今回は、日本から遥か遠く、アフリカのマダガスカル島ディエゴスワレスでイギリス戦艦を撃破した日本海軍潜水艦を紹介します。
この潜水艦は、甲標的と呼ばれる日本海軍が開発した2人乗りの小型潜水艦でした。たった2人で敵の港湾に潜入し、大きな快挙を上げた搭乗員たちの戦いとはどのようなものだったのでしょうか。
動画では、甲標的の開発からディエゴスワレス湾での戦艦撃破、そして、攻撃後の2人を待ち受けていた悲劇についても取り上げます。

●注意事項
・動画作成者は東方に詳しくないため、魔理沙と霊夢の口調がおかしい場合があります。
・個人が収集した資料に基づき製作しているため、内容に誤りが含まれる場合があります。
・使用している画像等はキャプションがないものについては、時期や所属部隊、兵器の型式などを考慮しておらず、動画内容と無関係のものやイメージ画像・映像などが含まれます。
・当チャンネルの動画には、特定の国や組織、個人を貶める意図はありません。

●主要参考文献
「甲標的全史」勝目純也 イカロス出版 2019年
「昭和史の秘話を追う」秦郁彦 PHP研究所 2012年
「海軍特殊潜航艇」勝目純也 大日本絵画 2011年
「本当の特殊潜航艇の戦い」中村秀樹 光人社 2007年
戦史叢書第98巻「潜水艦史」

●音楽
魔王魂様、甘茶の音楽工房様

#ゆっくり解説#日本海軍#太平洋戦争#潜水艦#第二次世界大戦

10件のコメント

  1. このチャンネルは、本当にマイナーだけど知らなくてはならない戦史を紹介してくれる、有り難いチャンネルだと考えています🤔
    動画制作は大変だと思いますが、これからもマイナーな戦史をご教授ください🙇

  2. 甲標的や蛟龍は改良を重ねて性能をもっと上げれば潜水艦より安上がりで戦果を期待できたんじゃないかな。

  3. 真珠湾で失敗し、9人戦死1人捕虜の教訓を活かした見事な作戦。
    搭乗員も攻撃後の離脱には成功したが生還できなかったのが無念。
    しかしこれらの犠牲もあり、その後に行われたガタルカナル島のアメリカ輸送船襲撃作戦に参加した甲標的の搭乗員は攻撃成功したあと見事離脱及び生還できた。

  4. 甲標的は本来広い洋上での運用を考慮した兵器だが、実際には「洋上運用には耐えぬ」という評価がされていた。
    視界の広い航空機と違って、視界が限られ、満足な水測機器も持たない甲標的が水中で自在に動き回れるという発想が、空想的な代物だった。
    しかしダメ出しされてもプランが変わらないのが、いまも変わらぬ日本の悪いところか。
    とりあえず港湾攻撃に活路を求めたが、その運用では水中高速なんて意味が無い…。
    不慣れな運用を強いられた真珠湾では、見事に枕を並べて討ち死にしてしまった。
    本来業務で無い仕事を強要されてお亡くなりになった方々を「軍神」扱いする感覚にも、相当違和感を感じるが。
    おそらく個人的な技量で戦果を上げたディエゴスアレス襲撃の成功が、甲標的の評価に繋がるモノでは無いことは、弁えておく必要がある。
    最初から港湾襲撃を意図していたのなら、甲標的に求められる能力や外観もまるで変わっていただろうから。

  5. 11:23 シドニー湾で網にかかって自滅した日本海軍小型潜水艇は、引き上げられて豪州全土を巡回し、戦時下の国防意識向上に役立てられた。搭乗員の遺体は豪州海軍少将の発案で丁重に回収され、その遺骨は交戦相手国の日本側へ戦時中にも拘わらず引き渡された。豪州国民からの反対の声も強かったが、豪州海軍少将は折れなかった。日本海軍が一次大戦で一緒に戦った友軍だったからという理由と、緒戦で日本軍に捉えられた豪人捕虜の待遇改善を期待してのことだった。現在では件の小型潜水艇は首都キャンベラの豪州戦争博物館に陳列されていて、同博物館の目玉とも成っている。搭乗員一人一人について英語で詳しい説明文が付けられている。

  6. 小説家阿川弘之氏が、大戦中この作戦の成果をラジオで聞いたそうである。世界地理の教師に、「まだ貸し借り」と覚えさせられたのを思い出したという。日本には馴染みのない場所だったのだろう。
    お説の通り、甲標的は大洋で使うもので、敵の港湾に侵入するのは本来の用途ではありませんでした。これを発見した連合軍は、その乗組員の勇気を称えると同時に、貧弱な装備に驚いたという。

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