祈りは祈る者を変える

[音楽]
ハレルヤ感謝します愛知県は瀬戸市瀬戸の
町瀬戸カルバリーチャンネルから今日も神
様の御言葉をえお届けしたいと思っており
ますいつもえ私たちのために覚えてお祈り
くださってこれから感謝しますえここに
いらっしゃる会の皆さんえこれから関係し
ますえご一緒に御言葉を学んで祈りに入っ
てまいりたいと思いますえ昨日はこの場所
でというか実はロビーでしたんであります
けれど膨れる教室がありましてえ悪とも
いらっしゃいますがえ本当はですね
アウトドアレッスンと言ってジコ野外
センターにでも行ってですねえシートを
広げてレッスンをしようと思っていたんで
ありますが肉の雨のためにえロビーに少し
え皆さん見てくださいましたがちょっとね
えお家キャンプのようにしてそこでま
初めての方地域の方も来てくださって一緒
に練習することができましたえこのような
えナイフアートスタジオを通して救われる
人が起されるように是非皆さん覚えてお
祈りしていただきたいと思います天気が
悪いのに無理やり出かけても楽しむことが
できないでありましょう雨の日は雨の日
なりに工夫すれば結構楽しかったであり
ますよえコーヒーやお茶を飲んだりしてと
いうような時間でありました日本を代表
する新美学者のえ可愛いはおさてご存じ
ですかえこのお方が心の転という本が書い
書いてるんでありますが心の心の天心を
天気に例えて言うとどうも僕らは隙間も
なくえ隙間風もなく防風も起こらない状態
を理想としているねあちゃんこれいつも
大丈夫というのを期待しているでも暴風雨
など全部込みで天気というのは成り立っ
てるんですよ天気というのはもちろん今日
のように良い日もあればそうでない日も
あるそれも込みで天気なんですよ私たちの
心もそうであるべきなんですよ晴ればれし
た晴天ばかりではない雨や風や嵐や暴風の
天果が組み込まれて生きるということを
実感できるんだとイエス様はこう
おっしゃいました御言葉を聞いて行う人は
岩の上に家を立てたようだとえ雨が降って
風が吹いて洪水が押し出せてと書いてあり
ますが嵐が打ち付けた時に岩を土台として
いるならばその家家は倒れることがない
でしょ砂の上に立てると逆になるんですよ
御言葉を聞いて実践する今日御言葉を聞い
てお祈りするわけでありますが私たちに
どんな嵐や風が吹いたとしても後で信じて
きてよかったなって思うんでありますよ
その時は晴天の時は分からなくても暴風や
風が吹いて洪水が押し寄せた時にあ御言葉
を聞いて行ってきてよかったなと後から
気づくんだということを心にとめてえ今日
も神様の見越に耳を傾けそれに従うもので
ありたいと願います主よ祈ることを教えて
くださいえそう願う人はご一緒にアーメン
と言いましょうメンさあえ今日は少し長い
箇所ですがローマびの手紙の8章26節
からえ28節が日曜日の箇所でしたが今日
は28節からえ39節まで長いですね
先ほど皆さんで読んだでありますがえお
読みしたいと思いますローマの8章28節
からこれリビングバイブルですのでま
スクリーンをご覧くださりながらえ
YouTubeの方は見てくださったらと
思いますどっか途中飛ばすかもしれません
が読んでみますね私たちは神を愛し神のご
計画のうちを歩んでいる人のためにはその
身に起こることは全てこの言葉いいですね
この身に起こることは
全て神が液としてくださることを知って
いるのですというのは神はあらかじめご
自分の元に来る人を知っていてそのような
人々がご自分の巫女イエス様と同じになる
ように最初から定めておられたのですこの
29節のえご自分の巫女と同じになるよう
にというところま線を引いてくださるかえ
記録してくださったらと思います
え30節神はあらかじめ選んだ人々を招き
そして彼らの罪を許し義正しいものと認め
られた人々にはさらに栄光を与えると約束
してくださいましたこんなに素晴らしい恵
に対して一体何と言ったら良いでしょう神
が味方なら誰が私たちに敵対できる
でしょうかここも線を引くというか2番目
の内容であります神が味方なら誰が私たち
に敵対できるでしょうか神は私たち全ての
ためにたった1人の巫女をイエス様さえ
惜しまずに死に渡されたほどのお方です
から他の全てのものを万物をも交互生書は
ありますがくさらないわけがあるでしょう
か神がご自分のものとして選ばれた私たち
を訴えるのは誰ですか神ですかとんでも
ない神様私たちを責めませんよ8章の1節
にそれが書いてあります神は私たちを許し
義としてくださった方ではありませんかで
は私たちを罪に定めるのは誰ですか
キリストですかイエス様ですかとんでも
ないキリストは私たちのために十字で死ん
で復活し今は神の右の座に私
右の座で私たちのために祈っていて
くださるお方ではありませんか公約聖書
取り出してくださっている35節では一体
誰が私たちをキリストの愛から引き離す
ことができるでしょうか災難や苦しみや
迫害や上や貧乏あるいは危険や剣ですか
聖書に書いてある通り神のためにはいつで
も死ねる心構えでいなければならない
私たちは殺されるのを待つ羊のようだ
しかしこうした中にあっても私たちたちは
命を投げ出してまで私たちを愛して
くださったキリストによって圧倒的な罪
からの勝利圧倒的な勝利を
え公約以上は勝ち得てありあるとあります
がそれを得ているのですさあ38節と39
節をここにいる皆さんまたエクリアご覧の
方もご一緒にお読みすることにいたし
ましょうはい神の愛から私たちを引き離す
ことができるものは何1つないと確てい
ます死も命もそんなことはできません天使
にもできません地獄の全勢力が決しても神
の愛から私たちを遠ざけることはできませ
ん恐れも不安も同様ですあるいは私たちが
空高く登っても海の底深く潜ってもどこに
いようと神の愛から私たちを引き離すこと
はできませんスクーバーダイビングで海の
底にも潜ってもスカイダイビングで空高く
なったとしても私たちの神の愛から
引き離されることはないんだしかも地獄の
全勢力が結集してもってすごい内容である
と思いますがまその全勢力が十字架のエス
様をえ攻撃したんだというそのようなえ
聖書解釈をする牧師もいるわけであります
けれど私たちを神様の愛から引き離すこと
はできないんだという内容であり
ます恵まれたでありましょうかえ28節
から4段でありますけれど26節と27節
はまあ正長を開かなければ分かりませんが
え日曜日にお話ししました私たちがどを
祈ったら良いか分からない時があるけれど
精霊様が切なるうきを持って取り出して
くださるだけではなくて神の見に叶う
取り出しをしてくださるんだですからこの
精霊様と共に祈る精霊様と共に神と共に
働くものに対して神様は万事を駅にして
くださるというのが今日読み始めた28節
の内容でありましたその身に起こることは
どんなことでも全てのことを駅にして
くださるんだというその身に起こることは
全て神が愛としてくださるマイナスは必ず
プラスになります今日もご一緒しましょう
はいマイナスは必ずプラスになりますと
いうのはこの御言葉でありますさて御言葉
の解説のところ右側を見ていただくとえ1
冊の本の紹介が途中から載っていると思い
ます神との友情あなたを変える祈りという
祈りの本なんでありますけれどえこの本の
中にこう書かれています私たちが引用が
書いてありますよね私たちが祈る時それは
私たちのうちに神が住んでくださることに
なりますそれ最も深い次元においては
私たちのうで私たちを通して祈りという
行為をなさるのは神の見たです精霊様が
住んで祈ってくださる祈るというのを深い
レベル次元でするのは聖霊様はご自身なん
だ17世紀フランスの聖職者フネン大祭主
はそれをこう表現しました私に祈ることを
教えてください私が祈るんですけど私の
うちであなたご自身がお祈りくださいこれ
もすごい祈りだと思いませんかこう祈る
こともできるんですよ祈ることを教えて
くださいって自分が何か知世で祈る以上に
主よあなたが私の中で祈ってくださいで
ここからまた素晴らしい内容なんですよ
最後まで読みますがこのような祈りを定期
的に経験すると私たちの生活全体が全く
作り替えられていくことは明らかです
私たちの認識をはかに超えて祈りは私たち
を変えるものですだって私のうで神様がが
聖霊様が祈ってるんですから最初に変わる
のは私なんだという内容ですゼレ
キルケゴールが祈りは神を変えるのでは
なく祈るものを変えるこれいいどっかに
記しておきたい祈りは神を変えるのでは
なくもちろん神様が物事を動かして
くださるんですが祈るものを変えると
キルケゴールが言いました神が状況や人間
の思考感情を全くご存じないかのように
逐一神に報告するために私こんなことあっ
たんですあんなこんな状況ですって逐一
報告するために祈るのではありません
もちろんしてもいいんですよ何でも話して
いいんですがむしろ神と共にある交わりの
中で私たち自身が全く別人とされていく
ためにあなたの見が行われますようにと
祈るのですという内容でえーままたえ何度
か繰り返し読みながら味わっていただけれ
ばと思います私たちの祈りが私たち自身を
変えていく精霊様が私たちのうちで祈って
くださる時に状況や環境も変わるであり
ましょう家族の救いのためにも取りなし
ます街の救いのためにも祈りますライフ
ハートスタジオが用いられますように日本
のリバイバルのためにも祈りますしかし
祈り始めるとまず私が変えられてイエス様
の愛を伝えたいとか私に何ができるだろう
かとか日本のリバイバルのためにどうする
のか私自身の中に神様が物事を始めて
くださるということを皆さんも経験する
ことができる祈りは神を変えるのではなく
祈るものを変えるゴの言葉ご一緒に言って
みましょうはい祈りは神を変えるのでは
なく祈るものを変える祈るものとは私たち
のことです今日祈り換えを通して主がえ
私たちを作り替えまた万事を駅として
くださるという世界を体験させてください
ますようにえ29節から39節までて最後
までですが精霊様が私たちのうでどのよう
に私たちを変えてくださるかどんな変化が
起こるかがえそこにえたくさん書かれてい
ますが3つにまとめてお話ししたいと思い
ますのでえノートしてくださったらと思い
ます1番
目祈りは私たちを変えるんであります
けれどどう変えられるか1番目イエス様と
同じ姿に変えられていくと書いてあるんで
あり
ますイエス様と同じ姿に変られていく
なんて広栄なことでありましょう29節に
神はあらかじめご自分の元に来る人を知っ
ていてそのような人々がご自分の巫女
イエス様と同じになるように同じ姿になる
ように定めておられるんだ祈りを通して
イエス様に近づくんだとお話ししたことが
ありますけれどそれは近づくことでこの方
のようになっていくという主に向く時に
栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられる
と第2コリントの3章にありますがその
世界であります皆さん私たちの体は衰える
でありましょう年を取るわけであります
病気をすれば弱っていく現実があります
しかし主に近づくなら私たちは変られます
えこれが霊的な事実です事実です霊的な
事実は主と同じ姿に私たちは祈りの中で
変えられていくんだリビングバイブルです
けれど30節を見てくださると神は
あらかじめ選んだ人たちを招き罪を許し義
の認められた人たちには栄子を与えると
そう書かれています私たちを許して
くださるだけではなくて栄光を与えて
くださいイエス様が受けた同じ栄光を
私たちもいただけるという約束であります
からどんな暴風雨の中で生かされ置かれた
としても希望を持って生きることができる
のがクリスチャンであるということ祈りを
通してイエス様と同じ姿に変えていただき
たいそう願う人はご一緒にアーメンと言い
ましょうメンイエス様まあなたのように
程遠いように感じる時はありますが主は
私たちを作り替えてくださる約束ですから
信じたいと思います2番目精霊様が私たち
のうちで祈ってくださる時にどんな変化が
起こるでしょう神が味方であることを知る
んであり
ます
そして圧倒的な勝利を得ることができます
神が味方であることを
知り私たちを攻撃する全ての敵からえ地獄
の全勢力が攻撃してきても圧倒的な勝利を
得ることができる神が身方であり私たちは
勝利を得ることができるというのが2番目
のメッセージであり
ます敵はサタンです悪力ですこの世の君
です今も世界は憎しみや権力や報復や自分
ファーストに覆われているニュースを見
たらそれをもうすぐ知ることができます
恐ろしいえ考えられないような殺人事件の
ようなこともえ普通に報道されて子供の前
でニュースを見るのがえ心が痛いほどで
あり
ますしかしながらあそれはイエス様という
これ以上ない尊い愛の贈り物を頂いてると
いうことを知らないからでありますイエス
様さえも与えてくださったお方は万物をも
くださるんだという世界この世の中はその
イエス様の愛を知らないから
何か自分の力
で皆さん神様が味方であるということを
知ったら必要の全ては備えられています主
の山に備えある主が私の牧者であるなら
乏しいことはありません経済にしても健康
にしても人間関係にしても必要な分だけ
ちょうどぴったり主はいつも備えて
くださるお方です神様が味方であるという
のはそういうことなんであり
ますえカウンセラーであり牧師である丸山
先生という方がいらっしゃっ
てカウンセリングをしている時に大切なの
はまあいろんな人間関係皆さん体験してる
と思いますのでえ1番大事なのは信頼関係
なんだとカウンセリングにねえ
いらっしゃった方が人生に悩んで苦しんで
えいるその人に対してえこの人には何を
言っても大丈夫責められない教えられない
ねすぐ教えたがるっていうことがあります
よね親であったらそうだったりするわけ
ですが直されないそう思ってもらえたら
リレーション信頼関係ができてその人は
どんどん自分のことをえ本当の姿をという
か本音が表に出てきてそのまま受け入れて
もらうと生きる意欲が湧いてくるんだと
いう内容なんでありますが有山先生がこう
語っています主が私たちの味方であると
いうの
は私たちの心の思いを神様が全て理解して
くれるということなんだどんな時でも味方
ということは私たちがうまくいってる時も
そうでない時も大川先生流に言えばもし罪
を犯していたとしてもそれを容さなくても
神様はその存在を待ち続けてくださって
いるほど見方なんですよという内容で神が
味方であるということはあなたの全てを
理解しそうだよねそうだろう辛い経験をし
てるんだねと気持ちを全部受け入れて
くださっているというこれが味方であると
いう意味なんですよとえお話をされてい
ます神が味方であるから自分の要求が全部
通るという意味ではないんだとこれも重要
ですねだけれど神様が理解して受け入れて
くださるんだ
からこの方と一緒に乗り越えることが
できる大丈夫なんだ神様が知らずにいる
わけではない神様は理解して分かっていて
それを見ていて一緒に区を担いでくださる
んだ神が味方であるから私たちはどんな敵
がやってきたとしても圧倒的な勝利者でい
られるんだとこれ私たちがそのように変え
られていくという世界であり
ます少年ダビデが巨人ごてに立ち向かった
話を皆さんご存知でありましょうこの戦い
は主のの戦いだと言ってダビデはですねえ
エラの谷という場所だったわけであります
けれどえその谷から石の5つを取ってえ
そしてん巨人ゴリアがえ向かってきた時に
その中から滑らかなその石を石投げでこう
投げて倒したわけであります5つ石を拾っ
たって書いてあるんでありますけれど1つ
で倒したのでこれぞ勝ち得てあまりあるん
だと大川先生がえどのメッセージでそう
語っておられまし
た私たちも巨人にジャイアジャイアントに
直撃直面することがあるでありましょうえ
羊会の少年が百戦連覇の軍人に勝てるで
ありましょうか不可能の壁にぶつかり淵の
病にぶつかる時が向き合う時があります
しかし神が味方であるならば圧倒的な勝利
者であるという姿勢を崩さずに勝ち得て
あまりある圧倒的な勝利者という
アイデンティティを持って生きれる
でしょうか生きれるんでありますどうして
精霊様がそのように私たちを作り替えて
くださるからなんだという世界であります
お話終わります3番目です3番目精霊様が
私たちのうちでどんな変化を起こして
くださるんでしょうそれは神の愛が私を
捉えて話さない愛で満しがさるということ
であります神の愛が私を捉えて話さない何
がね35節から39節まで3回出てきます
よ神の愛をから私たちを引き離すものは何
もないんだ愛という言葉はアガペであり
ます無条件の愛であります色合わせない
衰えない永遠の愛で愛されて
いる苦難も艱難も苦難も迫害も上も裸も
避難も剣も聖も死も天使も支配者も現在の
ものも将来のものも不安もこの恐れも不安
もと書いてありますが力あるものを権力で
上からえ潰そうとしても私たちを神の愛
から引き離すものはないん
だ私たちはこの真実の愛によって愛されて
いるということを隙間もないほど
え風が私たちの心には吹く時がある暴風が
吹く時があるとお伝えしましたが隙間が
ないほど隙間風が通らないほど防風腕も
揺されないほど私たちは愛されている神の
愛から私たちは引き離されることはないん
だというこの引き離すという言葉は
バラバラにする隙間を作るという意味で
あります
が隙間もないほど愛されているそれは父
なる神様が主イエス様を惜しみなく与えて
くださってイエス様は我が神我が神どうし
てお店になったのですか
と引き裂かれて神様との間に隙間を作って
死んでくださったからでこの愛の身代わり
の故に私たち
は主の元に立ち返りました神が味方である
ということを知りましたそしてイエス様と
同じ姿に帰られていきますさあ今日主の
御言葉約束を信じてそして祈りましょうえ
最初にお伝えしましたが精霊様どうぞ私の
うでお祈りしてください祈ることを教えて
くださいと同時に主よ私のうちでお祈りし
てくださいえしばらく会社に祈りをとき
はちたいと思いますお祈りしましょう
愛するや様
今日これを聞いてくださってる皆さんと
ここに集まってくださった皆様と共に今
祈ります祈りの
座し深い次元の祈りの中に私たちを
招き入れて
[音楽]
ください精霊様が私たちのうで取り出して
くださるあなたが私の内側で祈って
くださいそして全てのことをにして
くださるとお約束の通りにまず私たちを
作り替え祈りは神を変えるのではなくて
私たち自身を祈るものを変えていくんだと
いう素晴らしい世界を体験できますように
主よたくさん祈りの課題があります困難も
あります不可能もありますでもイエス様
今日の御言葉の約束に立ちます神が味方で
あるならば誰が敵対することができようか
何者も神の愛から私を引き離すことはでき
ないんだという信仰で今からの時間になる
ことができますようにイエス様の名前に
よってお祈りいたしますメン
[音楽]

「神との友情」~あなたを変える祈り(ジェームズ・フーストン著)より。

『私たちが祈るとき、それは私たちの内に神が住んでいただくことになります。それゆえ、最も深い次元においては、私たちの内で、私たちを通して、祈りをという行為をなさるのは神の御霊です。17世紀フランスの聖職者フェネロン大司教はそれをこう表現しました。「私に祈ることを教えてください。私の内で、あなたご自身がお祈りください。」

このような祈りを定期的に経験すると、私たちの生活全体が全く造り変えられてゆくことは明らかです。私たちの認識をはるかに超えて、祈りは私たちを変えるものです。キェルケゴールは「祈りは神を変えるのではなく、祈る者を変える」と言いました。神が状況や人間の思考、感情をまったくご存知ないかのように、逐一神に報告するために祈るのではありません。むしろ、神と共にある交わりの中で、私たち自身が全く別人とされてゆくために、「あなたの御心が行われますように」と祈るのです。(序文P.10-11)』

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