『MOROHA アフロ』解体新書【後編】~MCアフロ誕生秘話~ #1988チャンネル

第6チャンネルは見ていいけどニート東京 は絶対 見るニート東京は絶対見るんじゃねえぞ これ1枚で人生変わるもう明日から ドラゴンワッシュだ俺はみたいな気持ちに なるじゃ極端だけど追いつけるって思っ てるうちしかいだけない知ってるてそれが きつかったうん 1988到底今にたどりつかないからで ごめんなさいねこっからはあの ところどころちょっと外力チャンネル見て もらって [音楽] 外力チャンネルは見ていいけどニート東京 は絶対 見るニート東京は絶対見るんじゃねえぞ ニート東京の時病気だったんだよ俺ニート 東京の時はだからまだ捨てれてないの憧れ をあん時はまだ捨てれてないで可愛くない よね俺マジで俺ニート時見てあさんどうし たそえ僕電話しようと思ったメでもこれせ の方がいいなと思ってこれ多分自分も 気づいてやばいんねなんかちょっと言わし もけど嘘はついてないよ嘘はついてないん だよそのメッセージは本当に思ってること だしその思いいんだけどその言い方とか その顔付きとかが雰囲気もうやばいんだよ ねあれねあれでも気づきだったねあれは相 あれはフロさんやったな面白いなんで えっと外6チャンネルとニート東京見て もらった合わせて 1988ま中学高校あってそれから専門 そうだから俺は東京行きたいと思ってで 副食の学校行きたいって言ったのよ親にそ したらお前にはその才能はないってこの 距離で言われてお にお前にはその才能がないすごくないいや 親父さんが素敵だわですごいの親父がシ 食ってたのはお前はその服色の仕事がし たいんじゃなくて服色の仕事のやってる人 のライフスタイルに憧れてるだ完にもうシ 食いまくっててストンて入ちゃってばれ てるよかったよかっただ角の取れる学だっ たら行っていいよって言われてでもうちの 父が美容師だったのもあってま遠からずだ から美容師やるかぐらいので東京の美容 学校絶対行くと思ってて東京の美学のシ子 とか見てたら親父が後ろからあの東京は 授業料高いから行かせられないぞって言わ れてえどこならて聞いたら千葉ならいいよ で千葉は効率みたいなのがあったのは 組み合い率みたいちょっと授業料が安い とこがあってだからその幕張本郷にある 千葉美専門学校ってとこに行ってで俺的に は東京にどうしてもえ行きたかったのに

千葉かとか思ったけどそん時はま東京 みたいなもんでしょ関東そうそうそう行っ て千葉の専門学校行くわけなるほどただ はい違うんだよやっぱり東京じゃなかった 千葉と東京違うのまずサーファーとギャロ しかいなかったこれ個人の感当のいや そしてサパーとギャロも最高だよいいやつ らばっかしただけどなんか俺の中では やっぱそもうちょっとこうなんかエッチー というかさ分かるこう研ぎ澄まされた みたいなザ美容戦いみたいなのを求めて いったからちょっとなんか違ったわけよ うんまでもそれは違うよなって話ですよね 関東の人間からするとうんうんうんその 千葉の幕張だったりとかっていうのはそう いう雰囲気の街ていうのがねあったりする けどそれはもう飛び込んでいったらで やっぱ俺まだそ尖ってるからさま俺は違う んだみたいなまた出ちゃって選民式出し ちゃってでまた1人になってでそっから やっぱ貸かき始めそうなんだせっかくこう 1人暮らしも始めて自分の理想の暮らしを 手に入れるはずだったのうんにうまくいか ないし友達もうまく馴染めないし1人で 授業抜け出して屋上行って貸帰っててまで もその時はその曲を作るとかいう感覚じゃ ないですもんねあでもまそれに近いかも 元々俺あの普通にクルーがあったのよ ヒップホッの1DJ7MCの地元のクそう なん式クルーて言うんだけどあ響きかっこ いい学ぶ意識って書いて式けどそうそう そうそこでラップしたんだけど長野長野 長野ああそうなんでUKはUKで別の ビジュアル系の番でやっててビジュアル だったんだビジュアル系そうそうお互い 同じタイミングでそのクルーはクルーでも みんな結構就職とかあと自分の人生み始め てでななんとなく自然消滅みたいになって でえっとあっちあっちで解散させてでもう 消去法的にどうにかこの音楽とか表現で 生きていきたいって思ってるのがもう俺の 周りにこいつしかゆけしかいなかったから もろはくだでもそのいわゆるラップの スタイルはま今のアフロさんとはちょっと 違ったというかうん ケット組んだ時にはもうできてたあの感じ だけど式でやってた時は最初はねうーん ちょっとやっぱ違ったかもうんうんうん もうちょっとヒップホップマナーに習って たかもしれないうんうんうんうんうんま インだったりリズムだったりみたいな ところうんてかなんメッセージだね1番 違ったのはなんかラップってこういうこと 言うもんでしょみたいなはいはいはいはい はい金力ノーノノこのマイクさえあれば

いいって言っ ただそれもザヒップホップそうそうそうで もなんか今言ったらさモハもそういうこと 言ってるもん金力ノーノーノーこのマイク さあればいいわモハも言ってるねで今聞い てちょっと思ったんですけどかすってない その出し方が違うだけでそうだねアロが 違うを言わなくなっそうそうようやくモハ を結成しました来ましたようやくでもこっ からもガッて行っちゃうんですけどま活動 してじゃもうこれからのモハていうところ のお話でめっちゃじゃんお前ちょねもう1 時間ぐらい回してるんだけどもうちょっと ま去年の武道館のライブだったりとかあの 日外大音楽堂のライブだったりとかま福岡 のライブだったりとかいろんなところで ライブは拝見してしっかりと吸収させて もらってはいるんですけどどこまで行き たいみたいなイメージはこの辺はどうです か結成した当初はもうそのCDのアルバム 1枚出したらあの音楽やってたんだよって なんか将来子供に言えるなぐらいの感覚が えでもなんかこうやっぱそれぐらいの メッセージなんてさ家臣として成立しない からやっぱ曲の中ではやっぱヤシも書くよ ねそのありもしないって言ったらちょっと 大げさだけどでもそれやっぱこうラップし てくうちにだんだんだんだん自分自身が その言葉にラップしながら聞くわけだから こ玉みたいのやっぱりあってそういう 気持ちになってってそこでそさんとかが すごくいいっていう風に部一さんった俺は そ一さんのとこからファーストアルバムと セカンドアルバムリリースしてんだけど その人がモハも登場事件だっていう風に 言ってくれてからだんだんだんだんその 自分自身もそうなんじゃないかと思って 具体的にあこういうとこでやれるように なりたいなとかて思うようになってたかう そのモチベーションというか当時はま SIR1枚出したらま1つ形になるとで どんどんCDを出してその当時の目標は 達成しててなるじゃないですかうなんかね 毎回やっぱファーストってさ知らないから さもうなんかこれ1枚で人生変わるうん もう明日からドラゴンだ俺はみたいな 気持ちになるじゃんね極端だけどでもそう じゃそのぐらいの世界が変わるんだって 思ってるけど当然そんなことないわけで あれと思うわけ片しでセカンドも出す でしょでセカンドの時ってファースト ファーストでの経験があるからそこまで夢 見ないわけもうちょっと現実的な数字を 設定するわけどんどんどんどん生々しく なってくるのつまりどんどん無責な夢を

持たずにリリースするようになるわけそれ がね結構きつくていやでもこれが本当に やっぱりやってくってことなんだなって風 に思うはあなんかそのきつ気というかその 出すことに対する重圧鬼みたいなのは出し ていくごとに解消されるものではなかった んですか一発で何かが変わるっていうこと てあんまりなかったの結局俺らの音楽師で 言うとねなんかちょっとずつちょっとずつ 上がってたらねうんちょっとちょっと ちょっとの頑張りでずっと積み重なって やってくからきっとこのリリースも同じ 感覚でちょっと自分たちを上げてくれる ものななんだろうなっていう感覚になって ああファーストの時はもうこうなると思っ たからまそうですよねでもその積み重ねに よってまそういう意味では手応えがあった わけじゃないですかちゃんとこうステップ が上がっていってるなっていうまだから それがあるからま前向きにというか肯定的 にまた重ねて重ねてっていううーんそうだ ねま色々あるいろんな感情はあるけどね なんかうんうやっぱま同時期にやって出て きてたバンドがさものすごいスピードで俺 らのことを追い抜いてとんでもないとこ まで行っちゃったりとかさワニマもね最初 は俺のないところでやったのにガーって 行くたしそれでスーパービーバーとかも そうだしさやっぱ詳しいのわけ悔しいの めっちゃ悔しいんだけどでも悔しい嫉妬 するみたいな感情とかって追いつけるって 思ってるうちしかいけないんだって嫉妬 ってあまりにも遠く行くと自分を守るため にあもうこれ追いつけないって思うと 認める方向に心が行くのなんかそれが すごく嫌だった嫉妬すらできない悔しい って言った時にあまりにも向こうが売れ てると目の前でそれ聞いた人が笑うんうん あなんかむちゃなところに悔しさ感じてる だねみたいなそれがきつかったうんモハ 自身もいろんな舞台ではライブを経験し てるじゃないですかうんうんなんかそこで その悔しさみたいなのが拭いされるような ことはなかったんですかまそのステージ上 ではもうないよ一切あのステージ上での 表現はさ正直そのどれぐ売れてるかなんか 全く関係ないからうんうん逆に言えばその ステージ見てる感はぶっちゃけ俺たちり 全然売れてないバンドのライブ見てあもう 完全に今日負けたもうただの本当にあいつ らの日だわって日も全然あるから数字 みたいなのが全く関係なくなる場所が ライブハウスだからそれは最高なんだけど うんうんでもなんかこうふとこう人として 戻った時になんかやっぱりうん出あ出会い

の数が半端ねえだろうなってさっきの話に 続んだけどはい頑張ることのメリットって えっと頑張ってる人と出会うことができ るっていうことメいや本当そうですね なんかそういう意味で自分がずっと同じ 場所にいるってことに対して感を持って たりとかするわけなんかどうやったら もっとあのあの人と向き合って喋れるん だろうとかっていうのを思うようになるの ねうんそれをやっぱ先に達成していくや つってやっぱり結果を出してるやつらが やっぱそれを達成していくんだよねそっち に羨ましさを感じるんだよねうんなるほど な竹原優としてのまこの先の到達点という かここまで行きたいっていうのはあります かなんかこれはすごい思うんだけど一生 懸命やってると全部の仕事が繋がっていく 感覚があるだよあそうなんか半端にやると それだけなんかポツンってやってあなんか そんなこともしたんだなって感じになっ ちゃうんだけどなんかチキンラメも真剣に やったしライブも目の色変えてやってるし 映画のプロモーションも映画の演技も全部 もうあのひっくり返るぐらい本気でやっ てんのねうんそうするとねなんか一生懸命 というキーワードを持ってお客が勝手に それを繋げてくれてる感覚があうんうん その呪術つなぎを一生続けていけばかつて 仕事した人とまた別の場所で再開すること があったりとかそれがどんどんあの続いて いくっていうことがもうすごい幸せなこと なんじゃないかなとアフロは思っており ます おもろハとしてはどうですかモハとして バカオだよバカ 野郎モハとしてバカオだよバカ野郎いい 加減にしろよああ良かったですはっきり 聞けてはいだからマジカ はい [音楽] はい

バカ売れだよバカヤロウ―

どのようにしてMOROHAは結成され、どのようにてMCアフロが生まれたのか、同じ1988年生まれだというのをいいことに、曝け出してもらった。

高校卒業後、強烈な東京への憧れを叶えるために、アフロ青年は親父さんに直談判したところ、これまた強烈なカウンターを食らい、結局千葉へ向かう。ここで、まったく別業界の専門学校に通うことになるのだが、環境が歌詞へと筆を動かした。

その後、MOROHAを結成することになるのだが、改めてこのふたりが細い運命の糸をたどって活動を共にすることは、正真正銘の奇跡だと思う。よくぞ組んでくれたと思う。

同期のようなバンドたちが猛スピードで売れていくのを横目に感じたこと、嫉妬というものについて、重たい聴き応えがありました。そして、MOROHAと、アフロの、これからのお話。どうか、ひとひとつが輪になって爆発するのを、見届けさせてください。

バカ売れ、たのしみにしています。

☆MOROHA 公式HP
→https://moroha.jp/
☆MOROHA 公式Youtube
→https://www.youtube.com/channel/UCEbmQlJRWNjn7smt5LmscHw
☆MOROHA 公式Instagram
→https://www.instagram.com/moroha_official/
☆MOROHAアフロ 公式X
→https://twitter.com/MOROHA_AFRO

#MOROHA #アフロ #1988チャンネル #88世代 #長岡大雅 #KBC #九州朝日放送 #KBCアナウンサー #アナウンサー #百市道徳 #城徹也 #CMCプロダクション

Leave A Reply