【本願寺 ○○の音がする】作家・吉川英治の失望と警鐘|「新しい領解文」の問題
皆さんこんにちは和田 です今日は今年令和5年の最後の動画に なり ますま私がこのYouTube動画始め ましたのはま1年ちょっと前です ねで今日の動画で多分115回目になるか と思います ま100回目を超えたあたりから非常に 伸びが急速になってきまして多くの方に ご覧いただいてるようで大変ありがたく 思っておりますで今日は令和5年の最後 今年あっ た上土新州の歴史に関わる非常に大きな 問題を取り上げたいと思い ます今日のテーマは本願寺まるまるの音が するということ です本願寺まるまるの音が するこれは吉川英二さんという国民的な 作家がおられましたけれど三国市とか宮本 武蔵で有名な方ですねその吉川英二さんが おりおりの木レにを思うという文章の中で このように言われています年 信いでよレ今日に生まれよなんてそんな大 それたことを今日の教団に向かって私は 願わ ない到底失望しているからで あるがせめて末法的なら末法なりに蓮女 さんの造りの1足分ぐらいな慈悲を持つ人 はあっていいはずと誰も思うであろう今年 蓮女証人の450年の大延期と聞につけて もまレニ証人がお亡くなりになって450 会期の大延期包容にちんだお言葉です本年 に起こり信頼を外し蓮女によって中高を見 今日まで庶民に頼まれてきた宗教としては 今はほどな考えと私には考え られるま少し飛ばしますけれどもなぜ今年 もレニの大延期などをやるのだろういや大 延期は結構であるが依然たる大ガラの総合 と儀式と虚しい法修行の群衆を欲しがる ような形式を捨てないのであろうか私には 分から ない仏教の慈悲はそんなことでは降らない と 思う仏教の盛とはそんな作った光栄や演出 ではないと 思う目に見えずしかも急速に真州崩壊の音 がどこかでするばかりで ある本願時の持つ使命の万象とならなけれ ば幸せで ある今にして心からなければあもったい ない本願樹は地上からなくなる だろう共業新相やご文章や死も性もない命 を持った不滅の文字はただ心あるもののみ には持たれて残りもしようがガラ及び教団 のごきはいくらその台を頼みにしてみた
ところ で費え去るで あろう今から50年以上も前の作家吉川 英二さんの言葉でありますけれどもまさに 本願寺の崩壊の音がするとその継承を大変 強く鳴らしてい ますまこの言葉を本願事の皆さんどう聞か れてますでしょう かそして今年令和5年また大変なことが 起きてしまった それはこの動画でも何何度も取り上げまし たけれども新しい両下問の問題ですこの 動画で9回にわってこの新しい両下問の 問題点をお話をしてきましたまたその後も 法願寺さん本当にいいの新しい両下問本当 にいいんですかということを訴えてまいり まし た本願の皆さんもも聞いていただきたい 視聴していただきたいと思いますけれども どうでしょう かまさにこの新しい両下問によって私は 本願寺崩壊の音が聞こえてい ます目に見えずどころではない目に見えて 崩壊してきている大変な問題なん です両下問というのは蓮女証人のおかき くだされた素晴らしいお言葉ですこの新州 性典の1番最後975ページに外気問とし て載っておりますけれどもこれは西本願寺 では両下問東本願寺大谷派では外門とこう 呼んでいるだけで同じ文章ですその解説に このように書かれています ねレ証人 がの将に基づいた両の心情を述べられた もの上土真州の将棋正しい教えに基づいて 両下の心情アブに救い取られたこれを両下 と言いますけれどその心を文章にされた ものがこの両問であるとだからこの両問と いうのはに救われた体験告白文であります けれども全ての人に共通し たいつでもどこでもみんなこれと同じ身の 救いに会えるんだよとあ物に救われた人が 体験を述べる時にはこのように言いなさい よというお手本として書かれた文章 です普遍的な文章 です時代と共にものでもなければ場所に よって変える必要はないもの ですところが今年の日本岸寺の本校1月 16日門主からですね新しい両下問なる ものが発表された蓮女証人の両下問はもう 500年前の文章で古いから今日の人は 分からんでしょうと新しい両言問を作り ましたからこれからはこれをみんなで 読み上げましょうと 飽和や会合などでも新しいり問を昭和する ようにしましょうその浸透を進めてるん
です ね紋章が発表して本願寺総局がもうそれ こそ有無を言わせぬ強制力で進めてい ますこれが正しいものであれば何も申し ませんレ証人の書かれた問と同じのもので あればそれは結構かもしれませ んところが似てもにつかぬものなん です両下問の大事なところが全く抜けて しまっ た両下とは言えない文章なんですまずレニ 証人の両毛問を拝読いたしましょう諸々の 増雑種自力の心を振りしてて一心 に来我らが今度の1大地のご章御たけそへ と頼み申して ろ頼む1年の時王城一条御助け事情と 存じこの上の正名は五音放射と喜び申し 相老この恩断り長文申し訳相老 ことご解散証人ご出世のご音次第相場の全 識のの浅からざるご関係のご音と ありがたく存じ 相老この上は定めおかせられる恩おきて1 号限り守り申すべく 相老こういう短い文章でありますけれども 特に前段にですね上土真州の新人正しい 安心が極めて完結に書かれています諸々の 業雑誌自力の心を振りしてて一心にあ如来 を頼め と社北が明確に書かれているということ 自力を捨ててたに着せよう 増量雑種自力の心を振りしてて一心に身を 頼めとこれがまさしく上土真州の新人安神 の極意であり ますこれが抜けては上土真州の真人には なりませんこれを信男証人から数えて3代 目の白女証人の害者症の言葉でお示しし ましょうこの法造官の新集性典718 ページでありますがその2行目今の新集に おいてはもっぱら自力を捨てて多にキスを 持って州の極地と する上土新州においてはもっぱら これ1つ です自力を捨ててたにキスを持って州の 局地上土真州のこれが極地であると最も 大事なことである と核の証人がずわりおっしゃってるん ですこれが新しい両問にはないんです抜け て ますこれが1点次にレ証人の問には我らが 今度の大地の5章恩助け相へと頼み申して そろあ如来に助けていただくのは我らが 今度の5章の1大地であるとあ如来に何を 救っていただくのか両下というのはあ仏に 何を解決していただいたことなの か我らが今度の1大事の5章5章の1大事 ですよとレは両問ではっきりおっしゃって
います5章後に 生まれる全ての人はやがて必ず死を迎え なければなりませんが死んだらどこへ行く のかどこへ旅立つのか他するというのは どんな世界に行くの かそれがはっきりしないことを一大事と 言うん です5章どんな世界に行くのかこれが はっきりしませんとこんなに恵まれた人生 も心が暗いんです行先がはっきりしない から前方が真っ暗闇のところへ元気に 明るい気持ちで突っ込んでいけるでしょう か何があるかわからないじゃないです かそんな人生どれだけ物や人間関係に 恵まれたとしても家族に囲まれてですね 幸せな生涯であったとしても心がいつも 暗いんですだから本当の安心満足ができ ない自分の魂の行き先が暗いんですから ある人がですね夜高速道路走ってる時 に突然ヘッドライトが消え た電気系統の故障でしょうねバッと消えて しまっ たそうするともう真っ暗闇 ですその真っ暗闇の中を高速道路 100km近いスピードで走ってい た恐怖のありまあブレーキを踏みそうに なったけれども旧ブレーキでば事故を 起こしますからポンピングでですねなんと か名を逃れて停車したと言いますけれど も100km近いスピードで走っている時 に前方が真っ暗闇ならとても恐ろしくて 走れませんよ ね前がスカっと見えていてさえ何が起きる か分からないましや真っ暗闇ならね安心し て運転できるはずがありませんま例えると 人生はですね どんな素晴らしい車に乗って走っていても 前方が闇であれば不安がなくならないん ですこの1大地を解決するこれが身の救い であります からでは救われたらどうなるかこれも両下 問では明らかにされてい ます頼む1年の時王城一条音助け事情ここ がまた極めて大事なこと ですその5章の1大事網物に救って いただくのは頼む1年の時だ とその時 にどう救っていただけるのかというと王城 一条にしていただけるん ですあ仏の極楽上土に行って仏に生まれる ことがただいまはっきりするん です真っ暗闇だった前方がスカと明るく なるようなものです間違いないいつ死んで も身の上土とはっきり するある救われた人がですね王城すっきり
王城はっきりはっきりすっきり ともう臨時息の切れだったそうですけれど も30分もの間永遠と叫び続けて喜びを 述べられた方があったそうです王女 はっきり王女すっきり まさに王城一条御た 事情新しい門はこのいずれも抜けている これではとても両下問と言えたものでは ありませんそんな白物ではない頼む1年の ところ甘なりと蓮女省におっしゃってい ますこの頼む1年が上土真州のカ尿金めの 中の金め仏法を聞いていかれてです ね心の闇が破れた瞬間これを頼む一年と いうんですこれが極めて大事なこと ですいつも皆さんにお示しをしております あ仏の 本願あ仏は全ての人を信行に救うと約束さ れています信行その神業の意味をあ仏のお 弟子であられるお釈迦様は本願常時問で 解説されて いる新人歓迎内視1年とここに1年とあり ます信行になれるのは1年の時だとこれが 頼む1年なんです この頼む1年の抜けた新人歓迎ないし1年 のこの1年が抜けたものはあ仏の救いでは ありません よ最も大事なお言葉と言っていいん です信男証人の共業新相の最も大事な 神官その神官にこの本願常時問のこの1年 を解釈されたお言葉があります新州点 351ページその最初ですそれ真実の信仰 安んずるに信仰に1年 あり1年とはこれ神業開発の時国の国策を 表し広代男子の強心を表す なりこれが本願常時問のこの1年を解釈さ れた信男証人の言葉 です真実の信仰には必ず1年があるお釈迦 様がおっしゃってることですこの1年は 信行開発の時刻の極く時間の 極まりこれ以上短い時間はないという変異 な言葉では1年の瞬間と言われますけれど 本当は瞬間と言えるようなものでも ない極めて短い時間なん ですそれをいつ も盾の線でお示しをするん です本当はこれには幅はありません長さは あっても幅が ない一瞬よりも本当はずっと 短い闇の晴れた瞬間 ですその時に信行が開発するん です網物に救い取られたその1年に信行の 花が心に開くん ですあっという間にそれを信頼証人は 信行開発の時国の 極く時間の
極まり極めて早い時間だと1年の早技で あるとこうおっしゃってるん ですそれを連に証人は頼む1年のところ 官業なりとおっしゃるん です核の証人はまたこうおしゃっている 先ほども紹介しました同じく害者賞という 本の中で書かれています産業の安心あり その中に大教を持って真実とせらる大教の 中には第18の癌を持って本とす18の癌 に取り手はまたがジジを持って死国と す新人歓迎ないし1年を持ってたきの安心 とおしめされるゆなり ときっぱりと書かれてます ねブッダ社のかれた膨大な教典一歳教の中 で大事なお経が3つあるとこれを上土三部 教と言い ます大無良樹教神無良樹教安田教この3つ ですこの上土産部教の中で大無料受教を 持って真実とするんだとその大無料受教の 中には第18の癌を持って本 と第無料教には網物の本願全部で48あり ますからこれを身の48癌と言います けれどもこの中で最も大事なのは第18番 目の癌これを18癌と言いますですから 普通網物の本願といえばこの18癌のこと を言うんですね大教の中には第188の癌 を持って本とすというのはそういう意味 ですこの18が大事だよとこれがあ仏の 本心だよとこうおっしゃってるん ですそして18の癌に取りてはまたが常樹 を持って死と す網仏の18が大変深いので我々文部には 分からないことがいくつもあるその我々の 分からないところをあ仏のお弟子でやら れるお釈迦様が私たちにえてくだされた それがこの本願常時問 ですその真ん中の3文字を取ってがジジと 言いますががジジを持って死国とすこれが 仏教で最も大事な死国1番大事なお言葉な んだ とそしてその後各の証人は ね真人県議ないし1年を持ってたの安心と おしめされる なりこの新人県議内1年これが谷木の新人 上土真州の新人信頼証人が教えられた新人 ですよときっぱりとおっしゃってるん ですですからこの1年が抜けたものは上土 真州の新人両下とは言えないんですそれが 抜けている新しい両下問これではねとても 両下問の名は値しない 最も大事なことが抜けて いるそれで今さすがにないがから批判が 吹き上がっているんですけれどもなかなか 本願寺の双極側はねたそうとしない取下げ ようとしないいや一旦ご文集がも発表した
んだから今更そんな撤回するわけにいかん とそういう維持や我慢もあるのかもしれ ませんけどそういう問題じゃないんですよ 上土真州から新人が抜けてしまったらもう 真州ではありませ ん本願寺は一体何のためにあるんです かたきの新人を多くの人に伝えするため じゃないでしょう かあ物の本願をお伝えするということは そういうことではないでしょう かその最も大事なことをなくしていいん でしょうか現在の本願寺の 長行親さんという方のようですけれども その方がブログでですね驚くべきことを 書いてますね学びの姿勢教団論なき驚愕 理解の完成と教団論のない驚愕の理解の おとし穴完成ということはそういうこと です ね何を書いてるのかなと思って読んでみる ところ問のに商業はまさるはずとの意見が あるそうです と門主の権威にお商業は まさるという人がいるとこれはおかしい じゃないかとこう総長が言ってるんですね ま色々なことをるる書いてありますけれど もご問主の権威にお商業はまざるはずとの 意見は立教回収800年の新修士における 5収支教えですご本寺本願寺全自主州主の トータルな教団論なき驚愕理解の完成に 思い ますま難しい言葉を並べてありますけれど も教えと本願寺という寺組織ですねそして ま全自式この場合全知識というのは正しい 仏教の先生というよりも紋章のことです 収集まこの3つを並べて比較してるん でしょう 凶暴教え法です本願寺これは教団組織です ねそして文種人ですま彼らは紋のことを全 自と呼んでるようですけれども本来全自と いうのはイコール紋章ではありませ ん正しい仏教を解く先生のことをを全 式あ物の本願を正しくお解きくださる方を 全知識と言い ますま紋章がそういう方であれば文章が全 知識でよろしいんですけれども教えを解か ないとすればあるいは間違った教えを伝え ているとすればそれは全知識ではありませ んどんな立派な子を着ていてもそれが全 知識の条件ではない正しい教えを解いてる かどうか神物の本願を正しく説法している かどうかそれで決まるん ですですからこの総長さん池田行親という 方ですねまこの3つを並べた上でこの トータルな教団論なき驚愕理解の穴だと 思うと門主の権よりもお商業つまり教えの
方が上だというのはおかしいじゃないかと 早朝が言ってるんです ねどこがおかしいん でしょうその通りじゃないです かあのブッダ釈迦がお亡くなりになる時ご 入滅なさる直前に悲しむ仏弟子たちに遺言 されたと言い ます人によわず法により なさいこの釈迦も肉体は無常だからもう このよさる時が来た と私を頼るのではなく法によりなさいと これまで私が解いてきた共謀これを明りと して生きていきなさいとこうおっしゃっ てるんですよ人よりも法難ん です310法を貫くのは凶暴なんですその 凶暴教えが書かれているのはお商業じゃ ありませんかお商業が最も大事なもので あることは当然ではないでしょうかこの 新しい両問に反対されている感覚主教の皆 さん が官学主教勇志の会というものを作って その批判文をFacebook上に6回 ですかねアップしていると思いますその第 2回目に非常に素晴らしい文章がありまし た私は正直胸を打たれましたいやさすが 本願時にもこういう方々がおられると 嬉しく思ったんですその文章を読んでみ ましょう本願寺教団の誇りは宗祖信男証人 の開かれた上土真州という身教えが商人 一流として受け継がれてきているところに こそ ある今回新しい両問によってこれだけの 混乱を引き起こしておりながらなおそれを 無視して普及を推進しようとするシム行為 は もはや注文の根幹を突きもので ある商業に基づいて周囲安心を守ること こそがご門主様を守ることであり全国の 文信とのお念仏の日々を守ることである現 双極の歪んだあり方によってこのような 状況が生まれていることに我々は強い行り と深い悲しみを 覚える速やかに新しい両問を取り下げ一刻 も早く商業に基づく伝動に立ち戻るべきで あるこう述べられてます ね大変共感し ますお商業というのは凶暴が書かれてい ます310法を貫いて変わらぬ法 です私たちが救われるのは法によって救わ れる です教団という組織に救われるのでも なければ人に救われるのでも ないお釈迦様は全自の元祖でありますけど も釈迦に救われるのでも ないましては紋章に救われるのでは
ないあ物の本願という法に救われるん ですそれが書かれてあるのが共業新章で あり五文章というお商業ではないでしょう かでですから両問これもまた素晴らしいお 商業ですその両下門を取り払ってですね 全く教えの抜けた新しい両 問残念ながらすでに 本業生天にこの新しい両門がまるでお商業 のようにして乗ってるようですけれども 大変なことですよこれはお商業の名は値し ませ んもう速やかに撤回すべきなんですその点 私はこの神学主教有しの会の皆さんに賛同 いたし ますで願わくはこの神学主教有志の会の皆 さんはこの3点が新しい両言問に抜けて いるということをはっきりと声を出して 叫んでいただきたい特にこの頼む1年が 抜けているということ上土真州の尿が抜け ているということ最も大事 本願常樹文の新人歓内視一念これが抜け てるんですこれでは上土新種にならない じゃないですかそんなものが両下問とは 到底言えないじゃないですかそれを指摘し ていただきたいそれを願っています今年 最後の動画でこのようなことをお話しする のは大変心情的にも辛いものがあります 今年は信証人ご生誕850 年上土新相にとってはまさにお祝いすべき 素晴らしい年なんですがその年にこういう 大きな問題が起きてしまっ たしかし言わずに折れないんです ねこのままでは本当に本願じは崩壊して しまい ます新人の抜けた本願地あり得ませんどれ だけ大きなガラがあったって中身がない 誰も救われないそんな本願寺さんであって いいでしょうかどうかそこを心ある皆さん はお考えいただきたいそして立ち上がって いただきたい現在の双極を正していただき たいそうでなければ本願寺交流の道はあり ませ ん上土真州信頼会は信頼証人の正しいえ 本当の網物の本願をお伝えするこれが信頼 会の使命と心得ており ますそのことを最後にお話をして心ある皆 さんとは手を携えて共に上土真州の交流の ために頑張っていきたいとこう思っており ますのでよろしくお願いいたし ますじゃあ今日はここまでいたし ます
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11件のコメント
仏教に入る縁はいろいろな形があっていいじゃない。荘厳に魅力を感じる人もいるし、称名に魅力を感じる人もいる。よその批判してる場合じゃないだろ。葬式仏教だと非難されていたことがあるが、葬式で仏縁をめぐまれることもある。儀式を否定する必要はないのでは。葬儀の前の通夜で、浄土真宗の法話をしっかり伝えることができれば、批判する必要がどこにある。仏縁はありとあらゆるところにちりばめられている。それを一気に否定して、絞るのはいかがなものでしょう。肝要なのは、真宗の法話聴聞であって、そこへいざなうためには、いきなり押し売りみたいなことをする必要はない。高森氏は本願寺の末寺に生まれて、反対して出ていかれた人ですが、結局自分が門主的立場になりたかっただけじゃないのでしょうか。大きな箱ものつくって、いろんな儀式やってるし、結局批判する立場じゃないと思うのですが。
本願寺がなくなったって、教えが残ればいいじゃないですか。極論ですが、そういうことです。
はっきり、すっきりっていうことが、どこか力みというか自力のはからいのように感じる。浅原佐市さんが、信心の情景をなんともないとおっしゃっているように、なんらはからいのないことがまかせた姿ではないでしょうか。はっきりしなきゃいけない、すっきりしなきゃいけない、歓喜がないといけないというのは、やはり凡夫の心をあてにしている自力の姿にほかなりません。はっきりすべきことをはっきりできないのが凡夫の姿ではないでしょうか。またそういう凡夫、喜ぶべきことを喜べない存在をことに憐み救いとってくださる仏が、阿弥陀如来さまではないでしょうか。一念とは、おぼえていてもいいけど、何時何分かおぼえてなきゃいかんとか、条件になるとおかしなことになる。つかまれた手をたのむべきであって、つかまれる自己は頼るべきものではないのだから。なんまんだぶつ。
私は東なんですが、東は大丈夫なんでしょうか??
南無阿弥陀仏m(__)m
いつも配信ありがとうございます。
渡部先生のお話はとてもわかりやすいのですが、字が読みにくいのが何とかならないのかなと思います。
走り書き、殴り書きをせず、ゆっくり丁寧に書いていただいたら、ずっと分かりやすくなると思います。
いっそ書道の先生に教えてもらってその様子を動画にすれば、別の意味で興味深い動画になるんじゃないかなと思いますが、いかがでしょうか?
現宗門を見るにつけ、私は内容に同感です。難しい内容なので誤解されている方もあるようです。儀式に確かなご法義が相続されれば問題ないと思いますが、現状とても正意安心のお取次がなされているとは思えません。正意の安心とは私にお救いがハッキリ信知されることです。
S54.本願寺派「宗義問答」(代表 灘本愛慈 勧学)
(問)「信心をいただいていない前と、信心をいただいた後とでは、心にハッキリとした区別がありますか?」
(答)「もちろんハッキリとした区別があります。私にわからぬはずがはありません」
(問)「ご信心をいただけば必ず喜びの心がありますか?」
(答)「もちろんあります。歓喜を伴わない他力の信心ということはあり得ません」
私はご門徒や有縁の方々に浄土真宗親鸞会さんの法話を勧めています。
動画、拝見しました。
ここでのコメントを先生は一切ご覧にならないとは思いますが
吉川栄治先生の折々の記を読んでみて
戦後間もないといえる昭和28年時の教団の姿勢を嘆き憂いているといえます。
吉川氏が憂いた事は現在でも改善されていないでしょう。
では親鸞会様は?
吉川氏は教団は批判し、逆に親鸞会は正しく世間の人々の苦しみに応えた
慈悲の集団であるとは言わないでしょう。教団よりマシだが苦しむ人を見捨てていると。
W先生は聞く耳をもたないでしょうが、本願寺の現状を見て安心安穏とせず
会員の高齢化、活動の内向き化に危機感を感じるべきではないでしょうか。
親鸞聖人も御釈迦さんから数えて7人の高僧を善知識と教えておられます。宗教も栄枯盛衰が有りましょうから、中興の祖蓮如上人に勝る善知識が出現するための衰退期に入るための準備行動だと考えましょうか。当人も辛かろう。
いつも素晴らしい仏法をありがとうございます。このチャンネルで初めて本格的に真宗を学ばせて頂いているものです。滑舌のよい流れるようなお話と、柔らかくも全くぶれない渡辺先生の姿勢に見とれながら聞いております。全ての動画を拝見しました。また動画内で薦めて頂いた本も何冊か購入しました。今後も配信を続けられるとのこと、楽しみにしております。良いお年をお迎え下さい。ありがとうございました。
被災されました皆様にお見舞い申し上げます。
新年早々の石川能登地震で、そちらの被害は大丈夫ですか?
本部の射水市も大きな揺れだったようです。
流派が異なるとはいえ、会員皆さんの無事と早い復旧を念じます。