昭和芸能裏話【伝説スターVS鬼監督の壮絶撮影現場】
岡千恵蔵市川歌え嵐神パンつま内伝次郎 ある映画なんか200回溝口映画の撮影 現場 カカ君たちの芝居はね監督がカカカ監督 やっぱりおやなダメ [音楽] ですはい皆さんこんにちは浜村です私がね 映画評論の仕事をやるようになった きっかけはねまあ面白いんですよ私は京都 北の高上というところで生まれ育ったん ですでここはね時代劇映画の撮影の本場 やったんです京都で時代劇映画を取ると なれば佐野嵐山あのあたりともう1つは私 が生まれた場所高峰がそうなんですよねで ねね昔ながらの景色がいっぱい残っていて 山道があって電神柱がなくて時代劇を映す のに非常にふさわしい場所やったんですで もう私は小学生の頃しち時代劇の撮影に来 てましてで昔はね時代劇ロケーション撮影 とは言わなかった種取りと言うたんですで 近所の人はお今日も活動写真の種取りに来 てるでなんて噂するとね僕ら小学校から 帰ってくるとカバ掘り出してその種取りの 現場見にた種取りて古い古い言い方ですね でもねなんとなく懐かしい匂いがする でしょするとね大人そんなん見に来ません みんな仕事あって忙しい子供暇やからね僕 らカ掘り出してダーっと撮影現場へ走って いくんですそうすると山があって崖があっ て森や林があって川がていとで近代的な 風景は何しないだから時代劇撮影には ふさわしいんですねそこに片岡千恵蔵市川 舞え門プラマ天狗で有名な嵐神治郎それ から坂道つバツですねアカ王地伝次郎そう いう人いっぱい行きました一が歌えもは 例えば旗本体男で非常に人気ありました 片岡像はずハガ嵐神治わく天狗みんな代表 作持ってましたねで目の前でそういう スターたちが動いて走って喋って泣いて 笑ってやるんですから映画館で見るより はるかに贅沢が思いしましたですねでそれ また監督あるいは女監督スタッフたくさん ついておりましてねで監督が撮影行きます 撮影言わないハからですね映画の人は シュートする打つ鉄砲ピストルを打つと いう意味ですねシュートシュート行きます 言うとでカメラが回り始めるで役者が演技 する面白かったですねそれはでね特に私の 実家のある辺りですからね近所に島本さん 川勝さん戸田さん恋は打ちあるわけですよ そうするとね映画完成して映画館にかかる ようになると見に行くんですで見に行って かさんの家映ってたすにさんの家映ってた 柴さんの家映ってた話し合うのもまた 楽しみやったですねでそういうところから
映画というものに非常に興味を持ちました で高校生ぐらいになると映画って自分たち が人間が一生かかっても体験できないもの をドラマチックに見せてくれる ロマンチックに見せてくれるスリリングに 見せてくれる遠い遠い昔の話遠い遠い未来 の話実際には体験できないですねそれをね 映像で見せてくれる素晴らしいもんがある なもう本格的に映画好きになったでまして 映画を作る現場から見てますからねだから もうますます映画にのめり込んでいった わけなんで映画評論の仕事映画紹介の仕事 をするようになってからねもう何本も何本 も可能な限り映画見てまりましたで大学へ 行くようになったらね与田吉方この先生ね 日本1の名脚本家と言われた人ですねみ 健二という名監督と組んでねもうたくさん たくさんの名作を書き上げましたでその 与田先生がなんと私が言っていた同者大学 の映画学概論という講座の先生兼てはった んですで与田先生についてね撮影所なんか へも出かけていきましたで与田先生春です み事監督と組んでね度々いろんな書を取っ たけれども溝口健二ま略してみぞけと言う んですがねもう難しい監督でねあのカルト 組むのしんどいですわどんな風にしんどい んですかどんな脚本書いて持っていても ダメですしか言わないでどこがダメでどう いう風に書き直したら良いか一切具体的な 話はしないダメです書き直してくれと言ん で書き直して持っていくまただです 書き直してくださいというある映画なんか 200回書き直しをさせられたというです ねで映画も面白いけどその裏話の方面白い ですねで私はみ健二監督が撮影する映画ま 祇の兄弟とか何はエレジーとかもう いろんな名作があります最悪一大女とかね 近松物語とか撮影してる現場撮影所で見た いって言うたら与田先生がねじゃあ僕に ついていらっしゃいおっしゃって宇さんの ダエ撮影で56人我々学生がくっついて いくんですそうしたらね溝口映画の撮影 現場ってシーとしてるんです針1本落ちて も音が聞こえるくらいシーンとなんでシン としてるか緊張してるんですねで ディレクターチェアっていう椅にね監督が 座って恐ろしく怖い顔してるんですね鬼の みけですで監督が一生懸命芝居する例えば 近松物語これを撮影しているするとねまあ 主演が長谷川和で香川京子南田洋子南田 洋子って後長博之さんの奥さんになった人 ですねこういうスターたちが一生懸命芝居 するすると水口監督がカッて声かけるん ですねダメですそれしか言わないどこがダ メて具体的にはないもう1度行こうよい
スタートそうするとあのジガントそれから セカンドサードジガントたちがシュート撮 入りますシート声かけるとカメラが回り 始めるで役者が一生懸命芝居するすると 監督が勝ダメですこれしか言わないですね で何べ目かに長川和夫さんが言うんです 監督どこがダメか言ってください言うと 監督ね君たちの芝居はね感覚的な輝きが 不足してるんだよ何のこっちゃさっぱり わからないで昼休みの時間になると役者も スタッフも全部ねスタジオ出てお昼ご飯 食べに行きます監督だけ出ないで怖い顔し てディレクターチェアに腕組して座った まま動かないそれはなぜかと言うと自分の イメージにふさわしい演技自分が描いた イメージにふさわしい場面を作りたいん ですねでそれ次次はどういう場面どういう 風に演出したらいいだろうか監督考えるん ですで自分だけお昼ご飯に行かないでその 1人になった隙間にね我々学生たちが 恐る恐る近づいて言うんですあ監督いつも あんな厳しいんですかって言うとね監督 ニコでませんと言いましたいやそんなこと はないよ羽川若と言えば大Aや大Aやなし に日本を代表する大産第2枚目大さだから 僕はね馳君には優しくやってるんだよ言う からみんな笑いをこらえてどこが優しいね 監督やっぱりおやなと思いました水口健二 とか小安次郎木下啓介こういった辺りの名 感とが本当に厳しかった厳しい厳しい容易 にOKとは言わないですね [音楽] カット [音楽] T [音楽] T
浜村淳が実際にその目で見た昭和の伝説的映画スターの素顔と世界的映画監督の壮絶撮影現場の裏話を公開!
溝口 健二(映画監督)依田義賢(脚本家)小津安二郎(映画監督)
長谷川 一夫/片岡千恵蔵/市川右太衛門/嵐寛寿郎/阪東 妻三郎/大河内傳次郎 他
【チャンネルについて】
「あの映画に出てた俳優の素顔を聞きたい」「タイトルは知ってるけど見たことのない映画」「悩んだときに勇気を貰える映画」視聴者のリクエストを元に、今年89歳を迎える浜村淳が往年の名作を、名調子で解説。
MBSラジオ番組「ありがとう浜村淳です」のパーソナリティーとして毎日2時間生放送を行う驚異の語り手・浜村淳。「本物の映画を観るより面白い(by笑福亭鶴瓶さん)」とまで言われる得意の映画解説で、Youtubeに挑戦致します。
ご本人の体調の無理のない範囲で、毎週一本更新予定です。お気に召しましたらチャンネル登録お願い致します。
【リクエストについて】
このチャンネルでは視聴者の皆様からの【浜村さんへの映画リクエストや人生相談】など映画に関して聞いてみたいことなどをメールで受け付けています。
お寄せいただいたメールには特別な事情を除き、返信は致しませんが、貴重なご意見やご相談として大切に扱わせて頂きます。
【メッセージ応募先:info.prdouga@gmail.com】
動画使用写真素材及びBGM(CC及びPD表示)
BGM提供 MusMus様
①片岡千恵蔵
片岡千恵蔵プロダクション – http://images.keizai.biz/shibukei/headline/1233068195_photo.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23629996による
②市川右太衛門『宝の山に入る退屈男』(1938年)
Directed by Takashi Nishihara, produced by en:Shinkō Kinema – Screenshot of the movie, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20747511による
③嵐寛寿郎の鞍馬天狗、『御存知鞍馬天狗 宗十郎頭巾』
新興キネマ(スタジオスチル)/ Shinkō Cinema – Japanese Movies, Fandom https://japanese-movies.fandom.com/wiki/File:Kanj%C5%ABr%C5%8D_Arashi_as_Kurama_Tengu_1936.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=112910321による
④阪東 妻三郎
不明 – http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46032237.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9523792による
⑤大河内傳次郎
不明 – http://www.asahi-net.or.jp/~IA6T-TKHS/j-movies-3.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9523325による
⑥『旗本退屈男 江戸城罷り通る』の市川右太衛門
Directed by Tatsuo Ōzone, produced by en:Shochiku – Screenshot of the movie, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20749132による
⑦片岡千恵蔵(1955年)
時事世界社 (Jiji Sekai-sha). – 『映画と演劇』1955年7月号、時事世界社、1955年、p. 14Magazine for "Eiga to Engeki (Movies and theater)" July 1955 issue, Jiji Sekai-sha. 1955 , p. 14, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=116766307による
⑧『疾風!鞍馬天狗』公開時のポスター広告
宝塚映画製作所 – http://stat.ameba.jp/user_images/66/28/10108519730.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=37317869による
⑨『女賊と判官』、東横映画、1950年
東横映画 – http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/o/r/y/oryu/201105081542588d2.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20326266による
⑩『大江戸五人男』(1951)左は阪東妻三郎(1951)
Shōchiku – Shōchiku, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=96059670による
⑪『新版大岡政談』(1928年)左から伏見直江、大河内、高木永二日活太秦撮影所 – http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/OKASEIDAN.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23948286による
⑫『瞼の母』(1936年)右は林誠之助。
片岡千恵蔵プロダクション – http://3515.iza.ne.jp/images/user/20110630/1447720.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23115808による
⑬溝口 健二
朝日新聞社 – 『アサヒグラフ』 1948年2月11日号, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34659667による
⑭溝口 健二
不明 – https://mubi.com/es/cast/kenji-mizoguchi, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4291308による
⑮撮影現場の溝口(1950年代頃)
不明 – http://d.hatena.ne.jp/midaregumo/20060824, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4291299による
⑯1956 (祇園の姉妹 Gion no shimai)
Daiei Motion Picture Company (大映株式会社, Daiei Kabushiki-gaisha), © 1956 – movie poster by Daiei Motion Picture Company (大映株式会社, Daiei Kabushiki-gaisha). Downloaded from http://kamijyo.blog.so-net.ne.jp/2009-04-19 accessed 8 June 2009., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6975465による
⑰戦前期の溝口の代表作のひとつである『浪華悲歌』(1936年)のポスター
Shochiku Company, Limited (松竹株式会社, Shōchiku Kabushiki Gaisha), © 1936 – movie poster made by Shochiku Company, Limited (松竹株式会社, Shōchiku Kabushiki Gaisha). Downloaded from http://www.aba-pon.net/eiga.html http://www.aba-pon.net/image51/posuta2.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6869135による
⑱『西鶴一代女』(1952年)で主人公を演じた田中絹代。田中は後期の溝口作品に欠かせない主演女優として知られた。
Shintōhō – Shintōhō, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=78025099による
⑲『近松物語』(1954年)のポスター。
Daiei Film – poster.c.blog.so-net.ne.jp
The Crucified Lovers (1954) poster.
Daiei Film – poster.c.blog.so-net.ne.jp, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=46923795による
⑳長谷川 一夫
不明 – http://www.kcat.zaq.ne.jp/takase/Resources/shashin2/hasegawa_large.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3204914による
㉑南田洋子(1955年)
産業経済新聞社(Sankei Shinbun Co., Ltd.) – 『サンケイグラフ』1955年1月23日号、産業経済新聞社”The Sankei Graphic”, Sankei Shinbun Co., Ltd. 1955., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=110553838による
㉒香川京子
国際情報社 – 『映画情報』1957年2月号。発行所:国際情報社。"Movie Pictorial (Eiga Joho)", February 1957 issue., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=140160747による
㉓「林長二郎」時代の長谷川一夫
不明 – http://www.asahi-net.or.jp/~IA6T-TKHS/j-movies-11.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9539207による
㉔1950年代頃の溝口
不明 – http://www.kadokawa-pictures.co.jp/mizoken/profile/index.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4291291による

10件のコメント
へぇー、ほぉー、すごーいと感心しながら羨ましい体験談聴き入りました。続きが気になります〜😚
毎回、楽しみです! できましたら、こういうのを御仁にライブ配信で開催してもらいたいです!チャットでリアルタイムで感想を書き込めたら、これまた最高です!
よろしくお願いいたします。
楽しいです!ありがとうございます。こんな素敵なお話し聞けて幸せです❤
「近代的な風景は何一つない」
この風景が今でも残っているのか気になりました
CG技術の進化によって、昔ながらの風景を映画で再現することは可能になりました
それは確かに素晴らしい進歩です
しかし、実際にそういった風景がこの世から失われてしまうと考えると、深い哀しみを感じます
デジタルの進歩は喜ばしいですが、過去の風景や文化が現実世界で存在し続けることの大切さも、忘れてはならないと思います
主演のポリシーと監督のポリシー合わないこと多いでしょうね😂
浜村淳様にお願いします🤲 忠臣蔵を語って下さい🎉貴方の忠臣蔵は何度でも聴きたいのです❤
浜村節炸裂!やっぱりテンポが良い!
ラジオあと10年は軽く出来ると思いますが😅、毎回楽しみにしてます!
いつもご視聴頂きありがとうございます!お気に召しましたら是非チャンネル登録よろしくお願いします。今回は「浜村淳が、なぜ映画解説の仕事をするようになったのか」そのキッカケとなった若き頃の体験談です。実際に目撃した日本映画界の巨匠溝口健二監督と昭和を彩った銀幕のスターの達の撮影裏話を紹介しております。
鷹峯かあ…そういえば、『風雲児たち』の漫画家みなもと太郎も大将軍神社のあたりの生まれだったそうな。
『挑戦者たち』という漫画で、昭和三十年代の映画全盛期の話を書かれていたなあ。
浜村淳さんが1935年生まれで、みなもと太郎さんが47年だからちょうど一回り違いか
去年91で亡くなった母は若い頃市川雷蔵さんのファンでした。
サタデーバチョンで新作映画の紹介で、今で言うネタバレギリギリで紹介してはったのを思い出しました(笑)
浜村淳さんの映画紹介や解説は聞いてるだけなのに画面が浮かんでくるんですよね😃😊