのシャンとせんのってそんな私だ から届いてくださるそんな私だからおなり くださったのがあ様というお方だだたん ですねですから安田様のお話をねお聞かせ ていたくっていうのはそういうお話を 聞かさせてで今日ねちょっと1個だけ ちょっとご紹介ちゅうあれじゃないんです けど あの私あの広島なんですけどもねあのま 広島じゃこの方あの山口の方ななんですが ダゴというねあのお坊さんちうかご円さん がおられ てこの方があの歌をねね歌ちゅう かで江戸時代末期頃ですで山口県の長ト っていうね温泉街のとこなんですがあの 非常にねこうお念仏をよう申すまご演芸 さんだったそうですよありがたい方でして ねで今でもこう共戦寺さやったかな山口県 のねこのダゴ和城五王城の地みたいな形で ね今こうお伺いに行ったらご案内して くださるようにねご紹介してますよ かねでそのただ大根さん方どんなお方とね よ念仏される方だったそうです何万だ何々 だ何万だ何万だ言ってね幼年物を申される 方だったそうでしてねそしたらねこの溶連 物をこう申すのも江戸時代ですからねこう やって村を歩きながらね何万だ何万だ何万 ダブ何々 だそしたらねこ例えば家の中で 喧嘩があったりしますと江戸時代ですから 指しとかないですからね喧嘩の声が外 漏れるんですよそしたらね何万だ万だ何万 だ何万だブて喧嘩してる家の前で 立ち止まってね万だブ何万だ言ってね 大きな声でお念仏をされるような方やった 何でもそうです例えばあの動いとるものが 止まると気になるじゃないですかな救急者 がピーポーピーポーピって止まったらあら あそこ止まったけどあそこのごそういや具 が悪かったとかねだからねあらご遠さん 止まったぞってあらあそこの家の前お あそこはよ喧嘩するけの言ってね近所で妙 な評判噂が流れるからで家の人もね喧嘩 しよってもね何万だ何万だ聞こえたらあれ 何マダブが止まったどみたいな感じになっ てだからご遠さん止まってしもうたね近所 に人に何言われるかって出て言って ください行ってください行ってください 言ってだったらね こ仲良しやとか言て で何万だ何万だってね歩かれるような方 だったそうなんですよただねあまりにも こうよお念物を申す常念物の業者であって ですね実はあの江戸時代のこう中期から 末期頃っていうのはサゴワラというね ちょっと周囲安心上のこう揉め事のあった ような時なのでね何万ダブ何万だブつとね あまりにも大きな声でたくさんたくさん 言うからこれは ねいっぱい唱えてで立派なで仏様にま救う てもらおうとかねえそう思うとんじゃ なかろうかちょっとこう信頼証人の抑えと 違うんじゃなかろうかとかまいろんな ちょっと噂が流れたもんでちょっと確かめ にはいけその確かめの任を受けたのがあの 九州日護の国のねま原口神水という和女 さんだったでこの方有名な方なんですただ まだお若い時京都におられてえ大さんそう いうことですからねちょっと京都まで来て くださいでもうご高齢でですからいかれん おいじゃって言うんでねこの本書きます 言ってねまちょっとしっかりした論文の ようなもの書かれたそうなんですがその後 にねこの七言でこのお言葉監視をね述べ られたちゅうんですよでそれがねどんなの かっていうとちょっとご紹介をさせて いただきますけどね大獄 の 仏頭放射の 小心有 や言 や ただ名を 唱う喜ぶに耐えたり 我 とえ我聞く と言えどもこれは これ 大悲召喚の 声 なりというねこういうね鑑賞読まれたって いうんですあの猛々の仏頭放射の女小心友 やただ名を唱う喜ぶに絶えたり我とえ我 聞くと言えどもこれはこれ大悲召喚の声 なりねあのまこれねいろんな形でちょっと 伝わってて若干ちょこちょことこう言葉の 順番であったり使っとる感じが違って 伝わっとるのも色々あるんですけどま およそこういう形なんですねで猛獄のって いうのはね広大なちゅうことです広大 なあ様の この物安田様のご音に放射する思いね もったいないことですってありがたいこと ですと広大なあ様のご音にご放射する思い から爽やかな朝もこの人地のお人情の人で 朝ちゅうことです爽やかな朝も静かな夜も ただ名を唱えてますま実際そうだったわけ です何万だ何万だてねも四時中お念仏を 申す方だったんですよしかそれはあ安田様 のねご音にありがとうございますとご放射 する思いからのお念仏でありますと おっしゃるそしてねその 後我とえ我聞くと言えどもちな難万打仏と 自分が唱えてねで難万打物と唱えた難万 打物を自分が聞いとるわけですよで唱えて 何万打物と聞いておるでもこの聞いておる お念物っていうのは私が唱えたということ よりもあ様の呼び声として聞いていくです から我唱え我聞くと言えどもこれはこれ 大日ってのはあ様の大日お心が召喚ねま 招き呼ぶちゅうことですけどもここに仏が おるぞてあなたを離れん仏がもうあなたの とろに届いとるぞとあ様が呼んでくださっ とるあ様の呼び声であったって唱えておる お念仏はこれを唱えてね近づこうとか唱え て立派になろうとかたくさん唱えてとか いう話じゃのうて一声一声唱えさして いただいておるまんまが苦悩の人生の中に 届いてくださってここに仏がおるぞここに 親がおるぞと読んでくださっとるあ様の 及び声であったと喜んで読まれた歌がこれ だったんですねただねこれをね見られた時 に原口和城も痛く喜ばれましてねあなんと 英語縁でこ大金和城のご暗人がおかしい なんちゅうことはみもな逆にえご縁 いただいた言ってお喜びになられ で原口和女も落とされた時記事のね77歳 ですかお祝いを受ける時にお返しにね歌を 読まれて皆さんに配られたって言うんです よでその歌が結構有名でこれが我とえ我 聞くなれどなあだ連れて行くぞの親の 呼び声とこう読んでいかれたわけなんです ねあ様のおじひってのはねまもちろん苦に 沈んでずっと落ちでいくのは辛いことです からどこかでやっぱり顔が上げれていけ るっていうのはねありがたいことであり ますけどもしかしね顔をあげて笑顔を こらえたとしてもここにある悲しみちな ゼロにはなりませんよでもそういうものを 抱えておる我が身を目当てにしてくださっ てナマンダブナダと届いてくださっとるの があ様という仏様であったならばあ様と いう仏様は立派になって出会うということ よりもむしろ愚かで悲しいこの思いのど 真ん中にねあそうかそうかとね出会わさせ ていただくのがこれあ様という仏様であっ たんですねこういう世界観なんですよあの これ 例えばこう色々あるのかもしれませんが あのこう物を見るとかねそういうような ものもですねこれ色々とこうあるんだと 思うんですけど 例えばですね あの皆さんま去年の夏も暑くて今年も多分 暑いでしょうけどこう窓のところにすだれ やらよしずやらかけたりされますね私結構 あれ好きなんですよあのすだれちゅうのは この細い竹のようなのね紐でこう結んどっ て窓のところにすっとかけてこう熱い 日差しを遮ったりするもんですがあの すだれちゅうのはねあなかなか面白いん ですよすだれをかけて部屋の中に自分が 折ってでその部屋の中から外を見ようとし た時にあのどうやったら外がよう見えると 思い ますそれはすれのここ隙間から覗きゃいい よちょっとて言いますけど覗いてしもう たら目の前にすれがないのと同じですから ねあれ反則ですあの覗くんじゃのって座れ がこうかかった状態であれ外を見ようと 思うたらどうするか言ったらねこれね物を 見るって言った時に二通りあるんかもしれ ません1つにはね例えば暗くて見えん でしょで暗くて見えん時にはどうするか言 たらこっちに懐中電灯を持ってねでこっち から明りを持って向こう照らすんですじゃ こっちが明りがあって向こう照らすとあ これかこれかこれかちゅってねこっちに 明りを持ってそして相手を照らして物を 見る見方が1個あるわけですがただねすれ があってこれやるとね見えんのですほです よすだれの中から外懐中電灯で照らしたら ねすればかりが映ってね向こう側は見えん のですようんあれすれがあった時にはね どうやるか言ったらあれ部屋の電気消すん です当たり前ちゃ当たり前ですこっちを 苦労したら外の光が中に飛び込んできて くれて外が見えるというそういうのを利用 しとるのがすだれちゅうもんなんですね あれ夜の窓もそうでしょ部屋が明るかっ たら自分ばっかり映ってねちょっと見えん ですけどむしろこっちを真っ暗にして突き あかりで外の方が明るくなった時に外の光 が中へ届いてくれて見えるちゅんですよ これね物を見るって時にはこっちに明りを 灯して見るパターンとむしろこっちを暗く することによって光が届いてその世界を 見せてくださるというねそういう見え方が あるんだっていうんですね実あの本年証人 という方があの残していかれたご法語って いうのはたくさんあるんですけどもこう いうことをねおっしゃった言葉があるん ですこれは前消防という方がねおられまし て東民ですから静岡県のお弟子さんで京都 の本年書人の元で学んだ後故郷の静帰るん ですけどねそん時にねイにせよちゅうて あのイちうのはお土産ですそのお土産を 持たせたちゅうんです 皆さんでしたらお土産やったら何ですかね 東京はいっぱいあるでしょうが広島やっ たらねまもみじまじぐらいですがまぐらし なことはないいあります色々ありますがで もそのお土産をねじゃあ京都やから八橋 書いたらそうじゃのて保護を待たせた ちゅうんですねお言葉でこれが小道門の 修行は知恵を極めて商事を離れ上土門の 修行は愚痴に帰りてごに生まるっていうね そんなお言葉だったんですつまり仏道に一 小動門上道問ま2つ分けたとして1個はね 知恵を極めるですからこっちが明りを持つ んですよ悟りの血を得るんですですから 所業無上そうそうそうてって全部それを 受け止めていけるような境地になって自ら が物事を見ていくこういう道もある でしょうしかし我々お念仏の道はねて愚痴 に帰りて極楽に埋まる愚痴愚かな我が身に 立ち回らさせてもらうんだよてあ様のおじ 日の中受け止めきるような思いもなかなか 持ち合わせんていろんな思いよねああでも ないのこうでもないの言って思い返すよう な愚かな我が身に立ち返っていくんだよ てでもじゃあその立ち返って愚かなだけ 書いたらそうじゃのてその暗闇に届いて くださるおじ悲があるから届いくださる命 があるからそれに出よていくんですよて 届いてくださるまそこは愚かな我が身に 立ち返って届いてくださるあ様にお任せを して上土へ参るちう話なんですがでもそこ に見えてく世界ってのはね届いてくださる その悲しみの中に届いてくださるお働きに 出を てく私たちがね こう身近なお方を忍びつつご縁に合わせて いただくのがねこういう仏縁でもあったり します別れていかねばならんその人生そこ にありますけれどもでもその別れていかね ばならん人生に何を味わいながら生きて いくかちゅうのは我々残ったもののねえま なすべきことかもしれません死んでしまい ではらんようになったのという答えも1つ かもしれませんがでもね残ってくださった 命の足跡はあるんですから死んでいなくな るっていう言葉だけじゃなかなか肩がつき ませんよでも思い返し涙が出たりもします じゃその涙をなくすようにまた手を合わし ていきますか言ったらそうじゃないって手 を合わしゃ思い出しゃやっぱり涙が出てき ますってでもその言うなれば涙の中に 悲しみの中に届いてくださるあ様いて くださるとするならばその悲しみの中に またね味わさしてもらいましょうって 悲しみの中に届いてくださる世界があると するならばその悲しみを通してねまた泣き 方が残してくださった命の足跡を伺わさし てもらいましょうそういうこうお味わいの 世界観かなとも思うんですね あのこれはま明けガラスはやというね方が おっしゃったお言葉だとも言うんですがこ 色々とねすごい有名なお方でいろんなお 言葉を残してくださってますけどね個こ いうなんがあるんですよまここってねあの 10億の人に10億の母あれド産んで くださったご音を思うとね比べようのない ものがあるわけですよね我が身にとっちゃ 我が身にとっちゃお人方お人方に掛け替え のない存在ねでこ待ってですこれも ちょっとお母さんと出るんですがまどなた をねそこに当てごてもええんでしょうけど これ私好きでね あの母さんと呼んで涙する 涙したくて母さんと呼ぶとねこれなかなか あの眼中のあるお言葉やなと思ってね結構 好きなんですがまからお母さんに限った ことじゃありませんよね大事なお方をそこ に当てつつ忍ばさしていただくんでしょう があの母さんと呼んで涙するってうのはね 亡くなられたんでしょうで母さんと呼んで ね涙が出るんですよやっぱりじゃ呼んで涙 が出るんならねもう呼ばんとことかかねも 呼んで涙が出てしまうんならもう呼ばんで 忘れていこでそれも辛いわけですよでも その後の区がね母さんと呼んで涙するん ですが涙したくて母さんと呼ぶっちゅうん だね悲しみの涙に違いはありませんよ 悲しみの涙に違いはありませんが母さんと 呼んでおるその呼び声自分からすりゃ 悲しみの言葉かもしれませんけどもしかし その言葉の中に母さんが残してくれたご音 であったり命の足跡であったりそれをね胸 の中に味うていかれとるんでしょうねそれ に出会いたくてそれを味わいたくて呼涙が 出るけれどもでもよう考えりゃ泣かねば ならんほど大事なお方であったちゅう証拠 でもあるならば寂しさつきんけれどもね その寂しさの中にまた大事に残って くださった命の足跡を浮かていこうちゅう のがね今のお言葉でなかろうかなとこう 思うんですね あのいろんなこう仏事のねご縁があります があの先ほど申しましたがうちも広島の 最善寺寺でね色々とご縁をこういだいたり もしますただもう数年前なんですけどもね コロナになる前なんですが1回ねあのうの まごモントさんで85歳で後場なさいまし たね男性の方がおられてでこの方はねねま ようま動く方でこう結構小柄なんですけど もね非常にねお寺のこうち山ですからね峠 って字がつきますからね本土の裏側にのり 面ちゅてこう山抱えとるんですよでそこの ねま草刈り私も知しますがもう東大さんと かでねこしてくださる8時からね大体夏場 ですからちょっとね8時からやりましょう て言ってね予定建てるんですけどねはその 方はねは6時半ぐらいからねビーンってね 後ろで草刈りをされるぐらいねもうよう 動かれる方なんですよでねでまそういう形 であったんですがまよ今度動かれすぎまし てねあのまちょっとタベシーズンでまう 植えた後水を見るっちゅうんでねえ見に 行かれたんですけど年もも85であって ちょっとこうねえ事故に合われて亡くなら れるようなそんな姿だったんですがま びっくりでね悲してでただねその方はあの この本土でねお葬儀してくれちゅうてねこ よ言うてくださっとったんだじのってらの ご縁もあるしのってわしの葬式はあのこの 本道でしてくれの本道でちゅってねこしっ てはいはいってね聞いとりましたで実際ご 場になった後もお家の方にもねそれを伝え ておられたのでだから寺さんってあの本道 でさしてもらうことはできますかからおも ぜひぜひぜひてねでこうおをねま並の証言 じゃありますがでご板横にご安置をさして もろうてでもう1回ここへねあの毎食的に ちょっとおロソとお花とかを立ててでお 写真とかもねこうやってで通夜葬儀をね 勤めさせていただいたんですでまおつや言 てもねうらの方は一応亡くなったら仮装に 行く前にねつや葬儀が勤めれ るっていうのがまだ広島の現状です色々と ね現状によってえ様々あられようと思い ますがですからご遺体をご安置をした状態 でお通夜のご縁を務めていくんですけどね そうしますとねお通夜のお勤めっていうの は大体ま40分かそこらありゃ終わります だ皆さんね地元ですからよお参りくださっ てましたけども散々変られていきますとご 家族の方がねお寺さんこれはあのお寺に 泊まることちゅうのはできますかって聞い てこられてね本人おられますからねであ そりゃええですよええですよで畳のね本土 であるのでで布団もねまちょっとですけど も何組かありますのでどうぞあのお泊まり になられてくださいで泊まられたのはね あのお連れ合いの方は85のご主人のお 連れ合いでそ年変わりませんからね やっぱりもう疲れきってますからお寺に 泊まって明のお葬儀ちゅうのはもう ちょっとしんどいので変えられてで長男 さんもまだ明日の用意があるということで まちょっと戻りになってそしたら娘さんと お連れ合いのか方とでお子さん2人まお子 さん2人言うてももう2030のねお年 ですが女性の方もよったりでね泊まられた んですよそれでねこうお茶とか用意してね 私はねもうこの本土入りませんからです からあはねちょっと火の元だけ気をつけて もろうてねゆっくりしてくださいてでなん かあったらお寺に電話してくださいて私も 休んでますからね廊下ですいませんちって 叫ばれても聞こえんのでなんかなんかあっ たら電話してください言ってねその場を 失礼しましてねま電話がなることもあり ませんでえ翌朝6時半頃でしょうかま そろそろええかなと思ってねすいません 言うて本土訪ねたんですよそうしますとね もう布団も畳んで一旦お戻りになっとられ ましたそしたらねここへこう飾っとる台が あるでしょそこへねお通夜の時にはなかっ たものがあるんですよこれぐらいのねあの 700またあの5号便ぐらいの日本酒が 備えてあってねでそこのご主人さんはあの 日本酒をねま作ったり売ったりする成りを ね若い時にしておられたもんですから飲ま れるのもねもちろんそれなりに飲まりゃし ますがねこの思い入れがやっぱあるわけ ですよで日本酒が備えてあるなと思ってね よう見りゃね日本酒のそばにねおチョコが 2個備えてありましておちもあるなよ見れ はね風が空いて飲んだ形跡がありまして あみなられたんかと思いながらでまねその ままやっぱ先に片付けるのも失礼だと思っ て置いときますともうどんどんどんどんね おりくださいましたあのおつり合いの方と かね長男さんとかそしたらお泊まり くださったその娘さんとおつり合いのね 男性の方来られてねあの昨日はゆっくりお 休みになられましたって言ってきたらあ おかげさんでの寺さんえお通をさして もらいまし たこれあれですねて今週備えられたんです ねて言ったらねおすいませんすいません 片付けにはいけんと思っとったですがつい ゆっかり片付けます言ってねいやいやいや したらその後ポロっとね寺さん本当にね おかげで昨日はAを通夜をさしてもらい ましたってでこの後なんか久しぶりにね父 と長話をさしてもらいましたこんな方さ れるんですよあええ言葉じゃなと思いまし てね あの長話っても向こう話はしませんよでも おそらくねこやってねやり ながらお父さんてなんであん時ね田んぼの 水見に行ったんですかとか手伝に帰り言わ れりゃまそうは言うても仕事で帰らりゃし ませんがお父さんこんなことなら正月 忙しい言うて帰らんので脳で帰りゃよかっ たとかでもお父さん何年前でしたかね ああ一緒に飲まさしてもろった時にお互い ひっくり返るぐらい飲みましたがありゃ 楽しかったお父さんお父さん言うてねお このお父さんの名を呼びながらねお通夜の ご縁哀れておられたんでなかろうかなと 思います声を出し涙が出ますしかし お父さんと呼ぶ我が心持ちは悲しみ いっぱいの中での呼ぶ声かもしれませんが 聞こえてくださるそのお言葉であったり 届いてくださるそのお働きであったりは 悲しみのど真ん中にそれほど大事なお方で あったてあんなこともありましたねこんな こともありましたね言うて残してくださっ た命の足跡を悲しみの心の中にそうじゃっ たそうじゃったてあんなこともあった こんなこともあったえ出会いさしてもろう た言うてお味わいをさせていただくのがね この仏事のお心でなかろうかと思います 信頼証人がが表してくださいましたこのお 実りっていうのはね愚かなボブのところに 届いてくださるあ様そのあ様を味うてその あ様に導かれゆく人生であったその教えに なぞらえて親し方を慕わさせていただいた 時にはね悲しみがなくならだからこそね 届いてくださるおじひをまた味わえるそう かそうかえてねそれねパンパンと行きゃし ませんよゆゆっくりゆっっくりね味させて いただくそれがまた大切なんであり ましょう今日はねこうしてご法演の中でお 参りくださいまして人方お一方の思いに いろんなねお方のおかを忍びつつご縁に 遭われてくださっておることであろうと 思いますがそういうお実りの中に味わさせ ていただくご縁を大切にまた一流のご関係 の向きは新人のもって本当セリそろそのは もろもろの増強を投げ捨てて一心にみに 奇妙すれば不思議の眼力として仏の方より 王城情せしめたをそのくを1年勃起入症状 支とも借しその上の照明ねぶった如来和が 王城を定めたいし ご法人の念仏と 心べき なりあかしこあ かしこナマダブナマだナマダブナマだダブ ダ ダダブダブダ 南だだ kom

ご法話のご講師は、広島県米田順昭師です。

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