【みことばに聞く ー 全国編】#14 松平 聡師|田島 実師|小川 紋子師|藤井 英彦師|安田 諭師

[音楽] こんにちはハレルヤ感謝します大阪の玉松 国にあるリビングジーザスチャーチの松田 悟ですそれでは御言葉を見ていきましょう 今日はヨハネの6章51節のところから 永遠に行きますと題してメッセージさせて いただきますヨハネの6章51節のところ です解読させていただきます私は天から 下ってきたいけるパンです誰でもこのパン を食べるなら永遠に行きますまた私が 与えようとするパンは世の命のための私の 肉ですあめん感謝します本当に今コロナに よって感染状況いろんなことがありまた 木介の仕方集会の仕方本当に難しくなり ましたまた何年か前に比べれば本当に いろんなことが変わりま数年前から考えれ ば考えられないような状況が続いてるよう に思いますそしてこの先が見えるのか見え ないのか分からないような状況の中私たち は本当に主を述べ伝える絶好の機会である と信じますしかしその中において本当に 難しく何かがっかりするよことっていうの がこの数年の中に皆様の中にも起こった ように思います教会の中で本当に集まって た人たちが集まれなくなりましたまた本当 に若い目これから信じ大きくなる目がその 中において積まれてしまい何か先が見え ないような状況そのように思います私も 誤解してる中で本当に申し訳ないと思う ことがたくさんありますそれは本当に信じ て救われて教会に来られてた終いた人たち が本当に天国に凱旋するのですが病院に 見舞うこともできずにまたホームに行って も会うことがほとんどできずに数分会えれ ばいい方で本当に家族以外は会えない状況 がたくさん続きましたその中で数何人かの 人たちが外旋されましたその中で本当に 励ましまた祈ってあげたい中本当に共に 交わりたいのそれができなくて申し訳 なかったなと思います思い出せば教会に来 てニコニコ笑い私は教会が来るのが本当に 楽しいんです1週間の1度の楽しみですと 言われてたご夫人たちとの別れというのは 本当に何か申し訳ないように思いますそれ だけではなく集まってた人たちが本当に 集まれなくなり本当にがっかりすることは あるように思いますしかしそれは本当に この世界の教会の中みんなが起こってる ことで本当に自分だけがこんなに悲しい 思い失望に何かくれる時また孤独なように 思う時がありますしかしそうではなく今 みんながそのことに対して一眼となって 戦ってるような状況であるっていうことを 私たちは知らなければならないように思い ますしかしその中において本当に私たちは

希望のメッセージを語り平安のメッセージ をまた励ますメッセージを伝えていか なければならないように思いますしかし 本当に宮Throughの情熱があれば あるほど選挙の思いがあればあるほど何か 難しいような状況を見たり何か失望する ような状況がありまた選挙師の人たちが 本当に自分の国に帰る姿をたくさん見ます しかしその中において今いるところに固く 立って主の福音を述べ伝えなければなら ないそのことを私たちは再確認しまた準備 する時だと信じますそしてあの本当に状況 を見ると戦争やいろんなことが起こります そして滅びに向かう人たちがたくさんい ますニュースを見れば自分で自分を殺して しまう人たちのニュースが流れますその人 たちに主の福音を述べたえまた永遠を述べ てえなければならないように思います ヨハネの6章54節私の肉を食べ私の地を 飲むものは永遠の命を持っています私を 終わりの日にその日を蘇らせますメン感謝 しますある人たちに永遠について語ると 永遠の命に語るとこういうことを言いまし たえ永遠に生きるのそんなん怖くて生きて られへんって言うんですその時に本当に 不思議に思いますたなぜ永遠が怖いの だろうと思いました私には子供が3人い ます休みになると公園に連れて行くんです そうすると子供たちというのは公園が 大好きでもうあっちに行ったりこっちに 行ったりみんな他の子たちと仲良くなっ たりとかして遊び回るんですそして 笑い合ってるんですそれを見てま時間が来 たのでそろそろ帰ろうかというのです しかし子供たちはこういうんですえも早 すぎるもっと痛いと言うんですほんじゃ もうあと10分20分そんなことを言うん ですしかし彼らは10分経ってもあともう ちょっとあともうちょっとと言うんですそ そんなこと言ったらいつ帰るんだと言うと 彼らは言うんですもうずっとここにいた いって言うんですしかし多分夕方になって 暗くなったら怖いと言って帰りたいという のです彼らはなぜそこにずっと痛いと思う のでしょうかその場所が日の光の浴びる 場所でそしてみんなが笑い自分たちもその 場所が楽しい場所だからですだからそこに ずっといたいと思うのですしかしある人 たちはずっと痛くないと言うんですなぜか そこには暗闇があり苦しみがある場所から は私たちは恐ろしくてそこから逃げ出し たいと思い ます私たちの思う永遠とは何でしょうか 永遠の日の中ではなく主が言われてるこの 場所の永遠の命とは神と共に生きる永遠に

幸せな喜びの場所です平安な場所なんです 苦しみの場所ではなく主と共に生きる本当 に喜びがいつまでも続きずっとここにい たいという場所に私たちは主と共にずっと 入れる場所そしてそのことを私たちは知っ ていてそして私たちがイエスの肉を食べ イエスの血を飲むならば永遠の命を持って いるもう持っているんだそして終わりの日 には蘇るその望みが私たちにありそこには ええの命怖いというものではなく本当に 希望があり望みのあるものですしかしこの 素晴らしいイエス様が語られたことその 時代の人たちは全く意味が分かりません でした理解ができなかったんですヨハネ6 章52節ユダヤ人たちはそれを聞いてこう 言いましたこの人はどのようにしてその肉 を私たちに与えて食べさせることができる のかと議論し合ったんです理解ができませ んでしたどうやって食べるんだどうやって のだしかしこのことを私たちは今はっきり と分かります私たちの罪のために永遠の命 を与えるために天の三国えるために主が 十字架にかかり血を流しまた肉裂かれた こと命まで私たちのために与えたこと しかし彼らは理解しませんでした理解し ないのはユダヤ人だけではなく弟子たちで もそうでした60節のところにはこう書か れてありますそこで弟子たちのうちの多く のものがこれを聞いていたこれはひどい 言葉だそんなことを誰が聞いておられよう かひどい言葉だと言ったんです永遠の命を 与える主のメッセージ言葉を聞き彼らは 理解しひどい言葉だと言ったんです意味が 分かりませんでした彼らには主が十字架に かかることを3日目に蘇ることを伝えてい たでしょうでも分からなかったんです その時にこういうことが起こりました ヨハネの6章66節こういうわけで弟子 たちのうちの多くのものが離れたっていき もはやイエスと共に歩かなかった 素晴らしい福音を彼らに伝えたのに彼らは 理解しませんでした理解できないどころか 弟子としてついてきたものさえも離れて いってしまったんです今難しい状況にある 中心者がドロップアウトしてやめてしまう というような話を聞いたりします集りが なくなり教会がなくなる話を聞きます しかしその中においても私たちは主に 問いかけられてます67節そこでイエスは 12でしに言われたまさかあなた方も離れ たいと思うのではない でしょういやその時ほど他の人たちが 離れる時ほど私たちは主についていか なければはなりませんそして今私たちは クリスチャンとしてまた主に従うものとし

て木介者としてこの主がどのように弟子 たちにこの言葉を語りかけられたのかその 心情が少しでも分かるのではないでしょう かある牧先生がメッセージの中でこう言っ てました牧師は孤独なんだて言ってました 私はその時それを聞いてなぜ孤独なんだ 教会にいっぱいたくさん人がいるじゃない かスタッフがいるじゃないか支える人が 家族がいるじゃないかそう思いました しかし今自分もなって少し分かること はその中において家族や神の家族を不安 から解消するために不安があっても問題が あっても大体に語らなければならないし 本当に平屋にまた喜んでいなければなり ませんしかしその中には本当に悩みがあっ たり問題があり打ち明ける人もいない時が ありますしかしで も慰められることがあります主も同じよう に悲しい思いをし弟子たちが離れるような 愛する弟子たち命を持ってつこうとした人 たちが離れるような悲しい体験をしてるん だそして主は私たちの気持ちを感情を 分かってくださる神様なんだだからこそ 私たちは御言葉に聞き生きなければなり ありませんヨハネの6章68節69 節シモンが答えた主を私たちが誰のとろに 行きましょうあなたは永遠の命の言葉を 持っておられます私たちはあなたが神の 聖者あることを信じまた知っています アーメンシモンペテロはみんなが離れる中 で主についてきました今私たちはこの ペテロの信仰を見習わなければなりません 主に従いそして救霊の情熱を失うことなく 選挙し福し木介し集会し述べ伝えなければ ならない今主の前でそれを表す絶好の機会 であると私は信じ [音楽] ます [音楽] こんにちは私は東京都足立区にございます 神の家族主イエスキリスト教会牧師の田島 みです本日も御言葉を通してどんなに 素晴らしい主の恵み救いを受けているかを 味わってまいりたいと思い ます本日のメッセージのタイトルは原福音 女の子孫というテーマでお話をさせて いただきます原福音の元は原始の源 すなわち福音の始まりというものであり 創世記3章15節からそのところを皆さん と一緒に学びそして受け取って参りたいと 思います創世記3章15 節私は敵をお前と女の間にお前の子孫との 子孫の間に置く彼はお前の頭を打ちお前は 彼のかとを 打つ皆さんもご存知のように創世記3章に

おい て人間が罪を犯し神様が食べてはならない 木の実を食べてこの罪の結果である死が 訪れまた様々な苦難また平安を失うように なりましたその時に神様が蛇に向かって 言われた 言葉それが今日読んだ創世記3章15節に ありますこのお前というのは当然ながら蛇 蛇を象徴としたサタンでありそして女の 子孫これを お単数で示されていますのでですからこの 女から生まれる子孫たちという表現では なく明らかに女の子孫からこのサタンを 打ち破るそういう存在がいるということで ありますそしてそれは究極的にはイエス様 であるということを知ることができます そうですイエス様があサタンの頭を砕き サタンはイエス様の方を砕くこれはまさに 十字架を象徴しているわけであり ます私たちはこの十字架を見る時にこの 創世記3章15節が成就されたということ を知ることができ ますところでこの女の子孫究極的には イエス様であるということをお話ししまし たがしかし旧約聖書においてこの女の子孫 の予報があるのですその1つはアブラハム でありアブラハムの妻サラがそのことに おいて実現されてい ますアブラハムとサラの間には子供がい ませんでしたそれゆえ2人の間からは約束 の子孫が与えられないと勘違いしそして妻 サは夫に女奴隷であるハガルを与え妻とし そしてアブラハムとハガルの間に イシュマエルという子供が生まれ ますその子供が生まれた後に神様はもう 1度あなたの子孫によって祝福をするその ような約束をしましたその時にアブラハム はイシュマエルが約束の子だろうと思って イシュマエルを前に差し出しましたが神様 はそうではないサとの間に生まれる子供が 約束の子孫であると言われまし たすなわちこのことからもハガルではなく さらによってえ約束の子孫女の子孫という ものが存在するようになりますそしてまた これはですねダビデの妻テシにも同じよう なことが言えるわけ ですダビデの妻はたくさんいましたしかし その中でバテシバの子ソロモンがダビデの 王位を継承しそしてダビデの大いは ソロモンの子孫から継承されてい子孫に 継承されるわけであり ますこのようにいろんな形で子供は 生まれるとしてもその子孫として存在する のは女の子孫なのです約束の子孫 アブラハムを通してダビデを通して約束の

子孫イエス様が生まれてそしてそのイエス 様を通して全世界の祝福が成就されていき ますすなわち創世記12章1節から3節に 書かれている約束の子孫はイエス様を通し てなされるわけですマタイの福音書の1章 1節にこのように書いてい ますアブラハムの子ダビデの子イエス キリストの 系図まさにここも女の子孫としての現れが あるわけ ですこの女の子孫その中でですね今 取り上げられた3人の女性を見て参りたい と思うんですサラバテシバ そしてマリアですマリアについては処女 降誕という形で完全に女の子孫とし てイエス様がおれなれましたこのマリア どんな人でしょう か良き信仰者でありますそしてイエス様の 兄弟もこの福音に従って歩む信仰者である ことがわかり ますこのようにマリアはただイエス様を 育てたというだけではなくイエス様の兄弟 においても信仰継承がなされているという のを見ることができますまたソロモンの母 もしかり ですソロモンに対して信仰継承をするその ような教育をしっかり行われていますで そのソロモンの母バテシバが書いたと言わ れている信元31章を見るとまさにそれが よく写っているのですそしてこの信元31 章は母のモデル妻のモデルとして皆さんも ご存知だと思いますあの31章を見ると ですね全部できる女性は見つけることは できませんしかしその究極は女は主を 恐れる女は褒めたえられるとそのように 結論づけているところをしっかりと私たち は見て参りたいと思いますこのよう に女の子孫これは今日的に考えるならば 私たちもこの女性という信仰の方がですね 信仰継承というし素晴らしい教育者である ということを忘れてはならないのですただ 女の子孫でイエス様がおれになったという だけでとめるのではなく神様は女性を選び その女性を信仰者として立上げられている ということを覚えてまいりましょう すなわち 母は信仰の継承にとってとても欠かせない 存在であるということですじゃあお父様は どういう存在でしょうかその信仰の生き方 をしっかり向いているということが大事 ですねアブラハムもそうダビデもそう信仰 の生き方をしっかりと向いていました そしてそれを受け取って教えていくのが 女性の役割ではないでしょう か同じダビデの子供である

アブサロムこのアブサロムは皆さんもご 存知のように非常に狡猾なそしてですねえ 何と言うんでしょうか本法ですね自分の 本法な感じで生きている人でありました それは母がが1度も叱ったことがないと 聖書に記されているわけ ですそういう意味でもですねやはり母の 存在によって子は変わっていくわけです 同じダビデの子供とでありながらアブ アブサロムとソロモンでは違っていたと いうことですそこには信仰継承がなされて いたかどうか私たちはこのおただ予言的な ものだけでなく女性の役割はとても大切だ ということをもう一度受け取って参り ましょうもし今日主張されている男性の方 がおられるなれば私たちは信仰の生き方を 通していつもあの背中を見せながら信仰を ですね語っていきたいと思いますねもし 視聴者女性の方がいらっしゃいましたら その信仰の生き方を継承していく教育是非 そのようになさっていただきたいと願って いますこれからも私たちはですねこの信仰 継承を通して日本の教会がますますこの 若い人たちにえ焦点をおいて担っていける 日本を担っていけるクリスチャンが ますます現れることを期待してい ます [音楽] 皆さんこんにちは盛岡バプテスト協会の 小川彩子と申しますえ今日 は四辺23編2節から6節をお読みし共に 御言葉を分かち合ってまいりたいと思い ますえ拝読いたし ます主は羊会私には何もかけることが ない主は私を草の腹に休ませ憩いの水の ほりに伴い魂を生き返らせて くださる主は皆にふさわしく私を正しい道 に導か れる死の影の谷を行く時も私は災いを恐れ ないあなたが私と共にいてくださるあなた の鞭あなたの杖それが私を力 づける私を苦しめるものを前にしても あなたは私に食卓を整えて くださる私の頭に行を注ぎ私の逆月を溢れ させて くださる命のある限り恵みと慈しみはいつ も私を負う主の家に私は帰り生涯底に とまるであろうえ以上 ですえ今日選ばせていただきましたのは 四辺23遍の御言葉ですえこちらは市辺の 中でも最も有名な紙片の1つだと言われて おりましてキリスト教の葬儀などでもよく 読まれてきた聖書ですえなぜそのように 有名でまたキリスト教の葬儀で読まれてき たかと言いますとこの死には私たちの人生

を導か れそして死の時にもまた天においても主が 私たちをを導いてくださるという信仰が 現れているからでありますえつまり生きて いる 時死ぬ 時そして死んだ後その全てにおいて私たち を導くのが誰であるかどんな方であるかが この短い死において歌われているのでえ ござい ますこの死の作者はあダビデという人で ありましてダビデの万年の死だと言われて い ますこのダビデという人ですけれども イスラエルの王様でありましたえけれども 王様になる前は彼は少年時代ただの羊会の 少年でありまし た羊会というのは羊たちのために時にはネ の番をしながら野獣などから羊を守り水辺 に連れて行ったり青草へと導いていったり し ますえダビデはこの羊会で培ったえ技術を 使いまして少年時代にはゴリアという巨人 を倒したというそういう逸話もあるほどで あり ますまその後になりましてえ年置いた ダビデはあまこの死を書くわけですけれど も羊のことまた羊会のことを熟地していた わけ ですえ皆さんは羊と聞いてどんなイメージ を持たれるでしょうかま大人しい 可愛らしいそういうのが一般的かと思い ますけれどもダビデが思い描いていた羊の イメージというの はそれだけではなかった でしょう羊は目が 悪く弱い存在であり ますま羊は目は悪く悪いので目の前のもの しか実は見えていないそうですえですので ま目の前にあるうものある前の羊にまつい ていくわけ ですあるいはま魅力的に見えるものに惹か れてどこかへ行って迷ってしまうことも しばしばあり ます遠く遠くまで見ることができませんの で全体のま姿がえ見えていないわけ ですその結果穴に落ちたり 川に落ち たり獣に襲われたりしてしまうそういう 存在であり ますえこの羊の姿 は私たち人間の姿と重なってまいり ます私たちもま実はごく一部のことしか 見えていませ ん目の前の魅力的なものに惹かれていって

道に迷ったりこんなはずじゃなかったと 後悔したりすることもしばしばあり ます私たちはどこまでも自分中心自分の 欲望の赴くままに突き進んで しまうそういうものであることを聖書を 通して本当に思わされるわけ です作者のダビでは若い頃には大きな誤ち を犯しまし た部下の妻を王という立場を利用してえ 寝取りましてその夫である部下を戦争で 死ぬようしけたのですえこのことは完全 犯罪のように思われたわけですけれど も神様は見ておられまし たダビデはその意を受けることとなりまし たまそのことはダビデにとっては苦しい ことであった でしょうけれども彼は当に食い改めたわけ です彼は生き方をそこで改めることができ まし た私たち も気づかないうち にあれあれよあれよと道をそれて神様から 離れてしまうことがあるわけ ですけれどもその度に羊会なる神様主が 私たちの道をたそうと私たちに語りかけて くださっているの ですえダビデはまそのように羊会と羊の 関係を熟地しておりましたの で主こそまさに羊会であるとをいし ます主なる神様が導いてくださるのだ とどこへ導くのかというと青草の腹水の ほりそこで私たちは本当にリラックスして 安うことができるの ですそしてこの主が共にいてくださるから 死という一見恐ろしいところであっても 恐れることはないんです ね死の影を行く時も私は災いを恐れない あなたが私と共にいて くださるそして え私を苦しめるものを前にしてもあなたは 私に食卓を整えてくださるまこれはどう いうことかと言うと無償で義とされる許さ れるということを意味しています それほど神様の愛は大きくまた深いのです え最後6節には主の家に私は帰り生涯そこ にとまるであろうとあり ます つまり天の国に 帰り永遠に主の味そにとまるのだという こと です生きている時も死ぬ時も永遠までも 私たちを励ますのはこの羊会である主ご 自身なの ですたえ希望を失いそうになっている時も どんな人生を歩いでいて

も執事会になる主が捉えていてくださって いるこのことがただ1つの 慰めでありますお祈りをいたし ます神 様羊会なる主に導かれてどうか日々歩む ことができますよう にどうか私たちの命が終わるその日 までこの世のせをあなたに導かれて生き させてくださいこの祈り主イエスキリスト の皆によって感謝して見前にお捧げいたし ます あーん [音楽] こんにちは日本イエスキリスト教団待望 協会の牧師をしております藤井秀彦です 今日はコリントびへの手紙第19章の24 節から27節 より信仰の金メダルという代でジをさせて いただきますそれでは聖書をお読みいたし ます競技場で走る人たちは皆走っても章を 受けるのは1人だけだということを あなた方は知らないのですかですから あなたがたも章を得られるように走り なさい協議をする人はあらゆることについ て節制します彼らはくる冠を受けるために そうするのですが私たちは口ない冠を 受けるためにそうするの ですですから私は目標がはっきりしない ような走り方はしません空を打つような 検討もしませんむしろ私は自分の体をを ちいて従させます他の人に述べ伝えておき ながら自分自身が失格者にならないように するため です今お読みいただきお読みいたしました このコリントびの手紙ですがこれはパウロ がコリントの教会に当てた手紙であります まコリントというのは古代オリンピックが 行われましたアテネの近くでございまして ま人口は60万人ぐらいいただろうと言わ れております大変豊かな商業都市でござい ますさて当然ギリシャの人ですから スポーツに関心があるわけでパウロも大変 スポーツ感染は好きだったようであります え競技場で走る人たちは皆走ってもですね 章を受けるのは1人だとこのようにパウロ も言っております選手たちは優勝を目指し て走るわけですねま優勝を目指して トレーニングするところに面白さもある わけですし見る方も楽しくなりますま最近 は銀メダルや同メダル入賞8位までという ですねこういうものがございますがそれは 皆優勝を目指したからそういった賞が出る わけでございます自分も優勝したい金 メダルを取りたいまこのように思って選手 たちはトレーニングに励み

ます私たちクリスチャンはこの信仰の金 メダル永遠の命の冠を得るために信仰生活 に励んでいると言っても過言ではありませ んこの信仰の金目だる永遠の命の冠を いただくには私たちはこの十字架の救いを 信ずる キリストが私たちの罪を全て背負いそして 死んでくださった私たちは無罪方面とされ キリストの知によって罪許され永遠の命が 与えられるまさにこれが天国 の都に入るそうした切符になるわけであり ますこの永遠の命の冠を得るという私たち は信仰の金メダルこれを得るために信仰 生活に励んでおりますが天国に行ってから あ信仰の金メダルはもらえるんだろうなで はなくてですね今この時あなたはすでに 永遠の命の冠に預かっておられるのです この永遠の命の冠をいいているからこそ 私たちは毎日生かされそしてキリストに 励まされて人生の長場を乗り越えていく ことができるの ですさて協議をする人はあらゆることに 節制をいたしますまあどれぐらい肉を食べ たらいいか肉だけではいきませんね野菜も 食べないと肉は体になりませんま私も学生 時代冒頭部に所属しておりましたからそれ はそれは随分と肉を食べましたが野菜も 食べないと潰れてしまいます会社に入り ましてから毎日残業が続きましてストレス が増えてまいりました肉はたくさん食べた んですが野菜を取らなかったために私は 倒れてしまいまし たそんな時友人に誘われて教会に行きまし てキリストの見いに預かったわけ ですほや中町協会現在東京若枝協会で私は 洗礼を受けたのでありますがそれはまさに スポーツマンは口ないくる冠を得るために 激しい練習をしますがクリスチャンになり ますと口ない冠永遠の命の冠を得るために 私は生きているんだということが分かる ようになりまし た 目標がはっきりする 人生スポーツ も競技場で走る人は100m 200m15005000あるいは マラソンとこういった距離によって トレーニングが変わってきますボート競技 も2000mあるいは4000mの長丁場 にチャレンジしていくということがあり ます距離によって多少やはりトレーニング 方法が変わってまり ますサッカーやラグビーではハーフタイム を設けてますね前半負けていても後半 盛り返すまそういう戦い方が色々ござい

ますがパウロは目標をはっきり定めて走る んだということを語っていますそして空を 打つような検討もしない目標を定めてパン を繰り出していくボクシングが私は好きだ とパウロは語っているの です私たちの目標それは一体どこでしょう かそれは私たちの最終的な目標というのは 神天真地が誕生する新しい宇宙が完成する 時でありますそこに私たちは永遠の修行の 地が与えられており ます私たちの短い人生人生100年時代と 言われるようになりましたがこの地上の 長場地上の人生のゴールを目指して私たち は走るととに永遠の命新しい宇宙が完成 するその時をゴールと定めて信仰の道を 歩んでまいり ましょうルールを守らなければ優勝はでき ません十字架を信ずることによって私たち は永遠の命に預かりこの地上の人生に充実 と喜びと楽しみを得て私たちはついに永遠 の命新しい宇宙が完成する時に約束の修行 に預かることができるの ですキリストの愛を述べ伝えいながら十字 架を仰がなければ私たちは失格者になって しまうのですからこのキリストの見いに 預かりつつ人々に神の愛を届けていくもの となりたいと願うの ですあなた方も章を得られるように走り なさい永遠の命を目指して 人生歩んでまいり [音楽] ましょう [音楽] こんにちは札幌の北斗チャペルキリスト 教会という教会で え45年も お募集してさせてもらっております 今日皆さんに え世界のベストセラと言われている聖書の 御言葉からね恐れるなと いうメッセージ をしたいと思い ます聖書の中に恐れるなっていう言葉が 書かれてるところたくさんあるんですけど も 1つ1箇所イザヤ書41章10節に えー書いてい ます恐れるのは私はあなたと共にいる たじろぐな私があなたの神だから私は あなたを強めあなたを 助け私の義の右手であなたを 守る すごいえ力強いな様の言葉だと思うんです ね私もあ牧師としてえいろんな あことがあ起こってくる時ですね

えー恐れてないんだけどももう恐れること がたくさんありますまそれがあ私たちは 罪深いえね え人間だということもおいつも覚えていき ますね恐れるな恐れちゃいけないっていう ね えことをねえよく言われるけれどもでも 人間は恐れないではあ生きていけないそう いう存在ですねその原因はあね本当にえ 唯一の神である 全脳の神でありえそしてえどんなことでも 私たちを助けなめてくださるう方があいる んだということを知る時にええ私たちはあ 恐れることからあね逃げるんじゃなくてえ 恐れても本当にそこからあ神様に えお祈りを捧げていく時にですねえ本当に え私たちがあそこにえ力を与えられてえ 慰めを与えられてまた私たちはあね歩み 続けることができるですねそれが1番 嬉しいことであってえその聖書の言葉の中 に恐れるなというところの中で えー書いているんですけどもあ本当にえ どんな人もみんな あ恐れるっていうことの中にえその恐れ ないでいいる うことはどんなことだろうかねえいつも 思っていましたねで も神様というね ええ完璧なねえまた愛でえ満ち溢れたあ その神であるイエスキリストに出会った時 にえ本当にえねえものすごい安心感を受け てね え 403年間ですね牧師としてえ多くの人 たちの悩みとか あそういうことをですね え恐れないでえいる秘訣をね神様ご自身が あおいて教えてることを おそこにええ解き放ってきとくとですね 多くの人たちに慰められてねえ喜んで えーそしてえ多くの人たちがあ誠の神を 信じてねえ喜んで歩む姿を見てえいつも 喜んでいますねえそんな あ中でですねえ本当に えー恐れたらどうしたらいいのかとかねえ 恐れちゃダメなのかということじゃなくて ですねえ恐れの原因っていうのはあるん ですねえその原因っっていうのは ああの恐れなくていいはずのことを私たち は恐れてしまうんだけどもその原因はねえ えー私たちが あ聖書の中からあこんな言葉があります ローマびの手紙の3章 203節で全ての人は あ罪罪を行ったのでええ神からああ栄誉を

得ることができないて書いてますこの意味 はですねえこの罪っていうのはあよく人間 が悪いことしたことをみんな罪とかいう けどね人間が悪いことしたことを罪って いう言ってるんですけども聖書の言う罪は どういうことかっていうと お私たちを作ってくださったあ神様イエス キリストからあねえを知らないでまた離れ てねえ信じることができなくて信じないで ねえむことを行う時にえま誰も見ていない から悪いことしてもいいんじゃないかてね でも神様はみんな見てるねえまさにその 通りですねねですからあ恐れのからの原因 え助ける助けをいただく うものはですねえ本当にえ神から神ご自身 という存在をしっかりえ知って信じていく ことでありますね えですから あこの御言葉の中にあったようにえ恐れる の私はあなたと共にいるえ私たちを作って くださって私たちと共に歩んでくださる神 様がいるその神様と一緒にええ歩んでいく んですねその神様はどういう方かを知り ながらねえ教会に行ってそしてえ聖書から あ牧者先生にええその言葉はどういう意味 を持ってるかを私たちがあ知る時にですね 恐れがどんどんどんどんなくなってきます ねえタジログなあなたの神だからね神様私 があなたの神だよねえだからあ恐れること は あ必要ないんであるそして御言葉の中に私 はあなたを強めあなたを助ける神様の助け ていうのはあどんなことでも おどんなことが起こってもですねえ神様は あできないことはない方であってえそして えどんなにえ 神があ私たちが悪いことをしてえいても神 様にえ本当に心からあ悔い改めるねお詫び をする時にえ私たちは許されて本当にまた 希望を持って恐れることなく歩むことが できるんですねえそして最後にここにえ私 の義の右手であなたを守るって神様は言う ねえですから私たちの毎日の歩みの中でね えー恐れてもいいねえでも神様も信じて いきましよねそして神様を信じてえそして え神様にいつも守られて祝福された人生を 送っていきましょうよねあ この恐れなていうところのところから歌が あるんですねえその歌をちょっと歌ってみ ます [音楽] 恐れる な私 はあなたと共に いるたろ

な私 があなたの神だ [音楽] から私はあなたを 強め あなたを [音楽] 助け私の 義のみて であなたを 守る 恐れる な私 はあなたと共に いるたろ な私 があなたの神だ から私はあなたを 強め あなたを [音楽] 助け私の 義の見て であなたを [音楽] 守る私の ぎ見て であなたを 守る恐れる時に神様に叫びましょう私を 助けてくださいえ神様は即あなたにえあに よってえあなたに え祝福を与ええ恐れてはいけない私が あなたと共にいるだから私を信じて ください是非え神様は信じた人生を歩んで ください祝福します [音楽] メン

北海道から沖縄まで🗾
全国にいらっしゃる先生方の10分間の伝道メッセージ📖
CGNのホームページのみで公開されていた【みことばに聞く】を再編集したダイジェスト版‼
毎週 [木] 夜6時 更新

00:00 松平 聡師|(大阪) リビングジーザスチャーチ 
12:14 田島 実師|(東京B) 神の家族主イエスキリスト教会
23:48 小川 紋子師 |(岩手) 日本バプテスト連盟 盛岡バプテスト教会
34:19 藤井 英彦師|(福島) 日本イエス・キリスト教団 待望教会
43:57 安田 諭|(札幌) 北斗チャペルキリスト教会

※出演者及び教会情報は2022年放送日基準のもので、現在のものと異なる場合がございます。

📺すでに放送された各地域の【みことばに聞く】はこちらでご覧いただけます⬇
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