【朗読】道具 – 瀬戸内寂聴 <河村シゲルBun-Gei朗読名作選>

道具瀬戸内弱

朗読ケリー
白取徳島の里の家で義兄の一周期が催され
た法事の行事が予定通り
終わり3回した親戚一同も揃って引き上げ
た後に接種を務めた追いの家族に京都から
出席した私だけが加わって茶野まで
くつろいでい
た92が去年の義兄は10人の兄弟がいた
がこの10年ほどで愛ついで高いし今日の
法事に参加してくれたのは待て1人だけで
あった
私よりは1つ若いと言ってもその松定も
80で今日の3会者の中では私と2人が最
after長者であっ
た寺での包容の後席を移しておを出す両手
も例年通りで姉夫妻の決めた通りを守って
いる
案内上を出す名簿も姉が使っていたノート
をそのまま追い夫妻が利用してい
た変わったのは寺の老中職がこの法事の1
ヶ月前多し四則の新住職が暴富に変わって
同士を務めたこと
と3列茶の顔ぶれがみんな1世代
若くなったことであっ
た子供の時から法事で顔を合わしていた
人々はすでにほとんどが奇跡に入ってい
た生き残っていても寝たきりの状態とかで
もう法時に出席することは不可能とその
息子から報告さ
れる若い彼らはざしのどこかに親たちの
表情の名残りをちらつかせることはあって
も大方は親たちよりはかに美形で
たくましく何より揃って背丈が大きく伸び
てい
たもう男客の中には和服の想者など1人も
おらず下手のいい背にブランドのネクタイ
を聞きように閉めて
いるほとんどがホワイトカラー族
で先祖代々の田畑などに何の執着や未練も
なさそうであっ
た親の台まで住んでいた笑屋の固定は
立て直しテレビのホームドラマに見かける
ようなソファーのあるリビングや白い
キッチンやテラスのついた家に住んで
いる建築費は先祖譲りの田端の切り売りを
すればことが足りてい
た言葉遣いも生りは抜けないまま標準語を
使ってい
たおいの嫁のさち子の入れてくれた
コーヒーを飲みながらあと何回私はおいの
接種の法人にに付き合えるだろうかと漠然
と考えてい
たここ10年ばかりたまに顔を合わす
度つくづく行きすぎたなあと思いますと
訴えていた義兄の声が耳元をかめ
たその
角そんなこと言うても常明の尽きるまでは
ませんよ兄さんの常明はきっと100
を超えるんですよと言いながら心では義兄
の樹海に同調してい
た耳が遠くなった義兄は補聴期も色々試し
てみたがどれも気に入らず結局80過ぎて
からの10年はほとんど聞こえないまま
聞こうとする努力も意思も放棄してい
た私の顔を見るたび話しかけはするが
独り言と同じで私の返事を期待しているの
でもなかっ
たどうしても聞きたい要件のある時は質に

た義兄は書かれた私の質問に理な口調で
明解に答えを返した
頭脳は死を迎えるまで冴えていて地方の
症状は皆無だっ
た義兄の60代の半ばから70代の初め
まで強度のノイローゼから老人性うつ病に
なり自殺を防ぐ見張りで姉の体と神経が
保ちきれなくなったことなど夢のような
裁判年の義兄は健康体だっ
たふっと気を抜いたらへを首にぐるぐる
巻きつけていて帯の端を机の足に
くくりつけているのよ昼間でも雨を立て
切って真っ暗な中で壁に向かって座り続け
ぶつぶつ行ってるのを聞くとシベリアの
捕虜の時の死んだ戦友の名を次呼んで自分
だけおめおめ生き残って恥ずかしいって
泣いとるんよこっちの方が先に死にとう
なってしまういつまであの人の重りさせ
られるの
か滅多に泣かない姉が突然油のような涙で
顔を覆ってい
たボケのはめはやっぱり長男の刑事に店を
譲って
私たちが委居所へ引いた形を取ったことだ
と思うあの人は死ぬまで店の戦闘に立って
いかったん
よそういう時姉はもう涙を見せていなかっ
た新仏苦省の店は差物職人として出発した
父が現在地に今の店を開いて初代となった
2代目として店を守ってきたのが義兄の
ひゆで14の時から父の住み込み弟子に
なり仕事を仕込まれてき
た父の弟子はその頃145人もいて口の
狭いうの寝床のような家のどに続く板の間
の左右に床を並べ2列の弟子たちが壁をせ
にして向い合ってい
た弟子たちは父のことを親方と言い母を
姉ちゃんと呼んでい
た4つの頃弟子たちの呼び方がなんとなく
されて聞こえある日父のせに親方ご飯だよ
と呼びかけふざけるなドアホと怒鳴りつけ
られ
た姉お姉ちゃんと呼んでいたので母を
姉ちゃんと呼ぶ気はなかっ
た父は弟子たちに甘く滅多に叱りつける
ことはなかった子供にも弟子たちと同じ
態度で接ししつけは母親任せの法人主義
だっ
たただ一度恐ろしい目に合って
いるやはりその頃外で遊びほけていた私は
尿意をこらえて家に飛んで帰った長い
仕事場の宛て床の左右に並んだ真ん中の道
を奥まで走らなければならない生活の場は
この家では仕事場の奥にあっ
たどに造りを脱ぎのばし私はかなくで
埋まった中央の道を駆け抜けようとした
その時いきなり金弱が飛んできて
私の足を救ったもに当たれば子供の柔らか
な肉は切れていた
だろう女たらに道具をまくな恐怖の中で父
の土星をはっきり聞いたその途端こらえ
きれずかくの中に私は放尿してい
た飛んできた母が泣き叫ぶ私を横抱きにし
て台所の板の間に放り出しバケツを下げて
すぐ仕事場に引き返し私の祖の後始末をし
て父に平謝りに謝っていた母が掃除をして
いるのを弟子たちが見かねて手伝おうと
すると父は厳しく止め
た子供のしつけは母親の役目
だその後どんなことが起こったか覚えてい
ますか義兄が行った姉も義兄も健康で2人
の男の子もスクスク育っていた幸福に何の
限りもない時だっ
た私もどうにか東京で小説家の端くれに
なり自立できてい
たその時も父の何会期かの報じの後だっ
た3人で誰からともなく昔話を始めていた
私が覚えている金雀事件を話すと姉は
初めて聞いたと笑ってい
た何が起こったの姉が珍しく義兄を促した
物影でお母さんがお父さんに叱られている
のを見ていたはちゃんがそろりと出てきて
お母さんの前に匂立ちになってお父さんを
睨みつけたんです
よほ大な道具やったらなんでこっぱの中に
ほっとくん棚にちゃんとあげとけばええの
に弟たちが思わず笑い出して中には手を
叩くやもいて親方も苦笑いして一見落着
です何しろあの頃のはーちゃんは理屈
っぽくてそれでも理屈に筋が通ってる
ところが面白いんですよほら隣の米屋の
大家に平怪我に見たような顔のばあさんが
いたでしょういたいたあの人が母のおば
さんで田子のお父さんに惚れ込んでメと
結婚させたのよその通りとついできた嫁
さんは箸4本茶碗2つの貧乏書体におじ
気づいて何度も逃げて帰ろうとしたその度
あのばあさんが首ねっこ捉えて引き戻した
あんたよううちの歴史に詳しいね姉が切れ
たように口を挟むつやが知らなさすぎた
だけや姉も声を立てて笑っていた義兄の話
ではカばあさんは急の紅葉を猛進していて
自分の孫だけで飽きたらず近所中の子供
たちに片っ端から達しで頭の良くなる壺球
というを強制的に連れて回る趣味があった
当然リカの田子の4つの娘の私も狙われて
奥の部屋で私は急を据えられた母と力持ち
のネヤが抑えつける役だった私の火がつい
たように泣き叫ぶ声が仕事ままで聞こえて
くる泣きじゃくりの中から私は叫んでいた
うちクは若い師がいっぱいいっぱいおるの
に1人もうちを助けに来てくれへんうわあ
うわん父の弟子たちのことを両親は若い師
と呼んでいたのだ私もやいと吸えられたの
かしら姉が言ったいいやつやは据えられ
とらん親方があんまり可愛がっとったから
ばあさんも手が出せなかったんだろうやの
後など1つもないよ義兄が力を込めて断言
して立ちまち自分から赤くなっ
た家月娘らしくどこかおっとりしている姉
は義兄が姉に恋焦れてどんなに苦しんだか
さえ全く気づいていなかっ
た私の方がその問題で両親が珍しく興奮し
て論しているのを何度か小耳に挟んでい
た姉はすでに女学校を卒業し花や茶や集字
の他和菜にも通いいわゆる花嫁修行中だっ
た上級学校へ行きたいという意志は珍しく
父の断固とした反対に会い諦めてい
た反対されるとあっさり諦めるところが姉
のせ性格の特徴かもしれなかっ
た母は姉が若いくせに情熱が足りないと
イライラしてい
た母の結婚は不幸ではなかったけれど母は
もしかしたらもう1つのあり得たかもしれ
ない理想の結婚の夢を心のどこかに温存さ
せたままなのかもしれなかっ
た職人の妻にな
多くの弟子の食事を半場のような大釜で
炊く暮らしは御場日傘で育った母の結婚の
夢とはかけ離れすぎてい
たそれでも初めて知った男の魅力は母に運
を言わせない説得力があっ
た3歳の時父親に出版された私の父は小
学校を卒業してすぐ林間へ方向に出されて
いる引田で和さ本の製造業者のリーダー格
だった祖父の家は主人を失って立ちまち
つれてしまっ
た3人の兄と1人の姉の末っ子だった父
だけが兄弟の中で1番貧乏くじを引いた
わけで兄や姉の味わった子供時代のの豊か
さに無縁だっ
た父の元に集まってきた弟子たちも多かれ
少なかれ不幸の影を背負っていて片親が
多かったし両親のない子もいたそんな1人
が義兄だっ
た義兄の父親は10人の子を妻に産ませた
まま突然川に浮いていた
等身か事故か分からないまま乗っていた
自転車が数日後下流に流れ着いていたので
自己しとされ
た長男の虎だけが年がやや離れていて次男
のひゆ以下は年子や双子が続いてい
た子供にはみんな動物の名がついていた3
人の女の子は小とつけられている小竹売は
めでたいし動物はみんな強いし生命力が
顕著だというので母子の住職がつけたんだ

いう虎や熊や牛やイシは見たことがあるが
兵だけは誰も見たことがなかっ
た義兄は自分の名を結構気に入ってい
た兄弟の中で
だけが小学校出るとすぐ町の柏野に方向に
出され
た柏屋が正に合わず三月で飛び出しふとし
た縁で父に拾われたのだっ
た私がいつ姉が10の時の写真が1枚残っ

いる弟子の中の1番年長者の2人が21の
年期が明け独立し出ていく時の記念写真
だっ
た店の前の往来で全員が並んでい
た文月袴姿の父と2人の年期明けの弟子が
前列中央にいてその横に私と姉が左右に
別れて立って
いる私は姉のお下がりの着物を着ていて姉
は長いの着物に袴を胸高につけてい
た母は丸に黒門つの羽織り姿で最後列の
真ん中にい
た晩年の超えた姿からは想像もできない
撫で肩のほっそりした息な姿に移ってい
た10数人の弟子たちの最前列の1番隅に
背の
丸坊主の氷雪が立ってい
たこがの着物を裾身近に着て人の下から
メリアスのズボ下が出てい
た高下のように歯の高い下駄を履いている
のは少しでも背を高く見せたいからなの
か弟子の中には男前のものも何人か目立っ
ていたが雪は平凡な特徴のないをしてい
た母の勘の立った声が次第に高くなってい
たひゆのどこがいいのですかわしが見込ん
だ弟子に文句をつつけるなつやの幸福と
お父さんの店への執着とどっちが大事なん
ですかこんな店を守るよりつやの好きな
結婚させてやった方がこんな店と言ったな
よしわしはこんな家出て行ってやるけか
わしはな道具さえ持てば自分1人どこの地
の果てでも暮らしていけるん
や父の立つ気配に母の取りすがる気配がし
た言いすぎましたごめんなさいお父さん気
を沈めてください母は泣いていた父はその
肩を蹴ったのだろう母のどさっと倒れる音
と生子の荒々しく開く音がして父が仕事場
へ向い庭を横切る足音がしていた私は足音
を忍ばせて2階の自分の部屋へ引き上げ
た姉はそんな出来事を何も知らずに大菩薩
峠に読みふけってい
た道具さえ持てばという父の声が耳に強く
残っていた女の子の私がまだというだけで
金を飛ばした父のが10年甘にも立つのに
昨日のように全身に蘇ってい
た父の道具といえばまず
カのこぎり
様々な形と大きさののみ
木槌
金槌炭引き尺などがあげ
られる弟子たちは仕事場の壁に道具を
差し込む3を作って仕事が終わるとそこへ
自分の道具を生前と納めてい
た弟子になって最初にやらされるのは
こもりや掃除であり道具の研ぎ方を教え
られるのは半年も経ってからであっ
たつまり半年ほどは道具に触らせても
もらえないのだっ
た板前がよく
1本持てば全国どこへ行こうと食いはしは
ないと単価を切ることがある私は父の単価
に板前も大工も職人で職人とは腕の誇りを
信条として生きている人間なのだと納得し
た父はまた食人の持つ息な雰囲気を匂わせ
てい
た母があむざっくりしたセーターを着て
仕事をしている姿も生きだったが大島の
着流し姿など他に真似のできない独特の
色気を醸し出してい
た結婚して以来いつとはなしに父の男ぶり
に惚れ込んでいた母は義兄のおよそ不粋な
容姿や危険の匂いの未もしない気まじめ
ぶりが
気に入らないのだっ
た自分が将来気真面目で曲がったことの1
つもできない性格だからか母は父の漂わす
底はとない危険な匂いに心をしらせるので
あろうまた父の内蔵するブラの血の匂いに
も心心がしびれていたようであったそれを
認めることが恥ずかしいので母は一層
真面目さを鎧にして愛国婦人会の会長など
に祭り上げられてい
た母が義兄を娘の無子として認めたがら
ないのは義兄の中に自分と同類の融通性の
ない気真面目さを認めていたせいではない
だろう
か謹慎蔵王に近い母の義兄への感情は
若かった義兄にとっては到底理解しがたく
ただ自分が拒否され嫌われているとしか
映らなかった
だろう色々揉めた末姉の結婚は姉が父の
家業を義兄と結婚して守っていくといった
ことで一挙に解決した母は落胆を私たち
姉妹には隠さなかったがさすがに決まった
ことに対しては愚痴もいたことは一切多言
せず婚礼の支度に没頭していっ
た穏やかな歳月のうちに姉は2人の男の子
を産ん
だ次男が生まれて間もなく義兄は招集され
終戦の時満州からシベリアに連れ去られ虜
になった足かけ6年の捕虜生活の間に頼り
ははがき2枚しかなかっ
た終戦の一月前母は防空号でアメリカの
爆弾で消ししてい
た姉は子供たちを連れ義兄の里のナヤに疎
していたのでその日の空襲には合わなかっ
た父は町内会の会長を引き受けいて近所の
人々を逃すことで手一杯で母を見殺しにし
たと戦後周りから避難されてい
た父にとっては母の死以上に答えたのは
義兄が戦後何年待っても引き上げてこない
ことだっ
た町内で引き上げてこない兵隊は義兄1人
になっていたそこへ私の一家が親子さ3人
で北京から引き上げてきて木のみ木のまま
で家族ろとして転がり込んで
いる父は脳一決と結かにかかり働けなく
なってい
た焼け跡に父と姉の2人で手作りで立てた
家でブツブツ交換の位置を開いたのは父の
アイデアであったそれが当たり姉がその
位置を1人で盛り立て経営していたしまに
は古の買い出しに大阪や京まで出かける
ようにさえなっていた姉の細腕に家族と伊
ろ一家までがしがみついてい
たあんな解消な人は思わなんだ男ならハウ
てでも逃げ出し歩いてでも日本に戻ろうと
するだろう5年も6年もべべとシベリアに
いて何をしてるのか父は自分の体が思うに
任せぬ焦りからあれほどお気に入りの義兄
を口汚くののしるようになったののしる
口調には義兄の帰りを待ちわびる心の切な
さが滲んでい
た夫の東京の職が決まり私たちがようやく
姉の家から伊ろ暮らしを切り上げて状況を
した後突然義兄がシベリアから引き上げて

た商内中の家から出迎え人が集まってくれ
高松まで出迎えに行った時義兄は船の看板
で一緒に帰った兵隊と肩を組み革命化を
交渉し我ら祖国ソ連万歳と叫んでいた6
年間の捕虜生活で完全に洗脳されてい
たいつの間にか茶の間には私とおいの刑事
だけになっていた2人の思い出話は2人に
しか通じないものが多くなってい
た幸子と息子の啓介の嫁の瑠美子が台所で
火薬うどんを作り運んでくれてい
た啓介は刑事が瑠子に聞くと本町の倉庫に
何か取りに行くと言って出ましたという
義兄は家に帰り着いた翌日共産党に入刀
するつもりだったが父の病状にショックを
受けそれは思いとどまっ
たそれでも1年ありは配線後の日本のに
なじめず1人で苦しんでい
たあのポスター事件うどんにむせながら
刑事が言い出し
た義兄は帰って1週間ほどすると小学生の
刑事とまだ学校にも上がらない次男の年を
連れてよよな町へ出ていく2人の子供には
大きな隅粒を持たせてい
た町のホボに張り出されているストリップ
劇場のポスタを見つけると自賛の筆で
むき出しの2つの乳さと家FAMの三角形
を黒黒と塗りつぶすのだっ
たいいかこういうものを張り出す精神は
腐り切っとるんだぞ人間の精神はもっと
交渉でないといかん今の日本は情けな堕落
しきっとる子供たちはポカとして墨つぼを
下げてい
た3箇所を黒黒と塗りつぶされると
ポスターは一層わせになったよよな痴漢が
塗って歩いているという風評が立った子供
たちから事実を聞かされた姉が泣いて
起こり義兄は自説を曲げずしばらく夜に
なると出かける出るなで大変だったという
子供心にもあれは妙なことすると思うとっ
たよ私もうどんに蒸せながら吹き出してい
た2年ほどでようやく落ち着いた義兄は新
仏具の店を復活させ細々ながらまともな形
に立ち回らせ
た病気にじれた父は投げ込まれたチラシ
広告を見て出前のコンピラキュの治療に
出かけ頭のてっぺんに急を据えられて即死
した刑務所の前の汚いきちん宿の2階で私
は父の死顔に向き合っ
た啓介が帰ってきた容気で社交的な父親に
担ない啓介は4代目として店を継ぐはずだ
が科目すぎておよそ商売に向いていなかっ

それでも結婚した頃から店を継ぐ決心を
固めた様子で
あるおじいちゃんに言われたこと忘れてた
急に思い出したからあの世からのおじい
ちゃんのメールかと思って倉庫に行って
持ってきたそれで何持って帰ったんや刑事
に惹かれて啓介は両脇に抱えていた荷物を
机の上に並べておいた大きな箱にはに義兄
の律儀な筆の字で遺言のことなどと書いた
髪が張り付けて
あるわしが死んだら倉庫の2階のつの中を
開けて箱を2つ出してみてくれと言われて
たけどそれ聞いてからおじいちゃん10年
も品なんだからすっかり忘れていた箱の中
にはもう1つうるし塗りの立派なフ箱が
入っていたそれを痛めないため外箱を義兄
が作ったの
だろうフの蓋の裏には義兄が単価で何かの
書をもらった時の商品だと金文字で来され
てい
た中には私当てを始め家族1人1人の名前
をきした遺言城が入ってい
たルミ子宛てだけがないのは描いた日付が
10年も前の年月になっていて瑠子はこの
家とまだ無縁だったから
だ文化の年を一家当てのも万年の父を最も
真味に見守ってくれた私の従当てのもあっ
た姉と義兄の単価の師匠当てのもあっ
たどれもふはしてなかっ
た本人にしてもこれを書いて10年
生き延びようとは予想もしていなかった
だろう葬儀のことというこに
はA社とB社があるがB社の方がサービス
が細やかに行き届き値段も安いから必ずB
社にするようにとあったあれごめんよA社
でもう葬儀済ませてしもうたB社はなすま
んけど5年も前に潰れてしもうてもうない
んですよ刑事がそこに義兄がいるように
言うのでみんな笑ってしまっ
た私宛ての遺言には初代が始めたこの店を
果たして3代目の刑事が守っていける
だろうかという不安を面々と訴えてい
た大学など出さず中学を出た時から膝で
仕事を叩き込むべきであったと果してい
ますゴルフと麻雀の腕ばかりあげてそれが
店に何の足しになりましょうや全ては親の
教育の誤りの報いであり
ますそこまで読んできて私は笑い出した
刑事がゴルフで半で7になりホールイン
ワンを立て続けに2回した時であったお
茶屋の女将がびっくりするような大きな体
を祝いに持ってきた店にいた義兄と姉が女
の祝いの工場を聞き終わるなり真っ赤に
なって怒鳴りつけた何がめでたいあいつは
我々夫婦と嫁の労働の犠牲の上にあを描い
て店を帰りみずゴルフざ昧ホールインワン
とはあのの中にボールが入ることでしたろ
そんなこと赤子でもできます釘1本まとも
によ打てんくせにその日のうちに神の口
からこの話は町中に広まってしまった私へ
の融合の最後に水信があっ
た散々刑事の悪口を申し述べましたが私は
刑事をただの1度も恨んだことはありませ
ぬあれは心が実に優しい稀に見る全量な男
であることをよく知っているからであり
ますそれぞれが神妙な顔つきで自分当ての
言言を読んでいる時私はもう1つの細長の
木の箱を引き寄せ
た蓋の上には黒黒と筆の字が書きつけられ

いる仙台様
蓋を開けると1枚の髪が入っていて私当て
になってい
た仙台様のお道具です我が家の息子も孫も
大学を出したばかりにこの道具を伝えても
扱い方も知らず豚に信じであり
ます幸いあなた様は出を遂げられた上像
掘られています何とぞこの道具を用い会心
の物造を掘られますことを祈ってやみませ
ん私はもったいないのでほとんど使わず
家法として守ってきましたので私の手垢は
ついておりませ
ん箱の中には16本の様々な形の大償の
のみが入っていた時々私の鉛筆を削って
もらった懐かしい小刀も見つかった研ぎ
減りがして三角形の歯だけになったその
小刀で削ってもらうと鉛筆が急に生き生き
と見えたのを
思い出すどののみも今すぐ使えそうに研い
だばかりのように歯が濡れ濡れと光ってい
た1本ずつ父がつけた木の絵にはちょっと
した科学模様などが掘られていたり父子の
名前が刻まれたりしていた握りと手のひら
に妙に温かくすっぽりと収まっ
た父の手のひらの熱と油が染みついた絵は
どれも栗色になりワックスでもかけたよう
に艶を持ってい
たと石にうきこんだ父の背がまぶたの中に
蘇って
くる
お父さんいただきましたよお
道具私はその背に向かってさき
かける器用に掘ろうとするな木の中の仏様
にお出まし願うよう祈りを込めて
ほれそれは私が仏像堀の手ほどきをして
いただいた物資の言葉だったが父の声で今
ありありと伝わってき
たええ固もらいましたね刑事が言った本当
にそれで持った最初の一体は私にください
よどうしてかみです決して売りません啓介
さんには何と書いてあるの私の問いに顔を
あげた啓介の目がふんでい
た石にかじりついてでもこの店を守
れってさち子のは刑事の問いに別にと口
こもりながら幸子は洗面所へ駆け込んだ
泣きに行ったの
だろう啓介夫婦が近所のマンションへ
引き上げ奉じ疲れの幸子を先にネマに
引き取らせた後もまだ私と刑事は茶の間に
残ってい
たその場に姉と義兄が来て座っているよう
なぬくもりが漂ってい
た刑事の前には敷が3枚並んで
いる遺言の箱の底にあったという敷石には
義兄の単価が清書してあっ
た姉が中年から単価を始めると義兄が1年
ほどして姉の単価の会についていくように
なったの
だ姉は2冊の過小を残したが姉の死後義兄
も1冊の過小を編んで
いるいつ頃からか姉と義兄はどこへ行くの
も一緒だっ
た子供のように追いかけくっついてくると
姉は一応口ではうるさそうに言っていたが
本気で嫌ならとても付き合いきれないほど
義兄は姉に密着していた
金魚のふ見たようにどこへでもくっついて
いてお母さんはよう辛抱したと思うよ毎晩
仏壇の前でつやよはを呼んでくれって言っ
てたけど絶対お母さんは呼ばないだろうと
思ってたあの世で濡れ落ち葉では叶わん
だろうだから92まで生きたんだと
憎まれ口を叩きながら刑事の視線は
義兄の歌に吸い付けられてい
たみんな身の空さし列の狩り行けば捕虜と
なる身を妻に
伝えよ斧が手もて我ら捕虜者へ有子線
張り巡らせる仕事始め
に依頼心は
適当もいて兵の日のごとにボタン1つつけ
しまう声を出して読んでいた刑事があこれ
さち子が入院しとった時の歌や病院から
戻ったらお父さんが付け終わったボタンを
見せてこの歌言ってた素朴でなかなか
よろしい
なあ最後の1枚は恋にする前に
刑事は泣きじゃくり机にうつぶしてしまっ
た今橋を渡ると遺骨につる
時抱きいる箱はことことと
なる姉は直腸癌の発見が遅れ3ヶ月で死ん
でしまってい
た17階も塔に住ませている義兄のうつ病

姉の死のショックで嘘のように治って
しまっ
たあれは仮病に違いないお母さんの気を
引くための大芝居やったと思うまさかと私
は刑事がそれを言うたびその言葉を否定し
ながら心のどこかでそうかもしれないと
いう気持ちがあるのも否めなかっ
た早く死にたいと言いながら
は少しでも体調を崩すと自分でさっさと
入院してい
た十分体調が回復しないと家には帰り
たがらなかった最後の入院もいつもの用人
入院だと家族は呑気に構えていた医者も
そう見立てていたようだっ
た私が仕事で危機をしたついでにふっと
義兄を見舞になって刑事の車で外れの病院
へ運んでもらっ
たこざっぱりした日当たりのいい部屋で
病人はベッドに横たわっていたがちょうど
看護師が義兄のタを取ろうとしている
ところだった私たちは看護師の背後から顔
を突き出し来たことを告げた耳の聞こえ
ない義兄には声をかけても無駄だった
私たちを認めわずかに義兄の瞳に光がとっ
たように思った瞬間看護師があっと呟いた
操作しているタト機に何か異変があった
らしい顔色を変えた看護師が慌てて部屋を
飛び出しすぐ若い石が駆け込んできた彼に
続いて看護師が34人走り込ん
だそれが義兄の臨であっ
た刑と私の2人だけが義兄の死に立ち合っ
た憎しの誰の死目にも会えなかった私が
初めて目の前で死を見送ったのが義であっ
た道具の箱をしっかりと
引き寄せ私は立ち上がっ
たその
瞬間義兄と父のの命日がはらずも同じ4月
29日だったことに気がつい
た義兄がそれに気づかない私の迂闊さに
じれて今告げたように感じた
選び抜かれたとっておきの名作朗読文芸集
文芸ホラースリラーサイコサスペンス人生
に潜むミステリアスな空間の数々おすめは
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#文学 #朗読 #瀬戸内寂聴
終世、作家の粋を極めた自伝的名作です。
幼い自分を容赦なく叱った指物職人の父と
その道具の想い出。

作品中の義父は シベリア抑留中、腕の
良さを認められ、好待遇を受け、
「スターリンの煙草入れを作った」ことが
自慢だった……とは、寂聴さんの御親族で
作家・長尾玲子さんの情報です。

@名作朗読チャンネルBun-Gei

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瀬戸内寂聴 1922~

徳島県徳島市生まれ。
東京女子大学国語専攻部 学位は文学士。
天台宗 尼僧 僧位は大僧正。
生きることは愛することを、座右の銘に。
数多の人生遍歴を重ね今も尚、前を見続けている姿勢は感動的だ。
作家としても、これまで多数の著作により多くの文学賞を受賞。
いち早く「ケータイ小説」のジャンルにも進出し、
新境地へのチャレンジ精神は旺盛そのものだ。

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ケリー・シラトリ(けりー・しらとり)

1961年 東京生まれ。
メディアクリエーター・女優・作家

幼少期より劇団に所属、子役として舞台等で活躍。
文化放送アナウンススクール卒業。
学生時代はラジオ・TV等放送局でアシスタントとして活躍。
海外生活に長け文筆家としてコラム・エッセイなど多数掲載。
FM局MC、司会業、朗読会等多数。
パロディ、バラエティ、ミステリーまでこなす実力派女優。
現在は作家・シナリオライター・放送作家として幅広く活躍中。

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