闇鍋的音楽の世界を目指して 五木寛之/横山剣(クレイジーケンバンド)・・記憶と記録

小説原冬雨特別対談2022年111月 16日闇鍋的音楽の世界を目指して一弘 行き横山県クレイジーケバド車への変 doubがにじみ出る2人の著書横山県僕 の好きな車伊弘行雨の日には車を磨いてが きっかけでまさかの初対談が小説原冬雨で 実現した前回5月号今度はど真ん中の音楽 と言葉の自由な世界へ22枚目の神父Jで その万華教的世界観をさらに広げる クレイジーケバンドの横山県と歌と時代を 語り続けてきた伊行の移植対談第2弾小説 原冬 ボル75より天才ジエで曲を作っていた頃 い新しく出たアルバムはジュエジュエと いうタイトルですね見てすぐ堀タオの世界 というか文学的なタイトルだなと思ったん だけどお店の名前というそれを聞いて イメージがガラっと変わりました横山きっ 茶店の名前なんです10代の頃横浜の本目 本目のガソリンスタンドで働いていて休憩 時間によく行っていたお店ですオーナーの 方は隣で店を経営していたのでもしかし たらそんな影響もあるかもしれないです いつなるほど僕も喫茶店というのは切って も切れないくらいの縁で横浜ならジャズの 店の千草とか若い時から入り浸っていたん だけれどもそういう店の常連さんで変わっ た人なんていませんでした横山いましたね 当時は70年代でしたけどその頃はまだ 茶屋を改造したアパートとか5060年代 の本目の名残りがなんとなくあってえたい のしれない女性とか訳ありな感じのお客 さんが多かったんですそれに国際色たかと いうかいろんな国籍の方がいらっしゃい ました僕は元々作曲家になりたかったん ですが誰も曲を使ってくれないから自作 自演しようかなと思ったのがちょうど ジュエに通っていた頃でした仕事の休憩 時間にそのお店で着ししたりメロディを 考えたり将来の計画を練ったり売り込む ためのプロフィールを買いたりしていまし たい思い入れがあるお店なんですね今度の ジエイにはこれまでにない新しい試みが いくつかあって横山県の世界から一歩 踏み出そうという野みたいなものを感じた んですがその辺どうですか小山おっしゃる 通りですこのアルバムが22枚目なんです けどコロナでちょっと煮詰まっていた時期 をへましてネクストレベルのファースト アルバムっていう気分です中3が高校1年 生になったっていう感じのそういう気分 なら伸び代があるじゃないかと自分に 言い聞かせてる部分もありますけど笑い いじAでも思ったんだけど横山さんのアル バムってある意味で闇鍋闇鍋みたいなんだ

闇鍋って分かります横山分かりますああ まさにそうです伊月真っ暗の部屋でね中に 何が入っているか分からない鍋を 落ちつく一体これは何だろう食べられるん だろうかっていうドキドキ観念笑いあの 感じですよいやなかなか刺激的なアルバム だと思いました横山ありがとうございます おっしゃっていただいた闇鍋っていうのは ファーストアルバムからずっと目指してる ところでもあるので嬉しいですCKBを 遡ると連日に続くい僕は若い頃PR氏の 編集とかルポライターとかまた横浜の山の 山にあった局当時のラジオ監督などで放送 作家をしたりしていたんだけどCMソング や同様を作したりレコード会社の専属作家 として普通の曲の歌詞を書いていた時期も あるんですよ横山松坂敬子さんが歌った愛 の水中花とか色々ありですよねい当時は 津田子さんの歌など書いていました今の幸 さんですただそういう雑多なマスコミの 仕事に疲れてある時金沢に引っ込んでそこ で書いた小説が元で小説家に転したのです でも20代に音楽で食っていたっていう 記憶がどうしても抜けんだなスズメスズ 100までみたいな感じで今でも矢として 音楽に関わっているんですクレイジーケ バドには以前からすごく関心があったん ですが実は横山さんとはどこかに共通点が あるなと思っていた僕も随分闇鍋的な生き 方をしてきた人間で笑いお付き合いしてき た作曲家の方たちも米山尾さんや菊俊助 さんから武光徹さんとか美明さんみたいな 現代音楽の人までごったにで実に接がない 笑い横山わかります音楽ってジャンルじゃ な響くか響かないかぐっと来るか来ないか なんですよね横山さんが子供の頃に最初に 出会った音楽ってどんなものだったんです か横山最初はこがメロディーですね青い セビでとか面な取り人生劇場あとは赤坂系 のラテや広沢像の局がよく家でかかってい ました自宅で父親の聞いてるものが自然と 耳に入ってきていたんですあとはジャズと かボサノバセルジオメンデスアブラジル1 オフ66とかですねそれにダイアナロスと かルもていましたいつとんでもなく幅広い ね笑いでもルーツはゴスペルソングかも しれない横山そうですねこ玉とか 御礼なんとなく霊ダマが感じられるんです よねいつきそう声自体がスピリチュアル ゴスペルとか賛美科とか日本の五衛か護衛 かとか横山さんの音楽もそれにつる音楽の ような気がする仏教の話になるんだけど口 少年物と言って物を声高くとえることを人 に進めたのは年で想に追求したのは信その 物を日本中に広めたのはレニという人です

それまでお説教と言えばかしこまって聞く ものだったんですがレニは歌い手さんとか いろんな芸能人たちを連れて行った集まっ た人たちが退屈したなと思うとそこで一切 歌ってもらい気分を取り直してお説教を するそこから横山さんの音楽までずっと一 直線につがってきているように思います 聞いていて気持ちが公用するんだよねこの カレタ摩擦の多い声に快感を覚えるという か生命少が冷から民衆芸能に流れていく そういう発生のように思うことがあります ね横山僕は子供の時ややの工場工場とか老 火曜のダミ声にしびれていたんですけどお 経に勝手にメロディーをつけて歌っていた こともあるんです笑いクレイジーケバンド にもマッラロックて曲があるんですが錆が 何枚だ何枚だ笑いいさんのお話を伺ってあ 大丈夫だったんだと天と線がつがった感じ で本当勇気をもらいますねい物用という ものの盛期はの説教師がお説教で泣かせ 芝居が勝ったセリフで工場を述べるかと 思うと歌を一説買ってというように 盛り上がった時代があったんですよね クライマックスに差し掛かると徴収の村人 たちから一斉に何枚だ何枚だと声が 湧き上がるこれを受け念仏というんです 念仏というと真光臭い感じがするけど エンターテイメントだった時もあるわけ 横山今だったらフェスですね現象マには 観客を古いたたせるというところは同じ です小がさを昭和きを代表する国民的作曲 か数多くの流行化をヒットさせた護衛か物 の得などを戦慄説に乗せて唱えるもの アジアとつがる他国籍サウンドいつきそう いう日本の火曜文化の流れがずっとあって その最先端にあなたがいると思い ますさらにその背景に横山さんが 生まれ育った国際と横浜がある敗戦と同時 にアメリカの文化が流れ込んできた港町で さらにそれが加速した横山そうですね新 中軍が残したアメリカ文化の残り香りが あって中華街の中には外人バーがあって 船員の客がたくさんいましたそれも ギリシア系とかスカンジナビア系とか幅 広かったですね大人になってからですけど 横浜で貨物の検査をする仕事を8年ほど やっていたことがあるんです当時僕が担当 した業者の多くがパキスタン人で音楽とか 職とかイスラム教の監修を魔で感じること ができましたそういう触れ合いも港町なら ではでしたねそういえば今クレイジーケ バンドにコーラスとボーカルで参加して くれている営者は日本とパキスタンの ハーフなんですよいまさに横浜って感じ ですねそう考えると横山さんの音楽は日本

の中世からの繋がりもあるけれどアジアと の繋がりも深い自衛にドバイって曲もある しドバイというタイトルで曲を作 るってのも大胆だな横山そうですよね笑い 実際にドバイに行ったことはないんです けど妄想を歌にしたんですこの中でもあり ますからご自宅にいながらにして海外旅行 をしていただこうといつなるほど中東の 音楽は面白いですよねエリエに薄くだらっ て曲があるでしょう元々はトルコの若い 男女の出稼ぎの暮らしを歌った歌だったん だけどアーサーキットが目をつけて アメリカに持ち帰りエキゾチックな ポピュラーソングに仕立てて世界的に ヒットした日本ではエリチエミが歌ったん だけど最初の方はトルコ語で呪文のような 歌詞から始まるんだ歌は元々非常に変換的 な世界だけどぐるっと世界を一周したんだ ね横山から旅したんですね自衛に入って いる曲は自分が10代だった頃のことや これまで聞いて期待論な国の音楽の影響 から押し出されたものが多いのでそれも 少し旅っぽいかもしれないです いジっていう喫茶店そのものがそういう 場所でもあったんでしょう横山さんは臭敵 っていうよりは他国石的なんだよね同時に いろんなものが入ってるそれを僕は闇鍋 って言ったんだけど受を聞いているとそれ を改めて実感できましたアーサーキット 甘い個性的な歌声で世界を魅了した歌姫 サンタベイビー1フエS本などが有名雑な ものが合流する場のエネルギーつ結局今 我々が気がついていないところでも僕は 色々な文化の影響を受けているんですよね 横山さんが拠点にしている横浜はそういう 意味でも異文化の接点混沌とした場の1つ だと思う横山混沌まさにカオスですねい ミックスされて混結してそこから新しい ジャンルの音楽が生まれてくるんです横山 世代の接点で言うと今は若い人たちが昭和 火曜に向いている感じはしますねうちの娘 も19歳と23歳ですけど昭和火曜や70 年代の式トップが好きで聞いてますし アジアでも注目されているんです現象です よねいそれもノスタルジーとか言うだけで ないところが面白い横山もう新しい音楽と して聞いてますねそれがいいなと思います 彼ら彼女らにとって初めて触れるものです からノスタルジーしようがないというか いつきそういう意味でも時代の中で歌を 歌い続けていくというのは実に刺激的です ねそしてまた時代を歌が記憶させるという 横山さんの曲も昭和火曜と同じように3台 4台下ってもおそらくずっと行き続けると 思います横山そうあってほしいですね

小説原冬特別対談車への変がにじみ出る 2人の著書横山県僕の好きな車伊弘行雨の 日には車を磨いてがきっかけでまさかの初 対談が実現した前回今度はど真ん中の音楽 と言葉の自由な世界へ22枚目の新婦Jで その万華鏡的世界観をさらに広げる クレイジーケバンドの横山県と歌と時代を 語り続けてきた伊弘之の移植対談第2弾伊 弘幸191932年福岡県生まれ生後間も なく外地に渡り戦後引き上げ早稲田大学老 文化中対合作家ルポライター等を下て サラバモスクはグレ隊でデビュー横浜市 在住ベストセラー多数火曜局から同様CM ソングまで地震作手の作品を厳選した ミュージックボックス歌いながら歩いてき たが大きな話題 に横山県クレイジーケバンドクレイジーケ バンドリーダー作曲変曲作キーボード ボーカル1960年横浜生まれ81年 クールスRCのボーカルコンポーザーとし て97年CKBを地元本目で発足ヒット局 多数和田きこやスマップシ科などへの局 提供やのみやライメスタなどとのコラボも 多数

闇鍋的音楽の世界を目指して 五木寛之/横山剣(クレイジーケンバンド)
  
闇鍋的音楽の世界を目指して 五木寛之/横山剣(クレイジーケンバンド)

「小説幻冬」特別対談 2022.11.16

車への偏愛がにじみ出るふたりの著書(横山剣『僕の好きな車』/五木寛之『雨の日には車をみがいて』)がきっかけで、まさかの初対談が「小説幻冬」で実現した前回(5月号)。
今度は、ど真ん中の音楽とコトバの自由な世界へ—。22枚目の新譜『樹影じゅえい』で、その万華鏡的世界観をさらに広げるクレイジーケンバンドの横山剣と、 歌と時代 を語り続けてきた五木寛之の異色対談、第二弾!!
  
――「小説幻冬」vol.75より転載
  
「樹影」で曲をつくっていた頃
   
五木
 新しく出たアルバムは『樹影じゅえい』というタイトルですね。見てすぐ、堀辰雄の世界というか文学的なタイトルだなと思ったんだけど、お店の名前という。それを聞いてイメージがガラッと変わりました。

横山
 喫茶店の名前なんです。十代の頃、(横浜の)本牧ほんもくのガソリンスタンドで働いていて、休憩時間によく行っていたお店です。オーナーの方が隣で書店を経営していたので、もしかしたらそんな影響もあるかもしれないです。

五木
 なるほど。僕も喫茶店というのは切っても切れないくらいの縁で、横浜ならジャズの店の「ちぐさ」とか、若い時から入り浸っていたんだけれども、そういう店の常連さんで変わった人なんていませんでした?

横山
 いましたね。当時は七〇年代でしたけど、その頃はまだチャブ屋を改造したアパートとか五〇~六〇年代の本牧の名残が何となくあって、得体の知れない女性とか、訳ありな感じのお客さんが多かったんです。それに国際色豊かというか、いろんな国籍の方がいらっしゃいました。

僕はもともと作曲家になりたかったんですが、誰も曲を使ってくれないから自作自演しようかなと思ったのが、ちょうど「樹影」に通っていた頃でした。仕事の休憩時間にそのお店で作詞したりメロディーを考えたり、将来の計画を練ったり、売り込むためのプロフィールを書いたりしていました。

五木 
思い入れがあるお店なんですね。こんどの『樹影』にはこれまでにない新しい試みがいくつかあって、横山剣の世界から一歩踏み出そうという野心みたいなものを感じたんですが、その辺どうですか。

横山 
おっしゃる通りです。このアルバムが二十二枚目なんですけど、コロナでちょっと煮詰まっていた時期を経まして、ネクストレベルのファーストアルバムっていう気分です。中三が高校一年生になったっていう感じの。そういう気分なら伸びしろがあるじゃないかと、自分に言い聞かせてる部分もありますけど(笑)。

五木   
『樹影』でも思ったんだけど、横山さんのアルバムって、ある意味で闇鍋やみなべみたいなんだ。闇鍋ってわかります?
  
横山  
わかります。ああ、まさにそうです。

五木   
真っ暗の部屋でね、中に何が入っているかわからない鍋をつつく。いったいこれは何だろう? 食べられるんだろうか? っていうドキドキ感ね(笑)。あの感じですよ。いやあ、なかなか刺激的なアルバムだと思いました。

横山  
ありがとうございます。おっしゃっていただいた「闇鍋」っていうのは、ファーストアルバムからずっと目指してるところでもあるので嬉しいです。

CKBを遡ると蓮如に続く

五木  
僕は若い頃、PR誌の編集とかルポライターとか、また横浜の野毛山のげやまにあった開局当時のラジオ関東などで放送作家をしたりしていたんだけど、CMソングや童謡を作詞したり、レコード会社の専属作詞家としてふつうの曲の歌詞を書いていた時期もあるんですよ。

横山  
松坂慶子さんが歌った「愛の水中花」とか、いろいろおありですよね。

五木  
当時は安田章子さんの歌など書いていました。今の由紀さおりさんです。ただ、そういう雑多なマスコミの仕事に疲れて、ある時、金沢に引っ込んで、そこで書いた小説がもとで小説家に転業したのです。

でも、二十代に音楽で食っていたっていう記憶がどうしても抜けないんだな。雀百すずめひゃくまでみたいな感じで、今でも野次馬として音楽に関わっているんです。クレイジーケンバンドには以前からすごく関心があったんですが、実は横山さんとはどこかに共通点があるな、と思っていた。

僕もずいぶん闇鍋的な生き方をしてきた人間で(笑)。お付き合いしてきた作曲家の方たちも米山正夫さんや菊池俊輔さんから、武満徹さんとか三善晃さんみたいな現代音楽の人までゴッタ煮で、実に節操がない(笑)。

横山   
わかります。音楽ってジャンルじゃなく、響くか響かないか、グッとくるかこないかなんですよね。

五木  
横山さんが子供の頃に最初に出会った音楽って、どんなものだったんですか。

横山   
最初は古賀メロディー*ですね。「青い背広で」とか「目ン無い千鳥」「人生劇場」。あとは赤坂系のラテンや広沢虎造の浪曲がよく家でかかっていました。自宅で父親の聴いてるものが自然と耳に入ってきていたんです。あとはジャズとかボサノバ。セルジオ・メンデス&ブラジルʼ66とかですね。それにダイアナ・ロスとか、ソウルも聴いていました。

五木   
とんでもなく幅広いね(笑)。でもルーツはゴスペルソングかもしれない。

横山   
そうですね。言霊とか音霊。なんとなく霊(ダマ)が感じられるんですよね。

五木   
そう。声自体がスピリチュアル。ゴスペルとか讃美歌とか、日本の御詠歌ごえいか・・ とか。横山さんの音楽もそれに連なる音楽のような気がする。

仏教の話になるんだけど、「口称くしょう念仏」といって、念仏を声高く唱えることを人に勧めたのは法然で、思想的に追求したのは親鸞。その念仏を日本中に広めたのは蓮如という人です。

それまでお説教といえば、かしこまって聞くものだったんですが、蓮如は歌い手さんとかいろんな芸能人たちを連れて行った。集まった人たちが退屈したなと思うとそこで一節歌ってもらい、気分を取り直してお説教をする。そこから横山さんの音楽までずっと一直線に繋がってきているように思います。

聴いていて気持ちが高揚するんだよね。このかすれた、摩擦の多い、ダミ声に快感を覚えるというか、声明しょうみょうが比叡山から民衆芸能に流れていく、そういう発声のように思うことがありますね。

横山  
僕は子どものとき、香具師やしの口上こうじょうとか、浪曲歌謡のダミ声にしびれていたんですけど、お経に勝手にメロディーをつけて歌っていたこともあるんです(笑)。クレイジーケンバンドにも「まっぴらロック」って曲があるんですが、サビが「なんまいだあ なんまいだあ」(笑)。五木さんのお話をうかがって「あ、大丈夫だったんだ」と。点と線が繋がった感じで、ほんと勇気をもらいますね。

五木   
念仏歌謡というものの全盛期は、専門の説教師がお説教で泣かせ、芝居がかったセリフで口上を述べるかと思うと、歌をひと節歌って……というように盛り上った時代があったんですよね。クライマックスにさしかかると、聴衆の村人たちから一斉に「なんまいだ なんまいだ」と声が湧き上がる。これを受け念仏というんです。念仏というと抹香くさい感じがするけど、エンターテイメントだったときもあるわけ。

横山   
いまだったらフェスですね、現象的には。観客を奮い立たせるというところは同じです。

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*古賀政男……昭和期を代表する国民的作曲家。数多くの流行歌をヒットさせた。
*御詠歌……仏の徳などを旋律(節)に乗せて唱えるもの。
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アジアとつながる多国籍サウンド
   
五木  
そういう日本の歌謡文化の流れがずっとあって、その最先端にあなたがいると思います。さらにその背景に横山さんが生まれ育った国際都市横浜がある。敗戦と同時にアメリカの文化が流れ込んできた港町で、さらにそれが加速した。

横山   
そうですね。進駐軍が残したアメリカ文化の残り香があって、中華街の中には外人バーがあって船員の客がたくさんいました。それもギリシア系とかスカンジナビア系とか幅広かったですね。

大人になってからですけど、横浜で貨物の検査をする仕事を八年ほどやっていたことがあるんです。当時、僕が担当した業者の多くがパキスタン人で、音楽とか食とかイスラム教の慣習を間近で感じることができました。

そういうふれあいも港町ならではでしたね。そういえば、いまクレイジーケンバンドにコーラスとボーカルで参加してくれている Ayeshaは、日本とパキスタンのハーフなんですよ。

五木   
まさにYOKOHAMAって感じですね。そう考えると、横山さんの音楽は日本の中世からの繋がりもあるけれど、アジアとの繋がりも深い。『樹影』に「ドバイ」って曲もあるし。ドバイというタイトルで曲をつくるってのも大胆だなあ。

横山   
そうですよねえ(笑)。実際にドバイに行ったことはないんですけど、妄想を歌にしたんです。コロナ禍でもありますから、ご自宅にいながらにして海外旅行をしていただこうと。

五木   
なるほど。中東の音楽は面白いですよね。江利チエミに「ウスクダラ」って曲があるでしょう。もともとはトルコの若い男女の出稼ぎの暮らしを歌った歌だったんだけど、アーサー・キット*が目をつけてアメリカに持ち帰り、エキゾチックなポピュラーソングに仕立てて世界的にヒットした。

日本では江利チエミが歌ったんだけど、最初の方はトルコ語で、呪文のような歌詞から始まるんだ。歌はもともと非常に変換的な世界だけど、ぐるっと世界を一周したんだね。

横山   
歌が旅したんですね。『樹影』に入っている曲は、自分が十代だった頃のことや、これまで聴いてきたいろんな国の音楽の影響から押し出されたものが多いので、それも少し旅っぽいかもしれないです。

五木  
「樹影」っていう喫茶店そのものがそういう場所でもあったんでしょう。横山さんは国際的っていうよりは多国籍的なんだよね。同時にいろんなものが入ってる。それを僕は「闇鍋」って言ったんだけど、『樹影』を聴いているとそれをあらためて実感できました。

*アーサー・キット……甘い個性的な歌声で世界を魅了した歌姫。「Santa Baby」「C’est Si Bon」などが有名。

雑多なものが合流する場のエネルギー
    
五木   
結局いま、我々が気がついていないところでも、ぼくらはいろいろな文化の影響を受けているんですよね。横山さんが拠点にしている横浜は、そういう意味でも異文化の接点、混沌とした場の一つだと思う。

横山    
混沌、まさにカオスですね。

五木   
ミックスされて混血して、そこから新しいジャンルの音楽が生まれてくるんです。

横山    
世代の接点でいうと、いまは若い人たちが昭和歌謡に向いている感じはしますね。うちの娘も19歳と23歳ですけど、昭和歌謡や七〇年代のシティポップが好きで聴いてますし、アジアでも注目されているんです。面白い現象ですよね。

五木   
それもノスタルジーとかいうだけでないところが面白い。

横山    

…ペットロス症候群新老人
2011.03.11~東日本津波原発事故大震災 
復興10年・20年・・30年 俺は逝く
2021コロナ禍は続く…
2022~2024・・ウクライナ戦争
2024 能登半島地震~未来を信じて!
2025 ・・・
…記憶と記録

【311/東日本大震災/東電/原発事故/放射能汚染/避難~復興】
311以降変わらないようで毎日変化するふるさと福島地元を記憶・記録する愛犬二匹は老衰死ペットロスは続くGGのライフワークのようにその時までの暇つぶしのように...
2021世はコロナウイルスの猛威が続く…2023各地で戦争が
20241/1 またも大震災 能登半島地震 祈る

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