日本福音ルーテル大阪教会 2023年12月31日 降誕後第1主日礼拝中説教 JELC Osaka Church Sermon
それではお座りのままで御言葉の歌と いたしまして教会三科34番34番を歌っ た後にヌクミティスシメオンの参加と題し て御言葉の解き明かしを出したいと思い ます教会三34番 です [音楽] H [音楽] 今 まの めに たち たて たもの されば [音楽] 打 なる [音楽] こ [音楽] け お に はの [音楽] さき主 はが う た おこ 会 とらと さ [音楽] たりち のに つめの あは 光 持に る よび なり き 光は うに て てこを [音楽] るす よ [音楽] は
[音楽] uda VS り び [音楽] て私たちの父なる神と主イエスキリスト から恵みと平安とがあなた方にあるように あン 今の三科はポールゲルハルト作ジョアン セバスチャンバッハ作曲の素晴らしい三家 ですね本当にこう味わいの深い歌をこの ような形で一緒に賛美できる幸いを覚え たいと感謝したいと思いますま特にま 2023年の最後の日が日曜日になりまし たこの道とまたオンラインを通してと一緒 に神様の命の御言葉先週クリスマスの喜び を祝いましたけれどもそのキリスト の御言葉に今日も預かることができること を感謝をしたいと思います私たちは御言葉 を持って1年を始めそして御言葉を持って 1年を終えている私たちの生涯もそのよう なものでありたいと思い ます今日は特にまシメオンとアンナという 2人の高齢の進行者たちが登場しますルカ 福井書にしか出てこない物語です エピソードですけれどもまアンナの方は女 予言者と呼ばれていますし年齢まで書いて あるんですね84 歳今でこそ84歳というのはそれほど法例 ではないのかもしれませんけども当時ま 2000年前84歳というのはすごいこと だったという風に思いですね神様の祝福が そのまま長寿として表されていたと見て 良いのだと思いますシメオンも まイエス様子イエス様をその胸に抱き ながらです ね主を今こそ私は安らかにこのようを去る ことができますと歌うぐらいですからも こう老齢で人生の最後の部分を言っていた であったと申し上げることができ ましょうルカ書にはま先週は羊会たちが幼 イエス様の第1の証言者赤人として登場し ましたけども今日はシメオンとアンナ が神から送られた幼子の光を明しをして いるクリスマスの物語にま2人の高齢者 たちが記されてるということは大変意味が 深いことではないかなと私は思います年々 そういう思いが強くなっててるま昨年私は 65歳になりましたからいわゆるま前期 高齢者になった そして人生の午後の時間ま魂を豊かにして いく時間ユングはそういう風に言いました けどもであるとすればその私たちの魂を 豊かにしていくためにや
この地面をやアンナのような生き方をして いきたいと思わされています特にシメオン という名前はですね私もし洗礼名が今与え られるとすればこのシメオンという名前を いただきたいなという風に思っているん です ね聞く耳を済ませるという意味の言葉です つまり神様の御言葉に聞いていく耳を 済ませていく ま5年半かかって小さな本を今年の10月 の終りに作りましたけれどもこれも聞く議 調室からという次第 です御言葉に聞くことから始まり御言葉に 聞くことで終わっていくそういうま障害を 私自身もシメオンのように送りたいという 風に思っています皆様もそれに思っておら れる方が少なくないのではないかと思うの ですで特にシメをですねま毎週礼拝の中で も派遣の部で歌いますよねヌクデミ ですこの喜びの参加を人生の最後にイエス 様と出会うことで歌うことができた 素晴らしい証をした人だと思いますそれも これもシメオンが普段からですね正しい人 で あるという風に書かれている そしてシメオン はイスラエル のあわれるのを慰められるのを待ち望んで い信仰が く正しい人で あるで精霊が彼にとまって いるそして主が使わすメシアに会うまでは 決して死ぬことはないそういうお告げ を精霊から受けていきま精霊からそういう お告げを聞いていたっていうことですね シメオンという名前の 通り私たちも神にの御言葉に聞くそして 天使の歌声に耳を済ませるそして精霊の 2人かけるその導きに従っていく使命をと いう名前の 通り引けイスラエルシェマイスラエル旧 神命期はそう語りますけれど も言葉に聞くっていうことを1番大切な 生き方として示されているのだと思います 特にまこの3年半間4年間の間コビッド 19新型コロナウイルスの世界的な パンデミックの中で私たちは随分不自由を 知られてまりました先週の日曜日の礼拝後 に4年ぶりに少し前とは違う形でしたお 弁当という形でしたけど もクリスマスの出会を50人ほど守ること ができたことは本当にこうありがたいこと だったなという風に思いますま4年間3年 半4年間ずっと私たちが忍耐を持ってこの 時を待ち望んでいたシモンたちは00年も
メシアの到来を待ち望み続けたということ ですね中世の歴史を見ますとペストが 100年もヨーロッパ全部で山あり谷あり でありましたけれども原因も分からない バクチも治療学もないそういう中で人々は 救いにの到来を待ち続けたシメオンはそう いう人たちの代表としてシメとアナは幼子 と出会っていると申し上げることができる のだと思い ますちょうどシメオンがエルサレムの神殿 に入っていく時に幼子イエス様は両親にま 立立法の規定通りに捧げ物を捧げる生贄を 捧げるというために神殿に来てい会うこと ができたこれも神様の導きになります神の なさることは皆その時に叶って 美しいの連動の書ことの言葉が言う通りで なりますなかなかこれもその通りだと言い にくい時がありますよね悲しみや苦しみや 私たちが理解できないような苦難が私たち を襲う時には神のなさることはその時に 叶って美しくはないと言いたくなる私たち でありますしかしそのような私たちの心を よくイエス様は分かった上で神様は知った 上で深い哀れみのうちにそのような命の 御言葉を与えてくださっているのだと思い ますこの4年間も私たちは様々な苦労をし ながらなんとかここまでたどりついこれ から先も明るい年が巡ってくるとは限ら ないもっと辛いこと苦しいこと悲しいこと があるかもしれませんしかしどのような ことがあったとしても天地万物が揺れ 動こうとも神様の御言葉はとしえに立つ としにゆうことがないその御言葉を信じて 全てを託して生きるようにキリストに従っ て生きるように私たちは呼びかけられて いるのであり ます地面は幼イエス様と出会ってお幼を その胸に抱い たそして喜びの ありヌンクミティスとラテン語で言われる 歌を歌っていますちよ今こそあなたはお 言葉通りこの下部を安らかにさらして くださいますお言葉通り神様の霊が自分に 伝えてくれた 通り安らかに提案のうちにさらせて くださいます人生の1番最後の時に幼こと イエス様と出会うことができたものは大変 にまである地面は大きな喜びに心が震えた に違いないそう思うの ですその福音は全ての神のために備えられ た刑事であります刑事という言葉は特別な 言葉かもしれませんけども英語で言うと レベレーター 表し てその刑事の光神がご自身を示して
くださった救いの光が鮮やかに輝いて クリスマス の救い主の誕生を 伝える星の光かもしれませんあるいは アドベントクランツご本全てのロソが灯さ れて何か少し元気がないような形 ですけれども暗くなっていく灯しも消す こともなく傷ついて足を折ることもない そういう救い主イエス様の誕生が私たちの 中で闇に輝く光として告げられて いるこのような光がどんな闇が深くても ですね私たちを捉えて話さないということ を覚えたいと思うの です このヌンクディミスというま分の中で歌い ますけどもこの曲 は私が牧師になってからずっと福山協会に おいても武蔵の教会においてもまた大阪 教会においてもそしてルーテルホームに おいて も葬儀の中では進行者の葬儀の中では必ず 歌ってきた参加でもあるの です 主今こそあなたはお言葉通り下をこの下部 を安らかにさらせてください ます私はこの目 であなたの救いを学ぶあたりにしたから ですこれは万民のために備えてくださった 整えてくださった救いである法人 な全ての諸国みを照らす 刑事の光神様 のが共にいてくださるということを示す命 の光ですあなたのためイスラエルのほまれ でありますま今パレスチナで起こってる ことが思う時になかなかこの箇所は いろんな課題を私たちの心の中にいろんな 思いを与えてくれる箇所かもしれません しかしイスラエルの民族は苦難の中でメを を待ち望み続けその中 でイエスキリストが与えられて いくシメオンはエルサレムに住んでいた アンナは正しい人つまり神様との正しい 関係の中に置かれた人たちの代表であった と思い ます信仰が熱い神様から与えられた信仰に 生きる人どのような時ににも御言葉に聞く 神様に聞こうとする人で あるイスラエルがめられるということを 待ち望んだ待望の人で あるそして精霊が彼の上に留まっている神 が共にいましたも人であっ た そして救い主メシアと出会うまでは決して 死ぬことはないというそういうお告を受け ている実際に幼のイエス様を抱くことが
できた人だったん ですなんと幸いな人であったでしょう か2023年が終わろうとしています そして明日からは新しい主の年が始まろう としています皆様方にとってはこの1間間 はどのような1年であったことでしょうか 喜びの深いでこともあったに違いない しかしとても悲しい苦しいやしい時もあっ たに違いないと思い ます時をが満ちるような形でこの教会に 再び足を運ぶことができできた人たちも ごえ ます様々な苦しみや悲しみ闇のただ中に おいてこの教会の存在 が闇の中にキリストの救いの光を差し示す そういう証の場として持ちられているのだ と信じたいと思うの ですこの年末年始は私たち夫婦にとっても ですね特別な年になっております2人の娘 たちとその家族 や滞在をしている4人の孫たち5歳3歳2 歳1歳 大変 な賑やかな状態の中で迎えたクリスマスで ありネマ年始であり ます子イエス様が海馬の中 で母マリアに抱かれながらセがそばにいる 中で本当に小と泣いたよう に小さな子供たちの存在は 私たちに本当にこう命の継承という意味で もクリスマスの喜びという意味でも大切な ことを教えてくれていると思います皆様も ご心の経験を振り返って思い起こされてる 方も少なくないだろうと思いますちょうど 今年も高校ラグビーが始まっていてそして 毎年のよにここに泊まるこのホテルに 泊まっている東福岡高校が来ている今年の 1月にはま優勝した高校であります120 人の高校生たちがラガーマンたちが止まっ ているですから2回の周回室は先週の クリスマス出会の後水曜日に机がほとんど ホテルの方に貸し出されてなくなってい ます2階が大運動上のようになっているで そこでま孫たちが親と一緒にボール警備を したり 回ってまこういう場があるということは これありがたいことだなと思います私たち はこのような素晴らしい礼拝動と 素晴らしいスペースが与えられていると いうことを改めて感謝をした出代の強食と 信徒の皆さんの祈りと努力がこういう形で 実現しているのだと思うん ですまこの建物も立って大阪も立って21 年年が経ちますので様々なところでま不 具合も出てきたりするでもそれに丁寧に手
を入れながら長く持たせていくために工夫 をしながらですね私たちは礼拝を守ること ができてコロナの中では3年間で35回 礼拝に通うことはできなかったというそう いう経験もしました先ほどもある方にお話 したんですけども3年間は私も毎週礼拝の ために50冊ずつある聖書と完美化と色分 をアルコール消毒をしてそれぞれの場所に け椅子に置いて皆さん礼拝の開始を待って い初めての経験でありますで家庭訪問とか 要所訪問を一生懸命頑張ってきた私として はそれが全くできなくなるルテホームを 家族 の法問が家族と会うてなかなか 難しくしかしそのような中にあっても 御言葉は私たちを捉えて話さないこの教会 の存在がキリスト教会の存在が私たちに とっては1つの希望の光を与えていたので はなかったかと思うの です私はま子供たちを見ていて思うことは 孫たちを見ていて思うことはですね孫たち 1人1人は本当に根拠のない自信に 満ち溢れているということなんですねま 根拠のない地震っていうのは美上クラムに も書きましたけれども私が前の教会にいた 時 に長く暮しにあります川崎医科大学の児童 精神会の教授として先生として クリスチャンであった佐々木正美先生と いう先生がらいました子供への差していう 素晴らしい本を3官もを書いていて私たち も育てた時にはそれをまバイブルのよう ような形でまさぼるような形で 読んそしてしばらくの間はその子供が与え られた親にはその本をプレゼントしたこと を思い出し ますその佐々木先生がですね武蔵の協会に 2度3度足を運んでくださった時に おっしゃった公演の中で直接お話をして くださっ たどうか子供たちをですねいっぱい いっぱい甘やかてあげて愛情を注いであげ て ください子供たちはそのように自分が愛さ れてるということを拝見する中で自分の中 に根拠のない自信を育んでいくからから おっしゃってくださったんですねま根拠の ない自信という言葉はその後にですね花と アという朝田の中に出てきたりあるいは 東京の東洋英和女学院の小学校でも根拠の ない自信というのがカナダから来た選挙師 たちの口癖として言伝られていると です佐々木先生はおっしゃいました私たち 大人の地震っていうのは普通は根拠のある 地震私たち持っていですなんか理由があっ
て地震になってですね一生懸命頑張って 業績を上げた努力をしたそしてそれが評価 されうまくいっているまそういった根拠が あって地震に繋がっていく でもそれは根拠があるがゆえに自信を支え ているものがあるがゆえにその根拠がら れるとガラガラと音を立って崩れて しまうでも根拠のない地震っていうのは 根拠がないが上に決して崩れることはない ていうんですね確かにそうですよ ね根拠のない自信ってあり得るのかな最初 を聞いて思いますけどもよく考えてみると それを自信と呼べるかどうか分かりません 自らを自信ということ葉は自らを信じる 信頼するということですけども根拠のない 自信というのは実は自分を信頼するという よりも自分の足場自分を立たして いる自分が寄って立っているその足場を 信頼するということであるということに 気づかされまし た自分自身はなかなか信じにくい部分が あるかもしれないしか自分を支えてくれて いる確かなものが あるそれそれが根拠になっているそれは 決してどういうことがあってもゆうことが ない小さい頃 から家族の中で注意の愛情を豊かに避けて 育っていく時に私たちは根拠のない自信と いうものが知らず知らずに自分たちの中に 歩まれれていくのだと思いますまそういう 味はシメオンという人は神に聞きながら 信仰が 熱く精霊からお告げを受ける くらいそういう深い神様との精霊との信頼 関係の中にあった神の愛を受けてい致命も また根拠のない自信に溢れていたそういう 人物の1人だったという風に申し上げる ことができるのではないかと思うのです 私たちも常に聖書からIloveyouと いう神様の声を聞いているあなたは私の 愛する子私の心に叶うものあたあなたは私 の目に与高く尊く私はあなたを愛している 繰り返し繰り返し聖書は私たち1人1人を アイラブユ神の愛のうちに置いてくださっ た私たちが自分自身ではなくてそのような ゆうことのない神の御言葉神の愛の中に 自分のの姿を見出すことができるとそれが 私たちの根拠として与えられている根拠の ない自信そして私たちはこの神の御言葉の 中に置かれているものだということを シメオンの姿言者アナの姿の中に自分自身 の姿を重ね合わせていくことができるので はないかと思うのであり ますヌクミティスとはまさにそのような神 のの愛を証しし
て歌われている喜びの参加であり ます正しい人で信仰が熱くイスラエルを くさめられるのを待ち望んで精霊が彼の上 にとまって いるそういう信仰者としての歩みを私たち はこの1年間揺れ動きながらも共に歩んで きたのだと思いますし御言葉によって支え られて新しい年もそのような念を歩んで いくことになるのだと思うの ですこのシメオンの参加はですね先週の 日曜日に読みましたルカの福書2章の最初 に出てくる羊会たちに天使 が救主の誕生を伝えそして突然そこに天の 大軍が加わって天天使たちの生徒の群たち の大きな賛美の歌声が起こったそのことと 歌声と重なり合ってるように私は思え ます神を賛美し て天の大軍は歌糸高きとこには栄光神に ある地には平和御心に叶う人に あるこの剣士たちの疑いをに耳を済ませ ながら使命をのように私たちはご一緒に 歌ってまいりたいそう思うのでございます ます今私は主の救いを見ました主よあなた は御言葉の通りしべを安らかにさらせて くださいますこの救いは諸々の民のために おえになられたもの両人の心を開く光見 イスラエルの栄光ですイエスキリストに おいてそのような喜び が告げられているそのことを感謝をしてあ 古い1年間を2023年を終え新しい 202 年踏み出して参りたいのでありますお1人 お1人の上に豊かな祝福がありますように 礼拝業とまたオンラインを通して繋がって いる方々の上にキリストがいつも共にいて くださいますよう人こと祈り ます天の父なる神 様今日は特にシメオンの3そしてシメオン の生き方を通して私たちがイエスキリスト と出会っていることの幸いを深く味わい しることができましたどのような時にも イエス様が私たちと共にいてくださいます そのことを信じそのことを全てを隠し てイエス様と一緒に歩んでいくことができ ますようにお1お1人の上に豊かな祝福を 備えてください1年間の守りと導きを心 から感謝をいたします悲しみや苦しみの中 に置かれている人たち特にウクライナや パレスにおい て命を脅かされそして大きな内気の中に 置かれている人たちの上にまた人道支援の ために命がけで働いておられる方たちの上 に世界中の祈りを合わせてあなたな平和の 実現をもたらしてくだくださいますように お祈り申し上げます1人1人の祈りに合
まして私たちの救い主命の与え主で ある救い主主イエスキリストの皆によって この祈りを見舞にお捧げいたします あめん人地では到底計りしことできない神 の提案がキリストイエスにあってあなた方 の心と思いとを守るよ あめん
2023年12月31日 降誕後第1主日礼拝説教
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