『PERFECT DAYS』に至るまで  “客人”の映画作家ヴィム・ヴェンダース “スランプ”を経て・・記憶と記録

客人の映画サカビムベンダースランプを経 てパーフェクトデーズに至るまで2月6日 火曜日12時1分ビムベンダー監督が 100%日本資本の元全編東京ロケを観光 したパーフェクトDS20123年が日本 映画として米アカデミー賞の国際長編映画 賞にノミネートされた3月10日の受賞式 でもし受賞を果たすと浜口竜介監督 ドライブマイカ2021年以来に年の 日本映画受賞となるおそらく最大の ライバルはジョナサングレーザー監督神 領域かもしくはイタリアのマッテオガネ 監督愛キャの現代あたりかまた パーフェクトデーズとしてはもし受賞すれ ば昨年のカヌ国際映画祭での主演男優勝 役所工事アメニル審査象に続くメジャー タイトルとなるこのようなタイミングで リアルサウンド画よりリムという映画作家 について総括に書く要用性があったそこで 我が40年の長きに及ぶベンダース映画と の付き合いを一旦総括しておきたいと思う リムベンダースはドイツの映画作家では あるがただの1度たりともドイ的だった 試しはないドイツで撮影された初期作品は いずれも全くドイツ的ではないし最も ドイツ的太郎とした不死のあるベルリン 天使の1987年でら東ドイツ統一前の ベルリンのでロケーションしていながら心 にあらずホムに帰ることを本能的に災 しようとしているその代わりに彼が戻ろう とするのは常に偉大なる映画の国アメリカ であるただし若きの彼が高らかに宣言して いた自分は史上最後のアメリカ映画作家と なるという言葉を字義通りに受け取るべき ではないかと言って単なる言でもないのだ がハリウッドというはその年の歴史におい ての を引きつけ彼らに輝ける場を提供したがか といって彼らをホームランドとして受けれ はしないハリウッドにおいて人間はいつで も染めの客人でしかないベンダーが アメリカ映画に帰ろうとするのはこの客人 でしかないという本質に絶えず意識的だっ たからで あるダースはアメリカ画会にしてだけで なくマそのにして愛を表明し続けながらも カソの客人としての水臭い態度を崩さ なかった思えばベンダーの前世紀が 過ぎ去ってからどれほどの歳月が流れたの だろう見る人によって見解は別れるだろう けれども飛車が10代からフォローしてき た感覚からすると代表作ベルリン天使の死 からしてすでに終わりかけ腐りかけの香り をかぎっていた日本のNHKと同で世界発 のHDデジタルカメラを駆して全世界を一

周しながら撮影した夢の手までも1991 年が東京国際映画祭で疲労上映された渋谷 文化村オーチャードホルで筆者はベンダー のキャリアが落日の元にあることを確信し た彼の全盛を形成する都会のアリス 1974年回り道1975年さ1976年 アメリカの友人1977年ことの次第 1982年あたりといった作品軍はシネ フリー文化が花開いた代と同しつつ ドイツ人がこんなアメリカ的な無国籍映画 を取ることができるのかという驚きに満ち ていたあの時代のベンダー映画の 研ぎ澄まされた緊張感はもう2度と戻って こないように思われるここでちょっと待っ たという読者書見の声が聞こえる確かに劇 映画という点では時代に匹敵するものを ベンダーは作っていないでも ドキュメンタリーとなると話は別だこ反論 にしては判断を保留す確かにベンダーは 非常に優れたドキュメンタリであり続けて いる夢の手までも以来30年以上に及ぶ 長期スランプにあるベンダースだがこと ドキュメンタリーに関して言うとその限り では ない1950年代アメリカを代表する映画 作家ニコラスレの晩年を取ったニックス ムービー水上の稲妻1980年をに郎のを 求めてが1985年コムでギャルソンと 並んで黒の衝撃デ世界を新刊させた幼児 山本と時間を共有するトトモードのビデオ ノート1989年ライクーダーの導きで キューバ音楽のコロたちを宿的に納めた ブエナビスタソシアルクラブ1999年 ピナバウシュの武を継承する ブッパータール武団を3Dで納めたピナ ピナバウを踊り続ける命2011年賛否 両論あるブラジルの写真家の肖像 セバスチャンサルガド地球へのラブレタ 2014年などベンダーの作る ドキュメンタリーが見る人にもたらす充実 した時間は否定すべくもないしかしながら それはベンダーの長期スランプの代償なの である初期のニックスムービー水上のイズ からしてそうなのだがベンダーは映画制作 に行き詰まると好きな対象にカメラを 向ければ何か良いことが起こってくれる ドキュメンタリーに避する癖があった ドキュメンタリー部門の代表エビスタ 者はて幸福な映画だと思わないあの作品に はダースの苦が踊りほどに張り付いている 近年の劇映画である誰のせいでもない 2015年アランフエスの式日々2016 年世界の手の鼓動2017年は実は決して 悪い出来ではないただその悪くなさを今日 どれだけの人が授しえたのだろうか

ベンダーが過去の人になるにした ジャーマンニューブのもう1人のエース的 な存であるライナーベルナー ファスビンダー 1945から1980人の評価が生前時 よりも跳ね上がり1980年代までは ベンダーが世界映画の次のリーダーとなる はずだったのに今日では完全に評価が逆転 しファスビンダーへの指示に大きく水を 開けられている人間の運命とは不思議な ものだそんな中に生まれ出たのが パーフェクトデズで ある2023年末に日本で上映が始まり キネマ順法2023年ベスト10で無事に 日本映画ベスト2となったがポータル サイトのコメント欄などでは賛否両論と いうかむしろ否定論の方が優勢に思える 海外観客には見えづらい事柄だがこの映画 の基盤となるザ東京トイレットなる プロジェクトを巡る座に反発があるのも 頷ける者もこの点は発者側と同意見である レンダーの客人支出が12分に発揮された のがパーフェクトデーズそうだとしても パーフェクトデーズには無視しがたい魅力 がある普段東京に生きているものとしては 観光客と違って東京スカイツリーには何の 考えも湧かないし興味もない人が多い ところがベンダースにかかるとなぜか そんな東京スカイツリーさえもが小安次郎 映画におけるガスタンクのようにユーモア と感を持って主人公役所工事の視線の先に え しダースが気のようなに対してどのような 距離感を持って本作の政策に従事したのか は全としないひょっとするとこのう臭いザ も含めこれほど日本映画らしい日本映画は 今日存在しないのかもしれない者は文頭で もベンダーが常に客人であることに意識的 な映画作家だと述べた そのが12分に発揮されたの がデではないか本作の最大のテーマである 漏れにしてもそうだが全ては杉行くカソで あり責任を取ろうにも振り返る間もなく 事物はあっという間に後ろへ去っていって しまう主人公に何人かの人々が絡んでくる が結局のところ彼らは主人公の横を通り 過ぎたにすぎない主人公もセンチメンタル になるのはその当日の晩までであり次の朝 にはカっとして前だけを見ているあらゆる ノスタルジーが な男からは抜け落ちている彼の視界では バックミラーは黒く塗りつぶされている 主人公の元に家でしため中の者が押しかけ てきてしばらく仲良く一緒に暮らすことに なり他者との深い関係性を拒絶した独身

機械たる主人公としては珍しい日々と なるあるの中住田にかかる桜橋をとの運転 する台の自転車が走して渡る極めてシは もちろん小次郎晩春1949年における 原子と宇へのおマであろうこの川を下ると 海になるのそうだな海に行きたい今度な 今度っていつ今度は今度今は今今度は今度 今は今これこそビムベンダースが途切れる ことなく自身の映画生活においてやり 果たせてきたことである今のこの時だけ私 とあなたは一緒にいるしかし明日はもう そうではないだろう住田区の向島と太東区 の浅草を渡す桜橋は数学記号X字形の独特 な継承を持つ離れていたaとbがある地点 で交わりしばしの時間を並走しつつまた 離れていくベンダーを見てきた方なら誰も が回り道1975年の前半で主人公リリが グラーを乗せた列車とグを乗せた列車が しばし並走しに知らぬこの男女が車窓と 車窓で見つめあった後別々の線路に沿って 分岐していくシーンを思い出すことだろう リュディガーフォグラーは旅に出るために 母親と別れた後次のように語っていた母の ことは遠く離れてから懐かしく思い出すの だろう時期干渉もなくなった天気がいい カモ目が乱れとんでいた線路に水路が印象 的だった感性も消えた孤独な独身者の視線 の先に不に現れる線路に総水路 パーフェクトデーズにおける首都高速の 異様な光景も東京スカイツリーーの変な 形状も幾度となく自転車で渡る桜橋も 隅田川の美しい水計も回り道の水路と同じ である日本財団の仕掛けたトイレ事業は これらの光景に比べれば何者でもない主人 公の役所工事はこれらのトイレで用を足す ことさえしないだろうこれらのトイレたち も過ぎ行く客人の に すりのラストでディガーフォグラーと ナスターシャキンスキーはその辺の雑で 何気なく別れようと話し合っていたでは ない かカでパルムドールを受賞したパリ テキサス1984年の主人公ハーディ スタントンは生き別れとなっていた妻 ナスターシャスキーさ息子ハンターを せっかく引き合わせたばかりだというのに はで逃げてしまうなんともやりきれない ラストだったがベンダー映画の主人公は ハーディンスタントンもリガーフォグラー も今回の役所工事も家庭の幸福なんて全く 眼中にない勝ままに生きている妥協がない 役所工事が演じた主人公は地味な生活で 意外と貯金を怠っていないのかもしれず彼 は寄人でもなければのしもしないだろう

その日その日をどうすれば嫌よく暮らせる どうやのらしいことを伺わせるシンがあっ たからおらあめしかれたエリート道にする 悪感が彼の精神を壊してしまったのだろう 私たちが町で彼を見かけて挨拶しても おそらく彼は無言でわずかに頷くだけ だろうかつて若手の筆頭株だっったビム ベンダースも来年は0歳を迎える無言で わずかに頷くだけの骨な挨拶のような客人 の映画をたくさん作ってほしいとおいた彼 に期待したい荻の陽一エンド役所工事主演 パーフェクトデーズについて淡々とした 編集無理な伏線回収をしないストロング スタイルがまたよしに刺さりまくり夜の 公演 64最近見られ的になった作品ありまし たらベンダー監督のパーフェクトデーズ 映画館で見たんですけどこれは 素晴らしかったですね何でしょうねま憧れ さえ抱くような主人公の生活というか役所 工事さんが演じる平山という主人公はなん かね東京のいろんな公衆トイレ公園とか 駅前にあるトイレの清掃を仕事にしてるん ですよスカイツリーーの近くやからどの辺 ですか仕上げとかあっちのアパートで 暮らしてるんですね風呂なしのでもね 関わった作りで中に階段あって2買い建て の文化住宅みたいな感じでで朝起きるとこ からちゃんと描いていくんですけど目が 覚めてで歯を磨いてでその2階の和室一角 で育ててる植物にちゃんと水をあげてって いう自分の好みの周り手の届くものを ちゃんと大切にしてるというか僕もかつて 風呂なしのアパートに住んでたことがある んですけど夏場冬場暑いとか寒いとかそう いう大変さはあるんですよだけど本当にね その時から思ってたんですけど豊かなん ですよこの6畳の空間に自分の好きなもの が全部あるというか文庫本があって服が あってCDがあってテレビがあって何て 言うんですかねうん欲しいものがもう実は ここにあってそこからかの外に出ていっ たり社会生活を営むってことは誰か他者と か代わりを持つことで自分の世界を広げて いくことじゃないですかそれはそれで大切 なんですけど全部できないじゃないですか 全部に手が回らんからな不完全さを感じる というか自分ができることをきっちりやっ ていく気持ち良さってあるじゃないですか それがつまりまくってトイレの掃除も本当 に細かくやるんですよま平山さんは めっちゃ丁寧に掃除して便器の裏を鏡で こうやってみるとこまでやるんですよで他 のは買え元夫さんが演じる従業員って言い ます金は結構適当なんですよ動画見ながら

こうやって拭いたりとかでもねなんか見 てるとだんだんこのめちゃくちゃ超安しに 掃除をしてる平山さんの方が高精神的に 貢献やかというかそんな記載してく るっていう情報情報を見ながら掃除をして るっていう何かをしながらやるとかなんか そういうのがだだしんどくなってくると いうかでこの映画の いいとこはそんなでもちょっとサボりたい とか例えば土物を掃除しないといけない こともあったりしてそういう仕事でやっ てる本人もこの間のあれ汚なかったから嫌 なんですよってすごい人間的というか江本 さんが演じてる役は人間的なんですけどだ けどそんな彼が実はすごくフラットな人間 というか悪い部分もあるんですけどでも フラットに人をちゃんと見てるんやって いう人と向き合ってるんやなって分かる 場面とかもあったりしていやこれは 行き届いてるなというか映像も 素晴らしかったしだから高品し行ってなん やみたいな歩国大統領だったかなホセも ひかかな何かをずっと欲しがることや みたいな自分が今あるもので満足するって 言うのはとても豊なことやったその言葉を 思い出すそれを実際に体現してる主人公な んですよ家帰ったらその戦闘行ってなんか もう見ててたのしそうやなと思ってその 地獄楽しかったんでなんかアパートで仕事 終わって帰ってきて戦友行ってご飯食べ にって本読んでみたいななんかそれをやっ てる人なんですよ戦闘入ってつもの天のみ に行って家でそこに文庫本ちょっと読んで 本でかでも読んでっていうのをそういう 日々を重ねていくんですあれは休日なんか な休日にコインランドリー行って選択して 普段趣味で撮ってる写真をそのカメラ屋 さんで現像出して新しいフィルム買って ちゃんとこのルーティンというかやるべき ことが決まっててで休日に行く店もあっ たりして休日用の絶妙でお酒好きな人が 脚本会たかなとかそれともビムベンダーズ がその日本ののみや事情にめっちゃ詳しい のかそうやねんなっていうここでの見たい よなみたいなのがあったりでこ書店で1冊 選んで買うんですよで部屋にはアパートに ざっとカセットテープと音楽の70年で 80年代のロックとかロックだけじゃない な多分ジャズっぽいのもあったりとかして 本があり音楽があり植物がありっていう 生活をしてるんですよね1冊ずつ買うって いうのもこれねほんまそうなんですよこれ 何やろ僕なんて元屋さん行ったらめっちゃ 買うんですよそれ全部消化するのって時間 かかるんですね女ら机の上に積んでるのが

仕事の本と趣味の本があって仕事の本から 先に4万ドル ダメじゃないですかそれはいやいやじゃ なくて自分が捜索するための資料ですよね でここの読みたいけど読めてないっていう のをずっと感じるのがストレスになったり もするんですよ昔ってお金なかったから なんか時間はあるけどお金がないから時間 をフルで使って歩き1冊見つけて1冊買っ てそれ読んで今は行った時に一気にカット こうみたいな10冊買っちゃうとか時間が ないからでもこれが何か数値かできるもん じゃないですけど視野は複度に換算したら 1冊ずつ買う方が贅沢だよなっていう時間 の使い方とかか精神的な後本への向き合い 報酬中の仕方がこの人なんかも全部正解を 次々と出していくなっていう本が積まれ てる状態すぐ近くにまだ読んでない本が いっぱいあるという状態もまいたかと言え ばいかですけど冊ずっていうのがその日々 の積み重ねが本棚に出てて並んでてなん ちゅうんすかねその家自分が小説書いた時 に火花書いた字に何回も同じ話してます けどその生きてる限りバッドエンドはない 僕たちは途中だみたいなで小説とか物語に なるのってなんか劇的なことが起こった ところをピックアップして作品化される ことが多いじゃないですかでもそういう 瞬間以外の平凡な日常の方が実は多くを 生きててほとんどの人間はそういう日常 こそがこの世界の主役というか同窓会は あくまでも例えば駅そで点であって線の 部分はほぼ普通に過ごすわけじゃないです かそのスペシャルなことばっかりよに意識 が囚われるとなんか普通の日々の中にも実 は感情の揺らぎであったりだとか気づきが いっぱいあるのにその差を見落とすという かなんかそういうのもなんか思いましたね カメラで見てたら映像で見てたら戦と シャッターしまってる戦闘があるですよ そこに平山さんが自転車で来るんですよ しまってるやんて思うんですけど自転車 止めたらシャッター開くんですよどうも こんにちはっていってかめはオープンと 同時に行くから他のお客さんも少ないし 大体オープンと同時に戦闘行く人って 顔ぶれ決まってくるんですよそうやった みたいなこの時間この時間1番空いてる から夕方とかよりも開く時間なんですよ そうやったしまってるやんて思ってしまっ た自分がはずい というお前もそうしてたやんけっていう なんかねそういういろんな気づきがあって でもうなんかもう1個1個言うてたきり ないぐらいハトする瞬間の普通に考えたら

ね1人の清掃員の日常を割りと丁寧に1日 ドキュメントドキュメンタリーのように 追っていってで就寝して朝が来てっていう 断つになっていくのって物語を作る側から したら退屈に感じられるリスクがあって 結構変化をもたらしたかったりその部分を 端おりたかったり会長けせたからもう朝見 線でいいかとか思ってしまうんですけど 同じような朝が来てるっていうことが すごく重要というかそのなんか覚悟いしで もそういう表現を覚悟と思ってやてないと いうかわかんないですよビームベンダー ぐらいになったらえ何が怖いのみたいな ここを描くことは何ですかねちゃんとこう 意味がある必然性があるでしょみたいな何 が退屈なみたいなおいら大体毎日同じよう な日常を過ごしてるでしょっていう もちろんね映画の中では日常忘れて全く 自分と違う世界にごとしたいっていう人も いるし人と限定せずともみんなそういうじ あるやろうしそういう映画も好きなんです けどなんか日常のちょっとの変化とかこの 瞬間って実はめちゃくちゃ愛しいよな みたいななんか日々が面白くなるよそう いう映画でしたねなんかねパーフェクト デーズなんですけどこれが言わとしている ことはなんかこうスペシャルな人物が スペシャルな日常を過ごしてるっていう ことではていうみんながある意味特別な 存在なんだって分かりやすく言ってるわけ でもなくてその中でちょっとねコフがあっ たりだとか例えば平山が目覚めてアパート にから車に乗ってカセットでそれもかっこ いいんですけどなんかルーリードとかバン モリソンとかになしもンとかもっと ジャニスジョプリンとかの曲がかかったり して好きなんやなっていうその音楽好きな んやろなっていう感じもあるんですけど車 乗る前にいつもの自販機でコーヒー買うん ですよその時の自販機の明りが明滅してる んですよだから切れかかってるんですよこ れって完全とは程遠いじゃないですか ちょっとこの回れた感じがするというか そういう不具合とか不みたいな ものが含まれてる日常さえも見よによって は完璧であるというかそういうものの集合 体が我々の日常ですよねみたいな平山さん ほどなんて言うんですかね綺麗には綺麗 生活を僕は全く遅れてないんですけどでも なんか高そうだったよなっていう細かいん ですけど平山さんがブラックコーヒーじゃ なくてカフェオレ買うんですよ文学好きで 文庫ボ好きで植物好きで車運転しながら ルーリード聞いてそういう人物って ブラックコーヒー開けたくなるじゃない

ですかそこを毎回カフェオレかうんですよ こここれはなかなかできないですよそこ カフェオレない今日もカフェオレやみたい ないっつもそれはそうなんやみたいな僕 よりもめっちゃ好きやしブラックコーヒー も好きなんですけど人見てたらブラック コーヒー買ってもらうというか今日 カフェオレやなと思ってもブラックにし とくかみたいなあるじゃないですかそれが その平山さん自身にないのがいいんです けど平山さん自身のキャラクターを 作り込んでいく上でなんかついつい ブラックコーヒー飲むよね平山さん終わっ てなりそうなものを音楽の習得聞いてる そんな感じするでこれ多分こういう日常を 描いていくから自販機名目してるし何回目 かの朝でそのカフェカフェオレばっかり 買ってるからカフェオレが売り切れになっ てしょうがなく他のやつ飲むっていう シーンがあるんやろうなと思ってたんです けどないんですよちゃんとカフェオレを 変えるんですよカフェオレアと思ってそう いう演出というかがいっぱいがあってその 酒場のシーンもいいなっていう店行くん ですけども自分がロケハして平山さんには この店で飲んで欲しいみたいな平山さんは こういう店が好きなはずやって思う店とは ちょっとだけ違うんですよその店がダメな んじゃなくて平山さんの普段の仕事でこう 例えば公園の公衆トイレの清掃をしてる時 に清掃中に人が来たりすることがあるじゃ ないですかなんかそういうので人と接触 するのが仕事が作業が中断するみたいなの があるからできるだけこれが終わるまで来 て欲しくないとかあると思うんですよ僕も コンビニでバイトした時にどうかこの油系 のものを洗ってる時だけはお客さん来ませ んよよにみたいなそれの連続じゃないです かみたいな [音楽] せい勝つていう仕事をしていると割と一目 につかへんというか限定された空間でなん か1人で落ち着いた空間での見たいような 気がするんですけど平山さんが選ぶ店は 割と駅から直結してる地野の宮町の中でも ちょっと開けててカウンターもエルジの カウンターもあるけど外のテーブル席に 平山さんは大体座って出本とか読みながら お酒を飲むんですけどその平山さんを こっちから抜いた地奥に駅の蛍光灯の めっちゃ光見えてるんですそこから解説と か人が出てきてる雰囲気ちょっと落ち着か ないじゃないですかなんか仕事終わりの人 がもう酒飲んでんねやみたいなそういう 場所なんですよそういうのがクロスするで

も人の生活が感じられる空間になってて ここで平山さんのマニアっていうのも なんか僕まとには面白かったですねまたよ さんだったらそこは一目につかない大々色 の照明で壁全部茶色でも静かに煮物とか 煮込みとか肉じゃがと飯も茶色みたいな それ茶色い茶色となんかオレンジ色の照明 の中でしっぽり飲んでる平山さんって演出 にしたくなりそうなんですけどそれやっぱ あれじゃないですかビムベンダーズの東京 を見る視点みたいなつ日平山さんを追って きて平山さんの日上に商店当ててるけど そのまあね夜1人で飲んでるのを引きでみ た時にまた別の会社員の人たちが今仕事 から帰ってきてっていう東京の他の人の 生活のなんか雰囲気も感じられるみたいな なるほどなって思いましたね本でね説明的 じゃないんですよねあらゆることが平山 さん自身の過去に何があったかとかなんか こう全てが語られるわけじゃなくて何かが あったんです何かを確実にあってだから あんまり家族と家族とか兄弟とかと コミュニケーションを取らずにちょっと 離れて暮らしてるっていうそこにメイクを やってきてちょっと物語が動くんですけど 何があったかっていう回収を別に積極的に するわけではなくて作品は僕そういうのは そういうのがもっといっぱいあっていいと 思うんですよねなんか回収せなあかん みたいなるじゃないですか僕もあんまり 回収したくないんで回収でき金かった字も あるんですけどそれはあれですかその日常 のリアルって回収されないこともあるよっ ていうことなのか あるいわこうそこまで綺麗に回収せずに あえてこう想像させるというかあえて想像 させるもありますし回収できないことって あるよねというかなんかこう例えば宮に 行って何かしら1人でずっとこの人飲んで はるなみたいな人にねほりは掘り聞く人も いますけどなんとなくやぼじゃないですか 何でいつもここで1人で寂しくないんです かみたいな家族いないんですかとか聞く やつだるいじゃないですかええやんみたい なここはここでみたいななんか別に映画と か物語りも何かあったんやろうなでもそれ が何があったかっていうところまで知らん てもその状態でこう理解するというか全部 を詳細に語ってしまう必要はないというか 語っても言いしる作品があってもいいしら ない作品があっても良くてそれが猛烈妙で でおそらく平山さんは過去に何かそういう 家族との間何かがあったかもしれない なかったかもしれないですけどそれの カウンターでそういう自分の身近なものを

大切にするっていう生活を選んでいるのか あるいは元々そういう音楽文学植物とか 自分のそういう好きなものに囲まれつつ それらを大事にして生きていくっていう スタンスが周りから期待されてるものと 隔たりがあってこういう生活だから1人で そういう生活しているのかっていうわから ないんですけど多分無関係ではないと思う んですよねでもそれは分からないで1番 最後のラストシーンにもう本当に映画を見 た人たちそれぞれに委ねられるそれぞれで 考えてくださいという役所工事さんの 素晴らしいシーンがあるんで是非見て もらいたいですね

“客人”の映画作家ヴィム・ヴェンダース “スランプ”を経て『PERFECT DAYS』に至るまで
“客人”の映画作家ヴィム・ヴェンダース “スランプ”を経て『PERFECT DAYS』に至るまで

2/6(火) 12:01

 ヴィム・ヴェンダース監督が100%日本資本のもと全編東京ロケを敢行した『PERFECT DAYS』(2023年)が、日本映画として米アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされた
 3月10日の授賞式でもし受賞を果たすと、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』(2021年)以来2年ぶりの日本映画受賞となるおそらく最大のライバルは、ジョナサン・グレイザー監督『関心領域』か、もしくはイタリアのマッテオ・ガローネ監督『Io Capitano(原題)』あたりか

 また『PERFECT DAYS』としては、もし受賞すれば、昨年のカンヌ国際映画祭での主演男優賞(役所広司)&エキュメニカル審査員賞に続くメジャータイトルとなる
 このようなタイミングで「リアルサウンド映画部」より、ヴィム・ヴェンダースという映画作家について総括的に書くよう要請があった
 そこで、わが40年の長きにおよぶヴェンダース映画との付き合いをいったん総括しておきたいと思う

 ヴィム・ヴェンダースはドイツの映画作家ではあるが、ただの一度たりともドイツ的だったためしはない
 
 ドイツで撮影された初期作品はいずれもまったくドイツ的ではないし、最もドイツ的たろうとしたふしのある『ベルリン・天使の詩』(1987年)ですら、東西ドイツ統一前のベルリンの壁でロケーションしていながら、心ここにあらず、ホームに帰ることを本能的に忌避さえしようとしている
 
 その代わりに彼が戻ろうとするのは、つねに偉大なる映画の国アメリカであるただし、若き日の彼が高らかに宣言していた「自分は史上最後のアメリカ映画作家となる」という言葉を、字義どおりに受け取るべきではないかといって単なる妄言でもないのだが

 ハリウッドという磁場は、その100年超の歴史において異郷の才人たちを惹きつけ、彼らに輝ける場を提供したが、かといって彼らをホームランドとして気安く受け入れはしない
 
 ハリウッドにおいて人間はいつでも、かりそめの「客人」でしかないヴェンダースがアメリカ映画に帰ろうとするのは、この「客人」でしかないという本質に絶えず意識的だったからである
 
 ヴェンダースはアメリカ映画界に対してだけでなく、シネマそのものに対しても、怠りなく愛を表明し続けながらも、かりそめの「客人」としての水くさい態度を崩さなかった

 思えばヴェンダースの全盛期が過ぎ去ってから、どれほどの歳月が流れたのだろう? 観る人によって見解は分かれるだろうけれども、筆者が十代からフォローしてきた感覚からすると、代表作『ベルリン・天使の詩』からしてすでに、終わりかけ、腐りかけの香りを嗅ぎ取っていた
 
 日本のNHKと共同で世界初のHDデジタルカメラを駆使して全世界を一周しながら撮影した『夢の涯てまでも』(1991年)が東京国際映画祭で披露上映された渋谷Bunkamuraオーチャードホールで、筆者はヴェンダースのキャリアが落日のもとにあることを確信した

 彼の全盛期を形成する『都会のアリス』(1974年)、『まわり道』(1975年)、『さすらい』(1976年)、『アメリカの友人』(1977年)、『ことの次第』(1982年)あたりといった作品群は、シネフィリー文化が花開いた時代性と同期しつつ、ドイツ人がこんなアメリカ的な無国籍映画を撮ることができるのか、という驚きに満ちていたあの時代のヴェンダース映画の研ぎ澄まされた緊張感は、もう二度と戻ってこないように思われる

 ここで「ちょっと待った!」という読者諸賢の声が聞こえる「たしかに劇映画という点ではあの時代に匹敵するものをヴェンダースは作っていないでもドキュメンタリーとなると話は別だ」

 この反論に対して筆者は判断を保留するたしかにヴェンダースは非常に優れたドキュメンタリストであり続けている
 
 『夢の涯てまでも』以来30年以上におよぶ長期スランプにあるヴェンダースだが、ことドキュメンタリーに関していうとその限りではない

 1950年代アメリカを代表する映画作家ニコラス・レイの晩年を撮った『ニックス・ムービー/水上の稲妻』(1980年)を皮切りに、小津安二郎の残滓を求めてさまよう『東京画』(1985年)、コム・デ・ギャルソンと並んで「黒の衝撃」で世界を震撼させたヨウジヤマモトと時間を共有する『都市とモードのビデオノート』(1989年)、ライ・クーダーの導きでキューバ音楽の古老たちを祝祭的に収めた『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999年)、ピナ・バウシュの舞踊を継承するヴッパータール舞踊団を3Dで収めた『PINA/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011年)、賛否両論あるブラジルの写真家の肖像『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』(2014年)など

 ヴェンダースの作るドキュメンタリーが観る人にもたらす充実した時間は否定すべくもないしかしながら、それはヴェンダースの長期スランプの代償なのである
 
 初期の『ニックス・ムービー/水上の稲妻』からしてそうなのだが、ヴェンダースは映画制作に行き詰まると、好きな対象にカメラを向ければ何か良いことが起こってくれるドキュメンタリーに逃避する癖があった
 
 ドキュメンタリー部門の代表作『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を、筆者は決して幸福な映画だと思わないあの作品にはヴェンダース自身の苦悩が痛々しいほどに張り付いている

 近年の劇映画である『誰のせいでもない』(2015年)、『アランフエスの麗しき日々』(2016年)、『世界の涯ての鼓動』(2017年)は、じつは決して悪い出来ではない
 
 ただ、その悪くなさを今日、どれだけの人が享受し、感知し得たのだろうかヴェンダースが過去の人になるにしたがい、ジャーマンニューウェイブのもう一人のエース的な存在であるライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945~1982)の評価が生前時よりも跳ね上がり、1980年代まではヴェンダースが世界映画の次のリーダーとなるはずだったのに、今日では完全に評価が逆転し、ファスビンダーへの支持に大きく水をあけられている
 
 人間の運命とは不思議なものだ

 そんなさなかに生まれ出たのが、『PERFECT DAYS』である
 
 2023年末に日本で上映が始まり、「キネマ旬報2023年ベストテン」で無事に日本映画ベスト2位となったが、ポータルサイトのコメント欄などでは賛否両論というかむしろ否定論の方が優勢に思える
 
 海外観客には見えづらい事柄だが、この映画の基盤となる「THE TOKYO TOILET」なるプロジェクトをめぐる座組みに反発があるのもうなずける
 
 筆者もこの点は反発者側と同意見である

ヴェンダースの「客人」たる資質が十二分に発揮されたのが『PERFECT DAYS』

 そうだとしても『PERFECT DAYS』には無視しがたい魅力があるふだん東京に生きている者としては、観光客と違って東京スカイツリーにはなんの感慨も湧かないし、興味もない人が多い
 
 ところが、ヴェンダースにかかるとなぜかそんな東京スカイツリーさえもが、小津安二郎映画におけるガスタンクのように、ユーモアと哀感をもって主人公(役所広司)の視線の先に気前よく屹立していたりする
 
 ヴェンダースが上記のような座組みに対してどのような距離感をもって本作の製作に従事したのかは、判然としない

 ひょっとするとこの胡散臭い座組みも含め、これほど日本映画らしい日本映画は今日、存在しないのかもしれない
 
 筆者は文頭でもヴェンダースがつねに「客人」であることに意識的な映画作家だと述べたその「客人」たる資質が十二分に発揮されたのが、今回の『PERFECT DAYS』ではないか
 
 本作の最大のテーマである「木漏れ日」にしてもそうだが、すべては過ぎゆくかりそめであり、責任を取ろうにも振り返る間もなく事物はあっというまに後ろへ去っていってしまう
 
 主人公に何人かの人々がからんでくるが、結局のところ彼らは主人公の横を通り過ぎたにすぎない
 
 主人公もセンチメンタルになるのはその当日の晩までであり、次の朝にはカラッとして前だけを見ている
 
 あらゆるノスタルジーがこの無粋な男からは抜け落ちている彼の視界ではバックミラーは黒く塗りつぶされている

 主人公のもとに家出した姪(中野有紗)が押しかけてきて、しばらく仲良くいっしょに暮らすことになり、他者との深い関係性を拒絶した独身機械たる主人公としてはめずらしい日々となる
 
 ある夕景の中、隅田川にかかる桜橋を、伯父と姪の運転する2台の自転車が並走して渡るこのきわめて美しい数ショットは、もちろん小津安二郎『晩春』(1949年)における原節子と宇佐美淳へのオマージュであろう
 
 「この川を下ると海になるの?」「そうだな」「海に行きたい」「こんどな」「こんどって、いつ?」「こんどはこんど、今は今」

 「こんどはこんど、今は今」これこそヴィム・ヴェンダースが途切れることなく、自身の映画生活においてやり果せてきたことである
 
 今のこの時だけ、私とあなたは一緒にいるしかし明日はもうそうではないだろう墨田区の向島と台東区の浅草を渡す桜橋は、数学記号「X」字型の独特な形象をもつ
 
 離れていたAとBがある地点で交わり、しばしの時間を並走しつつ、また離れていくヴェンダースを観てきた方なら誰もが、『まわり道』(1975年)の前半で、主人公リュディガー・フォーグラーを乗せた列車とハンナ・シグラを乗せた列車がしばし並走し、たがいに見知らぬこの男女が車窓と車窓で見つめあったあと、別々の線路に沿って分岐していくシーンを思い出すことだろう
 
 リュディガー・フォーグラーは旅に出るために母親と別れたあと、次のように語っていた

「母のことは遠く離れてからなつかしく思い出すのだろうじき感傷もなくなった天気がいいカモメが乱れ飛んでいた線路に沿う水路が印象的だった」

…ペットロス症候群新老人
2011.03.11~東日本津波原発事故大震災 
復興10年・20年・・30年 俺は逝く
2021コロナ禍は続く…
2022~2024・・ウクライナ戦争
2024 能登半島地震~未来を信じて!
2025 ・・・
…記憶と記録

【311/東日本大震災/東電/原発事故/放射能汚染/避難~復興】
311以降変わらないようで毎日変化するふるさと福島地元を記憶・記録する愛犬二匹は老衰死ペットロスは続くGGのライフワークのようにその時までの暇つぶしのように...
2021世はコロナウイルスの猛威が続く…2023各地で戦争が
20241/1 またも大震災 能登半島地震 祈る

記憶と記録

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