「新しい領解文」は、浄土真宗の根本聖典『教行信証』に反している
皆さんこんにちは渡辺です今日はこういう テーマでお話をし ます新しい領問は競業新相に反する と大変なことであります ねこの新しい領問というのは私の動画でも もう十数回に渡って取り上げてい ます 昨年の1月16日本波本願寺通称西と言わ れますけれどもその本願寺の 門主という立場の方ですね大谷孝春さん が蓮女証人の500年前の両下問はもう 古い書き方だから現代人には分からないと もうやめようと新しい両下問を作りました からこれからはこれを昭和するようにし ましょうとこう呼びかけ た大変なことをしてしまったんです ね両下問というの は上土真州の中古と言われるレの証人があ 物に救い取られた1年の新人を文章として 教えられた非常に大事なお言葉ですもう 金元中の金源と言っていい でしょうですから 数百年にわたって上土新州ではこの両下問 を正しい両下上土真州の正しい新人として 伝承してまいりましたこの両下問の 通り説法されるならばまず間違いはないと 言われてきたん ですその両毛問を捨ててしまって新しい領 問を作りましたとこれだけでもとんでも ないことだということはが分かり でしょう100本も1000本も譲ってレ の証人の両下問の通り現代文にしたという ものであれ ばまあそれなりに分かる人もあるでしょう けれど内容が似ても似つかないレの証人の 両下問とはまるっきり違うものなんですと いうことは上土真州の正しい新人を表した とはとても言えない間違った文章なん ですそれを本願じは100%これを昭和 することを推進して いるところがですね内部から猛反発があっ た特に神学司教という本願寺の学者の人 たち が19名ま実際はもっとたくさんおられる ようですが 感覚4名と司教15 名ま名前を公表していない感覚の人もね 反対してる人が多いようですけれど ももう圧倒的に学者から反発があってこれ は間違ってるとこれじゃ大変だとま当然だ と思い ますまそういう声が上がったのは私はある 意味嬉しいことだと当然とはいえですね 反発の声がが上がったとこれは間違ってる と指摘する人たちがまだいるということは
ま胸を撫で下ろしまし たですから神学主教の勇志の会と言われる 皆さんを私はそういう意味では応援してい ます是非ともこれ撤回させてもらいたい 取り消してもらいたいこんなものが上土 真州の正しい新人となると上土真州は滅び てしまい ますそれで昨年最後の私の動画もです ね本願寺さんまるまるの音がするとこの まるまるには崩壊という荷文字が入るん です本願寺崩壊の音がしていると聞こえて いる ともう残念ながら本波本願寺崩壊に向かっ て今走ってるのではないだろうかと大変 心配してい ます本と言われるだけあっての方がまだ 教えの面ではましっかりしておられたん です ねこれが東となりますとね新州大谷派で ありますけれどももうでたらめも華々しい 状態になって ます何しろ上土真州の上土を取ってしまっ た真州大谷 派死んだ後の極楽上土がない認め ない5章の一大もこの世の一大事だとこう 言ってるようですからもうこれではもう 仏法になりませ ん少女の一大事を抜きにして五省の一大児 を抜きにして仏法は始まりません からもう残念ながら東新州大谷派ではもう 完全に仏法でなくなってしまってるという ことなん ですもちろん上土真州ではありませ んその点を西はまだま伝統的な教えがです ですね解かれている面もあったんです けれどもさすがにこの度の新しいり問 は共業新相に反してるん です言うまでもなく共業新相は上土真州の 阻止信男証人の市長であり上土新州の根本 政典ですご本殿と言われ ますま上土新集のみなら ず全人類の根本点と言ってい でしょう全ての人が救われるたった1本の 道網仏の本願が明らかにされている無常ケ の晴天であり ますその共業新相にはでは何が解かれて いるのかと今申しましたようにア仏の 本願大中で最も 尊い最尊のあ仏という仏様のお約束 それが本願 ですあ仏は10法主上全ての人と約束を なさってい ますどんな約束かと言いますと必ず信行に してみせるとこの信行というのがいつもお 話をする絶対の幸福のことです変わらない
崩れない色合せることもない今後不の幸せ 崩れない 幸福それを本願では信行の2文字で誓われ てい ますそしてあ仏は必ずこの信行に生まれ させて見せるとあなたを救ってみせると 本当の幸せにして見せる ともしできなけれ ば命を捨てましょうとこう誓っ てらっしゃるん ですそれが若不傷者風 小学 もし信仰に生まれさせることができなけれ ばこの身は昇格を取りませ ん昇格というのは仏の悟り仏学であります から仏様にとっては命なん ですその仏の命である昇格をかけて必ず 生まれさせて見せる とあなたを本当の幸せ絶対の幸福に救えて 見せる ともしできなかったら命を捨てる とこれがあ仏のお約束なんです命がけの身 の本願なんですねそれを明らかにされたの が信男証人の共業新相でありますがところ がこのあ物の本願私たち読んでもですね どうすれば助けていただけるのかがわから ない その大事なことについ てあ仏のオデさんであられるブッダ 釈迦この地球上ではただお1人の仏様シム と言われますがそのお釈迦様が私の先生 安田如来はこういうお約束をされてるん ですよ とこのあ物の本願を解説してくだされたの がこちらの本願常時文です この本願常時問を拝見いたします とどうすればあ物に助けていただけるのか とそれは文語 名語と教えられてい ますその名語を聞く1つ聞く1つだと聞く だけだ とこの門の1文字これで教えられてるん です ここから上土真州は門の宗教聞く1つで 救われる教えと言われるんです ねでは何を聞くのかその 名語ナア仏の言われを聞くん ですナア仏というのはあ仏が作ってくださ れた もの私たちを絶対の幸福に救うためにこの 信行に救うためにですね南仏という自の 名語と言われるものを作られ て私たちに与えようとし てらっしゃるそれは聞くだけで私たちは いただけるん
ですだからその名語を聞けと言われるん ですこの極めて大事なもの1 文字このことを信書人はこの業書にこの ように解説してくださっています大変大事 なところでありますから根拠を示しし ましょう共業新相神官でありますがこの 法造官の新集性典では352ページ352 ページその5行目に門というは主情仏眼の 正気本末を聞きて疑あるこ なしこれを門という なり信頼書にずりおっしゃっていますこの 本願常樹問の門聞くということです ねこの聞くというこの門 は何を聞くの か仏眼の正気本末を聞くのだ とどう聞くのか疑心あることなしと聞くの だ と涙物に救っていただくには聞く1つ本願 常樹問のこの門ですこの聞くということは 何を聞くのか仏眼の正気本末を聞くのだと 仏眼というのはあ物の 本願そのあ物の本願の正気と本と末この3 つを聞くのだ とこれが明王南物の言れを聞く聞くという ことになるん ですあ仏の本願というの は正気生まれ起きたという字です がなぜ本願が起こされたの かそれは苦しみなめる私たち主上のため です全ての人間が苦しんでいるから ですではあ仏はその全ての人間私たちを どういうものだと見てらて本願を立てられ たの かつまり言い方を変えればあ仏は私たちを どんなものだと見抜かれて助けると誓われ ているの かア仏が助けようとされている私たちは 一体どんなものなの かこれが仏眼の正気ということ です私たちのことなん です本末の本というのはあ仏はそんな 私たちを助けるためにどうなされたのか そしてその結果はどうなったのかこれが 本末ということなんですねその仏眼の正気 本末ナ仏の言れを聞いて義心あることなし となったこと義心というのは疑いの心あ仏 の本願に対する疑い仏の本末に対する 疑いその疑いがあることなしこれはただ なしとは違います疑いが今なくなったとし ても後からまた出てくるようなことでは これは救われたとは言えませ ん混練罪なくなっ た永遠になくなっ たもう疑心あることが ない今ないだけではなくって永遠に
ないこれを疑心あることなしと言うん ですそこで仏眼の 正記あ仏はどういうものを助けるとこう 誓ってらっしゃるの か私たちをどういうものだと見ておられる のかというところなんですねこの重大な ことについて新しい両下問は全く間違え てるんです 新しい問この動画ではもうとても 恥ずかしくてね読み上げるのも嫌だったん ですけれど もその冒頭部分だけ読んでみましょう名波 仏我に任せよそのまま救うのみの 呼び声私の煩悩と仏の悟りは本来1つゆえ そのまますくがみの呼び声とこうなって ます仏が我に任すようそのまますくの身の 呼び声これはまその通り でしょうこう言って間違いありませ ん問題はその次なんです私の煩悩と仏の 悟りは本来1つ ゆえ私の煩悩煩悩不足の我々私の煩悩です ねそれと仏の悟りとが本来1つだと だからそのまま救うが身の 呼び声この部分が決定的に違ってます大体 我々の煩悩と仏の悟りとが本来1つであれ ばね煩悩不足のまんまで仏だって言うんで あれば救われる必要ないじゃないです か今のまんまで仏の悟りあるいはこの まんまで死んだら仏になれると言うんで あれば仏法を聞く必要もないし助けて もらう必要ないじゃないですかです か全く間違ってい ます信男証人はどうしゃっているかこの 仏眼の正気本末について教えられた信男 証人の極めて重要なお言葉がありますそれ が新州政典では335 ページその5行目でありますけれどもここ から配属してみ ます一切の軍会無視よりこの方ないし今日 近事に至るまで予約を前にして症状の真 なくコケ転義にして真実の真 なしここをもって 如来一切苦悩の主上会を秘して不可思議 調査養護において菩薩の行行事 たと3号の所修1年一切なも症状ならざる なく心身ならざる なし如来症状の心身をもって遠無深しに 深し不可説の取得を成就した 参りこのようにおっしゃっていますこの 最後の遠無深しに深しを不可説の 取得これが南仏の名語のことです 遠完全であると無全く煩悩によってさりと ならない触りになるものがないんです 不可思議深し 不可説想像もできない言葉では言えない
解くこともでき ない我々の言語や資料分別を超越した取得 最高の読私たちは幸せにする力それをあ仏 が成就してくだされた作ってくだされた 完成してくだされたこれが南ア物であり ますけれど もではなぜあ仏はそのようなナア物を作っ てくだされたの かその1番最初の部分 です一切の軍inv会無視よりこの方 ないし今日混住に至るまで悪を善にして 症状のなく固転義にして真実の信 なしここなん ですこれが仏眼の 正記と言われるお言葉 ですこの信男証人の共業信章神官の極めて 重要なお言葉でありますけれどもこれを私 の先生高森賢哲先生のなぜ生きる2という 素晴らしいご本があります がこの冒頭の部分このように訳されてい ます1歳の人々は果てしない過去から今日 まで邪悪に汚染されて清らかな心はなく 空ごとタごとばかりで誠の心は全く ない一切の軍書会というのは全ての人々 一切の 人々無よりこの方ないし今日今にたる まで果てしのない過去から今日まで今の今 まで予約を前にして悪に汚れ煩悩に染まっ ているこれを先生は邪悪に汚染されてと 書かれていますだから症状の心はない 清らかな心はないんだとコケ転義にして 真実の心 なしコケ転義というのは 嘘偽りばかりという こと空ごとタごとばっかりでね誠の心は 全く ないこれが一切の軍書会の姿なんだと全て の 人々煩悩に汚染されているから空ごと束 ごとばっかり で症状の心清らかな心は全く ない真実の心誠の心もかけらもない こういうものを助けようとしてあ仏が 立ち上がってくだされたん ですそれが続くお言葉 ですここを持って如来この如来というのが あ如来 です一切苦悩の主上会を秘し て主上会というのはこれも全ての人々の こと苦しみ めるへんでね 不可思議調査養護におい て木の遠くなるような長い長い 間菩薩の行を行事 たと仏様であれるあ如来が菩薩の行を行じ
られた菩薩というのは仏の悟りを目指して 修行してる人のことなん ですだから仏の下なんです ね仏の悟を開いていらしたあ如来が菩薩の くまで成り下がられて降りられてそして 私たちを救うために修行してくだされた これが菩薩の行を行事玉一時ということ ですその時の行事られた 様子3号の 諸州3号というのはあ仏の3号 です真の3 号心で思われること口でおっしゃることお 体でなされることこの真空位の3号の 納めるところ諸手なされるところという こと ですそれらが1年一切なも症状ならざる なく心身ならざる なし一瞬足りとも一切な足り とも順であったことはないと常に清らかな 症状であったということ です心身ならざる なし嘘偽りの心であったことは ない常に誠の心であった と長い間です よ真空の3号心で思われること口で言う こと体でなされること我々人間ならですね 体で確かにいいことやっていても心で邪悪 なことを思い続けてるってことよくあり ますよね口では立派なこと言っとっても心 では自分の利益しか考えてい ない世界平和だと立派なことを述べていて も自分はタバコポイ捨てする平気で唾 履くまあ世界平和を口にしながら ね我々ついやってしまいがちですまたそれ が我々煩悩不足の文部の実態なん ですそんなものが仏の悟りと本来1つで あるはずが ない到底そんなものではないからあ如来が わざわざ菩薩のくいまで成り下がられて 降りられてそして私たちを救うため に症状で心身な号のを持ってご修行して くだされた次にこうおしゃっています如来 症状の心身を持って遠無深しに深し不可説 の取得を成就した 参りここを高森先生はこのように解かれて いますここを持って如来というところから ですねそのために苦しみ続ける10方主上 全ての人をあ仏は哀れみ たて1人助けんと木の遠くなるような長い 間全身前例ご修行に聖痕を打ち込まれたの で あるその間美田は心も口も体も誠でなかっ たことは1年一切なもなかっ たその結果深し可し不可説の無常の 読仏を完成されたの
だこのように書かれていますそしてこの後 原文はこう続き ます如来の死身を持って諸の一切煩悩悪王 邪の軍書会にエした まりこれを先生はこのように訳されてい ますこの無常の読南仏を10方主上に与え て絶対の幸福に救いたい とみはそれ1つに誠の心を尽くされている ので ある症状の心はかけらのない真実の心も 無人もないそんなジャークに汚染されて いる私たちをあだ如来が我1人助けようと 私が助けようと立ち上がってくだされて 長い間ご主くだされて私たちのためにです よそしてナ仏を完成してくだされたこのナ 仏は網仏の症状の心身清らかな誠の心に よって作られたん です深し不可傷不可説の 取得我々の想像もできない偉大な読がこの 6次の中には収まってるんですそしてそれ をエした 参り私たちに与えようとしてらっしゃる 与えて助けようとし てらっしゃる名仏が上々完成しただけでは 我々は助かっているということにはなり ませんここを間違えたら大変なん ですよく生物はもう出来上がっとるんだ から本願は成就しとるんだから我々はもう 心配いらない助かっとるんだというような 話をする人が実は多いんですけれども とんでもない間違いです よ南ア仏が成就されていてもあ仏はそれを 私たちに与えようとし てらっしゃるそれを受け取らなかったら 助からないその受け取り方が聞く1つなん です受け取るために聞くんです聞く1つで 受け取れるんです私たちの行は一切必要 ありません間に合いません聞く1 つこれを文則真と言うん です呼び声が聞こえたその時その場所で 新人欠場する心がはっきりするんです欠場 ですからねこんな大読をいいてはっきりし ないぼんやりしたものであるはずがない じゃないです かそれが疑あることなしとなった時です 疑いの心が もうゼロになります常人します綺麗にな なくなる混練罪出てくることはありませ んその大事な仏眼の正気の部分が新しい 両下問では間違えてるん ですここを間違えたら本末 が正しく聞けるはずも ない我々の煩悩と仏の悟りが本来1つ そんなものを助けるための本願ではあり ません
よ仏の悟りと本来1つなら聞く必要もない じゃないです かこの部分が新しい両問は間違えている 共業心象に 反するまこの点感覚主教の皆さんもですね さすがに指摘はされてるんですけれども 正しく根拠上げてらっしゃらないようなの で今日はその部分共業新相からお話を いたしまし た極めて重要なことですこれでは新しい両 問どれだけ読んだって助かる人現れませ ん上土真州の正しい新人を表明した文章と は言えませんですからこれは速やかに撤回 してもらいたいところが中外日報の記事に よりますと宗教の専門士中外日報という 新聞がありますがその1月1日後により ますとね新しい問の議会を深める宗派学習 会がこれまで18教で開催された24年 12月生まで今年の末までに全31教区と 沖縄特区で開く予定だ とところがすでに実施した教区で理解が 深まっているとは言いがいとこう書かれて ますまだこれは控えめな書き方ですけれど も 広島の秋教区ではですね99%以上が理解 できんと新しい領問勉強会に参加したけど なさっぱりわからん とひどいじゃありませんか999%以上 ですよほとんど誰も理解できないという ことなんですその勉強 会そんなものをこれから全国でやって一体 どうなるん でしょうそして集会議員の半数以上がこの 推進は見直してくれ ともうストレートに言うともうやめてくれ と取り下げてくれということ でしょうだんだんだんだんそういう動きが 広がりつつあるようですがそれでも早朝 始め執行部双極と言われるところは推進を やめようとしないいやいやまだまだこれ からだというようなことかもしれませ んこんな分裂状態でいいんでしょうか それといつも指摘することですがその反対 されている神学式有志の会の皆さんもです ね疑心あることなしとなるのはこれは1年 です文則真の1 年蓮如の両下問で言えば頼む1年の時 です仏法を聞きもめて疑心あることなしと はっきりするのは1年の時ですこの頼む1 年がまた新しい両には抜けているこれも 共業新相に反し ますその頼む1年の時に王城一条と はっきりする頼む1年の時王城一条御助け 1条こんな鮮やかなお言葉がね両毛問には はっきり書かれてるんです
よそれを全く削ってしまって最も大事な真 の一年本願常時問で言新人歓迎ないし1年 これが上土真州の新人ですけれどこれが 脱げとるん ですそしてまた何を助けてもらうのか5章 の一大児我らが今度の一大児の5章 と蓮女証人ははっきりおっしゃっています がそれを信男証人も競業新相に書い てらっしゃいますけれども その5章の1大地がまた抜けて いるそれそうですよねさっきから言ってる ように我々の煩悩と仏の悟りとが本来1つ であればそれ5章の一大事もない でしょうないもを救われるということも ない全く仏法になって ないこれじゃ東と一緒です よそして諸々の業雑種自力の心を捨てて 一心にあ如来を頼めと自力を捨てて他力を 頼め とこれも上土真州の極意と言われるシジ北 が抜けている自力を捨てて多に着せようと 最も大事なことがもうことごとく抜け てるとんでもない白物なん ですこの新しい領をですねこれ以上蔓延さ せてはなりませんなんとか食い止めたいし 撤回してもらい たいその点で神学主教勇の会の皆さんには 頑張っていただきたい応援しています いろんな圧力もあるんでしょうけれども 上土新種の真人を守りていただき たいそうでなければ本波本願寺の名が鳴き ますよ本願寺は滅亡いたします よ年末にもお話したことですが年が開けて も本願寺さんの方針変わらないようですの で改めて忠告申し上げ ます上土新種の危機は全人類の危機だと私 の先生高森先生はよくおっしゃい ます上土真州の危機全人類の危機なんだ とその危機に立ち上がる心ある僧侶の皆 さんが多数現れてくださることを願ってい ます じゃあ今日はここまでになし ましょう
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6件のコメント
すごくわかりやすかったです。ありがとうございます。
今晩は❗本願寺の「新しい領解文」がいかにでたらめだらけであるのかが良く分かりました🤔先生、ありがとうございました🙏
南無阿弥陀仏m(__)m
ありがとうございました。
素晴らしいお話に 感謝しています🙏
先生ありがとう御座いました。