報恩講 令和6年1月15日 大講堂説教

そうそう そうそうあここあったかいなあかいなスの 行こうか どっちつ つ どうぞよろしくお願いいたし ます あこんにちはまもありがとうござい ますさ 違う ま う 寒 けど 疲れ たか っ [音楽] たず 動 [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] あはいはい はい結構 時間になりましたのでえ始めさせて いただきたいと思い ますえ本日もえ大行動の説教え皆様寒い中 足を運んでいただきましてありがとう ございますえ本日のえ説はですねえ鈴鹿市 寺え職え松山千三先生でえご講題はただ この構想の説を信でしというご題を いただいておりますえそれでは松山先生 どうぞよろしくお願いいたし ますでは最初にえ3来えと申しまして信頼 商人のお言葉を解読させていただき ます え2人のくいすみやかにの2つ目正児の 区会でございます正字の 区会断り なし ひさしく 沈める我 らばみのひの船の 度乗せてかならず 渡 しける とナマラブナマラブ ナマラえそれでは先ほどご紹介いただき ましたええ鈴市のえガにから参りました あの松山でございますえ あのテーマがあの決まっておりまして えあの先ほどご紹介ありましたようにゆか 紳士構想説でございますえ皆さんはあの

こうこの言葉だけでもうあのえっとその唯 紳士高説と いう感じは思い浮かばれますでしょうか いかがでしょうかえ えどっかに書いてあるんですか有川紳士 構想説はどこかに書いた方がよろしい ですはいえそれではあの うん 唯 え新え Cえ高層説 そ 説 えまこちらの方をテーマにいたしましたの はあそのいつものお務めえ高田のお務めと 言いますとガゴ調整癌えそして奇妙無料 二女来えそして二のくい速やかにとあこお 務めをこうしていきますとあの奇妙無料 ジュニ来の最後はゆか紳士構想説でえ 終わりますえそしてさあの門さ門げえ西方 深市議村てお務めを始めましてもあその 終わりはゆか紳士放送説でま終わるわけで ございますのでま普段からのお務めをされ て見える方にとってみたらあの馴染みの あるえその言葉あお言葉でないかなとえ 思いましてえテーマにさしていただきまし たえま診断証人が書かれたものでござい ますけれどもえ最後の結びえ結びはあこの お言葉でえ終わっとるわけですのでえ信頼 書にとってみたら非常に大事なあそのお 言葉ではないかなという思いでえテーマに さしていただきましたま普段私はあゆか 紳士構想生ってお勧めするとあ終わった 終わったお務めもこれでえまあまああの 終わりに近づいたなてあまあと二重の くらいや2人のくらい速やかにで始まると え女花たちがたでえ念仏ざまえ行事説大償 飯度脱接しあもうあと何万ダブとガジどや でまあだんだんこう終わるあの区切り みたいなもんで えなんその意味というものを普段は考えず にえお勤めしておるのが私とちゃうかなと いうえやっぱり立ち止まってそのお勤めと いうものをえ味わってええいかんとあかん のでないかなてえいうことをま思いますた のでえ今回この馴染みのあるえお勤めの 言葉をテーマにさしていただいたことで ございますえただあの構想の説をえ え唯川紳この構想の説を新図べしですよね え神べしというあの構想の説この構想の説 というのは信頼人があの奇妙無料授業来 ってこうえ書いていかれまして えそしてあのま真ん中真ん中まではえあの え教団あのま難しい言葉はあまり え使わないようにえしておりますけれども

え ええ 教団あのお経ですねあのえお釈迦様があ様 のことを解かれたえお京あというのは上土 三部教とこここはちょっとあのあのあのこ 黒番もありますのでえ少しちょっと硬い話 もするかもしれませんですけどあのえっと この教というのは上土3部 教3部え 3つですねえあ様のえことが書かれたお経 がございます物質無料受教物質間無料受教 物質網田教というえそのえ3つのええお経 からですね信頼証人がえあ様のお救いと いうものはどういうものかそれを奇妙無料 人如来からま無ライフ義公っていうえこれ はあもうあのご存知と思いますけどあのお 念仏でございます何々だ何万だていう南ア 物を2回言うて見えるわけです奇妙無料 寿女ラっていうのはえっとあ南ア仏という のはえこれはインドの発音ですねえ ナモナモえとかナムとかえこれはあナマス という 発音 にというのというインドの葉をえ当ての 感じでえ仏もブを当て字にしてえナ仏は 全部インドの発音を当て字にしたもんで ございますまご存知の方も多いと思います けどそれを感じの意味のあるものにえ中国 の方が翻訳したのが奇妙無料如来でござい ますはいあまた別の感じでえでナモ フカシギナムはえナムアブスナムですけど 不思議校というのはまたあ様のことを意味 のある感じでえ えっと表現したものですね 深し如来えあ漢字はあのえっと奇妙無料 12というて777つの漢字をずっとえ 書いてがれますので如来つつけるとあの 漢字が大なるので奇妙無料字で終わって ますけど あそこの下には如来があるわけでえ やっぱりこ何万打物だから何万だ何万だて 言うてそれからえ網田様のですねえことが ずっと え信頼書にが書いて見えるのがえ教団で 真ん中以降はですね釈団ですねええ 解釈ですね解釈の借釈団あという風にえ あの申しておりますけれどもうその安田様 の救いをですねえ高層高層え7人の構想の 方ですね7高層 え7人の構想あインドインドえ中国日本え 山国七祖三国七祖という言い方もえします ね3つの国の7人の祖敗訴えそうですね はい3七そえもう皆さんご存知と思います 竜樹様あえ天人様ドラ様同着様え全道様 現神様あ玄空様で最後の玄空様ていうのが

えっと本年坊元というお名前の元でござい ますのでえ本年少にのっでございます本年 少にだからあ竜樹様インドの竜樹様から 始まって日本の本年証人までの方々77人 の方々がそのあ様のお救いは本当に大事な んだとえこうあの教えてくださったと診断 商人があその安田様の そのお救いを7人の方々がこういう風に私 に教えてくださったんですすって言うて ずっと あの書いていかれたのは新大商人でで最後 に唯川新構想説とこの構想の説を信べしあ だから あそのあ7人の方々がこのお念物で救わ れるんやと頷いておられることを是非皆 さんも味わってくださいえっと進めて くださっとるわけでございますあだから私 ええにとってみたらですねそれは診断商人 は何をえ私たちにえお伝えくださっとんの かということでございますでどこから話を させてもらったらよろしいでしょうか えっとま専門的な言葉さき紹介させて もらいますとここ消しましょうか下新構想 これ消しましてえここも消しときましょう かもはい えっと専門的な言葉に え伝統とえ え故障というえこれ 交渉というえ言葉がございますえ伝統と 故障というえで仏教の辞書あるいは新集に ついてえの言葉の辞書まそういうところを 見ると出てくる言葉でございますこの故障 という言葉伝統は何も仏教だけの話が ございませんのであのあの伝統と故障とえ でえその辞書を見ますとですねえこれはあ 新新州新時点という時点がございましてえ その新集心時点にですねえっとま両方とが 大事なんですけども伝統なき総見は独断で あり総見なき伝統は飲酒であって伝統のみ よく故障荒め故障のみよく のを発揮するてえちょっと難しい言葉で ございますけもえあの伝統こういう伝統が ないようなそこれもこっちから消し ましょうかえ伝統がないようなえっとあ剣 はえ剣っていう感じはそう作り出しかです ねえ味方ですねえ伝統なきは剣というもの はあ独独断に陥ってしまうと1人よがり ですねえ私はそう思うというだけの話で ございますあのこれ分かりやすいと思い ます伝統というのはみんな昔からそやせや 大事なことやてこう伝わってきたことを 無視して俺はこう思うんやて言うとったら それは1人 弱いだからその伝統というものがちゃんと 裏にないえっとあかんのやということで

ございますのでこれは分かりやすいですね それから権なき伝統は ええ権だから権ということが え証権なき伝統です ね伝統なき伝統なき書いてくね伝統伝統え 伝統なきそ権伝統 なき権がえ独断で 双なきえ伝統は剣なき伝統ですね伝統 はどうなるかというと飲酒飲酒と金州の集 は世宗制度の集ですよね え世宗の主あのえ飲酒 委集えであってていうのはあのあの権って いうつまり1人1人があの自分の意見とし て意見としてえこうなんだというあそう いう個人の意見を持たないような伝統はと いうとこれはあの形だけですよねただ昔の 人がやっとるからえそれを続けとるんやて えそれは飲酒とかあ何がいしですかねあの えっとこの慣れるという字かて監修という 言葉もありますけれどもあのただあ あのゃないでやっとるんやああだから みんなが昔のことやからこうあの受け継い どるんやってえこうやって言うともあの そんな1人1人があうなん自分の意見と いうもの件っていうのはま意見ですわ自分 のしっかりしたそういうものを考え方を 持たないような伝統というものは形だけ しかあの伝わっとらんよてあいうことで ございましてえ伝統のみ故障を荒め本当の 伝統あるものは故障を荒めていうのは故障 というのはあの事故の子ですよねえ事故の 子事故1人1人これ事故の子ですので えっと1人1人がえ故障荒めというのは 1人1人が本当にそうだえその昔からの あることはあ大事なことなんやって自分の 本当のえっとなんですかあの え味わいというかそういうものにちゃんと なっていくということでございますで故障 のみよく伝統の意をを発揮するということ でえそういう1人1人があそのしっかりと 頷ける味わえるそういうものによって 初めて伝統というものが続けていかれるん だというあのそういうあの説明が事書には 持っとるわけでございますあだから2つは 別ではなくてえ2つが1つになるという ことが大事なんだということになるわけで ございますまあそういう話をまさして もらっておいて先ほどの奇妙無料寿女来で 始まりますその妙無ジュニライナ義子法造 防災人事ここからですよねあ様のあの話が 説明が始まりますえ法造菩薩であったああ その網田様は元々法造菩薩様でございます ので法造菩薩様がどのようにして田様に なっていかれるのかで様がどのように 私たちを救ってくださるのかあそういう

ことがあの堂々産部教にえ無事教神無授教 安田教にえ詳しくこう解かれております そういうお経があまインドから中国日本へ 伝わってきたわけでござい伝わってきた わけでござだからお経というのはあの え元々はあのお釈迦さ私お経というのは お釈迦様が書いたものやと思ってましたあ お釈迦様はペン持って書いたわけではあり ませんのでえそのお釈迦様が亡くなられた 後にえそのえお弟子さんたちがあお釈迦様 の教えをしっかりと記録して残すなあかん ていうことでえ書かれたものが経でござい ますえだから如ガモガーモン如で始まる わけ我核のごときえこうあの聞いたこの ように私は聞きましたって言うてえその ずっと経が始まるわけでございこのように お釈迦様の話を私はこう聞いたってずっと はでそれを書いてえずっとま守ってえ インドから中国へ行き中国からあの日本に こう伝わってくるとうんでま中にはあの 三蔵方士え三蔵方士でインドからあその教 を運びそれを翻訳をしてですねインドの 書かれた言葉を翻訳をしてくださったあ そのお坊様が見えて先ほどの難万ダ仏と いうそのインドの言葉を奇妙無料順来と いう意味やという風に感じで書いて くださったあその方が見えてそしての感じ の経ができて日本に伝わってていうまこう いう流れでこと流れ ことでただ単にその経が日本にえ伝わって えくるだけえならですね えどどうなんでしょうあの えま図書館図書館へいたら古い書物が たくさんあるわけでございますけれども あのそのえそのただ昔の資料としての本と して形として残っているだけなのかそれが えっとですねえそれを学んだ人1人1人が ですねあ本当にあ様によって私たちは救わ れるんだという風にえよ え頷いた人たちええそれがあのなんですか あの7人の構想七構想さあでございますえ ただそのお経に書かれておることをえその 1人1人がですね本当にそうだてえそのお 経に書かれていることは間違いなく私の 救いのことが書かれてあるんやとうかれた 方があ見えたというのがこのえええ釈だ釈 だあそういう人たちがあって初めてその 上土産部教というものがあ命ま命とかです けどもえ本来の役割と言いますかあその あ中身がですねえ生きてくるというかあと いうことをま診断省には最後に唯真士高層 切なですよてあどんな立派なあの理屈が あってもですねその理屈によって あのんですかあ ええ人が救われなかったらですねただあの

機上の空論ってありますけど机の上だけで えこうなんかあのえちゃんとうまいこと 行くなていうそんな話で終わってしまうと いうことになるわけでございますでえま私 がですねあの私が尊敬する先生 えままたあの単なる先生ではなしにまこっ からまた話が見解していくんですけれども あの信頼商人がゆ紳士高宗説とそのあ様の お救いをえ本当にそうだと自分 の自分の言葉でかあこう頷いてえ行かれた 方あがあのその7人 の七構想様でとまらずにですねえま先に 書きましょうかえっとこの故障の部分 に非常に えあの私私にとってですね大事な意味を 持つ言葉が明好人でございますえその7人 のえ竜樹天人ドラ同着全道原子元宮という その7人に限らずですね限らずそのお念仏 の教えを自分 自分として受け止めていかれた方々あ頷か れた方々を明光人と申しますあだからえ えっと私今から紹介するあの先生先生ま 恩師ですけれどもあのし高丸という先生 ですけれどもこのま先生も私にとってみ たら明法人様でますあまその石木高丸先生 がたくさん本を書いて見えますけれども今 ここに持ってきましたのはあ共業省本類 講義というえ一般に競業新相とか言われて ますけど正確には競業省門類えそのま白井 先生も競業新相って言わないんだ競業省と 言っんだていうま言われる方ですけど共業 省本類講義のえっと小心源について書かれ た本あがございますでえ小心源の部分だけ を書かれた本ですけどもその中にですね えっと白木先生が え新州の仏道を え明らかにするについてえそれを解く ところの共謀が教えが論理的な整合性を 持っていることを明らかにすることが大切 ですがここまでよろしいでしょうかえ論理 的な整合性えつまり研究の対象と言います かあああその1人1人がその書物をあの7 人の構想の方々が書物を書かれてえそれは どこの協定にどう書いてあるっていうのを 引用してこういう風に結論を出して見える まあのあの学問学問としてえちゃんと中身 があなっとるかいうま大学で研究する みたいなもんですわあそういうものが しっかりできているってことも大事なん ですがもう1つ具体的な実証として実証 故障の省ですねとしてその歴史その念仏に 生きる人格に出会うということが大切です そのお念物によってえこう生きている人に 出会うことが大事なんですかですなわち なぜ物しなければならないのかなぜ人生に

とってで物の道が尊いのかという問に対し てそれを明らかにするのはあそこにそう いう道があるえあえそこにそういう道が あるその道を歩いた人がいるということ ですてえそのあの教えをちゃんと受け止め てその教えの中で生きている人がちゃんと いるということが大事なんですとうえで えっと私たちの前に え念仏して本当の幸せを生きた人が たくさんいるのではないかということを どれだけ現代人に明らかにすることが できるかあーということをこおっしゃって みますあま石木高丸という先生は大学の 先生ですのでま研究者であるわけでござい ますけれども大事なことはそういうお念仏 によって本当の幸せ本当の生き方を見出し た人を現代の人々にいかに伝えるかつまり この明好人と言われるえその方々をいかに えこえ現代の人々にえお伝えするかという ことが大事なんだということまおっしゃっ て見えるわけでございますそういうことを 診断証人は奇妙無料寿命来の中で7人の 構想をげられてえこの7人の構想方が おっしゃるようにお年物で実際にえその 生きる生きる道を見出された方々が ちゃんと見えるんですよていうあそこが 唯川紳士高説にえなるのではないかとま 思うわけでござい ますで えまこの7の構想の説で言われますけどま 最初に申しますとこの7の方々でえ竜樹様 天人様どあのまあ2人の暗い速やかに縁と 思わん人はみてお務めしておりますのは竜 様あインドの竜二様のえ書かれたものを元 に診断省人がこういう風に私に教えて くださってますってえこう書かれたもんで ございます正時の区会ほりなし久しく 沈める我らをまみの悲願の船の水を乗せて 必ず渡とあこうま教えてくださってますよ ということでございますけれどもあのこの まうあさに申しますと正時の区会ほりなし 久しく沈める我らをばここが私はま大事な 信頼証人の書かれたあポイントでないかな とは思っております我らをはその商事の 区会ことりなし久しく沈める我らオバ つまりえそのこの生でそのお釈迦様が教え てくださった人生はくであるというあ一切 育ですか一切え全て皆悪であるという教示 の区会ほりなしというそういう中を生きて おる私たちえその私たちのあの救いとはあ みの悲願の船の溝乗せて必ず船のみぞここ もまポイントですよ ねあのあの立ちとあのただ口だけが動くん ですけどもあみの悲願の船のみぞですから 他の船は私を救ってくれるわけですわちゃ

の船しかしか救われんうえのみ乗せて必ず 渡しけるだから竜二様もこの船しか私は 救われんとこうおっしゃって見えるわけで ございますうんあのま竜様って言うたらあ いっぱいあのあなんですかえ本を書かれた 難しい本を書かれた方でございますあまあ 言うなればあ賢い人でございますうんま この引き構想という方々みんな書物を たくさん書いて見えてようなれば賢い人 ですから みんなあま結論申し申しますとあの本年 商人って本年証人っていう方はあの知恵の 年坊っていう言われて知恵のほ年坊です からみんながですねあの本年商人って 素晴らしいあのあの賢い人やとあ簡単に 申しますとうんだから平山におられる時に 冷座にある本をあのえ一歳教ってま平山に 伝わってる本を片っ端に呼んだんでしょ それも何回も繰り返し てようするなと思います図書にある本を 読めて言われたらびっくりしますけどあ もうもうあるもの を片っ端に読んだてあで読んでやっと4回 目か5回目ですかあに え中国の全道大使の書かれた神領受教所と いう書物に出会ったんですね出会ったって 何回も呼んとるわけですから出会っとった んです今までまで出会っとったのにやっと 4回目か5回目え読んだ時に気がついたん ですよねああまこういうこういうことも あのありがたいなと思います高年商人が そこに出会ってくださったからあ今私たち お物に出会っとるわけでございますけれど もうんでえそのそこに全道大師の書かれた ものにえそのボンブ王女ですよねボンブと いうものがれる道が書かれてあったわけで ございますああだから高年証人はあのま 賢い人です知恵の方音もみんなからすごい 人やなってえその人がそこに初めてあ自分 の救いがここに書いてあるあボンブという ものの救いが書いてあったとあ見出した わけでございますあだから本年省にはご 自分のことを10悪の本年簿10枠ですよ あそれから愚痴の本年簿 自分のことおっしゃるわけですこんな こんな愚かな私はおらんうんただ勉強が できるとかできんとかいう話の愚かせでは ありませんのでえああのこれはもうまさ そうです先にもう色々申して浮かんでき ますので信頼証人が書かれたボンブという わていう言葉がございますボブという文 書きましょう か よし文部というあ時間を考えないといけ ませんあれもう30分過ぎますねあと30

分しかないですね ああボンブですよねえそのボンブという 愚かさですよねえだから診断証人もそう いうボンブとしての愚かさにえ目覚めた方 ですよねえだから悪所さらにやめがし心は 邪のごとくなりてえおっしゃって見える わけですで信大所にか文部というは無名 煩悩我らが身に満ちてよくも多く怒り腹 だしそみ妬む心暇なくして臨時の1年に 至るまでとまらず消えず絶えずでえ おっしゃって見えるそれがま信代所にご 自身のことやということでございますけど も あの無のを我らが身に満ちてえよくも多く 怒り腹立ちそみねたむ心暇なくしててえま 3独の煩悩ですよね無明煩悩無名煩悩です ね無名無名煩悩我らが身に満ち て悩 我人中の1年に至るまでとどまらず消えず 退ですか死ぬまでなくならんて ああだから話はここで戻しますと あるい たい てもご自はどんな自分かて言うたらもう無 本の救われがいそういう自分やということ に気づかれた方でございますそういう私の 救いは何かそれはあ様の救いしかないと いうことでござい ますあのそうですよね え あのそう気がつくまそのぐらいでよろしい んでしょうか え うんでこの7人の方々あそのどんな人 かっていうことがあのま調べたら分かるん ですけどもあの皆さんですねいろんなあの この愚かさ愚かさというものが人生の中に あるわけで ああ本当面白いもんですね えあの竜樹様竜樹様はえあの遊びほけとっ たんです か遊びに夢中になとったら あこんなことしとったらあかんって言うて えま思った時期があったわけですよ遊び ほけとった裕様もあそしてえ天人様もです ねそんな大場仏教なんてそんなんで人は 作れるんかって言うてえま仏教の中にも ですねあの色々なそのえこういろんな仏教 があるんですけれどもあまあま難しいこと 話すると開けませんけどあのそんなあの 大場仏教っていうのは大きな乗り物ですわ 大きな乗り物でみんなが乗ってですねで 救われていく簡単に言うと簡単に言うとあ だからみんなが乗れるので大きな乗り物 ですわだからあの症状仏教という言い方は

大場仏教から言うんですけどもも症状仏教 っては小さな乗り物っってつまり自分だけ 乗ってその仏悟りの世界こう進んでいく 自分だけ賢なってですね自分だけえ立派に なってですね仏様に近づいていくっていう 仏教ですねえそういうのと大丈夫仏教 みんなでどんなものでも乗してもらみの 悲願の船がそうですわみんなでのして もらって仏様になっていこうという仏教 そんな仏教ってあのえあかんぞって言う とったんが天人様でございますああでえ 竜樹天人ドドラ様はもう皆さんよくご存知 ですよねどんなあのえ愚かさを目覚めた かていうのはあのゴアさんゴアさん違うご さんでもよろしいんですけど君無料中に来 をつと召しますとですねえっと竜樹天人 ドラドラ様のところはですね えっと ええ本動乱天使上皇乱暴来三蔵ルシ十条教 こっからですよね本省専業落法点本章専業 落法点え専業専業を焼き捨ててえ落方に きしたえつまり専業に迷ったていうあの 有名な話ですわつまりあのドラという方は 勉強熱やったんですねでだからあその大 実況という膨大なお経をですね研究する ためにまずは体を元気にすなか健康でない と研究ができんだからあの体を研究にする ためのあの1000人のお経というものを まず勉強せなかんであのそしてボダルシと いう三蔵士ですね五代師にあの自慢したん ですよね俺は勉強するするために長生し たいからこういう1000人の経を手に 入れたんやすごいやろったほしたら小田 三蔵がですね何を言うとんねよお前あの そんなそんなああそんなはあのえなんと 言うたんですかねあのま唾を履いてて言わ れますけどもあのそそれは本当のあの仏教 の学び方と違うあそ健康であってそして 膨大なを勉強していくことがあその仏教や と思っとったけどもそれが本当の仏教じゃ ないとあそしてそこで間無料受を渡された とかま色々言われてますけれども安座様の そのお救いというものにこう目覚めたと いうあまそういうのがドラ様でございドラ 様 あ自分はえその道道を間違っとったって いうことに気がついたてうんでどう様あの 同着もう先に行きますか同着全道あ原子元 でま原子さんあていう方もあの王城要集と いう立派な書物を書かれた方でございます で原始さんていうのは王城用書かれて え1節には書かれた王城要集が中国へ 伝わったんですか普通経というものが中国 から日本にこう伝わってくるちうの普通の 流れやけども日本で書かれた書物が中国に

伝わってたらおしたら中国のお坊さん びっくりしたこんな立派な書物書くような お坊さんが日本におるんかていうぐらい 原子ソズがあ書かれたあの書物王城要子と いう立派な書物がありますけどそのあの 王城要集の最初のところに書かれているの はあヨガ寒露のものてガロ固くなに愚かな 私はお念物によってしか救われんという ことが出てくるわけでございますでこの 現神さんは若い時にですねもものすごく 賢かったので中つまり天皇陛下あの前でお 経のあのお経の解説かお経の説明をした うん天皇陛下の前でこしたら素晴らしい なって言うて褒美をもらったでもらった 褒美を母親へ送ったらそしたら母親からお 叱りの手紙がつたああこんなあの浮かれ とってどうするんやとお前をお坊さんにし たのはそんな自慢するためにお前を仏教の 勉強さしとんのちゃうやつうて母親からお 叱りを受けてえそれからこ学び方が変わっ たという風にま言われておりますまあまあ ばま皆さんが自分が愚かやなという いろんな経験をして見える方々でござい ますあまそこが大事かなとだからえっと私 が尊敬する問いをしようという先生です けど遠い先生が紹介して見えたあのえっと ブッシュ高子という人のあの死がありまし てえ誤ちは誰でもする強い人も弱い人も 賢い人も愚かな人も誤ちはええ人生を決め ないえ誤ちの後が人生を決めるえ誤ちを 自分の方に背負うか誤ちから逃れてまた 同じ誤ちを犯すか誤ちは人生を決めない 誤ちの後が人生を決めるというような仕 ですねこ先生に教えてもらったことが ございますけれどもあそういう誤ち失敗え 自分は本当に愚かやなというそういう 気づきの中で本当の生きる道をこう見出し ていくあそういう方々が構想様あであるん だぞということを診断証人は最後にゆか 紳士こ立派なこんな7人の人がおるから みんな信じよってそんな思いじゃなくて みんな色々人生でつまづいてそして自分に ああこんな自分はあかんなって気づいた人 がお念仏に出会ってたんやていうことま 信頼証人はあ最後にえこう抑えて見えるん でないかなというところをま今回ですねえ お伝えしたかったわけでございますまま いろんな方に見えますけどもえま明光人様 でちょっとあの時間がありますで紹介させ ていただきますとえっとですねええこれは 佐木佐木香川県の正馬さんですね え明治4年にえ 73歳で亡くなられた方 え交渉派のの方ですね新州交渉派のこの シマさんていう方

あ え正馬 さん正馬さんという方あですねこれ継承が いりますかあそうそうそうえあの色話し させてもらおうと思ってよしたの中に私 自分のあの 寺のジボの掲示板がありますでその掲示板 のことはいつもこうえどんな言葉がいいか なって探すんですけど今掲示板にえ書かし てもらっとのがですね3つ3つ並んどるん ですけどそのうちの1つがですねえ昔から あのえ読み人知らずだそうですけど叱られ た恩を忘れず墓参りという言葉がありまし てああこれえ言葉やなと思って今今警して おります叱られた恩を忘れず墓参りていう あうんあのそうやなだからそこでま私思っ たのは最先ほどのドラ様ボダ三蔵に叱られ たんですわ何やっとんのやってああその 叱られて初めて目が覚めたあその叱られた 時ってのは私もそうですわあの腹立って何 言うとんねやってこう思うのがいやけど その人が亡くなってみたらああ大事な時に え用しってくれたなっていうそんなことを 亡くなってから思うわけでございますので えまあのまままえっとすいませんでえこの し正馬さんの言葉に戻りますけどもえ正馬 さんていう方はですね有名なのがあその えっとまなんですかあるお坊さんがシマ さんをえこらしめたろというかあの試し たろうと思ってえあのお経見せてえ小馬 さんでこうあの地も嫁しかけしっていう人 にお経これなんて書いありがたい ありがたいで喜んだねお物喜ぶもんで何が ありがたいか分かっとんのかなて言ってお 経見せて漢字ばかり書いてるお経を見せて これなんて書いてあるんや教えてくれんだ てえ言うたらシマさんがですね有名なね手 にのってああのあ昭が助けるぞと書いて あるてどこ見ても昭ま助けるぞって書いて あるてこれが本当のこ読み方やろな ああこれは大学の先生やた違いますねここ はですねえあのこういう深いえ別の教には こう書いてやってどうのこて理屈言い出し ます大学の先生はあそやけど正馬さんって いうのはどこ見てもシマ助けるって書いて あるわてあーまそういうシマさんでえこう いう話のあのありますね今日の説教は ありがたかったってあの あ聞かれてる人が見えてその横に見えたん です馬さんが今日の説教はありがたい話 やったなえあのええ邪の角があ落ちたわ かて邪角角あ角を 出る間違ったもの考え方邪えそういう角が 落ちたっていうのを聞いてえ正馬さんが また生えにゃよいがなまたそのつ落ちたっ

てまた生えにゃよいがなて角があるまんま と聞こえんだか角があるまんまの救いやて 聞こえんだかまこんな有名な話でござい ますけれどもえっと他にもう1人紹介させ てもらいますと えっとささささんですね え麻原ささん えーあ位置が違いますねささん麻原さ さん ええっとあこの方がですね私は忘れて 暮らすのにあなた私をごえなさるおじひが な仏えあなた私を助けまここまでは よろしいですねあのえ私は忘れて暮らすの に普段の生活はあさんのこと忘れてくらし とるせやけどあなた私を誤歳しくてなんか こう縁あるごとにえお物忘れてなないかて 言ってご再してくださるご色なさるおじが 万だ仏てえまそのお念物忘れとったなてで あなた私を助けこの後です私はあなたを 助けてここがものすごいありがたいところ ですあ私はあなたを助けもた六をあなたを 助けというこういう言葉が残っております え皆さんいかがでしょうか えあの様が私を救ってくださるこれはよく わかるんですけども あ私があなたを助けるはなぜかと言うとあ あ様っていうのはその えっと時間がもうなくなってきましたねえ あ様というのは法造菩薩様があ様にこう なっていかれるわけでございますけれども そのあその切が特別実方市場実方の市場が ですねえ救われなかったら私はあそのあと いう仏にはなりませんてこうおっしゃって 見えるわけでございますこれがあの5本が っていう対18がですけれども全ての人が 救われることがなかったら私はあだという 仏にはなりませんなれませんってよろしい でしょうかだからそその教えを聞いて 見えるささんはじゃあ私が救われんだらあ さんはさんになれへんやないかとあだから 私が助かることが安田さんが助かることな んやてああしっかりとこう味わって見える なああそれはそうあの先月ですね寺のお寺 の掲示板に書かしてもらったことこれは あのこの傑作ですねえっとあそこうん インターネットインターネット見ると全国 の掲示板がこう紹介されてますのでまああ こう探すんですけれどもあの探す 立ち止まってじっ味わうんですけどあの その中に横浜のあ有時というお寺さんの 掲示板があってですねそこの掲示板にお えっとお母さんなんで泣いてるのお母さん なんで泣いてるの怪我をしたのは僕なの にてただこれだけですけど皆さんいかが ですかお母さんなんで泣いてるのてうん

怪我をしたのは僕なのにてだからこの子に とって見たら怪我をして痛い思いして僕が 泣くんやったらわかる僕が泣くんやったら ああああ苦しい自分が苦しい思いて自分 だけが苦しい苦しいって言うとのは分かる けれどもあなんでお母さんはあ怪我して ないのに泣いとるのていかがでしょうかあ それが親心ですわね子供が怪我して痛い 思いをしたら親も心が痛いあああもしかし たら泣いてるのは子供がですね大怪我じゃ なかったあ大したことなかった良かったな このぐらいの怪我で住んでよかったなって 言うて泣いとるかも分かりまあーあの つまりあ様は私が救われることを第一に 考えた ああそういう仏さんやてあさんやていう ことでございます えそうですねでえっと明光人様 あまさささんのまた同じようなあのこと ですけどナ仏ナ仏忘れて暮らす私になア 打物が先に出て思い出すのはいつでも後よ え私はつまらん後ばかりえー私の心が先 ならだめよ親のおじ悲が先にある親のおじ 悲は先ばかりわしの返事は後ばかり音嬉し や何々仏ていかがでしょうかあ私が先はあ かんていつも後になってしまうて え あのそうですね えどうでしょうか あ あの うん先とあと え そうの残りの時間あのえっと先月先月先 先月ぐらいですかあ あの話をさしてもらう機会があってそこで え紹介させてもらった言葉であのあの掲示 板の言葉ですけどあ深い意味を持っとるな てえこう思いますでその言葉というのが皆 さんももしかしたら えっと聞かれたことがあるかも分かりませ んえ人は人は出会いによって育て られる人は出会いによって育てられえ別れ によって深められるというそういう言葉が ありましてあこれはあ初めはそんな深い 意味考えなかったんですけれどももあ 味わえば味わうほどあ深い意味があるな インターネットを見ましてもいろんなとこ で紹介されている言葉でございます人はあ 出会いによって育てられえ別れによって 深められるとい うんだからま話戻すと信頼証人もその 出会いによって育てられた方でございます あーあのその出会いによっってていうのは は産部教に出会い上土産部教に出会い非

高層様に出会い書かれた物ご書物に出会い で本年証人には直接出会われてええであの 出会いによって育てられたわけでござい ますあそや人生っていうものは本当に 出会いによって育てられるんやなそれは 例えばおぎと生まれて親に出会いですか親 に出会い親としてこう親から育てもらう わけですそしてまた家族兄弟近所の人学校 へ行ったら学校の先生に育ててもらう友達 に育ててもらうあわけでございますでええ でも別れによって深められるというのはあ あなるほどそやなあの要するに例えば卒業 式卒業式というその別れの時になってくる とやっぱり色々こう叱られたこともですね あの先生うるさかったなでもこれでもうあ 分かれやなてえこ思ったりするとでもあ 色々自分のことを心配して言うてくれたん ちゃうかなとかああ別れによってそのあの 出会いによって色々育ててもらったことを 思い出す深められる あーえていうことにえなるわけでござい ますあのも親もそうですよね親は生きとる 時にはうるさいな鬱陶しいなまた同じこと 言うとるわて言うてえこう思う思いも親が なくなるとああ親が色々言うてくれたこと は大事なことと違ったんかなっていうて うんという風にえ別れによってその深め られるで信頼商人 も えっと書き残されたものに万年ですよね 万年 え何を書いてみる高年証人のことを書いて みるんですよねでそこで何を思い出して みえるかというとあ上土州の人は愚者に なりて王女すと将来しこととあまそういう ことを思い出すなる亡くなった本年商人が このお念仏の救いというのは愚者愚かな ものこそ救わんとされる教えなんやという ことを常々こう思い出されたということが 出てまりますでその後にですねえその賢い や賢い人ってのですねえあの学生沙汰 つまりこんなことを僕は勉強しとんで こんなことも知っとんねやてえいうことを ひけらかす人たちがやってくると本年商人 がですねあの者たちは大丈夫 かて本当に救われるかって言うて心配して おられたああそしてえ自分のようなものが 助かるんでしょうかってえこうやってええ やってこられる人に本年商人は大丈夫や 助かるてえこうええ参らせて微笑まれニコ とされたあ確かに救われる方々やていうえ その情景がですね診断省に忘れられんと いうえことがお手紙の中に出てくるわけで ございますはいだからあの診断商人のこう 見ええというものは信男証人もいろんな

方々に出会われてえそしてお育ていただい てそしてえいろんな方とのこの別れの中で その人 のことがえ深められていったということで ないかなということをま思うことでござい ますで えっとちょうど昨日ですね昨日ま えっとえっだったかなはい日あうに行て ですね若いえ子が作った 57577の単価あを紹介してえおりまし たえっとこれはですねえ高校1年生のえ 男の子が書いたあ作った単価ですね ありがとうたった5文字の日本語が100 の気持ちを届けてくれるえこういう考あ 上手に作るなと思いますありがとうという たった5文字の日本語が100の気持ちを 届けてくれるでございますでもこれもあの あ今日のお話の中身として言い換えますと なア陀仏たった6次のお念仏が や南仏というたった漢字で書くと6文字 ですえ6文字のお念仏があの気持ちを届け てくれる あーだからあさんの方が私にえそお前を 目当ての救いなんやということをこう届け てくれるのがあのささんの難万田仏難万田 仏念仏は親の呼び声この返事ってえま有名 な言葉があります親の呼び声でございます のでえ必ず救うてえいう親の呼び声え必ず 救う接触者のお呼び声えが届いてえ ありがとうございますという南蛮ダで ございますでえっともう1つ昨日のおうで 紹介しとったんがえ中学2年生のこのえ 作った単価でございます ありがとう人と人とをついでる言って 嬉しい言われてう嬉しというあの上手に 作るなと思いますえなえありがとう人と人 とをついでる言って嬉しい言われて嬉しい ということにございますだからえこの人と 人とこう繋いどるというのがありがとうと いう言葉なんやなあということをこうこの 子は思っとるわけでございますけどもま 信頼商人にとってみたら 南仏仏えこのお念物でえこう自分は本年 商人とも繋がっとるんやあ七高層様とも 繋がってるあ様とも繋がってるやあだ様あ よう気がついてくれたなであ様が ありがとうてありがとう言われて嬉しい何 まなるあということかなとそんなことも 思うことでございますちょうど時間 あになななったのでえあと あのえ証人の5書を配属させてもらいます で新証人のこの5書の最後のところにです ねえその癌というは明がというのは願いあ 様の願いですけどがというは名語なダブス です

えで力というは眼力の力という分けまして 力というは僧直接なりで終わっとる所さで ございますこの 本当の力というのは僧直接や僧直接という のはこう大々受け伝えてえそうなんやそう なんやって言うて直接こう頷かれた人たち の言葉これが本当の力になっていくんです よていうのがあご所にございますので え今日はこれを読ましていただきたいと 思い ます証人のご一歳の俗人のごにして助かる べきよは我が身は罪悪人のものなれどもみ 如来のご本願の力にて名仏を信じとる刻み 計らざるに摂取5年の役に預かり生きたえ 真子る時必ず法人過の体を売ること片づけ なさよと思いぶっとしを仰ぐべきなり核 心得て念仏申さ友は10人は10人ながら 100人は100人ながら極楽に王女す べきなり一心一向の念仏者のもし助からず は実方の諸物は症状の恩し破れ失せて再び 元の三口にイジと成本し釈迦は仏にならと のたまい身は小学トラジと誓いたなりただ 観葉はが力の不思議を聞えて名号を唱う べきなりというは明力というは僧直接なり あか あかナマな仏 南仏どうもありがとうございました 終わらせていただき ますえ鈴寺住職松山藤先生のえただこの 構想の説をべしというえお説教でござい ました先生どうもありがとうございまし た

報恩講 令和6年1月15日 大講堂説教
 
12:20頃 配信開始
12:30より 説教(大講堂)
  三重県鈴鹿市 隨願寺住職 松山智道 師
13:30頃  配信終了
 
報恩講は御開山親鸞聖人のご命日である1月16日に向けて、1月9日より七昼夜別時念仏としてお勤めします。親鸞聖人を偲びつつ、そのお徳に感謝する法会で、通称「お七夜さん」として親しまれています。
聖人のお徳を讃嘆する「報恩講式」が、毎日初夜に御拝読され、聖人のご一代の物語を描かれた「御絵伝」が余間に掲げられるのが報恩講のならわしになっています。
 
<お七夜報恩講特設ページ>
http://www.senjuji.or.jp/oshichiya/
<宝物館特別展示>
http://www.senjuji.or.jp/houmotsukan/index.html
 
<竹あかり>

<建築美術編>

<VR360映像編>

<専修寺PV>

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