【三国志】「諸葛亮」と「劉備」の関係性について解説【ゆっくり歴史解説】
どもども試験に出る三国士のお時間だぜ 今日もよろしくね三国士といえば処活量 そして遊日この2人を真っ先に 思い浮かべる人も多いだろうぜ水量の 交わりの故事にもあるように主人公た遊日 とそれを支えた天才軍の処活量は歴史上で も特に明日としてい2人かもなだがそれは あくまでイメージだ数々の国士作品では 確かに最強タッグとして描かれている2人 だがでは書での記載はどうなのかと言うと これがちょっと面白いぜいくら処活量と いえどいくら有といえど結局は人間なわけ だ互いが互いに思うところはあったといっ た背景も見えてくるんだ君と力を持つ進化 ココン東西この構図になった2人は大体 最終的に歪み合う運命にあるわけでこの 2人も例外ではないとまあ師匠を見ていく 上でそういった見方もできるよねまとな そんな感じのざっくりとした話を今回はし ていこうかなと思ってるぜだから今回は 解説というよりは考察というか個人的な 考えを元に話す部分も多いと思うので コメントでの補足をお待ちしてます コメントの有識者先生たちのおかげでこの チャンネルは存続できてますなぜかいつも 解説動画投稿してるのに教えてもらって いる気分というわけで今回は4つの項目に 分けて夕と公明の関係に関する解説をして いこうと思うぜいつもの通り個人的な考察 やら視点も含むのでその辺りについてはご 了承いただけると幸いだぜ動画の最後にお さいテストもやっているからコメントなど で回答していってくれると嬉しいわという わけで張り切って解説へレッツラ [音楽] ゴーそれじゃあまず始めに夕日と処活量は そもそもどういった経歴を持ちどのような 関係性にあったのかという概要を見て いこうまずは夕日彼はこれといった基盤を 特に持たなかったがランセを見事に 引き抜いた人物で強腕かつて誰の血であっ たとされるぜ五間末期の後金の乱から 始まった戦国乱世の時代夕日はそんな混乱 に生じて成り上がった乱世に生まれるべく して生まれた人物だまた自身が合流なレド 間王朝の血闘を引くことを自称しており 滅び行く間王朝を最高させることを勢力 方針に定めていたぞランセだからこそ名を なせたまさに時代のカリスマねしかも間質 の血闘を継いでいると高らかに宣言できた のも有の強みかもねそして処活量彼は女手 牢屋軍の出身であり牢屋処しと称される 名門の家柄であったぜだがラセの中で護者 である父や叔父が倒 処活量は幼いながらも軽へそしてこの軽で しきという受学者から学問を教わり後に がゆと称されるほどになったんだそんな中 戦乱の中で九州へと流れ着いたのが有備 軍団であったぜこの時の遊日は軍隊という よりもルロの傭兵部隊の幼に過ぎず有名人 ではあるものの寄ってた地を持てない 小さな存在だったぞその傭兵隊長に飛躍の 時を与えたのが処活量であったわけだ3個 の例で持って竜尾は処活量を迎え処活量は 有尾に天下への道を示す大戦略天下3分の 系を提示これが2人の出会いだったわね その後処活量は有備の軍として数々の戦い を勝利に導きながら有尾と共に監視最高の 道を突き進んでいったってイメージが強い が実際のところ処活量は有備政権の筆頭 官僚ではあったものの軍事の色権や決定権 は特になく戦役は有がほぼ全て主導して いるぜ処活量の主な仕事としては有尾不在 時の本拠地の留守薬であり後方支援や外交 人材当用や内政の総括などなどを担当して いたぞいそして軽Myから駅周へと半島を 拡大し処活量の提示した大戦略の基盤は 完成有と所轄量のすさはここにあると言っ てもいいな派安く行う博しルローの傭兵 隊長と無職の若の夢物語がついに天下を 巻き込み実現した確かにこのストーリーは 劇的よねしかし運命のいずにより夕と所轄 量による天下への道はここで頓挫して しまう同盟相手である孫権の裏切りによっ て軽種を失い有尾はそれを奪い返すとする も冷静さを書いてしまい大敗をきした そして遊は質の中で倒れ工字を処活量に 託すことになったぜ処活量が戦場でも活躍 するようになるは指が倒れた後のことで 間質最高の悲願のために所轄量は滅亡寸前 の食感を見事に立て直し技王朝討伐のため の北伐を何度も観光することになるぜその 回数は井戸にも渡ったのだが所轄量もまた 悲願をなせないまま倒れたんだ監視最高の ためってのもあるけどそれ以上に有尾の ためにっていう思いを処活量は水の票の中 で切切と語っていたのよね確かにそうだな 北伐を行う前の処活量による決意表明文と して有名な水子の票の中には夕日との 出会いや経緯が語られており熱い溢れる 決意表明というよりもその恩義のため にっていう思いが強く綴られているように 読めるだからこそ胸を打つわけなんだけど それだけ竜尾のカリスマ性が強かったと いうことでもあるだろうな邪をするならば そういった指を慕う小兵や官僚らを噴気さ せ北伐の式を高めようってっていう アピールだったみたいな見方もできなくは ないがまここは素直に受け取ってもいい だろうぜ水量の交わりの個とこの水子の表 を読むとやっぱり有尾と処活量の間に変な 緊張感があったとはとても思えない なというわけで次は有と処活量の出会いで もある3個の霊から両者の関係性やその 立場の違いを見ていこうかなと思っている ぜもちろん2人の胸のうを知るなんてこと はでないお互いがお互いをどう思っていた なんて知る良しもないただ立場の違いは あるわけで見える景色が違えば感じること も違うそういった点を踏まえて両者の思惑 を考察していこうぜまず3個の例時点での 話だが指は底から一応左将軍予習僕に任じ られている人物であり寄って立地を持た ないが半早々の旗印として防は高かったぞ そして活量は20代半ばで無無間の若像 だったわねとはえ隕石関係や学識の高さ から一目置かれている存在ではあったのよ ねそうだぜそう考えると血も堤防も高い指 がわざわざそんなよくわからん若造を自ら 出迎えて遭遇するというのは不自然に 見えるでもそうしないといけなかったここ が有備陣営の苦しいところでもあるわけだ その苦しい理由が有備軍の特質にあると 思ってくれというのも遊日はこれといった 政治基盤なども特に持たないまま乱世に 飛び込んで名をなしていった叩き上げの 軍団長だったわけでその配下もほとんどが 有備のカリスマ性に突きしってきた社会的 な立場の低い面面が多かった言ってしまえ ばヤザなどに性質は近い身よりのない面面 だから厳しい時代を生くため仲間を大切に し擬似的な家族集団を作って結束するこれ が竜尾軍の特徴だったと こういう組織は戦いに滅法強いなどの特徴 はあるが部外者との関わりを拒む傾向も 強かったつまり社会的ではない集団だぜま 社会から弾かれた人々の組織だから当然な 話なんだがこれは有が地元にねいた政権を 構築する場合非常に厄介になってくる社会 への警語を良しとしない集団を抱えている わけだから当然遊を地域のトップに据え たいと人々はあんまり思わなくなだろうだ からこそ遊日はこれまで安定した基盤が 気付けず地元の名刺である人材を陣営に 定着させられず各地を点々としないといけ なかったぜ確か女手では後に義王朝の官僚 筆頭にもなる名刺神軍を有は獲得していた けど結局定着させられず別れていたわよね そうだな結局遊は地元名刺よりも精子を共 にした仲間をじその結果神軍のような名刺 を逃すことにつったとも言えるだろうだ からこその3個の霊だぜ遊日としてはもう これ以上ルローを続けると後がないため何 が何でも基盤を気づかないといけなかった ぞそのためにも聖望のある無間の若者に わざわざ3回も面会を求めて陣営に加わっ てほしいとお願いをしに行ったわけだこれ によって処活量が有備陣営に加わることに なり軽種の人材を広く集めることが可能に なったぞゆえに水のマの事も生まれたわけ だぜ夕と処活量の親密さを水と魚のごとと 表したという個生後ねでも本来の親密さと いうより政治的アピールの意図も含まれて たとおそらくなよく言われるのが3個の霊 は明らかにどが過ぎているなんて話もある 普通お偉いさんから声がかかるだけでも 十分なのにわざわざそのお偉いさん自らが 出向いているぜこれですら破の待遇なのに それを3回だここまで来るとやりすぎだっ て話だなしかし竜尾はそれをしないといけ なかったそこまでの覚悟を持って人材を 受け入れるという決意を外だけでなくない にも示す必要があったそして処活量も3個 の霊を受けることで無間の若像ながらも 政権で立場を確保する名文が立つぜゆえに 政治的意図を感じるってわけだな有がそこ までして受け入れた人材だから関羽や鳥皮 をはめとした有備軍幹部核も文句が言え 飲み込むしかなくなったってわけね指は 所轄量の名を借りることで軽に基盤を作り 所轄量は有の権威を借りることで政権に 立場を作ったこういった経緯を鑑みるに この時点での両者の関係性は極めて親密で あったと言ってもいいぜもしくはお互いに 親密に振る舞わないといけなかったみたい なこうして以後は所轄量が竜尾政権の筆頭 完了として内側を切り盛りし尾は質最高を 掲げながら天下への道を駆け抜けていく ことになるそして所轄量の提示した 天下三分の系に従い有備陣営は軽と駅中に まで半島を拡大し早々陣営への構成を開始 することになるぜ処活量からしても おそらく監視最高の大義に共感し指と手を 組んだでしょうからまさしく出会うべくし て出会ったって感じ ねそれじゃあ次は政治的な関係性の違いを 踏まえてとの思惑について触れていこう処 活量を得た遊は囚に基盤を獲得し石壁の 戦いで早々軍を撃退また孫権陣営との同盟 を経て軽風の南部に勢力を築いたぜさらに そこから駅中にまで進出していくんだ そして処活量も政権構築のために駅襲へと 移動軽種人士のトップでもある立場だから どうしても駅中に出向かないといけなかっ たぞ新たに駅中に政権を構えた有備当然駅 襲の人種から人材を募り陣営の規模を 大きくしないといけないこの状況が不穏を 招くんだ駅襲人誌を受け入れる配へ処活量 は以前として筆頭完了でしょ夕日との関係 も別にそこまで大きく崩れるとは思えない んだけどまあ大きく崩れることはないな それは最後までそうなんだけどしかし火が 生まれる余地はあったというのも処活量は 筆頭進化でその実験はに継ぐわけだつまり 尾からすれば君したる自分の牽制を妨げ うる可能性を秘めた最たる存在になって しまうんだぜ実際政権の中核を占める研修 人士は処活量が集めたと言っても過言では ない人々でありもしも有と処活量の意見が 対立した場合官僚たちは処活量を指示する だろうそれが忠義心によるものだったとし てもやっぱり君主の感情からすれば気持ち のいいものではないもしそれが生き過ぎて しまえば政権のトップが有備なのかそれと も処活量なのかそこが曖昧になりかねない 人間の感情の難しいところねこれは同時代 の早々や尊敬であっても同じで早々は筆頭 進化だった順行と意見が対立し最終的に 順位は礼遇され質の中で没しているまた 孫権も筆頭進化である長生とこあるごとに 対立し宮殿の中では孫権が君主だが外に 出れば皆が長生を警護したとされているぜ 他には炎症も同じだな強力な実験と影響力 を持つ奇襲出身の素住や伝法といった官僚 たちの権限を冷徹に削いでいっているぜ君 と力のある家臣は対立する運命にあると 言っても過言じゃないそして同様に有も処 活量に対して警戒心を抱いたかもしれない まあ同様の例を見ると確かにそうかもって 思ってしまうわねでもどうして急に囚時代 は水量のごと親密だったじゃない先にも 触れたが親密でないといけなかったからだ 有尾は軽種の人材を集めるために処活量は 政権内で自分の立場を確保するために互が 互を必要としていたしかし竜尾は今度は 駅中に政権を構え所轄量は有備のひがなく とも立場を確保できる実績を上げていたぜ 少しだけそこに隙間が生まれたことがなん となくだが分かると思う現に夕は駅周平定 戦で第1の校を上げた法制を徴用しはめる ぞ法制は司令不風軍の出身で駅中で育った 名詞であり性格は秘書に名言されるほど 悪質しかしその気質がゆえに遊に愛された のだとか小さな恨みですら徹底的に倍返し するタイプの人なのよね確か叩き上げの 親分である遊と相性がいいのもなんとなく 分かるわ性格的な相性もあるだろうが遊は おそらく法制を用することで新たに獲得し た駅襲人誌をまとめ所轄量の対抗場に しようとしたとも考えられるぜそうすれば 処活量をはめとする軽種派閥の独走を防ぐ ことができ相対的に君権力が脅かされる ことはなくなるしな現2法制の法律を無視 した恨みの報復に官僚たちが不満の声を 上げて処活量に訴えでたが所轄量は法制の 行動を黙認しているぜ処活量でさえ口出し できないほど法制は政権内で勢いがあった そしてそんな法制の背後に有尾がいたのは 言うまでもないだろう有尾はあくまで君と して自分の権限を確保するために処活量に 対抗場を用意して独走状態に走らないよう 釘をさしたってわけねそうとも見れるって 感じかな義王朝を滅ぼし新王朝が成立した 理由は芝居という最有力進化の増長を抑え きれなかったからだまた乗っ取りはないに しても過が力を持つと君主は窮屈になり 自我が出せなくなるわけでこれは尊敬の例 から見ても明らかだぜそれの対抗策の1つ が対立派閥の用意になるしかしこれもやり 方を間違えると炎症陣営みたいな内部分裂 を引き起こすから厄介だけどなまた処活量 が投票しようとした人材に有が難色を示す という事例も見え始める代表的な例で言え ば優波などがそれに当たるぜ囚出身の名刺 で非常に優秀な人材なんだけどかつては 早々に使えて早々との縁が切れても指に 使えず逃げ回ってた人よねそうだなま感情 的に受け入れがい人材ではある名刺特有の ちょっと偉そうな性格であの長日に兵隊 野郎なんていう人でもあるだから遊が嫌悪 感を荒にするのは当然なんだが処活量は 夕波の再を評価していたため無理を 押し通して投することになったぜ他には 仕事サボってた囚出身官僚の少年に指が 激怒し叩き切ろうとしたのを処活量がやめ 除名丸したなんて話もあるこれによって 少年は助かり後に処活量の後継者になる わけだがこういうちょっとした人事を巡る 衝突みたいなのも見え始めていたぜでも なんだかんだちゃんと処活量の言うことを 夕日は聞いてるし対立とまではかないん じゃないまでもそりゃそうかあくまで君と 筆頭進化の関係性がを産みやすいってだけ であり指には活量が活量には指が必要なの は変わらないからな活量がいなければ政権 をまとめられないし指がいなければ間質 最高の大義が果たせないそこはずっと 変わらないんだぜそこの大前提が崩れて しまうと内装真しぐらになるってわけね そう考えるとやっぱり有尾と処活量はいい 身であるように思える わというわけで最後にの遺言についての話 もしていこうかなこれは有尾と所轄量の 関係を語る上で欠かせない要素なんだけど ちょっとその前にざっそこまでの経緯に ついておさいしていこう有備陣営が軽囚 から駅中にまで半島を拡大したのはすでに 触れたなこうして夕日は新天地である駅中 に政権を構え処活量も新政権の構築のため に駅襲へと移動そして指は勢いそのままに 貫中を攻め宿敵である早々の本軍を引ける ことに成功したぜこれによって有は間中王 を名乗り間王朝最高のためののしを上げた わけだ間中王といえば間王朝の海である UFが合してた大いだね遊がそれを名乗る というのはめちゃくちゃ大きな意味がある わしかし回心撃はここまでだった有尾の 北上に合わせて軽種からも関羽の軍勢が 北上していたんだが同盟相手であった孫権 が裏切り羽不在の形を占領これにより羽も し有は軽と関羽を失うことになり怒りが 爆発し孫権生物を叫ぶようになるぜそして このタイミングで早々が没し後継である費 が間王朝に前場を迫り間を滅ぼし義王朝を 建国費が皇帝に即することに監視最高を 目指す有備はそれを認めるわけにはいかず 有尾も自ら皇帝に即位することで義王朝兵 の徹底交戦の意思を明らかにしたぜこう なると国家の大義を考えるにに義を打た ないといけないんだけど有尾は孫権生物を 優先するのよねまあ仕方ない話ではあるの かこうして竜尾は総力を上げて孫権生物を 開始するぜしかし竜尾は医療の戦いにおい て大敗を必死全滅に近い損害を受けて しまうんだなんとか逃げ延びた遊も質の中 で正規が衰えそのまま体調を崩すもう自分 に後がないと感じた遊日は処活量に工事を 託したとされるその時に遊日は処量に対し もし我が息子が補佐する器でなければ君が とって代わり国を納めてくれと頼んだとか これに処活量は涙を流して優先に中性を 尽くすことを誓うぜ互いが互いを思い合う 美談のように聞こえるがこれはまた別の 味方をすることもできるんだ確か指は所轄 量に散発をしないよう釘をさし処活量は 有尾に警戒されていることにショックを 受け涙を流したまな話だっけ 大体そんな感じだなよく言われるがとって 変われっていう命令はいわば到底進化が 承諾できないもので乱speakと言わ れるぜここでもし分かりましたと言おう ものなら逆心ありと見なされ中殺されかね ないつまり遊日はあえて断らせたとも 見れるんだ処活量は絶対にこの頼みを断る しかないゆえに有備没後にもしも処活量が 3奪に動こうものなら異名に逆らったとし て避難を受けるぜぜそれを見越して遊は このような頼みをし処活量は自身の中性を 疑われたと感じて涙を流しその思いを口に 出さないといけなかったなるほどね素直に 受け取れば有尾が処活量を強く信頼してい た証拠にも聞こえるけど全く逆の受け取り 方もできてしまうのかというのもこの当時 有備政権における処活量の牽制は圧倒的 だった対抗場であった技の法制は貫中争奪 線のに没してしまっており処活量はその 後釜に素早く自身の派閥出身の夕波を据え させているぜこうなるともはや処活量の 牽制を脅かすものはいなくなっていたんだ 一応指は処活量と並んで利権という感量に 工事を託しているつまり法制に変わる処 活量の対抗場がきっとこの利玄なんだろう 利玄は一応駅州に暮らしていた名詞なんだ けどその出身地は囚だだから比較的量の軽 派閥にも重なる部分の多い人物だったぜ 対抗場ですら処活量に配慮した人事になっ ていたわけね確かにそれを考えると遊が 自分泣き跡の所轄量を警戒するのも分かる わしかしこういう話もある実はずっと前 孫作がまだ若い弟の尊敬に地位を譲る際に 工事を進化筆頭である長生に託しているん だけどその時に孫作は弟が不足であれば君 が政権を取れと言っているぜこれは遊が処 活量へ残した命令に状況も内容も非常に似 ているなもしかするとだけどこれはまだ 光景が若く気量不足な場合君主が筆頭進化 に工事を託す時の上等区だったのではとも 見れちゃうぜだからまあこれまで色々と 考察をこねくりまししてきたけれども単純 な上等区のやり取りに過ぎない位場面だっ た可能性もあるわけでこれはあくまで確証 がない考察なのでそのあたりの詳しい話 などを知っている学者様などいらっしゃれ ばコメントで教えてくださいただまあ個人 としての希望を言うのであれば遊と処活量 はなんだかんだ言ってもちゃんと信頼し 合っている関係だと思いたいぜというか今 まで上の人間として乱世を抜いてきた カリスマの遊日が死の際にそこまで難しい ことを考えるとは思いたくないまとな活量 は有の掲げる監最高のために働いてきた そんな量が奪を考える技もないというのは なんとなくだが分かる話だろうだからこそ 最後は過剰に見えるほどに活量への信頼を 示して処活量は指の最後を悟り涙を流した 私はそう思っていたいんだぜなるほどね そして処活量はそんな流人との約束を胸に 水の票で思いのたを綴り自分の命が尽きる まで戦い続ける道を進んだわけね [音楽] それじゃあ今回の動画のおさいテストだぜ これが解ければ試験に三国士が出ても安心 [音楽] だとりあえず楽しんでいただけたなら とても嬉しいぜ個人的な解釈も結構含んだ 解説になっているので別な意見や詳しい話 があれば教えてくれるとありがたいぜ そんな三国士の人物戦争文化などを解説し て欲しいみたいなリクエストはコメント欄 で募集しているわよければ是非教えて くれると嬉しいですそれじゃあまた次回 バイバイ [音楽]
まぁ、あんまりね、個人間の話である「仲が良いのか悪いのか」なんて話は、本人達でしか知り得ない話だから考察しても詮無き事ではある。
そうだとしてもやっぱり、色々と考えてしまうのが歴史オタクである。オタクの業とでも言うべきか。
特に三国志でも色々と考察の余地がある人気コンビといえば、劉備と孔明だろう。ということで解説をどうぞ!(笑)
🌸 項目
⓪スタート 00:00
① 劉備と孔明 01:59
② 三顧の礼 06:17
③ 政治的対立 11:24
④ 劉備の遺言 17:55
—————————————————————–
🐎 投稿主【久保カズヤ】
三国志小説の執筆・三国志解説動画の投稿をやっている独身男性。
お仕事のご依頼はTwitterのDMにてご相談くださいませ。
🐎 Twitter:https://twitter.com/bokukubo_0123
🐎 三国志のWEB小説:https://mypage.syosetu.com/464223/
🐎 活動実績・報告:https://note.com/boku_kubo
🐎 電子書籍を販売中:https://www.amazon.co.jp/%25E4%25B9%2585%25E4%25BF%259D%25E3%2582%25AB%25E3%2582%25BA%25E3%2583%25A4/e/B08BNGXMZK?ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vu00_tkin_p1_i0
—————————————————————–
🎵 BGM
「魔王魂 様」http://maoudamashii.jokersounds.com/
📚 参考文献一覧
「正史三国志(著:陳寿/ちくま学芸文庫)」
「史記(著:司馬遷/ちくま学芸文庫)」
「三国志(著:横山光輝)」
「三国志地図(販売:東光書店)」
「三国志運命の十二大決戦(著:渡邉善浩)」
「はじめての三国志(著:渡邉善浩)」
「三国志その後の真実(著:渡邉善浩・仙石知子)」
「漢帝国─400年の興亡(著:渡邉善浩)」
「地図でスッと頭に入る三国志(監修:渡邉善浩)」
「中国史 上巻(著:冨谷至・森田憲司)」
「もう一つの『三国志』 異民族との戦い(著:坂口和澄)」
「よいこの君主論(著:架神恭介・辰巳一世)」
「教養としての世界史の読み方(著:本村凌二)」
「入門老荘思想(著:湯浅邦弘)」
「ある地方官吏の生涯(著:三宅潔)」
「南北朝時代─五胡十六国から隋の統一まで(著:会田大輔)」
「魏志倭人伝の謎を解く(著:渡邉善浩)」
「馬の世界史(著:本村凌二)」
「武器と防具 中国編(著:篠田耕一)」
「物語 食の文化(著:北岡正三郎)」
「古代中国の24時間(著:柿沼陽平)」
「周縁の三国志 非漢族にとっての三国時代(著:関尾史郎)」
「完訳 華陽国志(訳:中林史郎)」
「宦官 側近政治の構造(著:三田村泰助)」
🌎 使用させて使用させていただいた白地図掲載サイト
蒼天:http://3594.wiki.fc2.com/
—————————————————————–
【まとめテストの答え】
① 劉備が諸葛亮に仕官を求めるべく三度訪問を行った
② 水魚の交わり
③ 法正
—————————————————————–
🐎 関連動画
【三国志】「関羽」は「蜀漢滅亡」の原因なのか徹底解説!!【ゆっくり歴史解説】
【三国志】「姜維」は「蜀漢滅亡」の原因なのか徹底解説!!【ゆっくり歴史解説】
【三国志】唯一の勝者「司馬懿」を徹底解説!!【ゆっくり歴史解説】
【三国志】「”正史” 三国志」とは? 1時間で徹底解説!!【ゆっくり歴史解説】
【三国志】史上最高の天才軍師「諸葛孔明」を徹底解説!【ゆっくり歴史解説】
【中国史】三国志を襲った最強の騎馬民族「鮮卑族」とは?【ゆっくり歴史解説】
【三国志】曹操の天下最強への道!「河北平定」の戦い!【ゆっくり歴史解説】
【中国史】三国志の蜀滅亡後に建国された王朝「成漢」とは?【ゆっくり歴史解説】
#試験に出る三国志 #三国志

50件のコメント
信頼の証か、牽制か、箔付けか。霍光(名将・霍去病の弟で武帝に仕え、後継の廃帝が素行酷い!と帝位を剥奪したが簒奪はせず武帝の曾孫の劉病已(宣帝)に継がせ、大将軍・大司馬兼任と絶大な権力持っていたが人臣のままで慎んだ忠臣)みたいになれ!という意味か中華統一を諦めるなという呪いだったのか。
「劉禅に背負わせたくない」って意味で解釈すると反儒的で凄い味わい深いし、曹操←荀彧にも同じ夢を抱いてたのかななんて思ったり。→霍光になってほしい
李邈に「(いつ簒奪されるかわからんかったから)孔明くたばってよかったやん!w」って言葉に劉禅が激怒して処刑したのが何より答えだったと思いたい…
今回のテーマの中でも遺言部分は気になっていましたが自分も同意です。
劉家の者が継いでこその季漢、加えて禅譲を受けた曹丕との比較も意味深に思えます。
また自らを自らを管仲・楽毅に比していた諸葛亮からしたら簒奪など、露にも思ってないだけに涙するのも無理ないですね。
いつも台北で楽しく拝見させて頂きました!改めて曹操はいつも色んな有能な人材を起用して次いでに傍に置く事は極めに珍しい人君主です!!とは言え,こんな心広い曹操までも天下を完全制覇できない事は,孫権と劉備は優秀なリーダー,そして漢王朝のシステムのお蔭でどこでも人材だらけが分かって来ました!
三顧の礼一つとってもこの動画のように異例とするものもあれば別の投稿者の方の動画のように当時の名士層では一度目は理由をつけ断り二度三度出向かれて「そこまで仰るなら微力ながら…」と謙虚な姿勢を示すのが好まれていたので三顧の礼も当時としてはそれほど珍しくなかったかもしれない、と解説するものもある。
様々な情報・解釈を元に自分はどう思うのか何を学ぶのか、動画一つで色々と考えさせられるから歴史は楽しいですね
20歳も年齢が離れている君主と筆頭臣下の関係でしたからね、それまでの経緯も全く違う二人凹凸が上手に噛み合った関係だったのかもしれない。
お互いに足りない部分を補いつつ盛り立てていた、ただ人の見る目は劉備が上だったのかな馬謖の件もあるし。
個人としては親密でもそれぞれの立場を背負えば対立する事もあるからな・・・。対立が原因で国が二分するなんて事態には陥っていないので、諸葛亮と劉備の間に信頼関係はあったと思う。
最期劉備の「孔明酷使の策」説好き❤
こんな遺言されたら立場からも個人の気質からも実力プライドからも孔明の答え方はもう1つしかない。
こんなこと言われたら滅私奉公するしかない…🎉
諸葛亮といえば最近個人的に「暗黒宰相説」というのを考えています。
明らかに進言して始末した劉封をはじめ、実は諸葛亮は幾人もの人物を闇に葬ってきたのではないかと。超タイミングよく病死した劉琦、劉備の信任が最高潮になった頃にコテンと死んだ法正、威光だけ利用されて突然消えた馬超、李厳の失脚も「記録」されたものは李厳の不手際ですが真相は…そして諸葛亮に全幅の信頼を置いた劉禅。劉禅は信任していたのか?それとも完全に実権を奪われていて何も出来なかっただけなのか?などなど疑えばキリがなかったりします。
孔明は荊州では大きな閨閥の縁続きにある名士ですよね。名士を抱え込まないと有能の士は集まりませんし劉備が孔明に礼を尽くして招いたのもそんなにおかしくないかと
仕事ぶりを見ても謹厳実直クソ真面目って感じです
劉備はぶっちゃけ、魏延や法正みたいなタイプの方が気が合ったかもしれないですね
それがそれとして孔明の才能は高く評価してたと思いますけど
なんとなく劉邦と蕭何の関係を彷彿とさせる感じではある
蕭何の沛での声望や人脈が無ければ劉邦旗揚げはなかっただろう
そしてその蕭何は後に劉邦から謀叛を疑われてるんだよなぁ
諸葛亮も姻戚によって荊州人士の中心に入ったけれど元々は流れ者ではあるのよね
蜀を支えた諸葛亮と呉を支えた張昭どちらも徐州出身なのは偶然なのか曹操のやらかしが響いてるのか
劉備の遺言、諸葛亮に一定の効力があったと。
秀吉は家康に息子を託した?分からないけど、多少はお願いしたと思う。
だが、家康は天下へ進んだ。劉備と秀吉の陣営はいずれも滅びるが、過程は違う。
将器の差があったと仮定して、島国と大陸の国土の広さと比例しているとは思いたくない。
お互いにお互いを必要としてたけど、考え方や価値観が違った、と言う感じでしょうか。勝負事で、数字や計算を重視する人と、流れや直感を重視する人の違い、みたいな。あと、オーベルシュタインのNo.2不要論を思い出しました(笑)
そういえば投稿者は三国志で「こいつ俺みたいだな」って思う言動・性格の人物はいますか?
諸葛亮が高学歴ニートみたいな言い方よくされるけど、アレはどうかと思う。晴耕雨読っていうぐらいだから軽い農業はしてただろうし。公務員にあらずんば人にあらず、というなら話は別だけど。
法正の重用は、益州人士も重用するよ! 荊州出身だけで固めないよ! っていうアピールの面も大きかったのかなと思います。孔明に政敵を作ろうという意図があった、というのも勿論なるほどともなるのですが、正直それまで流浪の傭兵隊長の現場主義でやってきた劉備が、急にそんな事まで考えるのかな……なんてw
そうであったとしても、漢中を奪取した直後に法正が亡くなった後の後継が劉巴だったのは孔明が推薦したのもありますが、これから魏を本格的に攻撃して天下をひっくり返そうってタイミングでは、国内での派閥争いなんて邪魔なだけって判断したのかもしれませんね。袁紹がまさにそれで失敗してましたし。
遺言は、劉備自身が正に成り上がった人物でしたし、血筋の権威で繋げてきた漢王朝が崩れ去った直後なわけで、あるいは相当本気で「君が成り代われ。良い国になるなら漢の後継じゃなくて良い」位の思いで口にしたのかも……って思うことはあります。さすがに考えすぎかとは思いますがw
孔明は楽毅を尊敬してたから簒奪することは出来ないと分かっていたから、あえてこのようなことを言って、賢君賢臣エピソードを作り上げたのかもね。
そもそも、ヤンキーと頭でっかち優等生が合うわけが無い(笑)
どうやろうなあ。年齢も離れているし、たたき上げの劉備と学者肌の諸葛亮だから、人物眼に差があったのはわかる。
例えば魏延、劉備は指揮官としての彼を評価していた。漢中を獲ったあと太守に張飛ら子飼いの武将ではなく魏延を任せている。逆に諸葛亮は反骨の相があると、距離を置いている。
また馬良の末弟馬謖への評価も、劉備は書生論と見切っていたし、諸葛亮は馬謖への過大な評価から負け戦を招いてしまう。
出推の表も、諸葛亮の作ではなく、呉の武将の文書を諸葛亮の物という説があります。
三顧の礼も「三度召喚して配下になった」というのが正史での評価のようです。三国志演義も宋代のものを加え、明代に作られたものであり、それにはフィクションが多く、19世紀の中国の学者が、「中国の歴史は古いものほど短く簡潔で、後世のものほど長く冗長になる」といっています。
テンプレ遺言は妙に納得した
実際には劉備は孔明よりも法正の方を重用してたと言うし。
劉備という方は大将の器は薄い様な気がするね(笑)色々失敗を繰り返した過程で誰かを処刑する話の場で此奴を殺した方が良いと言ってるからこの辺りで自分の事と周りの環境への対応を学習してきた感じかな?
人を扱うのが苦手な感じだね…曹操だったかな?彼と違うのは優秀な人材だけではなくて多種多様の価値観の人物を仲間にしてるんだけどまとめるのが凄い下手なんだよね彼(笑)そういうのって普通~指揮官さんとかがやるものなんだろうけど~大抵が彼に丸投げしてるみたいでゴタゴタなんだよね(笑)
諸葛亮って方は27~8かな~?数字が出てくるんだけど…色々家族関係で悩んでいて無職みたいな立ち位置なんだけど商店街?みたいな所で酔っ払いと仲良くなってじょ…何とかって人いるかな~その人物が劉備と関係持って推薦した感じかな~
ひょうきん者かな~人付き合いが良いから情報が入ってくるから他人の裏話とか詳しい一面あるんじゃない(笑)後はこの時代には珍しい人を殺したくない性分で軍略を練っているけど抵抗は結構あったみたい…でもこの二人の仲は凄く良いよ!お互いに苦労してる分…でも一つだけ喧嘩?というよりは苦言かな~してる…馬謖って子の話…放任主義で自由にやらせるというスタンスなのが…教える(教育)的にどうなの?ってそれ位かな
渡邉先生は劉備は下級階層、諸葛亮は名士層出身で、出身階層が異なるから、関羽、張飛のようには信頼できなかったと言ってましたよね。
董卓も名士層を集めていましたけど、最後は名士層に裏切られて殺されたし。あり得ると思います。
劉備にとっての孔明はどちらかといえば劉邦にとっての蕭何みたいな存在だったと思います
個人的に「根本的なエンペラーというものの価値とは続いているというその結果の事」と考えているのですが、その観点から考えると2人の行動原理が「漢を劉の姓で継続させるべきだ」である以上は、見た目通りの事以外には無いんじゃないのかなぁ~なんて思っちゃいますね。当然、人間の集まりである以上は色んな事が有るのは当然な訳で綺麗毎、都合の良い事ばかりなんて考えもしませんよ。…でも涿郡から蜀に劉表と劉章を辿って蜀漢を組み立てただなんて何と出来過ぎた…あれ…劉備と諸葛亮って類稀な高祖マニアだった。みたいな話だったりするんでしょうかね?ウーン…1度2人の講演を聞いてみたいなぁ。Youtubeやってくれないかなぁ。
…冗談ですよう。
戦術的と戦略的の考え方に依ると思うんですよね。
夷陵で負けたのも劉備の考え方の裏取りされて戦術的敗北から戦略的に拡げられて取り返しのつかない形になったと。
法正は戦術的思考、諸葛は戦略的思考だと思ってます。
孔明と水魚の交わりだったのは劉禅の方だったと思う
アプ主の考察は好きです
出師の表……でしょうね 事実なら水魚の交わりに偽りなし
出師の表が創作なら……三顧の礼も創作になります
なんせ蜀サイドは美化神格化されてるんで正史すらあやしいレベルなんで……
これは現代社会でも同じで周りの環境や立場が変われば人間関係も変わる物
関羽と張飛が諸葛亮と反りが合わなかったと同様劉備と諸葛亮との間にもそれ相応の食い違いはあった筈
一切のわだかまり無く絶対の信頼関係を築いたのは劉禅と諸葛亮だと思う
劉備は人を見る目だけはあった。だからこそ生存時はあれだけの人材を登用し、人が集まった。
孔明は劉備が登用したその最たる人物の一人。さすがに死に際に孔明の忠誠を疑うことなどしなかったと思う。
ろくに軍率いたこと無かったのに劉備死後の内紛、外敵、呉の侵略再同盟対処したのは凄すぎ。
難路だったのに蜀兵が飢えて兵の不満がの話も聞かない。劉邦には蕭何がいたけど諸葛亮は李厳。有能だけど兵站任せる人物じゃない
鄧芝の才能は見抜いたのに馬謖は見抜けなかったのか。あれは諸葛亮が悪い。馬謖は軍を率いるタイプじゃなく陳平、張良の参謀タイプだった
(禅譲という名の)簒奪をしなかった、この一点だけでもハイパーレアキャラ。
荊州の土地争奪戦。樊城の戦いが一番の蜀と呉の一番の仲違い
渡邉先生の「孔明は劉備と関羽·張飛の関係性に強く惹かれていた」けど結局は出自の違いから、完全には信用されていなかった。それがあの土壇場で出た··
という説が切なくて好きです。
仲悪いわけはないと思う(身も蓋もない)
しかし、それぞれの志があるのかな
個人的に理想な話だけど
表立ってでは立場もあり対立してたけど
立場なくした個人間では楽しく酒を飲み交わすような仲だった
って思いたい…
陰謀のつるべ打ちの時代です。
日本人的な感情は捨てて冷徹に見るべきです!
法正と黄権がいなくなったのが色々な意味で痛いよね
劉備の最後の後のこと託すシーンって簒奪恐れて釘刺したとも言われてるよね。あれでハイ成り代わりますなんて応答は即処断案件。なお、そんな人材の余裕はない模様。
う〜〜ん、邪推に過ぎる考察だと思う。
当然、様々な意見があっていいと思うし、議論は活発にすべきだけど、ちょっとな……。
三国志演義はあくまで小説。
歴史書は正史の方。
その演技があまりに持て囃されてきたから、学者の人達は当然「それは違うのだよ」と言いたくて、最近学者の人達等が曹操を再評価して、対して劉備や孔明を落とす、という事をやっている。
それはそれで構わないが、どうも、必要以上に落としている傾向がある様に思えます。
この考察もその1つになりかねない。
もし、水魚の交わりを否定するなら、劉備亡き後の孔明の行動•言動が説明がつかない。
孔明は皆が知っている様に、国を把握し、部下達をほぼ把握していた。
劉禅を退位させて、いつでも自ら取って代わる事ができただろう。野心家なら。
そういう事例は、歴史に枚挙の暇がない。
でも孔明はそれをしなかったどころか、命を削って劉禅と蜀と民衆の為に働き抜いた。
この劉備亡き後の孔明の行動があったからこそ、「水魚の交わり」にとてつもない説得力があったのだと思う。
考察よりも実際にその人がどう行動したのか見るのがとても大事。
孔明はその良い見本だろう。
あと、曹操を再評価して正史を重要視するのは構わないが、「正史」は勝者の歴史という事を忘れてはならない。
陳寿が公平に正史を綴ったとしても、やはりそこには勝者の言い分があるだろうし、敗者に割く物理的な容量も減る。
その点を忘れてはならないと思う。
もう1つ言うと、中国本土で曹操再評価の流れがある、と聞いた事があるが、それも最近の中国首脳部の意図というものをよく考えなければならない。
安易に再評価してはならないと思う。
当然、不当な評価を覆して再評価する事には、吝かではないが。
自分も曹操はかなりの傑物だという評価はしてるが、今の再評価の流れには、どうしてものれない。
概ね納得できました。ただ遺言に関しては、死に際にそんな弄策をする心境になるか?という疑問はあります。
こればかりは経験もなく答えは出ませんが、自分は死に際しては何事にも真摯でありたいと考えます。
省略されていましたが、諸葛亮の才能は曹丕の十倍あると評価されています
死期が近いとはいえど、そんな事が言えるのはやはり諸葛亮を評価して
後任を任せているのでしょう。そうでなければ李厳に権限を渡していることに
今、気付いたのですが、登録者四万人突破おめでとうございます
もし曹丕か曹叡が司馬懿に禅譲をうながしたら受けたかな?
教えて貰ってると言うより、議論を戦わす土壌を提供して貰ってるみたいな感じかな。
劉備って、人を見る目あるんだろうか…
最も信頼していたであろう人を荊州において、重要な場面でああなってしまったからなあ…
いくら蜀が人材不足でも、7年で5度出兵して一度も戦果がないのに、更迭論がでないところに、諸葛亮の闇を感じる。
はじめまして
時々拝見しております。
若いころは、三顧の礼というのは、単純に劉備が諸葛亮に対して礼を尽くして迎えた美談のように思っていましたが、年齢を重ねるにつれて謎に感じ始めました。
後から考えれば、諸葛亮という有能な官僚・政治家を得たことは、劉備にとって大きなメリットがありましたから、三顧の礼を取ってでも得る必要があるという話は説得力があります。
ただ、三顧の礼の時点で、劉備が後の諸葛亮の活躍を予測できていたならば、それ以前に同じような有能な官僚を得て基盤を築けたはずではないか?という疑問が生まれてきます。
そう考えれば、実は三顧の礼のようなことを劉備は繰り返して失敗していたか(うまくいかなかった)?あるいは、諸葛亮が、これまでの人材と違ったずば抜けたものを持っていたか?このどちらもが、はっきりとは歴史に残っていないように思いますが、いかがお考えでしょうか?
それと、私はそれなりの年齢(当時の劉備よりかなり上)ですが、三国時代当時の寿命から考えると感覚的には同じくらいと思います。ただ、20歳若い人をわざわざ三顧の礼を取ってまで迎えようとは思いません。
そういう意味では、三顧の礼は、今の人が考える以上の重さがあったような気がします。
ところで、以前から気になっていたのですが、使われている音楽は「魔王魂」と概要欄に書かれておりますが、具体的には、なんという名前の音楽でしょうか?差し支えなかったら教えてください。
長文失礼いたしました。
天智天皇と天武天皇の間にも似たようなやり取りがあった記憶
この動画見てふと思ったけど、もし法正がそのまま生きていたら劉備没後に諸葛亮と派閥争いになりそう・・・なんて笑
遺言の件は諸葛亮の場合、李厳から「RYOU!そろそろ九錫受けちゃいなYO!」と言われて苦笑いしたって話が残っているのに対し、張昭の場合周りが何か動いた話が残っていないため信憑性が薄い(ってか諸葛亮の話パクったんじゃね?)って話もあるみたいです👀
簒奪する気なら幾らでも可能だっただろうけど命削って北伐何回もやらないよな